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高瀬農地保全事業所

コラム―日本一の山岳棚田集落群

「願はくはこれを語りて平地人を戦慄(せんりつ)せしめよ」とは柳田国男(やなぎだくにお)『遠野(とおの) 物語』(明治43年(1910))の序文にある有名な言葉です。民俗学者柳田は、平地民とは人種の異なる「 山人(やまびと)」が実在するとした独自の「山人論」をこの著作で著しました。出版の背景には、当時盛んに展開されていた「日本列島先住民族論争」もあったようです。

この「山人論」と似かよった歴史的風景が四国には多く見られます。ひとつは南北朝における南朝系山岳武士の暗躍、もうひとつが壇ノ浦の闘いで落ち延びた平家の落武者の集落。かれらは人の寄りつかぬ険しい山中に田畑を拓いて定住し、「平地民」とは隔絶(かくぜつ)された独自の生活を続けてきました。山岳伝いにどこでも行き来できる独自のルートも開発していたようです。

南朝系の勢力が長野の大鹿(おおしか)村、吉野、紀州、徳島、高知と中央構造線や御荷鉾(みかぶ) 構造線の南に連なっていたことも興味深い事実です。こうした構造線の近くの山は地すべりが多く、田畑や集落を造りやすかったのでしょう(「地すべり講座ー9.地すべりと棚田」参照)。

【写真】棚田・段々畑

【写真】棚田・段々畑

 

その代表例が仁淀川(によどがわ)周辺の集落です。この地の集落の景観や生活は、「平地民」の理解をはるかに超えるものです。棚田や段々畑も、通常私たちが目にするのどかな風景とは違って、今にも崩れそうな急斜面に延々と石垣を積み上げ、まさに「耕して天にいたる」の言葉どおり頂上近くまで続いており、見るものを圧倒します(写真参照)。石垣の高さと田面の奥行きが同じ(傾斜45度の)棚田も珍しくありません。さらに驚くべきことに、山の頂上付近にも数十軒の集落が点在し、この急斜面の農地で百歳を超えてなお農作業を楽しんでいる元気なお年寄りが多く見られます。
海抜700~800mの山中に安徳(あんとく)帝が安住の地とした「都」という集落があり、行宮(あんぐう)跡や都踊りといった芸能も伝承されています。落武者のルートに残る地名、あちこちに現存する平家由来の宝物や埋蔵品、今も集落で使われる古い京言葉や平家にまつわる伝承芸能など、隔絶された地であるだけに民俗文化の宝庫とも言えるほど色濃く残しています。

中央構造線の南側にある三波川(さんばがわ)帯、奥秩父(おくちちぶ)、長野県の遠山郷、静岡県の水窪(みさくぼ)、和歌山県十津川(とつがわ)村、徳島県の剣山(つるぎさん)周辺、祖谷、九州の五家荘(ごかのしょう) などには「日本のチロル」とも称される山岳集落が点在しています。しかし、これほどの規模の集落と文化、棚田や段々畑が見られるところは、この仁淀川町だけかも知れません。まさに「平地人が戦慄すべき」日本一の山岳棚田集落群とも言えそうです。

【写真】仁淀川町の棚田

【写真】仁淀川町の棚田

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