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更新日:平成26年10月2日

土地改良の歴史

土地改良事業以前の状況 

干拓前の航空写真

「加賀三湖干拓前」         (S22  撮影)

この地域の開発は、国営加賀三湖干拓事業(昭和27年~昭和44年)にて干陸された。以前は、柴山潟には、動橋川、八日市川、御橋川が流入、排水は串川を通じて今江潟へ。一方、木場潟には、日用川が流入、排水は前川を通じて今江潟へ。柴山潟と木場潟から流入する今江潟の排水は梯川を通じて安宅にて日本海に注ぐ地形でした。

梯川本流は流域面積が大きく、洪水時には水位が高くなり、河川水が今江潟へ逆流してきた。冬期には日本海特有の西北風が吹き荒れると、梯川河口は漂砂により度々閉鎖され、行き場を失った水は湛水し一面の湖化となりました。ときには小松市街までも浸水することもあった。また、季節風による海水が遡上(逆流)する現象が起こり、沿岸耕地はしばしば塩害を受ける地域でありました。

   (参考文献:加賀三湖土地改良五十年史)

 

国営土地改良事業のあゆみ

太平洋戦争直後の食糧増産が課題であったとき、昭和23年の福井地震により、加賀三湖周辺の耕地は沈下し、浸水被害の頻度が更に増大した。これを契機として地元民の強い要望により、未利用地水面の開発と周辺耕地の排水改良を併せ行う事業として昭和25年から調査開始、昭和27年工事に着手しました。

事業は、柴山潟の一部を干拓し、残存湖から小松砂丘に放水路(新堀川)を新設し、日本海に直接流下させ、潟は海水面との高低差がきわめて小さいため、放水路には新堀川潮止水門を設置し、海からの逆流を防いでいます。また、御橋川は残存湖へ流れるように付替えました。

今江潟は全潟を干拓。木場潟は用水源及び洪水調整池として残存させ前川を梯川まで延長して日本海へ流下させました。

干拓地は農地とするために、県営ほ場整備事業が行われ昭和51年には全面作付が可能となりました。

 

 

 

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〒923-0801 石川県小松市園町ホ85-1
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