“新潟”であるために・十章
第一章 地図にない湖と“どぶね農業”
・ビデオ「芦沼」(亀田郷土地改良区)より
戦前の話から始めたい。
上越線に乗って新潟へ来ると、新潟へ着く直前に巨大な湖が現れる。
しかし、どう探しても地図には載っていない。
あれほど大きな湖なのに・・・。
多くの人が不思議に思ったという。
湖の大きさは東西11キロ、南北10キロ、約1万ヘクタール。
東京23区の約4区分に匹敵する広さである。
現在のJR新潟駅や周辺の繁華街まで含む亀田郷一帯が、その“地図にない湖”であった。
なぜ地図に湖と記載されていなかったのか?
人には湖に見えたその一帯は、新潟農民のなけなしの“農地”だったからである。
写真の光景は、釣ではない。
舟に積まれた獲物は“土”。
農民は、その肩まで沈む湖のような農地を1ミリでも高くするため、毎年、川の底から舟でわずかな土を浚ってきては、自分の農地に撒き続けた(客土という)。
収穫を終えた晩秋から雪が積もり始めるまでの、農家総出の重労働であった。
水郷地帯というだけなら、他のも沢山ある。
日本のベニスともいわれた潮来地方、クリークで有名な佐賀平野。
川の湿地帯を開発してできた日本の水田社会は、多かれ少なかれ水郷地帯であった。
また、舟を使う農業も珍しくはない。車が登場するまで、舟は移動や運搬の主力であった。
しかし、土を乗せる舟、
つまり、“どぶね農業”の存在は、ここ、新潟平野だけではなかろうか。
・ビデオ「芦沼」(亀田郷土地改良区)より
序章 ある作家の感慨
第一章 地図にない湖と“どぶね農業”
第二章 三年一作
第三章 渇水の修羅場
第四章 新潟平野の誕生
第五章 現在の新潟平野
第六章 徳川初期の新潟平野
第七章 不滅の偉業
第八章 新潟平野の生存基盤システム
第九章 押し寄せる新潟平野の危機
第十章 新潟であるために
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