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調理と地域性

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日本人が毎日食べてきた日常の食事は、近代以降、基本形を残しながらも少しずつ変化していく。江戸時代の大名の日常の食事例をみても、ご飯と汁に煮物が一品か二品あり、時にはその一品が焼き物や和え物になるなどの変化はあるものの、これに香の物が加わった一汁一菜か二菜の食事構成で魚介類の使用も多いとはいえない。一般の人々の日常食は、さらに簡素なものであったと考えられるので、調理法を特別学ぶ必要もなく、家庭内で伝えられれば、それ以上特別の技術は必要とされないほど単純なものであったといえよう。

しかし、近代以降、欧米の影響により日常食を重視する考え方が、料理書や学校教育において取り入れられるようになり、これに栄養学の発展も加わると、まず都市部において少しずつ日常の食事が変化する。

第二次世界大戦による飢餓経験を経て、戦後の高度経済成長期初期には日本人の食生活は、バランスのとれた食事とされ、「日本型食生活」と称された。このような食事を作り上げてきた日本の家庭における調理と地域の特徴についてみることにしたい。また、地域の郷土料理、行事食などについてもその特徴について検討したい。

 

I 日常食の特徴

1 食事構成の特徴

本膳料理や懐石料理の食事の形である、飯・汁・菜(おかず)・香の物(漬物)の構成は、日常食の構成としても定着し、近代以降には「菜」の部分が次第に多様化するとともに、種類数やその量も増加する。下記は、1930年頃の日常食の具体的構成例を示したものである。 

表1 東京の食事例

場所・職業
朝食
昼食
夕食
東京・浪曲師
白米飯、みそ汁、あじの干物、佃煮、漬物
白米飯、長葱とわかめのぬた、漬物
白米飯、さんまの塩焼き、おひたし、漬物
東京・履物屋
白米飯、みそ汁、納豆、煮豆、佃煮、(漬物)
白米飯、みそ汁、塩鮭、おから炒り、漬物
白米飯、シチュー、ぶり大根、漬物
名古屋・商家
麦飯、みそ汁、佃煮、漬物
麦飯、朝のみそ汁、煮物、漬物
麦飯、おから、ほうれん草のごまよごし、漬物
大阪・船場薬酒問屋
ぶぶ漬(お茶漬)、塩昆布、漬物
白米飯、煮物、漬物
白米飯、みそ汁、太刀魚塩焼き、漬物
福岡・農家
麦飯、みそ汁、漬物
麦飯、野菜煮物、漬物
筍ご飯、吸物、たにし煮物、漬物

 「日本の食生活全集」(農文協)より作成

 

これらはいずれも都市部での食事であり、山間部などでは、夕食が手打ちうどんなどになり食事構成が異なるものもみられる。また、大阪の朝食がお茶漬けになっているが、ときには粥の食事もみられる。これは、1日1回1日分の飯を炊く習慣があった江戸時代に、江戸では朝に温かい飯を食べ、大坂では昼に温かな飯を食べるという違いがあり、翌朝は固くなった飯を食べやすくする工夫の一つとして茶漬けや粥を食していた。この習慣が近代以降にも引き継がれた結果であろう。

近代以降、給与所得者が増加すると、学校に進学する人たちが増え、昼食に弁当持参の習慣も定着する。上記の資料の名古屋の例では、女学校の弁当は、麦飯または白飯、佃煮、漬物の組み合わせである。また、東京の例では、飯、のり、鮭やたらこ、または卵焼き、煮豆、佃煮など一品か二品の弁当で、いずれも主食におかずと漬物などで構成されている。しかし、女学校ではあんパンやサンドイッチの弁当も流行し、上記の表にもあるように、シチュー、コロッケ、ライスカレーなど洋風の料理も食卓に上っている。

これらから見ると昭和初期の各地の都市部では、西洋料理の影響を受けた和洋折衷の食事が日常食にも広がっていたことをうかがうことができる。しかし、パンと洋風の食事構成はほとんどみられない。飯を主食としながらも、おかずに洋風料理を組み合わせるなど副食に関心をおくようになった。

さらに、1970~80年代には、副食の種類やその量、使用する食品の種類数も増加して、バラエティーに富む食事構成となり、いっぽうで伝統的な日本の食事の基本形も残されている食事が増加した。

沢村貞子『わたしの献立日記』から、1983年6月18日の食事をあげると下記のような食事がみられる。

 

食パン、牛乳、サラダ(レタス・きゅうり・セロリ・バナナ・みかん・トマト)、目玉焼き
弁当 夏すし、こんにゃく、小かぶ・キュウリの漬物
ごはん、みょうがのみそ汁、すきやき(牛肉、ねぎ、椎茸、ゆば、小松菜、うどん)、たらこ、わかめ・しらすの三杯酢

 

この食事をみると、朝はパン食、昼、夕に飯を主食とした食事である。近代の食事には少なかった牛乳、卵などの良質のタンパク質、牛肉などの動物性食品が日常食に定着し、おかずに使われる食品の種類が多いことをうかがうことができる。いっぽうで、飯、汁、おかず、漬物という伝統食の基本形も残されている。

1981年にNHK世論調査部において全国4,740人を対象に行われた「日本人の食生活」調査によると、朝食をとっている人は95%、うち90%の人が自宅でとり、しかも飯、みそ汁、軽いおかず、漬物という基本形に近い食事をとっている人が70%以上と圧倒的に多い。また、5人に1人は弁当持参、夕食は90%以上が自宅でとり、95%以上が主に米飯を食べている。この時期、食事の内容や摂取量の変化はみられるものの、食事構成の基本は継承されているといえよう。
 

2 主食・副食の摂取量の特徴と変化

日本の食事の構成上、量的に最も多かったものは飯である。農村地域などに定着していた飯は、必ずしも米の飯のみを指すものではなく大麦や雑穀を混合して炊いたものも飯と称した。いずれにしても飯から必要なエネルギーの大半を摂取していたので、文字通り主食であった。これに対し、汁、煮物、焼き物などの菜(おかず)は、副食と称され、主となる飯に副える意味で使われ、量的にもわずかなものであった。さらに漬物は、日常だけでなく本膳料理や懐石料理などの儀礼的な料理にも欠かせないものであり、年間の使用量を計って用意する必要があった。

下記は、米・麦など穀類の摂取量とそのエネルギーを主食とみなして、その摂取量と変化を見たものである。それぞれの調査が異なることや必ずしも主食のみに使われたとは限らない米、小麦も含まれるものの、時代の大きな流れは見て取れる。穀類(主食と考える)エネルギーとそれが総摂取エネルギーに占める割合を現在の食品成分表の数値を用いて算出した。1951,60年の調査では、穀類(主食)の占める比率が総摂取エネルギーの70%以上となっており、穀類(主食)に著しく重きをおいた伝統的な食事であったことを示しているが、その後急速に穀類(主食)への依存度は減少した。

1970年から80年代は、穀類(主食)の比率が副食に比べてやや多く、バランスのとれた比率であったが、米の摂取量の減少率は、小麦の摂取率の増加以上で、2000年には、穀類とその他の食品、すなわち主食と副食のエネルギー比率は逆転し、副食からの摂取エネルギーのほうが多くなっていると考えることが出来る。なお、2001年度の調査から米の摂取量は、飯及び粥の重量で示すことに変更されたために、そのままの数値では摂取量の変化を追えなくなった。通常米は飯になると、2.2~2.3倍となるが、粥の水分は様々なので換算は困難である。ほとんどが飯と考えて換算すると、2006年の米(飯・粥)345gは、米150g程度かそれ以下となり、2000年よりさらに米摂取量が減少したことになる。欧米の食習慣が定着した結果、主食に重きを置いた伝統的な食べ方が変化し、副食に重きを置くかたちになっていることを示している。

 

表2 穀類(主食)の摂取量と変化

調査年
摂取概量(1人1日)g
穀類エネルギー概量
穀類のエネルギー比率
1917年
米380・大麦等120
1,800kcal
75%
1951年
米355・小麦等76
1,520kcal
72%
1960年
米360・小麦等65
1,500kcal
71%
1975年
米248・小麦等92
1,193kcal
54%
2000年
米160・小麦等94
900kcal
45%
2006年
米(飯・粥)345・小麦等96
796kcal
42%
  • (注)

    • 1917年:森本厚吉他『文化生活研究』第1巻第5号(文化生活会、1921年)
    • 1951年以降:国民栄養調査・国民健康栄養調査によるエネルギー算出:五訂食品成分表による。
    • 穀類のエネルギー比率:各調査の総摂取エネルギーに対する穀類のエネルギー比率
    • 米・大麦・小麦:加工品を含む。2006年の米は飯・粥の重量で表示されるため米にすると約150g程度となる。

 

一日に必要なエネルギーをタンパク質、脂質、炭水化物からどのくらいの割合で摂取するかを示したPFCバランス(第5章参照)は、現在やや脂質の比率が高い傾向にあり、炭水化物からの摂取が少なくなっている。適正なバランスを保つためには、ある程度主食の比率を高くする必要があろう。また、主食を米にし、伝統的な調理法で副食を用意したものは、脂質が比較的少なくPFCバランスが適正値となりやすい。

 

3 炊飯方法の特徴

日本では、米飯の炊飯方法は、炊き干し法がとられてきた。この方法は、他のアジア諸国でとられてきた湯取法とは異なり、炊きあがったときに水分がなくなり、しかも米が十分に水分を吸収して芯のないふっくらとした米飯となる。このためには米をよく洗い、米に対して過不足のない適量の水を加え、火加減をして焦がさないよう炊く技術が求められた。

米は、現在「洗う」と称するが、少し前までは「研ぐ」と表現したほど、米に付着した糠を洗い流すために、白濁した水が澄むまで何度も水をかえて洗うことが求められた。現在でもその傾向は続いており、米1カップ(約140g)で、米の重量の10倍以上の1.5リットル程度の多くの水が使われる。とぎ汁には、粘りのある糠がとけ込むために、以前は、この「とぎ汁」を利用して、筍など、あくのつよい野菜類のあくぬきに用い、洗い物の汚れ取りに用いるなどしたあと、畑や庭木の周りなどに流し、自然の循環に返していた。

しかし、現在では集団住宅なども多くなり、生活スタイルがかわった結果、とぎ汁の利用は少なくなり、無洗米が登場し、伝統的な洗い方は次第に変化することになろう。

米に対する水の分量については、現在、米の容量の1.2倍、または米の重量の1.5倍の水を入れて炊くと教えられているが、電気釜、ガス釜が一般化する1970年以前には、家庭では、洗った米の上の高さが指の関節分(3cm弱)で計る手ばかりが使われてきた。後者の方法は、釜や炊く米の量が異なると高さも異なるために、不正確な方法として学校教育などでは使われなかったことから、家庭でも次第に忘れられていった。

しかし、ビーカーや鍋の大きさ、米の量を変化させ、米の重量の1.5倍の水を入れた時の米の上にくる水の高さを測定した実験では、米の重量が50~800gまでの間で適当な容器を選択すると、いずれも水の高さが約2.5cmとなり、水は、米の1.4~1.6倍となるため、飯にすることが可能である。このように伝統的な手ばかりも一定の範囲では使えるものであり、数値を記憶するより体に覚えさせる一つの経験的手法として有効な方法であり、現代でも十分利用できる方法であるといえよう。

現在は、メートル法での記述が定着しているが、電気釜の計量カップは、尺貫法の頃から使われた1合に合わせ、1カップ180 ml(1合)となっているものがほとんどで、学校教育等で用いる1カップ200 mlとは異なっている。このように現在、料理の材料を重量で示すことが多いなかで、米については、容量で示すことが多い。

竈で薪を使った炊飯は、第二次世界大戦後も、特に都市部以外の地域では長く残った。そのため、火加減も水加減同様重要であった。その表現は、「はじめは弱く、中程は激しく、最後は弱くする。沸騰したときに薪を引いて、おきを残し、しばらくして釜を下し、むらす」という流れが一般的であった。しかし、ガスコンロなどによる加熱が主流となると、「沸騰して火を少しずつ弱め、15~20分後、火を止めてむらす」と変化し、さらに電子レンジ加熱や圧力釜など新たな加熱器具が開発されると、調理の方法や加熱時間などは変化しているが、米に十分な水分が吸収された後、加熱により米のでんぷんが糊化し、水分が飯中に含まれてふっくらしたご飯になることが美味しいご飯であるとする評価には、変化がなく、新しい炊飯器具の宣伝に釜炊き風とか、薪炊きごはんなど伝統的炊き方に近いご飯をよしとする表現が使われていることも多い。炊飯の際の水加減や炊き方の留意点は、時代だけでなく資料によって異なるが、その例をまとめると下記の通りである。

 

表3 資料にみる炊飯方法の事例

年代
水量
炊き方の特徴
1700頃
*米一升に水一升
*米の上一寸
米を良く洗いざるに挙げ、熱湯に入れて沸騰後、薪を減じむらす。
(大和本草-1709)
1900頃
*水の高さ一寸
 
米を十分とぎ、釜に入れ水加減し、加熱沸騰後、薪を引きむらし櫃に移す。(料理手引草-1898)
1920頃
*米一升に水一升二合
米をよくとぐ。火を釜底全体に火勢の衰えないよう、沸騰後5,6分して火を去り、さらに10分そのまま熟ませ、櫃に移す。
(応用家事教科書-1918)
1940頃
*米一升に一升二合
 
*米の容量の2,3割増し
前夜に洗い、水は目分量でなく計る。火を引き、ガスなら火を止め5分おきおがくずなどで1分加熱し後蒸らす(国民食-1941)
ゴミを流すくらいに洗い、水を加え沸騰後火を弱め10分位おき、釜をおろし数分おき、櫃に移す(中等家事一-1942)
現在
*米80 gに水120 g(米100 mlに水120 ml)
計量カップで米を計り軽く3回水をかえ洗う。ざるにあげ水を切り、水を計り30分水につけ加熱する。沸騰後、2,3分吹きこぼれない程度の火加減、その後12~15分弱火とし、火を消し10分むらす(新編新しい家庭-2008)
(無洗米)
*米の2割増しの水にさらに5~10%加える
無洗米専用カップ(米糠分を減らしたへこみのあるカップ)を用いる場合、水の量は炊飯器の目盛り通りにし、炊き方は従来通り
(全国無洗米協会「無洗米」)

 

炊飯に際し、水の量を米の高さで計る方法は、他の料理書などをみても近代まででほとんどなくなり、第二次大戦中、「科学的」な調理が求められることにより、次第に姿を消していったが、家庭の中では戦後もしばらく続いた習慣であった。しかし、学校教育では近代以降、比較的早くから分量を計量器で計るよう指示し、次第に定着して現在に至っている。しかし、今後無洗米が普及すると、学校教育の炊飯方法の内容も変わらざるをえないであろう。

また、米に大麦や稗、粟などの雑穀を混ぜて炊く飯は、1940年頃までは都心部を除き日常のことであった。大麦は、そのまま(丸麦)では、固いためにあらかじめ加熱して後、米に混ぜる必要があったが、その方法も一つではなく、1930年頃からは加熱して押しつぶした押し麦が作られたために、直接米に混合して炊くことができるようになった。第二次大戦後は、麦飯を常食としていた地域も次第に白米飯となった。現在は、健康上の理由から麦、雑穀入りの飯が食べられるようになり、「五穀米」などとして1回ずつ米に入れて使用できるようパックになった商品も出回っている。

 

4 副食の種類と調理法

伝統的な食事の副食には、基本的な食事構成である飯、汁、おかず、漬物のうち飯以外のすべてを含んでいる。汁は、その実に季節ごとに様々な材料を組み合わせることが出来、儀礼食にも日常食にも各種の汁が作られ、地域により特徴ある汁も見られる。味付けには、みそ味および塩・しょうゆ味と大きく2種に分けられるが、うまみをいかに工夫するかがおいしさの鍵となる。

日本食の汁物、煮物などのうまみを引き出す出汁の材料には、鰹節、昆布、煮干し、しいたけなどが一般的であるが、地域により干しトビウオ等を用いるところもある。さらに、これらを混合することでうまみの相乗効果を得ることもできる。また、鯛や蛤のうしお汁に代表されるように、だしを取らず汁の実にする材料からのうまみを利用する場合もある。

また、菜(おかず)となるものは、生のまま、煮る、焼く、蒸す、茹でるなどの調理法を組み合わせ、季節の野菜、豆、いも、魚介類を調理したもので、組み合わせによりバラエティーに富んだものとなる。

なかでも煮物は、日本でもっとも多く作られてきた。鍋に材料とだしまたは水を加えて煮て味付けすれば、ほとんどのものをおかずとすることが出来る上、火の管理などもそれほど技術を要せず、しかも一度に大量に作ることも出来る。とくに農村で野菜・いも類を栽培している場合では、たとえば筍の季節には、一度にたくさんの筍を掘ることになり、大鍋で大量に煮て、何日か食べ続けることも多い。そうすることで調理の時間の手間も省け、煮る調理をしている間は、時々火加減を調整するだけで、他の調理にかかることが出来る。日常の煮物は、季節の野菜にうまみを加えるために、だしを兼ねて鶏肉、魚介類などを加えたものも多い。

さらに、焼き物は、魚の塩焼きなど直火で焼く調理が多く、天火焼きやソテーのように油を用いたものは伝統的な焼き物には少ない。また、蒸す、ゆでる調理は、いずれも水を必要とする調理である。しかも、煮物とは異なり、調理後はその水を廃棄することが多く、水の少ない砂漠地帯などでは発達し得ない調理法ともいえる。日本は地域にもよるが、比較的水に恵まれたところが多く、古くからこれらの調理法が使われてきた。

また、野菜類をゆでて後、水で洗う調理法は、海外では一般的な調理法ではない。例えば、ほうれん草の下処理を各国の料理書からみてみると、ほとんどの国では、ゆでた後水気を絞ることはあっても水で洗う方法がみられず、日本や韓国に特徴的な方法といえる。刺身のように生の魚を食べる習慣も良質な水の存在が可能にした調理であるといえよう。また、このように良質の水の存在は、豆腐、酒などの加工食品を独自のものに発展させることにもなった。さらに、ゆでた材料、下煮した材料をすりごまであえる、酢で味付けするなどの和え物・酢の物は、季節ごとに材料も変化に富み、あえ衣に、ごまのほか、からし・みそ・砂糖、豆腐を用いた酢の物、白和えあえなど実に多様な料理を生み出している。

下記に日本で伝統的に行われてきた主な調理法の特徴を示す。

  

表4 主な調理法

調理法
特徴
生もの
刺身など自然の香味、うまみを味わう。野菜類の生は漬物では食べるが、サラダのような野菜の生食は近代以降で、加熱調理が多い。しかし、大根、山芋など生のまますり下ろして食すものもある
汁物
汁のうまみにより食欲を増す。鰹節、みそ汁とすまし汁がある
煮物
食品に煮汁を加えて加熱し、醤油、砂糖、酒、みそなどで調味する
焼き物
魚を直火で焼くなどが多く、油で焼く、天火で焼くなどの焼く調理は近代以降に普及する
蒸し物
茶碗蒸しなど蒸し器に水を入れ水蒸気で加熱、型くずれしにくい
茹で物
熱湯中で加熱することで、食品の軟化、加熱だけでなく、野菜などのあく抜きに適す
和え物
酢の物
煮る茹でるなど下処理した材料をすりごま、すり豆腐、すり山椒などを衣にしてあえたもので、醤油、みそ、酢、砂糖、みりんなどで調味する
揚げ物
油をつかう調理は伝統的調理には少ないが、てんぷらなどや精進料理などでうまみの少ない野菜類にうまみを加えるために、揚げて煮る等の料理が発達した
炒め物
油で食品を炒める方法。伝統的な調理にはほとんどみられず近代以降、特に第二次大戦中以降に盛んに使われるようになった

 

前述した「日本人の食生活」(1981年調査)により、米飯を主食としていた夕食のおかずの内容をみると、サラダなどの生野菜、焼き魚、さしみ、煮物、焼き肉が多くの家庭で作られている。また伝統的な料理についてふだんよく食べているものの調査では、漬物がもっとも多く80%、以下、のり68%、大根おろし、おひたし各58%、酢の物55%、納豆46%で、近代の食事にたびたび登場した常備菜でもある煮豆28%、佃煮は22%である。

漬物は、野菜類に塩や酢などで漬けた保存食である。漬けているあいだに乳酸発酵することにより、保存性が高まるとともに独特の風味が加わる。漬物は古代から作られてきたが、江戸時代に白米食が普及することにより、糠を利用したたくあんが考案され、全国に普及した。そのほか糠と塩を使ったぬか漬けも江戸時代以降、全国的に作られている代表的な漬物である。梅干しは、梅に塩を加えて漬け、それを干すことでさらに保存性が高まり、何年も保存できる。漬物は、どのような食事にも欠かせないため、各地域の産物で様々な地域特有の漬物が工夫された。とくに、冬雪に閉ざされ、野菜類がほとんど得られなくなる地域では、特徴ある漬物が作られてきた。漬物は通常、塩を15~20%も使うことで保存性を高めることが出来るが、長野県木曽地方のすんき漬けは、この地域の気候を利用した塩を加えない漬物である。

そのほか、塩だけでなくみそ、醤油、酢などに漬けるもの、酒粕、こうじを加える漬物など味も材料も多様である。

 

5 調味料と調味の特徴

夏に高温多湿の気候をもつ日本では、アジアの他地域同様、発酵食品が早くから発達した。みそ、醤油、酢、酒、みりんは、日本料理の調味料として日本料理の味のベースになった。汁物や煮物には、調味料に加えて、鰹節、煮干し、昆布などで出汁をとり、これに醤油やみそによる味を付けることでうま味を増し、よりおいしい料理が出来る。さらに、これらの調味料、出汁の材料に加え、わさび、からし、しょうが、こしょう、さんしょう、とうがらし、柚、木の芽、おろし大根など香辛料・香辛野菜を加えることにより、季節感を楽しみながら、よりいっそうおいしさを感じる料理が工夫され定着している。

刺身の調味料は、現在醤油とわさび、醤油としょうがなどが一般的な調味料であるが、時代とともに調味にも変化がみられる。江戸時代の料理書の刺身の調味料を調査してみると、初期の料理書では、酢にわさび、しょうが、からしなどの辛みを組み合わせた調味料が多く使われている。また、次に多く使用された調味料は煎り酒と呼ばれるもので、酒に梅干し、鰹節を加えて煮つめたものである。関東醤油が量産されて、一般に広まる江戸時代中期以降には、醤油にわさびをつけるなどの現代につながる調味が行われるようになる。

また、現代は煮物、あえ物、焼き物に至るまで砂糖またはみりんなどの甘味を加えた調味が一般化しているが、この習慣は、江戸後期の料理書にみられるようになるものの、明治後期に書かれた『東京風俗志』(平出鏗二郎)によれば、明治以降、東京を中心に流行するようになり、みそ汁にまで砂糖を入れると記している。しかし、この習慣には地域性があり、関西では、甘味による調味は必ずしも東京と同様ではなく、幕末の『守貞謾稿』では、関西の人が江戸の甘味を入れた調味の方法に対し、食品の味を損ねると批判している。下記に料理書にみる煮物の調味に使われている醤油類と酒・甘味の調味を示した。江戸時代の料理書は、煮物の分類にないものでも煮物の調理法をとっているものもあるため、そのカウントは難しいが、調理法で煮る手法をとっているものを煮物として扱った。

 

表5 料理書にみる煮物の主な調味料

料理書
刊年
たまり
醤油・酒
醤油・みりん(砂糖)
煮物総数
料理物語
1643
50%以上
 
 
35
料理網目調味抄
1730
 
50%以上
 
25
江戸流行料理通
1822・35
 
 
21~49%
11
実用料理法
1895
 
21~49%
21~49%
19
家庭実用献立料理法
1915
 
20%以下
50%以上
52

注:%は煮物総数に対するその調味料を使っている料理の割合。みその調味は略してある

 

これをみると、中世の料理書の性格をもつ『料理物語』では甘味をつけた料理はみられず、たまりが60%を占めている。また、江戸中期の『料理網目調味抄』では、醤油+酒の調味が56%でみそと酒の調味をあわせると81%となる。しかし、高級料理屋として有名だった八百善主人の刊行による『江戸流行料通』では、煮物のほとんどに甘味が使われており、みりんに塩、みそにみりんの味付けも加えると84%に甘味を用いている。

いっぽう、明治期に刊行された料理書『実用料理法』では、たまりを除き、種々の調味が使われているものの、甘味を加えた料理は40%以上となる。さらに大正期の『家庭実用献立料理法』になると、52の煮物の87%が醤油+みりん(または砂糖)の調味であり、みそ+みりん(または砂糖)の調味を加えると、甘味の煮物は95%、ほとんどの煮物料理に甘味が加えられている。調査資料をもう少し増やして検証する必要はあるが、現在の煮物に甘味を加える調味法は、このような変化があり、1910年以降一般化し継承されてきたといえよう。

 

6 台所設備と調理道具の特徴

明治時代以降の料理の発展と調理場、調理道具の発展とは切り離せない関係がある。江戸時代までの主な熱源であった薪と炭は、近代以降も長く使われたが、これにガスと電気の発展が加わった。また、1880年代以降普及する国産マッチも調理の能率を高めた。さらに、日本は水が比較的豊かとはいえ、それを台所の近くに運ぶ手間は、重労働であったが、江戸の水道以上に広範囲の水道の架設と、蛇口から水を使える近代的水道の供給は、調理時間を短縮し、水の確保のための労働と時間を減少することとなり、料理作りへの時間的ゆとりがでてくることにもつながった。

しかし、これらの近代的設備を人々が受けることが出来るようになるのは、生活スタイルが少しずつ変化する日露戦争前後、1900年以降と考えられる。『東京ガス100年史』によれば、東京の家庭用燃料としてのガス需用家数は、1902年に853戸であったが、5年後の1907年には、4188戸と増加している。その後さらに広がり、雑誌などにもガス竈、ガス七輪などの絵入り広告が出された。1923年の関東大震災には需用家約25万戸の半数近くが消失したが、1930年にはこれらが復旧し、東京の家数の約58%にガスが供給され約64万7千戸となった。大阪でも同じ頃、約60%の世帯に普及した。

しかし、第二次大戦後の1950年代頃までは、依然として薪、炭は主要な家庭用燃料であり、とくに炊飯には長く薪が使用された。

ちなみに、下記に東京を中心とした神奈川、埼玉を含む労働者家庭の炊事用燃料の使用状況(1951~53年)を示した。終戦後の復旧が十分とはいえない時期とはいえ、薪、木炭の使用が多かったことがうかがえる。また、これらの世帯の給水設備をみると、大工場世帯では、63%が水道のみの使用でその60%は共用であった。

 

表6 都市労働者世帯の炊事用燃料の使用 数値:各項の世帯総数の%

燃料種類
大工場労働者
中小工場労働者
日雇労働者等
81
69
76
木炭
80
68
56
練炭
38
24
10
電気
12
4
ガス
22
14
3
世帯総数
400
386
108

『戦後婦人労働、生活調査資料集』第19・20巻をもとに作成。大工場:1000人以上

 

以上のような燃料に合わせて調理器具が使われた。炊飯用には、薪が長く使用されたことから厚い木製の蓋のある羽釜と呼ばれるつばのついた鍋が一般的なもので、1日に1回まとめて炊く習慣から、1升炊き、3升炊きなど比較的大きな羽釜が使われた。また、ガス用のかまども羽釜を使えるよう考案された。

加熱用の調理道具としては、ほかに各種の鍋類、せいろが用いられ、あえ物、みそ汁作りにすり鉢、出汁を作る鰹節削り、大根、しょうがなどをおろす下ろし金などが使われてきた。近代以降は、西洋料理に必要なフライパン、シチューパン、泡立て器などが加わり一般化した。

また、日本の伝統的な切る道具である包丁は、片刃が特徴で、菜切り包丁(薄刃包丁)、出刃包丁、刺身用包丁は、どこの家庭にも常備されていたが、現在、刺身を各家でつくることが少なくなり、魚をおろす機会も減少すると、出刃包丁、刺身用包丁は姿を消すことになった。代わって、マルチタイプの洋包丁が家庭で常備する包丁の主流となり、材質も鋼製から錆びないステンレス包丁が多くなっている。

現在は家庭に電気冷凍冷蔵庫が常備され、副食に重きが置かれるようになるにつれて、食材が多様化し、加工品などを含めて貯蔵できるようになると、数日分の食材をストックすることは当然のこととなった。電気冷蔵庫は1922年に販売されたというが、もちろん一般的なものではなかった。電気冷蔵庫は1950年以降販売されたが、普及するのは1970年頃で、普及率は約90%となっている。また、冷凍食品の生産に伴い、1965年以降2ドア冷凍冷蔵庫の販売が広がり、さらに電子レンジも登場し、1980年には約34%の普及率であったが、1990年には65%となる。

 

II 地域による食材、料理の特徴

1 主食の多様化

近代以降、日常食の一般的な形は飯、汁、菜、漬物であることはすでに述べたが、細かくみると地域差があり、主食も飯ばかりではなく、地域の環境に合わせて生産される穀類、雑穀類を組み合わせた食事が工夫されてきた。とりわけ、水田が十分に確保できなかった山間部では、小麦や雑穀の栽培が行われた。また、米の不足を補うために米に雑穀、大麦を混合した飯を炊くところ、大麦のみを主食とするところなどがみられた。

下記は、地域差が大きかった1930年頃に主婦であった人たちへの聞き取りをまとめた資料から、山間地域の秋の朝食と夕食をまとめたものである。 

表7 山間地域の食事

地域
朝食
夕食
青森(七戸)
粟飯、干し菜汁、なす油炒め、漬物
粟飯、鯨汁、漬物
福島(只見)
かぼちゃ飯、みそ汁、煮物油みそ、漬物
米粉の団子汁、煮物、漬物
群馬(中里)
麦飯、前夜のうどん汁、油みそ、漬物
うどん、かぼちゃ煮物、漬物
山梨(棡原)
麦飯、前夜の煮込み汁、漬物
煮込みうどん、煮物、漬物
長野(開田)
稗粉飯、みそ汁、油みそ
かぼちゃ雑炊、干し魚、酢の物、漬物
宮崎(高千穂)
から芋飯、みそ汁、漬物
麦飯、かいきり、煮しめ、漬物

『日本の食生活全集』全50巻より6県の事例から作成

  • 油みそ:油で大豆を炒り、水を加えて煮て、砂糖、みそで味付けした常備菜
  • 麦飯:麦3~9対米7~1 稗粉飯:米10にいった稗粉3 から芋飯:麦7・米3にさつまいも
  • かいきり:ゆるく溶いた小麦粉をみそ汁におとしたもの

 

朝食の食事構成は、飯・汁・菜・漬物の構成であるが、主食の飯の内容が米に麦や雑穀を高い比率で含む飯が多い。

米に混合する大麦は、前述したように丸麦のまま利用する場合には、米を混合する前に、あらかじめ煮ておくなどの処理が必要であった。多くは、囲炉裏などで前日から煮ており、これを「えます」という。米に混合せず、大麦のみを加熱して「おばく」などと称して食す場合もある。丸麦は、処理に時間がかかったために、丸麦を臼にひいて割り麦にしたひき割り麦も使われたが、昭和に入ると精白し加熱圧迫した押し麦がつくられるようになり、これを米に混合して炊くことが一般化した。

また、群馬、山梨の例にみるように、夕食に粉食のうどんが主食となる地域も比較的多く、現在にまで伝承されている。たとえば、山梨県のほうとう、神奈川県相模原に残る煮ごみなどは、現在に続く郷土料理ともいえる。

 

2 食材の地域性

日本は、北から南に細長い列島で山が多く、海に囲まれており、気候が地域により異なるために、生産される農産物なども異なるものが多い。

農産物でみると、芋類のうち、さつまいもは九州など南部で多く作られ、冷害に強く、冷涼な地に生育するじゃがいもは、どちらかといえば山梨、長野などの山間部や日本の北部で利用されてきた。さつまいもは、沖縄、長崎、鹿児島において、さつまいも飯のほか、甘藷まんじゅう、干しいもを使って発酵させて作る酢芋、でんぷん(せん)製造、団子や麺の加工など多様な調理、加工食品が作られた。

また、豆類も地域差が大きく、そら豆の分布は西日本から関東、石川県に分布している。また、枝豆は全国に分布するが、それをすり下ろしてじんだまたはずんだ等と称し、もちなどの餡やあえ物の衣にする地域は東北地方に集中している。青大豆を浸し豆、打ち豆にする地域も東日本に限られ、糸引納豆も主として東日本に分布し、納豆汁納豆餅は東北に分布するなど大豆の分布とは異なる分布をしていることは、単に地域の自然環境だけの影響とはいえない。

魚介類も地域性が大きい。かつおは、南方から春に太平洋岸を東北地方まで北上し、秋には南下するために、静岡、宮城など太平洋側で漁獲され、食べられてきた。また、サケも、北海道、東北など北日本で獲れる。これに対して、ブリは晩秋から冬に北陸など日本海側で多く漁獲される西側の魚といえる。そのために、正月の行事には東側がサケ、西側ではブリを使う文化が定着している。また、真タイは、現在養殖が多いが天然のタイは、九州、西日本で多く獲れる。マグロは日本全体に分布するが、江戸時代の中期以降、それまで下魚とされていたマグロを江戸で刺身や握り鮨に使うようになり次第に好まれるようになった。しかし、西日本では、タイなど白身の魚を好む習慣が続き、現在でもマグロの消費量は東日本が多い。また、サバは全国に分布するが、サバずしは西日本に集中しているなど地位以西がみられる。

 

3 調味料の地域性

みそ、醤油などの発酵性調味料は、日本料理の味のベースとなっていることは、すでに述べたが、同じみそやしょうゆでもその味の好みは地域により作り方や材料にちがいがある。しょうゆは比較的早くから商業的に製造されたのに対し、みそは各家でもつくられ、より多彩なみそがうまれた。みそは、その製法、材料により大きく3種に分けられる。1種は米みそといわれるみそで蒸した大豆に塩、米こうじを加えて発酵させたもの、麦こうじを加えたものを麦みそ、大豆を原料とするみそ玉こうじをもとにするものである。

しょうゆは、JAS規格によりこいくち、うすくち、たまり、再仕込み、しろに分類される。主に関東地方で発達した醤油は濃い口で、大豆、小麦が50%ずつに塩分16~17%のものである。また、兵庫県竜野地方でつくられる醤油は、薄口しょうゆが多くつくられている。材料は濃い口と同様であるが、発酵の過程が異なり、塩分は18~19%程度とやや多く、関西で多く使われる。また、しろ醤油は、原料のほとんどが小麦で、わずかに大豆が使われる。愛知県が主産地で、淡白で糖分が多い薄口よりさらに透明度の高い醤油である。下記に主な味噌とその特徴を示した。
 

表8 主なみそと地域

種類
主な銘柄・地域
特徴
 米みそ
津軽みそ
長期間熟成させる辛口赤みそ系
仙台みそ
江戸初期に製造がはじまった辛口赤みそ系
信州みそ
明治になり赤系から好みが山吹色の淡泊なみそにかわりつくられた淡色系の辛みそ
江戸甘みそ
通常のみそよりこうじを多く、塩を少なくした赤系の甘さのあるみそ
西京みそ
関西の甘味のある白みそ 西京漬けなどにもつかう
讃岐みそ
香川のあん餅雑煮などにつかう甘味のある白みそ
麦みそ
九州・四国・中国
山吹色を帯びた甘味のあるみそと赤系
豆みそ
三州みそ・八丁みそ
米、麦のこうじを使わない濃い赤系みそで独特の風味をもつ味噌煮込み、みそかつなどで全国に知られた

 

4 郷土料理

食材、調味料などが地域により異なると、各地には特徴ある郷土料理が誕生し伝承されてきた。2007年に農林水産省が行った「郷土料理百選」では、各県から選ばれた郷土料理を下記に紹介しよう。

 

表9 郷土料理百選

都道府県名
農産漁村の郷土料理百選
北海道
ジンギスカン
石狩鍋
ちゃんちゃん焼き
青森県
いちご煮
せんべい汁
 
岩手県
わんこそば
ひっつみ
 
宮城県
ずんだ餅
はらこ飯
 
秋田県
きりたんぽ鍋
稲庭うどん
 
山形県
いも煮
どんがら汁
 
福島県
こづゆ
にしんの山椒漬け
 
茨城県
あんこう料理
そぼろ納豆
 
栃木県
しもつかれ
ちたけそば
 
群馬県
おっきりこみ
生芋こんにゃく料理
 
埼玉県
冷汁うどん
いが饅頭
 
千葉県
太巻き寿司
イワシのごま漬け
 
東京都
深川丼
くさや
 
神奈川県
へらへら団子
かんこ焼き
 
新潟県
のっぺい汁
笹寿司
 
富山県
ます寿し
治部(じぶ)煮
 
石川県
かぶら寿し
ぶり大根
 
福井県
越前おろしそば
さばのへしこ
 
山梨県
ほうとう
吉田うどん
 
長野県
信州そば
おやき
 
岐阜県
栗きんとん
朴歯(ほうば)みそ
 
静岡県
桜えびのかき揚げ
うなぎの蒲焼き
 
愛知県
ひつまぶし
味噌煮込みうどん
 
三重県
伊勢うどん
てこね寿司
 
滋賀県
ふなずし
鴨鍋
 
京都府
京漬物
賀茂なすの田楽
 
大阪府
箱寿司
白みそ雑煮
 
兵庫県
ぼたん鍋
いかなごのくぎ煮
 
奈良県
柿の葉寿司
三輪そうめん
 
和歌山県
鯨の竜田揚げ
めはりずし
 
鳥取県
かに汁
あごのやき
 
島根県
出雲そば
しじみ汁
 
岡山県
ばらずし
ママカリずし
 
広島県
カキの土手鍋
あなご飯
 
山口県
ふぐ料理
岩国寿司
 
徳島県
そば米雑炊
ぼうぜの姿寿司
 
香川県
讃岐うどん
あんもち雑煮
 
愛媛県
宇和島鯛めし
じゃこ天
 
高知県
かつおのたたき
皿鉢(さわち)料理
 
福岡県
水炊き
がめ煮
 
佐賀県
呼子イカの活きづくり
須古寿し
 
長崎県
卓袱(しっぽく)料理
具雑煮
 
熊本県
馬刺し
いきなりだご
からしれんこん
大分県
ブリのあつめし
ごまだしうどん
手延べだんご汁
宮崎県
地鶏の炭火焼き
冷や汁
 
鹿児島県
鶏飯(けいはん)
きびなご料理
つけあげ
沖縄県
沖縄そば
ゴーヤーチャンプル
いかすみ汁
99品

農林水産省『郷土料理百選』(2007)より作成

 

III 行事食と地域性

1 雑煮の地域性

年中行事のうち、正月と食は、現在も多くの地域に残されている。とりわけ雑煮には、各地域で特徴的なものがあり、出汁、調味料、餅の形などにも地域差がみられ、餅を焼くのか、茹でるのかなどによりさまざまな雑煮に分けられる。文化庁が行った「お雑煮100選」(2005年)は一般応募者の家庭の雑煮から選定している。各県により応募者数が異なるが、応募者総数280件について餅の形についてみると、角餅、丸餅は全国ほぼ半々である。しかし、北海道、東北、関東、中部を東日本とし、それ以南を西日本として比較してみると、東日本では75%が角餅、25%が丸餅であるのに対し、西日本では、角餅は14%、丸餅が86%と、一般にいわれているように東が角餅、西が丸餅という文化は現在まで引き継がれている食習慣といえよう。この集計は現住所で行われているが、個別に出身地をみると、東日本に住んでいても西日本出身の場合、多くが丸餅であることをみると、出身地の食習慣が引き継がれていることをうかがうことができる。

また、調理法についてみると、東日本は餅を焼くが56%、ゆでる39%、その他5%と、焼くがやや多いが、西日本は、焼く41%、ゆでる55%、その他4%とややゆでるが多い。しかし、餅の形ほど顕著な違いがあるとはいえない。さらに、味付けについてみると、東日本は、しょうゆ味が84%と圧倒的に多く、白みそ、その他のみそを合わせたみそ味は10%、その他6%であるが、西日本は、しょうゆ味58%、みそ味38%、その他4%となり、西日本もしょうゆ味が6割近くを占めている。みそ味は、近畿に集中しており近畿61件のうち、56%にあたる34件がみそ味でしょうゆ味を上回っている。しかし、全体的には75%が醤油味で、みそ味は12%としょうゆ味が主流であるといえよう。100選のうち、いくつかの事例を下記に示す。

 

表10 地域の家庭で作られている雑煮事例

都道府県名
雑煮名
餅の形
餅の調理法
汁の味
だし
特徴
北海道
鮭粕雑煮
焼く
米糀・みそ・醤油
昆布・削り節のだし
甘塩鮭・大根・人参・いくら・三つ葉
岩手県
ごまだれ雑煮
焼く
醤油
煮干し・昆布・椎茸
大根・人参などのほか焼き豆腐、油揚げなど
東京都
東京雑煮
焼く
醤油
昆布・かつお
鶏肉・小松菜・柚など
新潟県
田舎雑煮
茹でる
醤油
鶏がら
牛蒡、里芋・蒟蒻・塩引鮭・イクラなど
京都府
白みそ雑煮
茹でる
白みそ
だし昆布
頭芋・小芋・大根・削りかつお
鳥取県
あずき雑煮
茹でる
薄い砂糖味
 
小豆。昭和初期までは塩味
香川県
あん餅雑煮
茹でる
白みそ
かつお
あん入り餅、大根・人参・青のり
熊本県
あんこ餅入具雑煮
焼く
しょうゆ
昆布・するめ
あずきあん入り餅、大根、人参、牛蒡、ちくわ、かまぼこ等

文化庁「お雑煮100選」(2005)より作成

 

2 行事・儀礼食としての赤飯等

もち米、またはもち米にうるち米を加えた赤飯は、古くから祝儀の席に供されてきた。しかし、地域によっては、必ずしも祝儀の場合だけでなく、不祝儀の場合に用いられることもあり、また仏事などに作られる黒豆おこわも仏事ばかりではなく祝儀の際に用いられることもある。

1930年頃に主婦であった人への聞き取りによれば、祝儀のみでなく仏事にも赤飯が用いられている。祝儀以外でもっとも多く赤飯が使われているのは、お盆の行事である。北海道、青森、岩手など東北の一部や島根県、愛媛県でもみられる。また、愛知、福井、富山、茨城などでは通夜、葬儀、初七日などでも使われる地域もある。

いっぽう、黒豆おこわは不祝儀の際に用いられる傾向がみられるが、兵庫では初端午の節句祝いに嫁の里から持参し、長野安曇平では病気の床上げに、福井、石川では、棟上げに用意するところがある。このような地域によるちがいが何に起因しているかは明らかではないが、富山・下新川のように通夜に用いられた赤飯が次第に黒豆おこわとかわったところもある。 

 

参考文献

  • 石川寛子編『地域と食文化』放送大学教育振興会、1999
  • 石川寛子・江原絢子編著『近現代の食文化』アイ・ケイコーポレーション、2003
  • NHK世論調査部編『日本人の食生活』日本放送協会、1984
  • 全国味噌工業協会『味噌沿革史』全国味噌工業協会、1958
  • 農山漁村文化協会編『日本の食文化全集』全50巻、農山漁村文化協会、1984~1993
  • 村瀬敬子『冷たいおいしさの誕生、日本冷蔵庫100年』諭創社、2005

 

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