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京の食文化

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はじめに―京の文化

京都の文化は宮中中心の公家文化で他府県とはずいぶん異なった発展の仕方をしてきたのである。食文化といっても食文化ひとつで語るわけにはいかない、呉服とか京焼、京漆、京菓子など様々な文化があわさって京料理も一緒に大きく発展してきたのである。京呉服なども本当に染めとか縫いなど素晴らしい技術があってデザインもすぐれている。私も花街の舞というのは商売とは切り離せないもので毎年見にいく。着物には大変魅力的なところがあってデザインや色の使い方は特にすばらしく、その着物を見るために行くようなものである。京焼に関しては、「花洛名所図会」に東海道の本街道の絵があって瓢亭の通りから一つ南側の通りが三条通でのきなみ粟田焼が並んでいる。それぐらいすばらしい土が出たところで、瓢亭の庭も掘り返すとブルーの粘土がたくさん出てくる。それは水の吸水性は悪いけれども粘りけがあって焼物には適しているということらしい。細かい細工をしても焼物が曲がらないという昔の粟田焼は、古いものでも見ていると薄い八寸でもすかっとあがって、細かい透かしのあるものでもゆがまずにあがっている。そして仁清、乾山という人たちの釉薬のきれいな焼物ができるようになりすばらしい色絵の世界ができてくる。漆においては、丹後の方で復活して漆かきもふえてきた。中国に一時おされていた漆も徐徐に回復し京漆というものがずいぶんいわれるようになった。それらのすばらしいところは、木地師の木地で椀や皿を削ったりするロクロの技術がよかったので薄い木地がうまくでき、それに布をはって漆をかけるから薄くて軽いけれども落としてもわれない丈夫なものができたのである。そして蒔絵の技術についてはすばらしく様々なものができあがっている。京菓子においては彩りは美しく甘味もしっかりしているが嫌味がない、というのは、餡の砂糖蜜のあく抜きというのがうまくできているので非常に甘味が濃いけれど嫌味がないのである。そして彩りが美しいというのは、形で表現するのではなく彩りとちょっとした何か抽象的な形で表現をすることが京菓子のいいところで、色彩豊かで表現力がすばらしいというのが京のお菓子だと思っている。私はいま京菓子組合の審査員をしていて年に何回か発表会があり審査をしているけれども、だんだん変わってきている。それは、お菓子の表現が抽象的から現実的な形になってきているのが最近の傾向といえる。

 

I 京の食文化

1 京料理の歴史

京料理に関しては、それは一つの京都の郷土料理ということがいえるだろう。その発展の中には4つの歴史があり、まず一つは宮中の有職料理である。今の万亀楼とか魚新に残っている料理であるが、嶋台に飾る蓬莱盛りというおめでたい盛り方で、嶋台に木を飾ったり花を飾ったりきれいな色彩のリボンを飾ったりと優雅でめでたいような料理が有職料理である。次に精進料理がある。これはお寺から出た料理でいかにその季節のものを長期間保存してそれをナマよりもよりおいしく食べることができるかという方法を考え出したのである。ナマのものを干したり塩漬けにしたり、灰をまぶして干したりといろんなことをして保存食をつくる。そして戻したときに天日干しのおいしさがはっきりと出て、季節外れにいつでも美味しく食べられるという、そういう工夫がなされている料理なのである。そして茶道からは懐石料理がある。これは千利休のころからあるけれども、あの昔にあってあついものをあついうちに一品ずつ運んで食べるという食べ方とそれに付随して器の鑑賞と箸使いがある。いろんな種類の箸を使っておいしく食べるというもので、今でもその使い方は各家元で違ってはいるが、実に合理的においしいものはおいしいうちにと考えられている。これを400年の昔からやってこられたというのはすばらしい食生活である。その次にお番菜がある。これは京都の町衆が代々いろんな工夫をした料理で、中でも代表的ないもぼうというのは、カチカチに干した棒鱈を海老芋と一緒に炊くことで棒鱈のアクによって芋が型崩れせずにやわらかく炊けて、また芋のアクで固い棒鱈がやわらかく炊けるという相乗効果のある料理で、科学のない時代にこれを考え出したというのはすばらしいことである。そのほかにも様々なお番菜が京都の台所から代々伝わってきている。そして今日の京料理というのは、これらの4つのものがまざりあって発展してきたものだといえよう。

 

2 京料理の発展に影響を与えたもの

京料理の歴史に大きく影響を与えたものに北海道や東北からくる松前船、北前船などの船の交易がある。北海の塩干物や棒鱈、鰊、数の子、するめ、貝柱などはカチカチに干されて京の町に入ってくるのである。それらは若狭の方から鯖街道を通って京の町へ入ってきたり、大阪の港について淀川から高瀬川を上って入ってきたりする。日本海を通って若狭の浜についた船からは、紅花なんかと一緒に若狭の一汐物が入ってくるので非常に重宝されたのである。ぐじや鯖、鰈など一汐物、これが若狭の浜から山を越えて今津の方へ来て熊川から朽木の街道を通って八瀬大原から京の入口のひとつ山端へと入ってくる、または周山、花背の方からも入ってくる、こういったところから入ってくる一汐物の塩干物が京料理に大きく影響を与えてきたのである。特に昔は、ぐじがものすごくごちそうで、ぐじの一汐物なんていったら本当に重宝がられていた。そういうとこから持ってこられる鯖が京の町に入って鯖寿司になってハレのごちそうになる、山を越えて入ってきたものが入口の今の山端の平八茶屋でまず荷物をおろして、そして町中をずっときて最後に祇園町のいづうで荷物を下ろす、そのいづうで鯖をおろして鯖寿司となる、ですからいづうの鯖寿司というのは昔から非常に高価だったけれども京都人のすばらしい好みでありハレのときにはごちそうとなるのである。そして子供のころ入ってきたのは笹鰈という身が薄くて細長い鰈で、ずいぶん高価なものであった。ほかのかれいは身が分厚いのに安くて身の薄い笹鰈がなぜこんなに高いのかと思っていたけれども、そういう上品なものが貴重品だったのである。

そのほか北海道から来た昆布などもおろしていく、敦賀には大きい昆布問屋があってそこの町で昆布をおろす、また大阪の方を回って大阪でも昆布をおろす、というので大阪も昆布で非常に有名な町になったのである。北海道産の昆布というのはいろんな種類があり、浜によって随分違いがあり使い道も様々である。このように他府県から持ち込まれて京都の町に適して京都の名物になったものに京都の伝統野菜がある。昭和62年に京都府が17品目34種ということで伝統野菜を指定したが今はもう少しふえている。子供のころにおいしい野菜を食べたという思いがあり、山科あたりから大八車でこえたんごの空桶をいっぱい積んで農家の人がやって来る、店は営業しているからたくさんこえがたまる、それでくましてくれということで庭先を通り、天秤棒でかついでこえをくみ取りまた大八車に乗せてまた空おけを持って中へ入ってまた天秤棒でということが昔からあって、お客さんが食事をされている昼間の営業時間帯に部屋の外をそれが行き来するということをやっていたからすごいもので今では考えられないことである。そういう人が野菜をたくさん積んで持ってきては、くませてもらったお礼に野菜を置いていってくれた。その野菜が子供のころすごくおいしかったという思いが今でも残っている。私が昭和60年に芽生会の会長になったとき、何か事業をするということで皆で相談してやり始めたのが京都の伝統野菜の復活事業であった。当時の野菜は本当に形も色もきれいで大きさがそろったキズひとつない素晴らしい野菜が多かったけれども食べると全く美味しくない。料理屋がこんなまずい野菜を使っていていいのかという思いがあった。はじめはなかなか協力してもらえずそっぽを向かれていたけれども、いろいろマスコミを利用して2年目にちょっとブームになり、3年目には京野菜は完全にブームになって向こうを向いていた人が皆こちらを向くようになっていた。

京都料理というのは京の伝統野菜によって非常に大きく発展してきたものである。京野菜は大きくわけて夏野菜、冬野菜にわけられる。京の野菜というのは春と秋が端境期で、夏野菜と冬野菜が主になる。その京野菜も京都で生まれたという野菜はひとつもなくて、すべて他府県から持ち込まれたものが名物になったというもの。京都の気候風土が適していたため産地の県よりもおいしいものができるようになったというのが京野菜なのである。

そのほか京都には宇治川、淀川、保津川、鴨川、桂川などいろんな川があり、そこでとれる川魚があげられる。隣の日本一の琵琶湖でとれる川魚が非常に豊富で、海のものはなかなか手に入らないけれどもこのような川魚が豊富であった。私らの若いころは「川魚専門店」、「川魚料理」という看板をあげる店がずいぶん多かったが今では一軒もない。珍しいところでは鯰料理があったがそれももうなくなってしまった。今珍しいところであるのはすっぽん料理、すっぽんの専門店「大市」が古くからある。今の若い人の食生活というのはずいぶん嗜好が変わって川魚で喜ばれるのは鮎と鰻ぐらいになってしまっている。あとは鯉とか鮒とかモロコとか、ある種好きな人は多いけれども若い人には適してない、ということでだんだん川魚を使うところがへってきた。私ら川魚が好きで裏の川でとってきては天ぷらにしたり、母も非常に好きで池に鮒がたくさんいたので冬になるとそういう鮒をつかまえては子まぶしのお造りをつくって酢みそで食べていた。今は鷺にやられて全滅して鯉だけになってしまったけれども、寒鮒をこまぶしにすると本当に美味しいものである。今でも鰻もたくさんいて、この前池をせき止めたら田鰻も20匹ぐらい獲れたのである。母がおりましたときは夜中に懐中電灯をもってヤスで鰻をとって食べていた。すっぽんも亀も卵を生んで、うちでは大体3年たつとすっぽんをつかまえて食べるている。いけすの中のかごに3日間入れてどろをはかして食べる。鯉も子持ちで、鯰も蒲焼きにする。ギギとか鯰は穴ほって害があるので鯉にえさをやっているときにヤスでとる、ギギは捕まえたらギイギイなくもので今は全部捨てている。そういった嗜好品が今は変わってしまった。ゴリ(石伏魚)は今でも使っている。それと今は鮒が琵琶湖でもとれなくなって鮒寿司が少なくなって高価になった。卵をいっぱい持ったニコロブナが少なくなって、みんな外来魚にやられているということである。

 

3 京料理と季節感 ・ もてなしの日本文化

京料理とは一番に何かというと、季節感というものを非常に大事にするといえるだろう。器づかいでも、器と料理で季節感をあらわすという使い方をする、そういうものがやはり京料理の一番の見どころで見てきれい食べておいしいというのが大事なのである。あとはもてなしの文化。料亭というのはある意味ひとつの日本文化の凝縮といえる。玄関に入ってお座敷に通るまでの廊下をいくところでも様々なしつらいがあって、露地を通っていくところでもそれぞれの季節感がある。そういうなかでお座敷に入って床にはそのときの季節感のあるもの、あるいは法事とかおめでたというものに関しては軸をかけかえたりということをする。うちでいちばん困るのが、黙って裏千家の人が来られたときに表千家のお軸がかかっていて注意されるようなことが一番難しい。あやまっているけれども、そういうふうに最初から裏の方、表の方いうことであればそれに関する軸をかけるなりする、それが一つの文化といえば文化だといえる。

日本人というのは子供のときから春夏秋冬の四季の感性が自然と身に付いていたもので、今は大分変わってきているけれども、昔の人は本当に季節をよく感じて食材だけでも季節を感じ器でも季節を感じるという、食材と器との取り合わせというもので季節感を感じるのが日本の民族のいいところといえる。陶器ひとつにしても夏向き冬向き、冬は土ものであたたかくして夏は冷たくして水にどっぷり濡らして汗をかかしてとか、磁器の涼しげな物やガラス器などを使うと本当に季節感があり、お節句や行事とかお祭りごとなどを表現した器が非常にやりやすい。また涼しいときに青竹や籠もの、木地とか曲げ物を水にどっぷりしたして出す、あるいは紙でつくったものそういうものが器として様々な使い方ができる。そういう季節の感性を感じる中でしつらいの空間やサービス、もてなしというものが茶道とはきってもきりはなせない関係にあるというところが料理屋である。

そのほかに箸の文化がある。最近、白木の利休箸というものを懐石で使うけれども、白木のものを使うときは水でどっぷりと濡らしてそして水をふくましてしっとりしたものを使うというのが茶道の世界の常識である。濡らして出して茶懐石などでいただくときには、まずごはんをいただくが、そのごはんが箸にくっつかないのである。普通のお料理でも最初にお刺身を食べたときに醤油がしみこまない、箸のさきが黒くならないというようなこともある。これは茶道の世界で理にかなったことといえるでしょう。最近、私が気に入らないことは、真ん中に帯封をしてカラカラに乾いた箸が出されることである。私はカラカラのもので食べるのがあまり好きじゃないので人の見てないところで行儀が悪いけれどもさきを濡らして使っている。最近の人は帯封がしてあると新品、帯封がしてないと使い回しという意識があって、それでそういうことをするというのである。他所で催し事をするときにはコップに水を入れてお箸をさしておいて出す直前にさっとぬぐってお膳にのせて出す、そうすると召し上がる方はさきだけ濡れているということで召し上がっていただけるので私はそうしているけれども、賛成反対はあるだろうが、とにかく白木のものは濡らして使っている。それから青竹のお箸がある。お茶事では中節、節止め、両細とかいろんな箸を濡らして使い、白竹の箸や両細の箸など流派によって使い方が違っている。お菓子では黒文字の箸、栗の箸、桜の箸などいろんなお箸で取り箸にして使うというのはなかなか風情があって、その美意識というものが非常に日本人の感覚に合っている。京料理で季節の献立を考えるときというのは、五節句や二十四節気をはじめ大文字、祇園祭などの行事や祭りを考えながら食材と器と献立を組み立てていく。これは苦しいけれども楽しいと感じるものである。

 

II 京料理の基本

1 京料理と出汁

京料理に何が大切かというのは、京料理に限らずどんな料理でも大切なのは出汁である。日本の出汁というのは昆布と鰹が主である。外国の出汁は動物性のものと植物性のものをことこと炊いて時間をかけて抽出したおいしいスープ、おいしい出汁になるというのである。フランス人に言わせると日本の出汁は昆布とかつおで短時間でできあがり。フランスの出汁はことことていねいに時間を掛けると言うけれども、日本の出汁は素材そのものが何ヶ月もかけてつくりだし、それを使って短時間にひくというところに特徴があるといえる。

まず出汁を引くには、昆布は硬水にするとそのうま味が出ないので軟水で出汁をとる。今年はうまみが発見されて100年で池田菊苗先生のうま味が認められて100年目の年である。その昆布のうま味が本当にすばらしいと思うのは、夏解禁になって昆布がとれたそのとき、とれてすぐというのは昆布出汁はでない、1年寝かしてひね、2年以上ねかして大ひねとなる、私どもの乾物屋ではその年のとれたものをそっくり店ごとにわけてしまっている。瓢亭では昔から利尻の一等の昆布をとってもらい、それを大体3年から4年寝かして大ひねにしてそれから店に入れてもらっている。であるからほかの店の人がこの昆布がほしいといってもこれは瓢亭の昆布だからということでわけない。利尻昆布が一番いいのだが、利尻昆布というのは北海道の左上の方の利尻、礼文、香深のあたりでとれる真昆布の種類で、それらの昆布は地下水が湧いていて状況が違うらしい。そういう昆布を出汁に使うと一番澄んでうま味の強いおいしい出汁がひけるというのである。羅臼昆布は、幅が広くてものすごく長い昆布、出汁をひくと色も濃く出汁も濃い出汁が出る、それでうちの店では色が出過ぎて使いものにならない。だいたいよく求肥昆布に加工される。日高昆布もおいしい出汁が出るけれどもやわらかいので煮昆布、昆布巻、塩昆布そういったものに使われる。出汁に使っている利尻昆布の量は1回380グラム、使ってその都度捨てる。新しい女中さんらがもったいない欲しい言うて持ってかえるけど二度とくれとは言わない、それは持ってかえって手間暇かけて塩昆布を炊いてもかたくて美味しくないからである。それが利尻昆布のいいところである。水8升に利尻昆布380グラム、まぐろの削り節が350グラムで出汁をとっている。昆布の表面を水でさっさと洗って入れる、それは8升の水に380グラムの昆布を使っているからで、昆布屋さんに言わせると昆布の表面にはうま味があるからもったいないといわれるが、水に対して昆布をたくさん使っているので出汁が辛くなるためわざと表面の塩分を落として使っているのである。温度は65度から70度で、ずっとひいていくと1時間前後でうま味が抽出できる。昆布は65度から70度がうま味だけが出て雑味が出ない状態である。それで1時間前後やったときにおいしいなと思う出汁が出たら昆布を引き上げて温度を上げ、沸騰寸前になってきたら350グラムのまぐろの削り節を入れる。まぐろは荒節と本枯節の雄節と雌節の血合抜きをまぜたものを使っている。その削り節を入れて静かにしずめ表面のアクをとり火を止めて15分から20分ぐらいおいておくとおいしい出汁が出る。出汁のひき方というのは料理人が10人いたら10人共違うぐらいのもので、みな我流である。私も以前は店の方で違うやり方でやっていたけれども、自分なりに考えてやり出して落ち着いたのがこのやり方である。これは1回ひくときもあれば2回ひくときもある、暇なときは半量ひいたりもする。鰹節、まぐろ節、さば節、いわし節といろいろあるが、いずれもナマぎり、大きい魚だと五枚におろして小さい魚は三枚におろす。三枚におろすと背かたと腹かたがついた一枚のかめ節というのができる。大きいもので5枚におろすと背かたが雄ぶし、腹の方が雌節という名前がつくのである。それを一度大きいなざるにならべて煮熟して、ゆでる。ていねいに骨、うろこをとってバイカンして薫製し乾燥させるとこれが一番火、そしてまた薫製して乾燥させてこれが二番火、10回繰り返し10番火まで入れたら最高の荒節(鬼節ともいう)で、真っ黒のタールのついたものができる、これが一つのできあがりになるのである。それを更にきれいに削りとってカビずけをして乾燥させてというのを5回繰り返すと最高の本枯節になる。これは芯までカビの菌糸が入って完全に乾燥してカンカンていう固い音がする。折れないけれども折ったときに表面がガラスのような赤紫の透明感があるすばらしいものができている。これは、あっさりしていてうま味は強いがある意味頼りない、それで私はちょっと頼りないので荒節(鬼節)と本枯節を半々にまぜてやっている。いろいろやってみたけれども自分が一番気に入ったものがこの配合で合わせたものとなった。人によっては沸騰させる人もあるしいろいろあるのでどれが正しいというのではなくて、あれもあればこれもあるというふうにみていただければいいと思っている。本当に出汁というのは大切で非常にこだわって大事にしているのである。

 

2 鯛の活け作り

こだわりといえば鯛である。鯛は大体1.8キロから2.5キロぐらいが一番自分の好みのものである。明石の漁師がうまいのは、つりあげても網でとっても必ずとったらすぐにおしりから竹串を入れて浮き袋を割って裏返った鯛を元の状態に戻すのである、それは鯛が深いとこからあがってくるのでおなかがぱんぱんにふくれてひっくり返って上に浮いているためである。そして持ち帰って水槽に入れてそこでストレスを抜く。鯛というのはしっぽの一番先に黒い線が入っていてストレスが解消するとその線が消えてくる、というのが明石の漁師の話で、それが消えてきたころを目安にしておさめてもらっている。朝早くに来たらすぐに首の骨としっぽの付け根の骨を切り脊髄の上にある神経の穴に針金を通す。そうすると最初びくびくとするけれどもあとは全く動かなくなる。その後、たっぷりの水の中に入れて血抜きを行う。その血抜きが十分にできたらうろこをかいて腹わたを出して水洗いをする。水洗いができたらタオルにくるんで10度以下にならない冷蔵庫に入れて10度から11度で入れておく。それを朝やっておくとお昼のお客さんに使うときも晩のお客さんに使うときもどんどんうま味がふえてきて夜は本当においしくできあがる。一番いいのは朝しめて夜おろす、夜に三枚におろすときも死んでいる鯛の身が包丁を入れるとピクピクあばれる、それが活ってる証拠なのである。だから死後硬直にならずにかみごたえがあってイノシン酸のうま味がどんどんましているという状態になる。私はそれが好きでずっとそうしているのである。2004年に日本料理アカデミーができたその翌年にフランスに行ってそのやり方を向こうの人に教えたことがあった。そのときはチュルボという大きな生きたヒラメでしたのだが、向こうの人はそんなことをして何になるのか、仏蘭西料理に必要ないといって見向きもしてもらえなかった、しかし最近ではそれが流行っているらしくカルパッチョはみんな活け締めでやっているのである。

私は鯛の1.8から2.5キロの雌を好んでいるけれども天然物なのでなかなかうまくいかない。淡路のハモは600グラムというのが好みでと、そういう難しいことを言っているけれども、やはり鯛もハモも造りにしたときに、大きい鯛だと一口大の造りにしたときにどうしても薄く切らないといけない、小さい鯛だと分厚く切らないといけない、そうすると口の中に入れてかんだときの触感というのは薄くて大きいのと小さくて分厚いものでは、かみやすい大きさというのがまた違っている。それで1.8から2.5キロがちょうどいいということにこだわっているのである。

600グラムのハモは骨切りして食べたときの身の分厚さというのが非常にいい厚さだと思う。もっと分厚いものを使う人もいるが私は600グラムにこだわっている。

味付けについては、甘いものはお砂糖で味をつけているけれどもそれに味醂を入れる、その配合は使う物によって違ってくるが、非常にうま味が違ってくるのである。それから辛いものでは、薄口醤油と濃口醤油それと塩との割合をいろいろにしている。それは薄口醤油と塩とか濃い口醤油と塩とかいう使い方ではなしに、違う醤油どうしを使うことによって非常に香りと辛さとうま味が変わってくるのでそういうものを使っている。酢については、酢の物というのは男性は余り好まないという結果が出ているが、その季節の3種類以上の柑橘類の絞り汁を使うことで非常にまろやかな酸っぱさのうま味というのが出てくる。

 

3 日本料理は庖丁文化

日本料理は庖丁文化ともいわれている。片刃の庖丁というのはすばらしい切れ味で、料理人になったら一番最初に柳刃と薄刃と出刃をそろえるけども、それぞれに使い方が違っている。出刃なんかでも小出刃、オロシ出刃など大きさや刃の分厚さによって違いがいろいろある。ハモの骨きり庖丁はとても重くて大きい幅のひろい庖丁で、それは重みによってリズミカルに切るというものである。小さい庖丁で骨切りすると力で切るから手が疲れてしまう。私は、庖丁もそろそろ古くなってきて新しいのに買いかえたいなといって包丁屋さんに相談したら本焼き1本80万円といわれいまだに買ってない、本焼きは刀と同じ亜でハガネで今買ったら私よりはるかに長持ちする。うなぎでも関東のうなぎさきと関西のうなぎさきでは全く違っている。関西のうなぎさきというのは小さい鉄の塊みたいな庖丁で、庖丁の背かたが丸く大きくなっていて目打ちをかんかんと叩いておろす、関東のものは薄刃みたいな形をしていて先だけがとがっている、いずれにしても寿司切り庖丁、ソバ切り庖丁など日本の庖丁は素晴らしいといえるでしょう。何より片刃の庖丁の違いというのは、砥石で研ぐときにまず表を研ぎ、研げたら刃の先がやや裏にまくれる、今度は裏向けて修正する、その修正が大事なのである。その修正したときに砥石にあたる面というのは刃と背かただけ、この真ん中が砥石にあたらないのは真ん中が少し凹んでいて八つ橋状になってるということ、表を研いで裏を仕上げたときに上下しか当たらないのである。それがやはり片刃にしかない鋭利な角度がつく素晴らしい庖丁といえるでしょう。そういう庖丁文化というのも日本料理の技術に大きく貢献してきたのである。

 

おわりに― 食の欧米化

今よく言われている戦後の食の欧米化で日本人の食生活というのが本当に大きく変わってしまったこと。ごはんを食べなくなったのも大きなところで、ごはんを食べなくなったというのは、テレビでも朝ご飯のことをいわれているが、日本料理アカデミーでも食育部門で小学校年間20数校回ったりして、私も単独でいろいろ回ったりするけれども、子供の朝ご飯は本当に大事なことだと思っている。小学校の上級生で料理教室をするときに子供だけでなくお母さん方にも来ていただいて見直していただいている。日本の出汁というのはかつおと昆布だけでひいた出汁であるけれども、精神的に本当にやすらぎを覚えるそういう味だと思っている。たとえば子供たちに出汁をひかして味噌汁を仕立てさせる。それが仕上がったらお母さんと一緒に皆で試食してもらう、そうすると子ども達は一口食べてまず出る言葉が「先生おいしい!」と言ってくる。そのおいしいは、「こんなおいしい味噌汁食べたことない」ということで、お母さんたちは苦笑いされている。日本の味噌汁とういうのは、単価は安いけれども素晴らしいごちそうであり精神的にやすらぎを与えるものである。食事をしてそのような心の豊かさを感じさせてくれるものが出汁を感じる日本料理ではないだろうか。最近の朝ご飯はスナック菓子や菓子パンでというのが多いそうであるが、朝ご飯を食べて出かけるというのは子供の体にも非常に大事なことなのである。そしてぬか漬けのお漬け物、最近ぬか床がある家庭がほとんどなくて、ぬか床は手がくさくなるから嫌やとか毎日かき回さないとすぐわいてしまうとかいうことが面倒でする家庭が少なくなっている。くさくなるから手袋はめてやるというのはまだましな方で、手袋をはめてでもやってほしいと私は思っているのである。ぬか漬けというのはヨーグルトではとれない植物性のビフィズス菌がとれる。ぬか漬けとはそのようなよさを持っているもので、すぐきのような発酵食品にもそのよさがある。すぐきも酸っぱい、くさいとかいろいろあるけれども、あれはむろにかけて発酵させてできるすばらしい発酵食品でもある。小泉武夫先生にいかに発酵食品が大切かというのを聞いて、日本人は農耕民族、西洋人は狩猟民族ということをいわれているけれども、日本人こそ野菜と魚と発酵食品をメインに食べてそれがいちばん体にいいと思われる。肉も体にいいから適当に食べていただくといいと思う。野菜の中でも根菜類が大切で、その根菜類の中でも牛蒡というのは非常に大切だというのである。京都の伝統野菜の中で堀川牛蒡というのがある。堀川牛蒡は、すばらしいビタミンとミネラルのバランスがあり、それは科学的に証明されているのである。堀川牛蒡という種があるわけでもなし秀吉が滅びた後に聚楽第が取り壊されたその後に堀に捨ててあった牛蒡が生きのびて大きい物になったという、それでそういう育て方を考えてつくられたのが今の堀川牛蒡ということである。毎食、牛蒡をいろんな形で食卓に出すとボラギノールもコーラックも何もいらないというぐらいすばらしく腸の働きが活発になっていいといわれている。根菜類の中でもすばらしい牛蒡を皆さん方に今おすすめしているわけである。

今、日本の料理が世界でブームになっているけれども、一番の原因がヘルシーということにあるでしょう。ニューヨークでも日本料理店というものが結構ある。日本料理アカデミーでは最初フランス人、アメリカ人、イギリス人、今年はスペイン人というふうにいろんな国の方をよんで本当の日本料理を我々の厨房で研修していただいてその結果を料理学校で発表会をしているけれども、その方々は本当に日本料理の食材を楽しんで我々の考える概念でない自由な発想で様々な使い方をしている、かえって我々がそんな使い方するのか感心したりして、自由な発想がおもしろいなと思って毎回感心することしきりである。そういう発表をされるときにいろんなお料理ができあがってきて、日本料理ではないけれども食べたら日本料理という不思議な感触があったりとなかなかおもしろいものである。

これからの日本料理、京料理はどんどん変わっていくであろう。今、東京の日本料理などは本当に崩れてきて日本料理といえないものがかなりふえてきた。若い人たちは、料理人として基礎もできていないうちからそういうものにチャレンジしていくという、そのようなちょっと危険な状態があるのではないだろうか。基礎がきっちりできてこそいろんな応用ができると思うけれども、なかなか今の状態ではそれだけの年月をかけて基礎を築いてそれからやっていくという状態にはないというのが現状としてある。本当にどれだけ日本料理を守っていけるのか、またもちろん改革する部分は改革しつつ新しい日本料理も考えていくべきであるが、私がいつも考えるのは、私自身も古いものにこだわっていたらあかん、なんか新しいことをせないかん、という思いもあって改革するのである。自分の中では京料理という垣根がある。その中で今までいろいろ新しいことをやってきてその垣根から片足を出してやる、ところが飛び越えてしまったらだめである。片足出しておもしろい違うこと新しいことをやってもそれは京料理といえるだろうという段階でとどめていく、私の保守的なとこかもしれないけれどもそういう感覚で、改革はするけれども京料理といえないものにまで入ったらいかんという思いが常にあって、なかなか人様にお話してもその垣根というものがわからないと思うけれども常にそういう思いがあって戒めている。これから先どうなるかわからないけれども自分では守れるところは守って改革していくところは改革してということで生涯現役で庖丁がもてたらなと思っているのである。

お問い合わせ先

食料産業局食文化・市場開拓課和食室
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