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「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【中国四国ブロック】

「和食;日本人の伝統的な食文化」のユネスコ無形文化遺産への登録申請をきっかけに、私たち国民一人一人が「和食」文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の「和食」文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的として、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【中国四国ブロック】を開催しました。

 議事録(PDF:381KB)

1.冒頭挨拶   

 次長挨拶  会場の様子

挨拶する岩片中国四国農政局次長

シンポジウムの様子 

 

2.基調講演

『日本の食文化と旅をめぐる考察』

神崎 宣武 氏 (民俗学者、旅の文化研究所所長) 

 講演

 

3.事例発表

三谷 英子 氏 (RKC調理師学校校長、高知の食を考える会理事)

小山 裕久 氏 (学校法人平成調理師専門学校 代表、 「青柳」 三代目主人) 

 事例発表1  事例発表2

事例発表される三谷 氏

小山 氏

 

4.パネルディスカッション

「和食」文化の魅力

  • コーディネーター
  • 神崎 宣武 氏 (民俗学者、旅の文化研究所所長) 

  • パネリスト
  • 三谷 英子 氏 (RKC調理師学校校長、高知の食を考える会理事)

    小山 裕久 氏 (学校法人平成調理師専門学校 代表、 「青柳」 三代目主人)

    政平 剛志 氏 (RKC調理師学校)

     シンポジウム1  シンポジウム2
     

     政平 氏

     

    5.議事録

     1.開会

    司会

    皆様、こんにちは。本日はお忙しい中、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」へご参加くださいまして、誠にありがとうございます。

    本シンポジウムは、日本人の伝統的な食文化である和食のユネスコ無形文化遺産登録申請をきっかけに、私たち一人ひとりが和食文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の和食の文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的に、ここ中国四国ブロックの高知会場を初め、全国9ブロックで開催してまいります。日本人にとってかけがえのない財産である日本の食文化、和食文化について、皆様とともに考えてまいりたいと思います。

    大変申しおくれましたが、私は本日司会を務めます、森木めぐみと申します。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

    それでは、開会に当たりまして、中国四国農政局次長、岩片弘信よりご挨拶申し上げます。岩片中国四国農政局次長、お願いいたします。

     

    2.挨拶

    岩片中国四国農政局次長

    只今ご紹介いただきました、中国四国農政局次長の岩片と申します。どうか、よろしくお願いいたします。

    本日は、お忙しい中、このようにたくさんの方においでいただきましたことをまずは御礼申し上げます。当初、お客様がどのくらい集まるのか大変心配だったわけでございますけれども、このように100名を超える方々にわざわざおいでいただきまして、我々ほっとしたところでございます。それだけ、このような食文化に対する関心が深いということで、改めて我々も意を強くした次第でございます。

    さて、本日のシンポジウムでございますが、和食ということでございます。伝統文化ということでございますが、本日のシンポジウムの背景だとか、あるいは狙いにつきまして、私がしゃべろうと思ったことを、先刻、司会の方がみんなしゃべってしまわれましたので、私は何をしゃべろうかと、ちょっとネタがなくて困っちゃったんですけれども。

    繰り返しになりますけれども、本日のシンポジウム、昨年3月にユネスコ無形文化遺産ということで、日本国がユネスコに登録申請をいたしました。それが登録されるか否かということについては、まだ結論が出ていないわけでございまして、ことしの12月に結果が出るということになっております。東京オリンピックも東京への誘致が決まりましたので、恐らく、これも大丈夫だと我々は確信しているところでございます。無形文化遺産というのは、ちょっとなじみが薄いんじゃないかと思います。ユネスコ文化遺産だとか、ユネスコ自然遺産というのは結構有名でありまして、例えば、文化遺産の方ですと、この7月に登録になりました富士山、あるいは京都、奈良、あるいは姫路城なんかもユネスコの文化遺産になっているんだそうでございます。

    また、自然遺産ですと、例えば、白神山地とか、あるいは屋久島、あるいは西表なんかも日本において、やはりユネスコの自然遺産として登録されております。ただ、無形文化遺産というのは、これはなかなか聞き慣れない言葉ですけれども、我が国で登録されている件数を見ますと意外に多ございまして、無形文化ということで、例えば、伝統工芸だとか、あるいは芸能、あるいは踊りなんかもこれに入ります。我が国も意外と多くて、これはちょっと知られていないんじゃないかなと思うんですけれども、既に21件登録されているそうでございます。ちなみに、お能、能とか、あるいは歌舞伎、文楽、それから伝統工芸ということで、例えば、越後上布だとか、あるいは小千谷縮なんて、こういったものも伝統工芸に、かれこれ21件登録されているということだそうでございます。

    また、世界的に見て、食についてどれだけ登録されるかということを調べてみますと、意外と少のうございまして、今のところ、ギリシャ、イタリア、それからスペイン、モロッコということで、皆さんピンと来られると思うんですけれども、地中海の食事ということで、この4カ国が一括して指定を受けているというのが、食事関係では唯一の登録案件ということだそうでございます。中華料理とか、フランス料理って、大変有名ではございますけれども、まだいかんせん無形遺産の中には登録はされていないということでございました。

    この度、我が国が昨年の3月に登録申請したわけでございます。無形文化遺産、これは、ちょっと背景が長くなりますけれども、無形文化遺産の保護に関する条約という条約がありまして、それはユネスコが事務局をやっておりまして、そこに申請して、そこで登録をされると、初めて登録文化遺産として人口に膾炙されるということだそうでございます。

    我が国から「和食」ということで登録申請しておりますけれども、和食といっても、皆さん恐らく捉え方はまちまちではないかと思います。日本食と和食と違うのかという話もございます。例えば、日本食といいますと、これは海外に行きますと、日本食といっても、我々がイメージする日本食とはなかなか似ても似つかないようなものが、これを日本食として堂々と海外のレストランで提供されているのは確かでございます。そこで、あえて和食ということで登録申請しているわけでございますけれども、そこは単に食を提供する、単なる料理ということだけではなくて、その背景に日本の文化の一断面としての食という深い意味があるということと、私は個人的には理解しているところでございます。

    様々な伝統食、行事食、こういったものがありますけれども、要は、私がこんなことを言うのも大変僭越ではございますけれども、そのときそのときの季節の素材を大切にしながら、自然の恵みに感謝しながら、そういった食材を高度に洗練された形で利用していくということが、1つの和食の特徴ではないかというふうに思っております。

    これは後ほど、講師の先生方からいろいろ詳しいお話がお聞きになれると思います。そちらの方にお譲りいたしまして、いずれにいたしましても、和食というものを再度見つめる、見直してみるということ。あるいはそれを理解して、これを次世代につなげていくということが、大変今重要ではないかというふうに思っております。和食を見つめる、和食を理解する、和食を再認識するということは、とりもなおさず、それは日本の文化を通じて、日本としてのアイデンティティーを再発見する。ちょっと大げさな話になりますけれども、それにも私はつながる話ではないかというふうに思っております。

    そんなわけでございまして、これを機会に再度、日本の和食の文化というものをここで見つめ直していただいて。最近、食生活の乱れということが言われております。さまざまなライフスタイルの変化、あるいは海外からいろいろな食品、食材が入ってくる時代でございます。

    ハンバー何とかというのがありますけれども、ああいうものは亡国の食い物だということが昔伝わっていた時代がありますけれども、これはちょっと冗談はさておきまして、いずれとしましても、本日は若い方もたくさんお見えになっております。再度、日本の和食の文化というものを見直すとともに、今一度、我々自身の食生活というものを見直していただける機会にしていただければ幸いでございます。

    それから、最後に大変申しわけありません、申しおくれました。後ほどご講演いただく神崎先生、あるいは事例のご案内をいただく三谷先生、あるいは小山先生、あるいは若い方の代表といたしまして、三谷先生のお弟子さんだそうでございますけれども、政平さん、どうか、よろしくお願い申し上げます。本日は、皆さんどうもありがとうございます。よろしくお願いいたします。それから、先生方、お引き受けいただきまして、どうもありがとうございます。それでは、ひとつよろしくお願い申し上げます。

    司会

    中国四国農政局次長、岩片弘信よりご挨拶を申し上げました。

     

    3.基調講演

    司会

    続きまして、基調講演のご紹介をさせていただきます。本日は民俗学者、旅の文化研究所所長、神崎宣武様より、「日本の食文化と旅をめぐる考察」と題しまして、ご講演をいただきます。神崎様は国内外の民俗調査・研究に従事する中、陶磁器の技術伝播の調査と民具の収集に始まり、食文化にまで展開されました。食と旅をテーマとした取り組みにも進化しておられ、郷里の吉備高原では神主も務め、日本の食文化について広く精通していらっしゃいます。

    それでは、神崎宣武様、お願いいたします。

    神崎氏

    皆さん、こんにちは。神崎でございます。よろしくお願いいたします。私は69歳になりました。ということは、60年ぐらい前の記憶からが確かなんです。60年ぐらい前には、日常は、私の郷里では麦飯でありました。私が生まれたのは、岡山県の吉備高原の上の農村です。麦飯というのを日常的に食べておりました。その麦飯というのは、裸麦を蒸して、押したものです。ですから、押し麦とも言いました。麦の粒の真ん中に裸麦の薄い皮が押されて真っすぐに入っていた。そういう麦を混ぜた飯でありました。

    それから、20歳を過ぎまして、宮本常一という民俗学者に影響されまして、民俗学の道へ進みました。それで、民俗学はフィールドワークを伴うんですが、フィールドワークというのは、各地へ行って、昔の暮らしの話を聞いたり、確かめたりするということです。中国四国地方は、郷里に近いせいもあって、よく歩きました。昭和40年代ということは、39年が東京オリンピックですから、東京オリンピックから新幹線が出来たり、高速道路が出来たり、それによって人々の動き、物資の流通が盛んになって、いわゆる都市化というのが始まるのです。スーパーマーケットなんていうのが、食材の補給源として全国に展開するのも昭和40年代からです。

    しかし、昭和40年代の変化はまだ緩やかなものでありました。昭和50年代から、これが全国一律に都市化する。便利な時代になりました。各家では、自動車が1台、2台と持たれるようになりました。その前に、洗濯機と冷蔵庫と掃除機が三種の神器といったことで普及してきました。

    ということで、私なんかの世代が、あるいは私の上の先輩たちがご存じの変化というのは、多分、歴史の中で一番大きな変化だっただろうと思います。私の子供のころまでは、極端に言いますと、江戸時代の生活様式がかなり続いておりました。洗濯を洗濯板でしておりました。冷蔵庫がないから、スイカとか、たまのビールは井戸の中へかごをつるして。そうですね。笑ってうなずいてくださった方が多いんですが、お若い方は、そういうものだとお聞きください。

    なぜ、そういう話をするかといいますと、この和食というのは、サブタイトルで日本の伝統的食文化という言葉をつけます。先ほどご紹介がありましたところのユネスコへの申請も「和食;日本人の伝統的な食文化」というタイトルです。そうしますと、伝統的食文化と言ったときに、現代を対象にするわけにはいかないのであります。高度成長期から後は「飽食の時代」と言われました。全国に食品が流通するようになりました。自分の家で作らなくても加工したものを簡単に手に入れることが出来るようになりました。それどころか、肉製品もバター製品もたくさん入ってきました。そういうものを含めての現代を伝統的食文化とは言えないのであります。

    伝統的食文化というのは、何年ぐらい昔にさかのぼったらいいかといいますと、これは年数を限ることは出来ませんが、例えば、「土佐っ子三代」なんていう言葉があるかどうかは分かりませんけれども、「江戸っ子三代」という言葉があります。三代がその土地で暮らすと隣近所と1つの文化を共有するということであります。三代というのはどういうことかというと、大体一代を30年で勘定したとしても90年ほど、それを延ばして100年ぐらいとしましょう。そうすると、子どもが生まれたら、その土地の習慣に従って宮参りをする。それから、娘が嫁に行くときは、その土地の習慣に従って出立ちという行事をする。婿入りや嫁入りでも土地の習慣に従う。そして、おじいさん、おばあさんが亡くなるとその土地の習慣でのお葬式をする。

    ということで、その土地の中でのしきたりが、大体三代ぐらいで全て消化出来るということなのです。もっと言いますと、三代ぐらいしないと、例えば、村の役職、神社の頭屋の役なんていうのが回ってこないという、そういう保守的な時代も長く続いておりました。ということで、大ざっぱに100年ぐらいさかのぼって、共有しているものを文化だとしますと、私たちがハンバーグを食べたり、ケーキを買ってきて食べたりという現代の生活、混沌とした飽食の生活を対象に伝統的食文化とは言えないのです。

    これも100年、200年過ぎれば、今のような飽食状態も食文化ということになるかも分かりませんが、今はまだ言えない。そうすると、こういう和食、伝統的な食文化を考える場合には、もうちょっと昔に戻って、私たちの先祖代々伝えてきたものを整理する必要がある。ということで、少し昔の話をしたいと思います。

    私が冒頭に、私の子供のころ日常の主食は麦飯だったと言いました。それから、私が昭和40年代から歩き出しましてからも、中国地方の山地、それから四国の山地では麦飯を食べていました。ここで話を聞きましたら、私が食べていた麦飯は、伝統的な麦飯ではないというのが分かりました。裸麦の押し出てくるのは戦後なんですね。それで、それ以前の麦飯というのは、大麦の丸麦なんです。そうすると、大麦とお米とは合わせて炊きにくい。ですから、大麦はあらかじめゆでておいて、米は別に炊く。その米の炊き上がったところの上に、その麦を載せて、それで混ぜるのです。そうすると、麦のぶつぶつと米の粘りがどういう合わさり方をするかは、残念ながら私は追体験をしておりません。しかし、冷めるとなかなか食べられるものではなかった。

    そういう話を広島県の東北部、あるいは山口県の須佐、周防大島、それから、ここから山を越えました香川県の塩江のあたりで聞きますと、本当の麦飯というのは、麦が5割以上だということも解りました。戦前の麦飯というのは、麦が半分以上。それでないと麦飯とは言わないんですね。今、私たちが美容食として食べている麦飯は、あれは麦混じりの米飯なんです。半分以上の配合がないと麦飯とは言えないし、同じように芋飯とも言えないし、アワ飯とも言えない。

    そういうものが冷えたらどうなるかというと、ボロボロボロボロして簡単に食べられない。そうすると、お行儀が悪いと言われても、かき込まなければいけない。かき込むときに、麦飯だけをかき込むと胸焼けがする。のどが詰まる。だから、汁物をかけて食べる。あるいは、お茶をかけて食べる。それで、のどに流し込むというような作法が出てくるんです。これを今だと、お行儀が悪いと言ってしまう。しかし、半世紀も前にさかのぼれば、歴然として毎日の食事はそういうものであった。

    都市部は違います。都市部は江戸時代から1日2食、米が食べられておりました。江戸の町中は、大体1日2食、米の飯でありました。だから、年貢として出したお米が都市部に、武士や町人の生活用に出回るから、農村では米は作るけれども、1年を通して食べる量がなかった。それに麦を混ぜたり、アワを混ぜたり、ヒエを混ぜたり、芋を混ぜたり。お若い方は、アワとかヒエと言っても分からないでしょう。分からないけれども、申しわけないのですが、言葉の説明をしていたら、すぐに時間は終わりますから、ご興味がある方は、食物事典で調べてみてください。お米以外の穀物というのがあるんです。これを英語でいうと、ライスとミレットという分け方をします。ミレットは雑穀です。麦以下のさまざまな穀物を意味します。

    ということで、今は日常的にもごちそうがふんだんに食べられます。かつては、お祭りでしか食べられなかった寿司のようなものが日常的に簡単に手に入ります。ですから、50年、60年前にさかのぼらないと、伝統的な形が出にくいといったのは、そういうことであります。

    民俗学でいいますと、ハレとケという言い方があります。ハレというのは、晴れ着を着てのお呼ばれの日。つまり、ごちそうが食べられる席。それから、ケというのは、先ほどの麦飯のような食事で何とか腹もたせをする日常のこと。このハレとケという2つの食生活が、かつてはかなり明確に分かれております。明確に分かれているということは、言葉が2つあるということです。作法が2つあるということです。そうすると、今、私が言いましたように、麦飯、アワ飯、ヒエ飯、ダイコン飯などなどなどという日本語は無い。そうすると、一言でこれをあらわす言葉があるはずです。どう言っていましたか。一言でいえば、混ぜ飯です。別に、こういう言葉があります。もうお忘れになっている人がほとんどですから、書きます。

    米へんに柔らかくすると書きます。これが糅飯(かてめし)。中国から伝わりました「糧(かて)」という字は、米へんに量です。ということは、米へんに柔らかいというのは、日本人が創った日本人の漢字ということになります。米をやわらかすというのは、食べつなぐということ。麦やアワやヒエやダイコンを入れて、米を増量して食べる。これが糅飯という日常の主食です。

    この言葉を聞いたことがないとおっしゃるかも分からないけれども、時々偉い人が失敗をします。そうしたときの反省の弁に、「この失敗を糧にして」という言葉が出てくる。「この失敗を糧にしてさらに精進、努力します」。大体うなずいてくださるのは、私と同じぐらいの年配の方なんですが、まあ、そういう言葉があったと思ってください。その「かて」はこれですよ。この失敗を糧にしてというのは、この失敗をエネルギーにするということ。エネルギーにするということは、日常の主食ということでしょう。

    そうすると、お祝いの日の主食は何ですか。糅飯に対してはご飯ですよ。だから、これは飯とは言わないんです。わざわざ「御」をつける。「御」をつけるということは、特別な、ありがたいという意味でしょう。だから、これはごちそうになる。

    主食だけとってみても、こういう二重の食生活が長い伝統としてありました。が、これを戻せというんじゃないんですよ。戻せっていうんじゃないけれども、糅飯があったことを忘れてはならない。例えば、岩手県の内陸部ではこれを忘れてはいけないということで学校給食の中に、ヒエ飯というのを1週間に1回、学校給食の中へ残しております。これは、貧しいということではない。そうして食べつなぐことが出来た、という文化を伝えることで、大事なことといえます。

    恥ずかしがらないで手を挙げてください。1週間毎日3食、食べたとします。そうすると、21食です。21食の中の半分以上ご飯を食べている人、手を挙げてください。うわ、この会場は異常なまでに多いですね。NHKの生活白書では、1.4であります。1.4食、つまりは3食の中の1.4食がご飯。つまり、残りの1.6食が今はパンやラーメンやスパゲティーやカロリーメイトにかわっているんです。それでも米離れという。毎日食べているようでも、量的に見れば、かつての半分。それはなぜかというと、おかずの量がふえたから、間食の量がふえたから。米を中心に生活をしろと言われたら、今皆さんが食べられているお米の量ではとてもとてもお腹がもたないはずです。かつての糅飯がパンや麺に代わっている、とみるべきでしょう。

    それで、もうちょっと分かっていただくために、例題を出しましょう。一汁一菜というという言葉があります。それに対して、お祝いのお膳に出てくるのが、一汁三菜であります。飯は入れておりません。ご飯は入れておりません。ですから、次は汁を問いましょう。

    お呼ばれのお膳の上にみそ汁が最初から載りますか。みそ汁は日常的なものでしょう。糅飯と合わせてのみそ汁です。

    すると、ハレの汁は、これは吸い物でしょう。具の多さを比べてみてください。具の多さは、みそ汁の方が多いんです。そうすると、一汁一菜でも具の補給がここで出来るんです。それから、みそ自体が栄養補給の大きな意味がある。吸い物には魚を薄く切ったのにミツバが入っているぐらいで、お澄ましでしょう。これは食べるんじゃない。だから吸うんです。みそ汁は食うんです。ハレの日のお汁ものは吸い物。これは、このときはお酒が出ますから、吸い物で口の中をすすぎながら、上手に酒を飲み肴を食べていくという組み合わせとなります。

    それでは、菜。これは一汁一菜と言ったんですから、おかずではない。昔から、これは菜と言ったんです。私が歩き出した昭和の42年の頃、少し僻地の山村に行きますと、お年寄りは菜と言っていました。飯があって、汁があって、菜。菜というのは、おおむね野菜が中心であったからです。それも、そのころの野菜は堆肥や糞尿をかけておりますから、生ものなんかは食べてないですよね。だから、炊いたもの。ダイコンとか、ジャガイモとか、あるいはニンジンとか、そういうものを合わせて炊く。それで、時に油揚げや魚を加えて炊き合わせて食べた。これを総じて菜と言ったのです。

    おかずというのは、ハレの菜。複数で数のものだからおかずという。「御」がつくでしょう。三菜でごちそう。それも、もっと二の膳とか、三の膳で出てくると、もっとたくさんの菜が出る。数のものだからおかずという。今はこれが混然としていますね。

    酒の肴(あて)を「さかな(肴)」と言います。酒の肴(あて)だから、酒菜(さかな)なんです、本来は。フィッシュに限ったことではない。フィッシュが食べられたところばかりではないんです。ただし、フィッシュがここへは入ってくるようになるんです。少々塩っぽい乾き物とか塩辛の類が先付けとして普及をみるのです。甘い日本酒にそれが合った、ということもいえます。これも、ハレのごちそうです。

    もう一つ、日本の食文化を特徴づけて、日本中どこにでもところの漬物。漬物の事例をもう一つ出しておきます。お漬物、どうおっしゃいます。香の物。香の物に2つある。こちらは新香(しんこ)、新しい香の物。野菜をちょっと塩もみにしたり、一夜漬けにして、さっぱりした感じで食べる。

    それで、こちらが古香(こうこ)です。古香という言葉を昔は使っていた。毎日、野菜を刻んで塩もみするような手間はかけられない。たくわんを代表にしますと、1年分漬けておいて、それを取り出してぽんぽんぽんと切るだけ。ということでありまして、こちらに「御」をつけてお古香と言う必要はない。この辺が混同されまして、たくわんを出してお新香を一丁なんていう居酒屋があるとしたら、これは、おばあさんを出して娘ですと紹介するのと同じなんですね。そういう日本語の混乱を私たちは起こしている。そうすると、今伝わっているのは、かつてのハレのごちそうと、かつての普段がごちゃごちゃの状態なのです。

    ただ1つ、後で小山さんからのご説明もありますが、この系統はそれほど変わっていない。しかるべき料理屋のごちそう。ただし、これだけをもって日本の伝統的な食文化と言うわけにもいかない。これは接客用のごちそうなんですね。お料理屋さんでそれなりのお金を出して、食べる。

    もし和食がユネスコの世界遺産に登録されて、世界中の人たちが注目してやって来るとします。この会場の皆さんはいいけれども、若い世代はパンを食べたり、スパゲティーやそばを食べている。そうすると、これを日本の主食と言うわけにはいかない。世界の主食のほとんどは、8割、9割以上毎日なんです。日本人もかつてはご飯と糅飯でつないでいた。この糅飯のところの割合が崩れて、ここへパンがあり、麺があり、それから菓子があるという状態。よく見たら、これはほとんど輸入の小麦であり、その小麦製品。糅飯というのも、米プラス畑作物でありました。麦、アワ、ヒエ、豆、ソバなどの畑作物のところが輸入の小麦に変わったという。ご飯の割合はほとんど変わらないのに、この部分が大きく変化した。

    副食も、その材料からみると、かなりの割合を輸入品が占めるようになっている。和食というからには、食材のどれ位を国内産とするか、地場産とするか。そういうことをこれから論議していかなければいけない、と思います。

    お祭りのごちそうも、かなり崩れている。そうでしょう。行事のときに自分たちで作らなくなっているでしょう。それで仕出し料理をとるでしょう。仕出しの中には何が入っている。そこには、刺身や焼き魚はあるけれども、大体油ものがかなりの分量入っているんです。それは、日本の伝統的な菜ではないし、おかずでもないというようなところで部分的に崩れが生じている。これは致し方ないのでありますが、これから世界に向かって、私たちの日本の伝統的な食生活、食文化はどうでしたということを話すときに、十分に頭に置いて話さなければいけないことです。今日、若い人たちが幸いにも来てくださっているので、若い人たちがこれからこれをどう話していくか、伝えていくか、私たち年をとった者の責任というものでしょう。

    時間がきましたが、あと話題を足しておかなければいけないのは、調味料。それから、「膳組み」。畳の上に座って食べるという機会も少なくなってきました。しかし、お料理屋さんでは膳組みというのはあります。それから、テーブルの上に膳を外して並べるにしても、この組み合わせというのは、それほど変わらない状態で出てくる。だったら、中途半端に外食するんだったら、お金を3回分、4回分と貯めて、若い人をこういうところへ連れていく。大人たるもの、心掛けも必要となるのではないでしょうか。

    ということで、次のパネルディスカッションがありますので、調味料、それから器と膳の組み合わせなど、多分話題になると思います。ご期待ください。ちょうど、私の持ち時間はこれで終わりました。ありがとうございました。

    司会

    神崎様ありがとうございました。神崎様には、この後のパネルディスカッションでもコーディネーターとして和食の魅力についてご発言をいただきたいと思います。ありがとうございました。

     

    4.事例発表

    司会

    それでは、続きまして、事例発表をご紹介いたします。本日は2名の方にお願いをしております。初めに、RKC調理師学校校長、高知の食を考える会理事の三谷英子先生より、「土佐の食卓~もてなしの心・ふるさとの味」と題しまして、事例発表を行っていただきます。

    三谷先生は、調理師学校を基点に、NPO法人高知の食を考える会理事、土佐伝統食研究会などにも参加され、幼児から高齢者までを対象に食育講座、料理教室、伝統食・郷土料理の継承など、幅広い活動を行っていらっしゃいます。

    それでは、三谷英子先生、お願いいたします。

    三谷氏

    いつもお世話になりまして、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。短い時間でございますので、すぐ入らせていただきますけれども、高知県の食の現状というか、事例につきまして少し画面を見ながらお話をさせていただきたいと思います。

    「土佐の食卓~もてなしの心・ふるさとの味」というふうにテーマをさせていただきましたけれども、おもてなし課があるのは、こう言っては何ですけれども、全国で高知県だけということなので、誇らしいですよね。クリステルさんの前につけております。

    これは『土佐の食卓』という本の中から抜粋したものでございますけれども、ご存じのように前が海で、四国山脈が後ろにありますので、高知県というのは、文化が非常に流出しにくい、蓄積をされていたという経緯があります。冬場、暖かいです。暖かいというよりも暑いぐらいになりました。日照時間とか年間降水量が、日本のトップクラスというような、そういう地形の特徴がございますので、少し書いてまいりました。

    1つは、やはり素材の持ち味を生かす食べ方が多い。なるべくだったら美味しいですから生で食べて、しようがなければ焼くとか煮るという感じが、昔から多かったと思います。酢をよく使うというのは、これも一時期は酢の消費額が、消費量というよりは消費額が日本一というのがだいぶん続きました。現在はちょっと分かりませんが、それでもやはりお酢をよく使います。徳島はスダチかもしれませんが、高知県はユズを圧倒的によく使うということ、ブシュカンとか直七なども使います。それから宴会は、「おきゃく」と言いまして、皿鉢料理が主になります。マナーがあるようでないんですけれども、本当に自由自在に人数も融通がきくということで、これがきっと高知県民の気性に合ったのだと思います。今でもずっと続いております。

    それから、割と古い食べ方が残っている。ここには、かしきりと碁石茶と山椒餅って書きましたけれども、後で少しご紹介しますが、割とそれが残って今も食べられています。直販所とかいろいろなところで買えるというのは、すごいことかなと思っております。

    おきゃくなんですけれども、皿鉢というのは、「さわち」とか「さはち」とか、いろいろな発音をします。お刺身と組み物で1セットという感じです。

    組み物は、先ほどの『土佐の食卓』の中に出ていた写真を使わせていただいておりますけれども、典型的なものですね。真ん中にサバの姿ずしというのが来ます。このように背開きにしておいて、頭と尻尾を立てるというのが高知県のやり方でありまして、周りにあるお料理は、これは何でもあり。海辺と山間地とは、中身も違ってくるということです。今、お料理屋さんではほとんど似たようなものが出てきますけれども、まだそれでも少し特徴は見られると思います。

    料理の数は奇数と書いてあります。おめでたいときは奇数で、大体不幸事のときは偶数というのも、実は地域によって違います。西部の方は、慶事に偶数だったりするので、一言では言えませんけれども。こういうものが普通盛られるということになります。

    その他、順次いろいろな料理が載ってくるんですけれども、たたきは大抵あります。それからおそうめんが出されますが、それも白いおそうめんの上に具がたくさん、シイタケの旨煮や錦糸卵やかまぼこなど、賑やかに載っているのを驚かれますけれども、これも高知県のもてなしの気持ちのあらわれかな。豪華じゃないと、真っ白かったら寂しいという感じですかね。それから、ぜんざいやみつ豆など甘いものが必ずあります。こういうふうなのが大体、皿鉢。

    そして、カツオのたたきは外せないと思いますので、ちょっと写真を撮ってきました。このカツオのたたきの写真なんですが、これも地域によって、随分盛りつけに地域差がありまして、味つけも違いますので、一言で言えないんですけれども、さばいて、塩をして、あぶってたれをかけてたたくという、これが基本的なたたきの作り方でありまして、たれの割合とかというのはばらばらです。あとは、はらんぼとか、心臓を「ちちこ」と言いまして甘露煮に、内臓は酒盗にしてしまいますので、本当にカツオを丸ごと食べるというのが高知県のやり方かもしれません。

    食べ物に関しまして、ちゃんとした資料がないというのは非常に寂しいことです。先ほど皿鉢をお見せしましたが、これも、もともとは本膳に添えて、こういう大皿に盛った取り回し料理があったんですけれども、明治以降、急速に本膳が廃れまして、皿鉢だけが発達をしたということです。

    このたたきに関しましても、神崎先生が先ほど江戸時代とおっしゃったんですが、江戸のどのあたりか分からないですね。恐らく西部の方の土佐清水あたりで作られていた焼き切りがもともとだろうと言われているんですけれども、はっきりとしたものがないんですね。こういう、今お見せしているようなたたきのあり方というのは、明治26年ぐらいという資料がある程度でございまして、はっきりとした、逆に何か決まりがあるというようなものではないんです。これは高知市のデータなんですけれども、高知県も高知市も同じで、カツオの消費量が断トツで高いんですよね。ついでにお酒の消費量も高いですから、「高知県の男性はあまり長生きしないそうですね」って、先ほど先生方に言われましたけれども、100歳以上になると全国で第2位ですから、「ちゃんと生きているよ」とかって、反論とはいえない反論をしておきましたけれども。大体、お酒とカツオがセットで、大変消費量が高い。食べているということが言えます。

    時間がないですから、ぱーっとお見せしますけれども、お魚も大抵すしにしまして、「かいさまずし」の「かいさま」というのは、裏返しという意味なんですけれども、タチウオはこういうふうに身の方を表にして食べますね。田舎ずしも出来ました。これは、田舎ずしも随分具材なんかが入っておりますけれども、何でもかんでもこういうふうに。「ひっつけずし」と言いまして、津野町や葉山の皆さん方がどうも始めたということです。これは銀不老ずしですね。高知県大豊町だけにある食材です。それから、ドロメはにんにくぬたで食べます。高知県では本当によく食べますね。ニンニクの葉っぱをすってドロメだけではないですよね。シイラとかブリとか厚揚げ、コンニャク、本当に何でもかける。ニンニクの匂いは、高知県は公認でございますので、ニンニク、ネギ類は本当によく食べます。「ウツボも食べますね」とよく言われるんですけれども、ウツボもたたきにしたり、煮こごりも昔からあります。マンボウも食べまして、マンボウの皮をどうやって食べる、食べるとかって、この間も大騒ぎをておりましたけれども、ほぼ万遍なく全部使います。肝の味噌炊き、本当に美味しいです。

    それから、よく食べるものとしては、イタドリですね。これももう随分広まってまいりました。あと、リュウキュウもよく食べまして、これも今でもどこへ行っても食べられる。今ごろよく出てきます。それからチャーテですね。「ハヤトウリ」と言うんですけれども、高知県では英語がなまってチャーテと呼ばれるようになっておりまして、これもおすしにします。これも美味しいですね。

    あと、これからお見せしますのは、これはもうほとんど絶滅危惧種になっていたのが、最近復活しておるという銀不老ですね、大豊町で。これも一部地域だけで食べていたんですけれども、インゲンマメの一種なんです。けれども、非常に皮が薄くて美味しいので、これをホテルとか、いろいろな人たちがスイーツにしてくれるようになりまして、銀不老は復活というか、少しまた増えております。

    それから、カシ豆腐も、今では家庭で作る人はほとんどいないでしょうけれども、カシの実というかドングリの実で作った豆腐に、ぬたをかけて食べるというふうな食べ方です。これも安芸市の方に行きますと、まだ作ってくれるということです。

    それから、碁石茶というのは、これも本当に「幻のお茶」と言われまして、大豊町で、ただ1軒だけ作っていた。小笠原さんとおっしゃる方が作っていたのが、今、8業者ぐらいにふえております。このお茶は「後発酵茶」と言いまして、少し乳酸菌発酵をさせた酸っぱみのあるお茶なんですね。ダイエットとか、血圧を下げるとか、それから、中性脂肪とかコレステロールを下げるとかって、いろいろな機能性成分がたくさん出てきまして、復活をしております。これもやはり行政と大学や、企業との連携によって復活したということなんですね。

    実は今日お見せしたのは、ほんの一部でありまして、高知県にはまだまだ古い食も残っております。これがハレの食、ケの食と、いろいろな場面で食べられる。今日はごくごく一部をご紹介しました。次の機会があれば、またお話をしますけれども、たくさん残ったものをどういうふうに後に伝承していくかということで、県下でいろいろな方たちが、いろいろなふうに関わって、これを伝える努力をしているということを、とても誇りに思っております。私もこれからまた頑張ってやっていきたいと思います。とりあえず、ここで一旦置かせていただきます。どうもありがとうございました。

    司会

    三谷先生、ありがとうございました。三谷先生にもこの後のパネルディスカッションにご出演をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

    それでは、続きまして、学校法人平成調理師専門学校 代表、「青柳」三代目主人の小山裕久様より、「徳島の郷土料理を発掘する取組みなど」と題しましての事例発表を行っていただきます。小山様は、豊穣な阿波の食材と鳴門の豊かな魚介類を使い、次々と新しくも繊細な料理を提供し、高い評価を得ていらっしゃいます。日本を代表する日本料理人の1人であり、徳島の風土や食材を生かす徳島の郷土料理を見直す活動、研究を行っていらっしゃいます。

    それでは、小山裕久様、お願いいたします。

    小山氏

    ありがとうございます。ご紹介にあずかりました小山ですけれども、よろしくお願いします。椅子が出てきているんですけれども、ちょっと今月の最初にタイのバンコクに王家の料理を作りに行っていまして、台所から滑って足を痛めました。済みません、途中で若干座らせていただきたいと思います。どうか、よろしくお願いいたします。

    とにかく、すごくおもしろかったですね。神崎先生のお話に結構感銘を受けて、そうかというふうに思ったんです。日本料理は、ちょうど400~500年ぐらい前から今の形式になったと思うんですが、もっと前から日本人の食べていたものが当然あるわけですから、それを含めて、お話をちょっとさせていただければと。私は徳島県なんですけれども、さっき三谷先生とお話ししていたんですけれども、「高知はいいな、皿鉢料理があって」と。「でも、本当はお酒じゃないんですか」みたいな。「それは料理ではないです」とかって言われたんですけれども。何でいいかというと、日本中の郷土料理をいろいろちょっと見ても、ハレの日ということでいうと、おもてなしの料理になっている料理が郷土料理に中にあるというのは、多分、皿鉢だけだと思うんですよ。とにかくあれを毎日食べているということはないとは思うんですが、皿鉢料理という、ああいう文化があることは、全国でも本当に少ないと思います。

    翻って、我が徳島県を顧みると、僕も郷土料理研究会とかをやっていますので、いろいろなものを作るんですけれども、日本中に説明するのは必ず、そば米汁というのを言うんですよね。お聞きになった方もたくさんいらっしゃると思うんです。私もいろいろ研究をして、昔、祖谷の山奥までずっと現地調査に行ったりして、料理を教えてもらったりしながら、何とか世界中、郷土料理を発展させて美味しいものを、と思っています。神崎先生の話でいうと、実はケの中からハレを作り出すというのが、すぐれた料理人の技というふうに認証されています。

    スペインの世界料理研究会というのに、第1回に僕は招待されて行ったんですけれども、日本料理の伝統の中から新しい料理を作るというふうなことでいうと、今から30年ぐらい前からいろいろやっていたんです。そば米って、実は祖谷の山奥はお米がとれないので、おそばの実を食べて、主食のかわりにしていた。さっき、先生のおっしゃった、おそばは雑穀のもっと外になるんですよね。雑穀ですらないおそばを作って、食べていたというふうに聞いたんですが、現地に行っていろいろ聞くと、随分昔の話ですけれども、「小山さん、それ間違いですよ」と。そば米が食べられるのは、ハレの日なんですって。日常はもっと粗末なものを食べて暮らしているんですよと。だから、祖谷では振り米というのがあって、竹筒にお米を入れて、臨終のときに耳の横で振って、ぱらぱらぱら、ぱらぱらぱらっとやって、「これがお米の音だよ」と言って、臨終を迎えたという話があるぐらい、非常に苦しい困窮した生活をしていたと。

    もうお分かりでしょうけれども、それが徳島を代表する郷土料理で、三谷先生のお話を聞いても、皿鉢料理なんか宮廷料理かというぐらい、すばらしい美味しいものがいっぱい出てきますよね。本当に四国山脈を隔てて、高知には皿鉢があるのに、徳島はそば米かよみたいなところがあって、僕は、お話を聞きながらハレとケという日本人の日常と非日常の境を越えるというふうなことに対して、食がどんな立場をとっているかということは、非常におもしろいなというふうには思います。そういうことの中で、でも、ちょっと自慢たらしく言うと、徳島にも鳴門ダイがあったり、美味しいものはあるんですけれども、郷土料理としては、いつも出てくるのはそば米で、あくまでケの日の困窮を全国に訴えているみたいな料理があるというふうなことですね。

    南の方からいうと、室戸岬から回ってきたところあたり、今ちょっと名前が変わっているんですけれども、海部町とか、あの辺は出世餅といって、あんこで鳴門金時を丸く巻いて切ったものを食べたりするわけですよね。

    徳島市内は、ばらずしといって、これは僕もよく作るんですけれども、日本中行くと笑われるんですけれども、いわゆる混ぜずしの中に必ず金時豆が入っているんですよ。それは、お好み焼き屋に行っても入っているし、何にでも金時豆が入るので。ただ、僕たちは入っていないとちょっと物足りない。鳴門に行くとワカメとかいろいろあるんですけれども、ちょっと北方に回っていくと、茶ごめといって、大豆の古いやつをお茶で炊いて食べたりするものがあったりするわけですよね。ずっともっと山の方に行って高知寄りに行くと、祖谷の山奥に入っていくと、そば米があったり、十文字ご飯といって、高盛りにした白ご飯、麦飯の上にお豆腐を十文字に切ったものを載せるというふうなことがあったり、そんなふうに徳島ということでいうと、それをどうやって取り上げていって現代的にやっていくか。あるいは、どうやって伝えていくかというところには、まだ少し目が向いていないし、取り組めていないように思います。

    今回、こんな機会があったので全国的に盛り上がる中で、徳島人は何となく日本中にはやるとすぐ乗るタイプなので、こういう農水さんのお取り上げで、和食とか日本の食文化について興味を持つようなことが始まれば、それこそ喜んでまた発掘というようなことで、いろいろなことで食べ始めるんだろうなというふうに思います。

    ここでさっき、マンボウを食べていましたけれども、僕が知っている限り、静岡が日本で一番よく食べるんですよね。それで、昔の茶懐石の本とかで、僕らは昔のものを現代に再現して作ったりするんですけれども、そのマンボウを「ウキキ」って言うんですよね、先生。確かね。「ウキキって何ですか」って言うと、実はマンボウのことなんですよね。静岡の人はすごいよく食べて、あまり公の場で言ってはいけなんでしょうけれども、静岡はイルカ大好きなんですよね。イルカをいっぱい食べているんですけれども、こういうところでも絶対静岡の人はしゃべらないし、マスコミも報道しないんですけれども、静岡のスーパーに行くとイルカの刺身とか普通に並んでいるんですよね。でも、何か秘密っぽいんですけれども。

    あまり他府県のことばかりをお話ししてもしようがないけれども、日本中、たくさんのところでいろいろなものが作られているということでいうと、私たち料理人の方からすると、やっと本当に食べ物に目が向いてきてくれたかな。とにかく、先ほどの飽食の時代から引き続いて、グルメというか、とにかく美味しいものを食べたいというところから、日本という国の食べ物の一番のすばらしさという、5~6年前に、もうちょっと前かな、8年前ぐらいかな、『朝日新聞』で2年間、「日本料理で晩ごはん」という連載をやったんですけれども、今日お話に出ていた1.4食ぐらいというのをどうにか半分を超すぐらいにしたいなと。だから、必ず日本料理で晩ご飯を週に何回かはやってほしいという思いで連載を始めました。

    相変わらず、ちょっと多勢に無勢なようなところはあるんでしょうけれども、日本人が日本料理を食べないでどうするんだというところがあるわけですよね。僕は、いろいろな国に行くと日本料理人って分かるんですけれども、日本で聞かれたら、必ず日本の人って、「何料理なさっているんですか。イタリアンですか。中華ですか」と。そう聞かれて、ちょっとムカッとするんです。そんなふうに見えるかよというのもあるんですけれども、「料理人です」と言うと必ず、「何料理ですか」って聞くんです。

    イタリア人が「料理人です」と言うと、「ああ、そうですか。中華ですか」とか、「スペインですか」とか、「フレンチですか」とかって、イタリアの人は誰も聞かないですよ。イタリアで料理人といったら、みんなイタリア料理をやっているんですよね。フランス人も「キュイジニエ」というんですけれども、「キュイジニエだ」と言っても、「あなたの料理は何ですか」というのは多分聞かないですね。みんなフランス料理ですもん。中国料理は中国人がやっていて、日本料理は日本人がやっているということにはなるんでしょうけれども、そのぐらい国技というか、その国の料理をやっている比率がすごく高いわけですよね。それからすると日本は本当に、劣勢とは言いませんけれども、半分ぐらい日本料理で、あと半分ぐらいは各種料理だと思います。多分そのおかげで、ここは世界に冠たる料理王国だと思います。

    本当のことを言ってフランス料理でも、僕は友達もたくさんいるし、来月も行くんですけれども、パリの一流のレストランに引けをとらないようなレストランが東京にはいっぱいあります。もっと言うなら高知にもあるし、多分、島根県にもあったり、いろいろな国にフレンチレストランって必ずありますよね。パリにいましたとか、いろいろなことがあって。じゃあ、フランスの片田舎に行って日本料理店があるかといったら、全然ないですから。そういう意味でいうと、日本人の食に対する要求というか、探究心というのは、世界に冠たるものがあるんだと思うんですよね。実は、これを機会に、そのエネルギーと探究心のようなものを追求したいというような心が、やっと日本料理に向いてきてくれたかな、和食の方に。日本の国で、国産で作っているもので、作る料理。あるいは、日本人が長年育ん出来た技術、文化、環境の中で作られるものって何なんだろうというところに目が向いてきてくれたら、ひょっとしたら、あっという間に。もともと日本人が日本料理を作るんですから、素地はあるわけですから、すばらしい夢のようなことが私の老後には起こるのではないのかなと。

    私の夢は、22世紀の人たちが21世紀はすごい時代だったね。地球の人がみんな、日本料理を食べていたね。あんなにローカロリーでヘルシーな料理と素材の味を生かすような料理技術が、世界中の料理に影響を与えて、21世紀は日本料理の時代だったねと。それは21世紀の初頭に日本人がちょっと頭がおかしいぐらい日本料理を食べ出して、それが世界中に広まって、日本料理が世界中を席巻したと。そのおかげで、地球上の人類は長生きをするようになった。健康になった。そんなことが語り継がれるような22世紀になればいいなと思って、毎日仕事をしています。

    まとめてくださいという看板が出たので、この辺でおしまいにさせていただきたいと思いますけれども、今日は、本当に高知に来て神崎先生のお話を聞いて、頭の中で何となく整理はしたんですが、ハレとケとか、ご飯にどうして「御」がつくのかとか、でも、僕たちは「お香々」って言ったりするんですよね。あれは、ケで「御」がついていいのかとか、とにかく、でも、お新香というのがそういうことかとか、いろいろなことがあったので、たくさんの方と出会いが出来たし、こういう場を与えていただいて、大変ありがたいと思っています。取りとめのないお話をしましたけれども、皆さん、今夜は絶対和食ですよ。よろしくお願いします。ありがとうございます。

    司会

    小山様、ありがとうございました。小山様にもこの後のパネルディスカッションにご出演をいただきます。よろしくお願いします。

    それでは、これより少しの間、休憩とさせていただきます。シンポジウムの再開はこの後、午後2時25分からとなります。どうぞそれまでにご着席いただきますよう、お願いを申し上げます。

    また、ここでお帰りになられる場合には、アンケート調査票を資料に挟んでございますので、どうぞ皆様、アンケートにご協力いただきますよう、お願い申し上げます。

    お手洗いでございますが、お手洗いは会場を出られまして、右手の廊下にございます。シンポジウムの再開はこの後、午後2時25分からとさせていただきます。これより休憩でございます。

     

    (休憩)

     

    5.パネルディスカッション

    司会

    大変お待たせをいたしました。これよりシンポジウム再開とさせていただきます。

    これよりはパネルディスカッションとして、『「和食」文化の魅力』をテーマにディスカッションを行っていただきます。

    それでは、まずはコーディネーター及びパネリストの皆様をご紹介させていただきます。皆様から向かいまして左側からご紹介させていただきます。コーディネーターの神崎宣武様です。パネリストの三谷英子先生です。同じくパネリスト、小山裕久様です。そして、若い世代としてRKC調理師学校の政平剛志さんにもご参加をいただきます。皆様どうぞよろしくお願いいたします。

    それでは、パネルディスカッションに先立ちまして、全体の概要を私より説明させていただきます。本日のパネルディスカッションのテーマは『「和食」文化の魅力』です。和食文化を特徴づけるキーワードとして、多彩で新鮮な食材と、その持ち味を引き出す工夫、一汁三菜を基本としたバランスよく健康的な食生活があります。さらには、美しく盛りつける表現方法や、食器の使用などにより、自然の美しさや季節の移ろいを表現し、年中行事にも密接なかかわりがあります。本日はそんな和食文化の魅力について、ディスカッションを行ってまいります。

    また、先ほどもご紹介をいたしましたが、本日のディスカッションには地元の学生の方にもご参加をいただいております。ディスカッションの中では、和食文化を次世代へ継承してもらうために、若い世代から見た意見もお伺いしてまいります。

    では、ここからの進行はコーディネーターの神崎宣武様にお願いしたいと思います。神崎様、よろしくお願いいたします。

    神崎氏

    それでは皆さん、よろしくお願いいたします。

    お話をいただく前に、私たち3人は先ほど登壇いたしまして、何行か分の略歴をご紹介いただいております。ところが政平剛志君、あなたは緊張しているでしょう。だから、私たちおじさん、おばさんと対等にお話ししていただくためには、ご自分でちょっと気分を和らげて自己紹介をしてみてください。

    政平氏

    ありがとうございます。

    僕はRKC調理師学校に通っています。アルバイトも通じて、日本食の文化をこれから学んでいきたいと思っています。今日のパネルディスカッションをこれから僕の中に取り入れて、日々勉強していきたいと思っています。今日はよろしくお願いいたします。

    神崎氏

    少しは気分がほぐれましたね。では始めましょう。

    いろいろなお話をお二人からいただきました。その中でキーワードが出て参りました。新鮮な自然の食材を使っての伝統というようなことで、1つの方向が出ました。これが和食の外枠を決めるキーになるかどうか異論もありますでしょうけれども、1つの方向だろうと思います。それは、地産地消というような言葉も言われます。もっと言いますと、食べ物についてはいろいろなことわざが土地、土地にありました。地産地消というのは、私なんかが歩きながら聞いた話では、「海に向かっては海を食い、山に向かっては山を食う」というようなことわざがありましたので、その土地、土地で、いろいろな食材を食べこなしていくということが大事なことであって、ハレの食もケの食も、基本的にはそうだったと思います。

    ところが今、広域に食材が流通するという中で、その特徴がちょっと薄らいでいることもあろうかと思います。そこで三谷さんにお伺いしたいと思いますが、お話になったところで、皿鉢料理が土佐の、伝統料理であることは分かりました。それは、全国的にもよく知られている。それから、カツオももちろんでありますが、私が興味を持ったのは酢です。酢というのは、日本の料理の中で大事な調味料なのですね。それで、その酢を使った料理をもうちょっと具体的に、幾つかご紹介いただけませんか。

    三谷氏

    酢を使ったお料理、実はたくさんありまして、さっきのたれの中にはほとんど酢を使っています。それも果実酢で、酢の物の類はたくさんありますけれども、例えばたたきのたれ1つとってみても、酢が入らないと、というのがあって、料理の中であらゆるところに使うんです。これはどうしてか分かりませんが、果実酢の生産量が多いこともそうでしょうけれども、高知県は前から蒸し暑い。それから魚をよく食べるので、それを腐らせないようにとか、そういう意味があって、お酢だとかネギ類の摂取量が非常に多くなったのだと思います。我が家でも何でもかんでもかけて食べるんですが、皆さんのお宅、そうではないかと思います。これというお料理というのはちょっと先生、申しわけないのですけれども、とにかくたくさん使います。

    神崎氏

    消費量がしばらく日本一だったわけですね。

    三谷氏

    消費額の方ですね。消費額で。

    神崎氏

    消費額ですか。

    三谷氏

    消費額でした。

    神崎氏

    小山さん、お料理の中で酢の、もちろん向付なんかは酢の物が出てきますが、これはどういう位置付けになるのでしょうか。小山さんがお作りになるのはハレの日の膳の系統ですが、酢はどういう役割を示すのでしょうか。つまり、三谷さんがおっしゃったように、毎日酢をかけて食べている人がいるとして、何もお呼ばれへ行って、ごちそうで酢を食べる必要があるのかどうか。

    小山氏

    少し面白い話で言うと、もともとハレもケも含めて、過去から現代、未来へと続いていくのが食なので、ある日突然変わるわけではないわけです。そうすると、基本的には保存食です。さっき先生が言いましたけれども、冷蔵庫がない、車もないというときに、そうすると、塩か酢なのです。いわゆる殺菌をして、物事を保存していく。だから、おすしは大体、サバずしでも塩をして締めて、それを今度酢洗いをして、サバずしにするわけです。だから、そもそもそういうものであるわけです。それで多分、人類というか人間は、世界中一緒ですから、別段日本だけにかかわりませんから。そういうところの中でお酢の美味しさみたいなことに目覚めたというところがあって、酢を多用するということがあるのですけれども。

    翻って、実は料理の方からいうと、料理にも黄金比率みたいなものがあって、甘いか辛いか。この間を行ったり戻ったりしているわけですよ。ちょっと甘過ぎたとか、ちょっと辛過ぎたとか。そうやっていくと上手になると思う。大体黄金比率のところには、ぱんと行くのです。そうすると今度、おもしろくないわけです。いつも出来るようになる。それを3Dというか、立体的に狂わせるのが酸味なのです。ちょっと辛いんだけど、お酢が効いているから塩味を感じない。これが三杯酢です。というふうに、それが会得できたら、次は苦味とか、えぐ味というふうに、どんどん料理が一直線の中から立体的になっていくという技術の中で、料理人が最初に覚えるのが実はお酢なのです。だからそういう意味合いで、非常に重要な食べ物だというか、食材だと思います。

    神崎氏

    ありがとうございました。

    料理人が一番最初に手につけなければいけない、覚えなければいけないのが酢の調合だというお話で、政平君、いいことを聞きましたね。酢から始まってください。

    もちろん、酢で締める、塩でからめるということでの保存性は否定するところはありませんが、あえて言いますと、これは西日本型の食生活の原型だろうと思います。この話を東日本、東北日本へ持っていけるかどうかということでは些か疑問があります。もちろん、現代は広域流通で酢は自由に手に入ります。ところが、この酢というのは、もとをたどればどうやら米酢ではなかった。米を酢に使うまで、米の量がなかった。米は糅飯、それからご飯というところで、大事な主食材であって、その次に大事なのはお祭りのたびにこれを醸してお酒にする。それ以上の消費は、かつての日本では無理だっただろうと思います。そうすると、いわゆる木酢というところの、ユズ、カボス、スダチというようなものが酢の大事な原料であって、これは柑橘類でありますから、東日本はなかなか自生どころか栽培出来ないというような背景があります。酢の嗜好でデータをとりますと、圧倒的に西日本が高い。もっと言いますと、圧倒的に中国、四国、九州に偏るということで、今、私たちが酢を論じているのを、これは仙台の会場、山形の会場に同じように移すわけにはいかない。

    これはおもしろい逸話ですが、マヨネーズが出始めたとき、先ほど言いました昭和40年前後ですが、マヨネーズを造る会社は、東日本仕様と西日本仕様を変えたんです。西日本へは酸っぱいマヨネーズを販売した。東日本は酢を弱めて販売した。それがいつの間にか、日本人は酢を共通の味覚のように思うようになった。今一度、西日本の誇りとしてもっと遠慮なしに酢を使って、その酢も米酢だけに頼らずに、木酢というのを大事にしていきたいと私は思うんですが、小山さん、違うでしょうかね。

    小山氏

    その通りだと思います。つまらないことを言うと、フランスでおすしを作ったりするとき、何もないときにグレープフルーツとオレンジと、あとはレモンとライムを混ぜて、三杯酢のかわりにする。フランス人は砂糖が嫌いなので、オレンジの甘味で三杯酢を作って食べさせたりとか、本当に果物を使って酸味をとるというのが今、世界的には大変主流になってきているので、西日本、頑張りましょうね。

    神崎氏

    ということで、皆さんもお酢を大事にして、米酢も大事だけれども、木酢、これを地産地消の大きなキーにしていただいたらいかがかという話をしたところであります。

    それから、お二人から共通の言葉が出たのが、寿司です。その寿司ですが、古い文献の寿司は、魚へんに作る(鮓)と書いているんであります。ということは、魚を別に作るんです。魚の味を大事にしなければいけないけれども、別な味に作る。それで、その中に「熟れずし」と「生ずし」があります。いずれも保存食として発達をみました。

    四国の例でなくて恐縮なんですが、今、日本で一番、この歴史がよく残っているのが京都と滋賀県です。京都へ行きまして、きずしと言いますと、皆さんがおっしゃるところのサバが出てくる。だから、きずしというのは、より生に近い形で魚の保存を図るということです。小山さんがおっしゃった塩で漬けて酢で洗ってというような作業をしたものです。この頃は、冷蔵庫の保存状態がまことにいいから、より生に近いサバが出ているでしょう。中が赤いのがね。漬け込むと白くなると思うんですが。しかし、古くは、平安の都から、京都というのは海から離れたところですから、若狭からサバを入れていたのです。相当な距離です。それを塩もので送り、酢で洗ってきずし。それで魚の形も崩れないし、味も多少残る。なれずしというのは、これをもっと保存性を高めたものなんです。

    琵琶湖の沿岸でなれずしを召し上がった方、手を挙げてください。3人だけですが、食べられましたか。ほとんどの人が「うっ」とおっしゃる。ということは、フナを塩漬けして、どんどん水を取っていって生乾きにして、それを今度、麹とか蒸米で、ずっとサンドイッチ状に樽の中に漬けていくんです。それで、1年ものよりも1年半とか2年ものの方が美味しいと言われるのは、相当に発酵をしていますから、もう魚の味じゃなくて熟発酵の珍味となる。決して美味しいとは私も言いませんが、ぜひ、それを味わってみてください。そうすると、日本のすしの歴史が、保存対策から来ているということが分かる。だから、魚をいかに保存して食べるかというのが、日本の魚料理のある意味での基本だっただろうと思います。それが、時代とともに、きずしがさらに早ずしとなりました。握りずしのようなものが出てくるんです。早ずしが出てくるのは、江戸の町からです。天明の津波のときに浜から打ち上げられたマグロを非人だまりの人たちが、麦飯の上に握って食べたというのが始まりだと、三田村鳶魚という江戸研究者がおっしゃっております。そのあたりが起源だろう、といたしましょう。

    ということで、三谷さん、もう一度そのすしを細かくご紹介ください。その高知のすしというのは、何段階ぐらいのものをおっしゃるんでしょうか。

    三谷氏

    何段階ですか。

    神崎氏

    なれずしから生寿司までの段階。

    三谷氏

    きずしだと思います、ほとんど。今、お話をお聞きしていると。私どもの伝統食研究会の会長がそこにおりますから、ちょっと私よりは詳しいと思うんですけれども。おすしはたくさん種類がありますけれども、ほとんどはきずしの部類に入っていくと思います。ですね。違いますか。なれずしも。

    神崎氏

    ちょっと、ご紹介してください。お願いいたします。

    三谷氏

    松﨑淳子先生です。

    神崎氏

    大変恐縮ですが、マイクをお願いいたします。熟れ寿司と生寿司、この間に「なまなれ」というのもあるんです。「半熟れ」と書いて。ですから、そういう意味で、きずし以外にもあるかもしれないと期待しているんです。

    松﨑氏

    済みません、いや、三谷さん。

    そのきずしです。高知は塩サバ、山の人は「ぶえん」といって、生の魚をあまり食べられませんでしたよね。だから、山の人はおすしがものすごく上手で、塩サバを谷川できれいに塩を抜いて、ほどほどにお酢をして、それこそご飯はごちそうですから、ハレの日のごちそうですから、それを作られていて。あの方も大豊の生まれで、山の人なんですけれどもね。きずしです。

    神崎氏

    その意味では、高知は山と海が近かったと言えるかも分かりませんね。私も大豊とか池川のあたりを歩いてみまして、これは地図で見るよりも近いなという意外な印象を受けました。1つには、川伝いに上がれたというのもあるかも分かりません。その点、滋賀とか、京都の方が海から離れているというようなことですが、小山さん、このなれずしの系統というのは、例えば、酒の肴、先付けのようなところへお使いになるようなことはないんですか。

    小山氏

    フナずしはそうですよね。あとは、お茶漬けが美味しいですよね、フナずしのお茶漬け。料理屋はよくやるんですけれども。日本人のお茶漬けの概念がちょっと今のサケ茶とか、タイ茶とはちょっと違って、発酵酒も含めて。へしこのお茶漬けも美味しいですけれども、へしこもちょっとなれっぽいイメージもあるので、昔の日本人は保存食をどう日々の食事の中で食べるかという技術が随分発達していたようには思いますね。

    神崎氏

    ちなみに、小山さんがおっしゃったへしこというのは、これは若狭湾の、小浜のあたりで作られておりまして、サバのぬか漬け、塩を非常に強くした保存食です。これもなれずしの系統だろうと思います。

    それから、福井のあたりに行きますと、イワシを同じように塩ぬかで漬けまして、これはコンカイワシという。それで、これがみんな京都へ集まっているんです。皆さん方も、京都へ行かれましたら、錦小路を訪ねてみてください。錦小路へ行かれて、フナずし、それからへしこ、それからコンカイワシ、こういうようなものをぜひお求めになって口にしてみてください。そこで美味しいと感じられる人は多分、酒飲みです。酒の肴には最適、と私は思います。けれども、これは苦手だな、臭いなとおっしゃる方は、高知は幸せなところだったと思ってください。ここまで保存食を作らなくても食べつないでいけたんだと。海に近いんだと。山にあっても海を食っているんだというような地域性を確認出来るんじゃないかと思います。

    それで、ここからは政平君にお願いしたいと思います。そんな話を次々に出しておりますが、あなたはどの程度理解していただいておりますでしょうか。つまり、若者代表として、ご質問があったらお二人に遠慮なくおっしゃってください。この会場に若い人にも来ていただいている。ですから、少しでも理解が広がった方がいいと思います。

    政平氏

    先ほどお二人の話にもあった、酢の話とすしの話なんですけれども、僕のアルバイトをしているところは、土佐鮨処おらんく家というすし屋なんですけれども、酢といっても、すし酢やぽん酢とかは、すごいこだわっていまして、すし酢にしても、前の日から作って、分量とかもちゃんと計ってとか、ぽん酢にしては、作り置きをして1週間ぐらい寝込まさないといけないところが、すごいびっくりして、そういう使い方というか、作り方もあるんだなと、アルバイトを通して思ったことです。

    神崎氏

    ということは、きちんと理解して、意識してくれたわけですね。

    政平氏

    はい。

    神崎氏

    もっとご質問がないですか。この際、三谷先生を困らせるという質問でいいと思うんですよ。

    政平氏

    とても緊張していまして。お二人の話はとても勉強になりますけれども、すごい難しいというか。

    神崎氏

    後で分からないことがあったら、聞いていただく機会もありますから。あなたのお友達が何人かフロアーにいらっしゃっていますね。

    政平氏

    はい。

    神崎氏

    私たちとしたら、若い人たちに理解していただけるかどうかというのは、今日のこのディスカッションの成果になるか、そうでないかの分かれ道なんです。ですから、若い人たちで今までの話で疑問がある方は、遠慮なく手を挙げてお尋ねください。

    司会

    どなたか、ご質問はございませんか。手を挙げて。いらっしゃいました。

    神崎氏

    どうぞ、どうぞ。

    来場者

    よろしいでしょうか。すごい、政平君。政平君がここのところにいらっしゃるということで、非常に私は今日は嬉しいです。それで、やはり和食に興味を持ったという、心の中をちょっとお聞きしたいと思っておりますけれども。

    神崎氏

    それじゃあ、どうぞ。

    政平氏

    それじゃあ、答えさせていただきます。和食は、僕が小さいころはおばあやおじいに皿鉢料理を作ってもらったりとかしていて、そういう小さいころの思い出がありまして。料理を好きになった、目指そうと思ったきっかけは、母が僕が小さいころによくお菓子を作っていまして、それに興味を持っていつも手伝ったりしていて、それが楽しいなと思ったのが、料理してみようかなというきっかけになったことです。

    和食を選んだきっかけは、先ほど言いましたアルバイトをしていまして、上の偉い手とかにも、よくいろいろな話をしてもらうんです。学校でもコースがありまして、コースも日本の専攻を選んでいるんですけれども、西洋と中国と日本があって、西洋を学んでから日本を学ぶと恥をかくということを聞いて、日本を学んでから西洋を学ぶと恥をかかないということとか、いろいろ話を聞きまして、そういうのも自分の中では大きい。自分が選ぶに大きいことで、そういうことをアルバイトを通して、大将とかの話もすごいためになるので。やはり日本人というのも、もちろんあるので、僕は高知県で地元の食材を生かして県内で働きたいなというのが強いので、RKCに入ってまだ短いですけれども、これからまた学んでいくので。和食をとりあえずは学んでいこうというのが大きいですね。

    来場者

    ありがとうございます。本当に私は今、若い方がやはり和食から離れているということが非常に残念に思っておりましたけれども、やはり学校に通われて、またアルバイト先でもそういうやろうという気持ちがすごく前向きで、政平君は、将来本当に大事に育っていっていただきたいと。本当に今日はうれしゅうございました。どうもありがとうございました。

    神崎氏

    ありがとうございました。

    政平君

    ありがとうございます。

    神崎氏

    いいご意見をいただいたところで、もう一つだけ。キーになる問題を、主に三谷さん、小山さんお二人に論じていただきたいと思います。それは、小山さんが出された餅という問題です。小山さんは出世餅というのをお話になりました。当然、高知でも餅はたくさんあるんですが、高知での餅はどういうものがありますでしょうか。まず、お雑煮のあたりからお話しいただいたらいかがか、と。

    三谷氏

    そうですか。お雑煮はいろいろあると思いますけれども、高知県の場合は、山内のお殿様が静岡の掛川の方からということなので、恐らく高知県は西日本の中でも関東風かもしれません。というのは、角餅の澄ましというのが一般的でありまして、載っている具というのはさまざまで、地域によって違うと思うんですけれども、おめでたい里芋であったりとか、お豆腐であったりとか、また青菜であったりとかということです。基本は、澄ましの四角の餅が圧倒的に多いということです。白いお餅のほかに、あとはいろいろなお餅があるんですけれども、変わったところでは、先ほど少しご紹介したんですが、佐川町の山椒餅であるとか、山椒は夏でもお餅を美味しく食べられるように、山椒だとか黒砂糖を入れたお餅です。これも今、ちゃんと直販所で買えると思います。あと、おからの入ったお餅、きらず餅ですね。おからが入ってきな粉をまぶしたようなのもありますし、高知県は東西に長いんですが、お餅とおすしというのはいろいろなのがあります。もちろん、サツマイモの入ったのとか。これは全国にあると思うんですけれども、草餅とかというのは。

    神崎氏

    今おっしゃった中の幾つかに、お菓子的なお餅も入っていると思うんですが、もともとお餅は日常的な食べものですか、それともハレのごちそうですか。

    三谷氏

    ハレのものです。

    神崎氏

    ハレのものですね。

    三谷氏

    おすしもお餅もハレの食ということですね。

    神崎氏

    そこで、角餅、これはお殿様の影響があるかもしれないとおっしゃいましたが、お雑煮も、切り餅なんですね。

    三谷氏

    切り餅、はい。

    神崎氏

    のし餅とも言いますが、それじゃあ、年神様を迎える床の間の三方の上に載せられるのも角餅ですか。

    三谷氏

    鏡餅です。そういえば丸餅ですね。

    神崎氏

    鏡餅は丸いですね。

    三谷氏

    そういえばそうです。

    神崎氏

    その矛盾をどういうふうにお解きになりますか。

    三谷氏

    考えてなかったですね。

    神崎氏

    私は、そのあたりは単純に考えればいいんだろうと思います。角餅が東日本から持ち込まれたというのは、正しいだろうと思います。というのは、こういう建てつけのいい建物で考えたらいけないのでありまして、隙間風がびゅーびゅー入るようなところのかつての民家で考えると、正月の寒いときは、鏡餅は置いても、固まってすぐ割れたり、削げたりするんですね。それで、小さい餅でもそうなんです。手で丸める餅というのは、中の気泡とか水泡を全部外へ出すわけにいかないんです。この手の圧力では。それが、暖かいところなら、気泡や水泡があっても割れることがないので、丸餅が多いんです。ところが、寒いところでは、それをのして、気泡や水泡を全部外へ出してやらないといけない。のすと、当然切っていくということになる。というようなことで、東日本型、西日本型、酢と同じようなことで、丸餅か切り餅という境が出来るんです。けれども、本来、それは冬場の対応でありまして、神様に供え、神様を呼ぶのは丸い餅。だから、四角い餅を食べていても、神棚に関しては丸い餅。というようなことで、今度は日本の気候と合わさった文化だろうと思いますが、いかがでしょうか。

    小山さん、出世餅をもう一回お話しください。出世餅は、なぜ出世餅。

    小山氏

    出陣とかお祝いに出ていくときに必ず作っていたみたいですね。

    神崎氏

    それは丸餅ですか、角餅ですか。

    小山氏

    餅って言いながら、あんころみたいな感じなんですね。サツマイモがこうあって、周りにあん巻きなんです。餅じゃないんです。もち米の餅ではない。

    神崎氏

    それでは、徳島では、お正月の雑煮はどういうものですか。

    小山氏

    丸餅で白みそですね。欠席裁判でいうと、香川県は、それがあんこが入っているんですね。うちも社員がたくさんいるので、1回作れといって。

    神崎氏

    愛媛県はどうなんでしょうか。

    小山氏

    愛媛県は角で澄ましですか。やはり丸なんですか。

    神崎氏

    丸です。

    小山氏

    高知県だけが角なんですね。

    神崎氏

    という、今日は新たな確認をしていただきました。やはり東日本の何らかの影響が及んでいるということで。政平君は和食でこれからいろいろな勉強をするんだけれども、小山さんのようにこういう問題も話せるようになりましょうね。お勉強しながら。

    政平氏

    勉強します。

    神崎氏

    あなたは、どういうお正月のお餅で育ったんですか。お雑煮。

    政平氏

    ぜんざいとか、丸餅。角餅もあります。おみそです。

    神崎氏

    それで、あなたは生まれ育ったのはどちらですか、場所は。

    政平氏

    高知の四万十町の方です。

    神崎氏

    じゃあ、西の方ですね。それで、三谷さんは東の方でお育ちになったところで違いが出る。高知県の中でもこういう微妙な違いがあります。ですから、そういう問題も、違っているからどうのこうのじゃないんですが、歴史としては、認識を新たにもう一度確認いただいた方がいいと思う次第です。

    なお、もう一つ、私があまりしゃべり過ぎるのはよくないんですが、私は昭和43年ぐらいのときに大豊、池川、それから山を越えて祖谷渓の方へ歩いたことがあります。そこで非常にショッキングな話を聞きました。これも貧しいという捉え方をしてはいけないので、誤解のないように言っておきます。

    お餅のない正月があったということです。つまり、水田が乏しくて、あるだけの水田では石高の高い、収穫量の多いうるち米を栽培した。ですから、収穫量の少ないもち米を栽培する余裕がなかったということで、正月はわざわざ池田まで下りて、もち米をわずかでも買ってくる。こちらの高知県側の山村までも、もち米はぎりぎり、お正月プラス何かのお祝いのときぐらいの量しか作らない。というようなところで、こういうことわざが聞けました。「正月の2日、3日はよいけれど、4日の朝のテンコ悲しや」。正月の2日、3日まではお餅が食べられるけれども、4日になるともち米の餅じゃなくて、テンコというのは合わせ餅ですね。アワやキビを混ぜる。ところによってはカシの実を突いて、あく出しをして、それを天日乾燥して、その粗粉をわずかなもち米に混ぜるというような例もあった。各地にカシの実餅とかトチ餅とかありますが、そういうご飯でいうところの糅飯に対応するもの。そういう餅があったということでありますから、一律でないということが、日本の食文化の大きな特色だろうと思います。この狭いところでもさまざまということは、何度も言いますが、これを貧しいと捉えるのではなくて、さまざまな食材をさまざまな季節で取り合わせて食べつなぐことが出来たと捉えるべきでしょう。歴史上では飢饉という記録も確かにあるんです。東北なんかだと天明の飢饉で娘を身売りしたなんていう記述さえもあるんですが、それは異常な事態だから書かれるのであって、平常時は豊かではないけれども、飢え死にするようなところではないと読まなくてはなりません。日本の多様な恵みというのを、私はしっかり語り継がなければいけないと思います。

    これをどうこれから伝えていくかということですが、どういう伝え方があるでしょうか、三谷さん。

    三谷氏

    伝え方ですよね、さんざん本当にこれは悩むところで。何かこれという特効薬はないような気もしますけれども、ちょっとご紹介させていただいてよろしいでしょうか。高知県もそうですが、高知市の方も、かなりいろいろな取り組みをしております。高知県は、土佐の料理伝承人という制度がございまして、これは平成17年からでしたか、恐らく今現在が58団体・個人が登録されていると思うんですけれども、次世代にどのように郷土料理を伝えていくかという、その本当にキーパーソンになる方が、この皆さん方ということで、県下各地に散らばっております。例えば、こういうさまざまな郷土料理というのがございまして、しっかり伝えてくださっています。また、産業振興計画とかもありますし、いろいろな計画の中に食が組み込まれております。それと、高知市は食文化と捉えて、文化振興ビジョンの中に食文化を位置づけてくださったことに、私は非常に大きな喜びを感じております。

    先生がさっきおっしゃったみたいに各地域で小さなコミュニティーで伝わっている料理というのは、実はたくさんありますけれども、これをどうやって伝えるかというのが課題です。それぞれの自治体の教育委員会であるとか、JAやヘルスメイトさん、漁連あるいはNPO団体の高知の食を考える会とか、調理団体もそうですし、高知県の場合は量販店なんかもかなり理解があるということで、そういう人たちが一体になってあらゆるところで、食べて覚えて、体験しないとなかなか味って伝わらないので、それを食べる機会をたくさん、作っているというのが現状です。引き継がれていってほしいという願いが、若い人がどう思っているかは別にして、ある程度の年齢の人はみんなそういう思いで頑張っております。

    神崎氏

    というか、三谷さんもそうして体現なさっている。

    三谷氏

    もちろん。

    神崎氏

    積極的に若い人たちにつないでいってください。

    三谷氏

    そうですね。あと、ついでに写真だけ。ごめんなさい、長くなって。これは高知の食を考える会。今週末からやりますけれども、これも高知県下でやっておりますけれども、そういうふうな郷土料理を一堂に。中央公園でやりますね。中央公園でしたね。会長さんがここにいらっしゃる。県下各地で食べるいろいろなものを、食をばーっと前面に押し出して、こういうお祭りがありますし、あとは、これは私どもの学校で食事のマナーなど教えているところですけれども、伝統食研究会とか、いろいろな団体がこういうふうにやっている。さまざまな運動が起きて、これがばらばらには動いているんですけれども、ばらばらに動くしかしようがないかな。とにかく動くしかないなと思っております。

    神崎氏

    小山さんですが、料理人としてのお立場は十分に皆さんご存じです。日本料理で先ほど酢というキーワードを出していただきました。この調合を、あるいは味つけを最初に習うとおっしゃいましたが、次の世代へ、技術の上でどうしてもつないでおきたいというのは、何でございましょうか。

    小山氏

    料理人ということですよね。郷土料理とかいうのじゃなく、日本料理をやっていくということ。1つは、目だと思います。目がきかない子はだめですね。だから、1ミリを見るんではなく、0.1ミリぐらいが日常的に見えて、名人と言われるようになるには、0.01ぐらいのずれというか、違いが見えるようにならないといけません。でも、そのもっと大もとは、違いが分かるってよく話が出ますけれども、やはり目視でしか分からないわけで、だから、目が一番大事ですね。

    2つ目は、技術というのを習得するのは、昔は「でもしか料理人」というか、僕も100年ぐらい続く料理屋の息子に生まれたので、今のように料理というものが発達したり、文化的にもマスコミ的にも取り上げられていないけれども、家業なのでやるかということで始めたんですけれども、やはり師匠と環境がよかったというか、とにかく日本料理が大好き。おもしろいなと思ったので、40何年ここまで来られたので、料理を好きになる環境ですね。それは、周りの先輩とか、お店とか、今の話でいうと地域とかを含めて、その環境がどうか。ということは、もし本人にとるんだとしたら、孟母三遷ではないですけれども、環境のいいところに移動していくということは大事かもしれません。

    それから3つ目は、つまらない話ですけれども、多分、親孝行だと思います。親に孝行出来ない人間に他人様の幸せを願う食べ物が作れるはずはないので、至近距離にある母親であるとか父親を大切にするからこそお金をいただいて、お料理を食べていただくお客様の心や気持ちが分かって、幸せになっていただけることが出来るということなので、その3つがあれば。テレビに出られるか、有名になるか、お金がもうかるかということではなくて、いい料理人になれることは間違いないと思います。

    神崎氏

    ありがとうございました。そういうことで、料理界での伝承ということで幾つかのキーワードがここでも出てまいりました。どうぞ、高知県では親孝行な子供を育てていただいて繋いでいただきたいと思います。そういうことで、政平君、分かりましたか。今日代表で上がっていますが、あなたの周理に今日聞いたことをどうぞ広めてください。それがつなぐことの第一歩だろうと思います。

    ということで、皆さん方からも、もっともっとお話をいただきたいのですが、ここで、一番最初に岩片さんから世界無形文化遺産にこの「和食;日本人の伝統的な食文化」というのが挙げられているとご紹介いただきました、私たちは最終の採択の結果を期待しているわけであります。

    それで、岩片さんのお話で概略はお分かりになったと思いますけれども、そのもうちょっと和食ということを、枠組みをした、その問題を今日、直接の担当の農水省食ビジョン推進室の渡邉さんがお見えになっていますので、恐縮ですが3分だけ時間を差し上げますので、岩片さんのお話をつないで、どうぞ、お話をいただきたいと思います。

    渡邉氏

    皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、農林水産省大臣官房政策課の渡邉と申します。冒頭、中国四国農政局次長よりユネスコ無形文化遺産への登録申請の内容と今後のスケジュールについてお話をいただきましたが、私の方から、提案に当たりましての和食文化の考え方等について、若干お話をさせていただきたいと思います。

    ユネスコ無形文化遺産への提案に当たっての和食文化というものは、例えばすしとか、てんぷらとか、そういう料理ではなくて、自然を大切にするという日本人の心に基づく食の習わし、食の習慣ですね、そういうものを指します。また、和食文化の特徴としては、1つ目に、新鮮で多彩な食材とその持ち味を引き出す工夫。2つ目に、一汁三菜を基本としたバランスよく健康的な食生活。3つ目に、季節感を大切にし、食事の場に自然の美しさを表現するということ。4つ目に、地域行事は正月などの年中行事と密接なつながりがあると、この4点が挙げられるわけです。

    今回のユネスコ無形文化遺産への登録申請というのは、その登録実現ということはもとより、この登録申請を契機として、私たち一人ひとりが和食文化について改めて認識を深めていくきっかけにしたいということです。つまり、ユネスコ無形文化遺産への登録実現というもののほかに、次の世代に和食文化を維持・継承していくことの大切さというものを考えていくことも重要であるということです。ここにお集まりの皆様にも、ぜひお力添えをいただければと思います。よろしくお願いいたします。

    神崎氏

    ありがとうございました。渡邉さんがおっしゃりたいもう1つのお話を私なりに考えてみますと、世界無形文化遺産への登録は1つの入口であります。1つの入窓というのは、私たち日本人が、日本文化について、食文化についてあらためて見直す機会を得たということです。特に戦後の高度成長期から後、忘れた日本を次の世代へどういうふうにつなぐかということを考える。全てつなげるわけではないので、その地域ごとにこれだけはということを皆さん方がお考えになったり、料理の再現をされたりしながら若い人たちへつないでいく。その入り口にしか過ぎない、というようなことをおっしゃりたかったのではないか。間違いではないですね。というようなことを、お気持ちを含めておっしゃったんでありまして、例えば、12月以降、和食が世界無形文化遺産に登録されたからといって、我が店こそが、とみんな旗を揚げてみても仕方がないのであります。揚げるところは揚げればいいのでありますが、その基準・物差しをどう持つかです。

    今、私たちが若い世代に対して危惧するのは、いろいろなことでキレる、キレがちなこと。キレるということはどういうことかというと、物差しが短いんです。そうすると、自分の目盛りがないところになると理解が及ばないからキレるわけです。キレる反対は「つなぐ」と「伸ばす」なんです。だから、物差しをどういうふうに若い人たちに伸ばしてもらうかという中に郷土料理が、行事のときの再現料理がある。これを宗教問題と取り違えてもらっては困るんですが、なぜ、神様の前にご飯とお餅とお酒が載るのか。それぐらいの意味は伝えていかなければいけない。そういう食文化というのは、小山さんの前では申しわけないんですけれども、料理屋さんだけにお任せするわけにもいかない。そうかといって、学校で教えるわけにもいかない。ということで、地域社会での皆さん方のさらなるご認識とご活躍が必要になると私は思います。

    特にこの会場では、フロアーからもおっしゃっていただきましたが、壇上に上がってもらったのは政平君だけですけれども、同じような年齢の人が何人も来られているんです。そういう若い人たちをここへ呼んでこられた高知県の見識というものを私は信じて期待しております。ということで、まとめにもなりませんが、三谷さん、小山さん、政平君、お一言ずつ、時間から言いますと1分ずつぐらいの余裕はあるので、これだけは言っておきたいということをおっしゃって、それで終わりにしたいと思います。

    三谷氏

    やはり食は先生から先ほどからお話がありますように、環境だとか、マナーまで含んだいろいろなことが食にかかわってきますので、一度失われたらもう取り返すのが大変難しい。恐らく、無理だと思います。やはり残していきたいことがたくさんある。それが地域の活性化にもつながっていきますので、絶対私たちの世代が頑張って、若い人たちに何とかつなげていきたい。私も努力したいと思います。皆さん、どうぞ、お願いいたします。

    神崎氏

    よろしくお願いいたします。

    小山氏

    なかなか難しいんですけれども、最近、日本の人って必ず平均化をしようとするんです。だから、たたきはもういいやと、もっと他にイタドリをはやらそうよとか、何とかやろうよっていうふうに平均化しようとするんですけれども、私が思うには、とにかく、たたきは今はもう日本中、世界中に広がっていますから、でも、たたきにもっと行ってもらって、どんどんどんどん行くと高知っておもしろいなと。じゃあ、ほかに何があるんだろうというふうになった方が僕はいいと思うので、ここで終わりということはないので、たたきは、月まで行けではないんですが、世界を席巻するぐらいのつもりで土佐人がそういうふうに思うと、それに憧れて日本中から土佐に人が寄ってくると思うんですよね。ということは、やはり楽しい、美味しい。とにかく食事は幸せになるためにあるので、そういうことを僕もこれから忘れないようにして、料理を作っていきたいと思います。どうもありがとうございました。

    神崎氏

    ありがとうございました。

    それでは、政平君、お願いします。

    政平氏

    今日は済みません、大したことも言えなくて。緊張していて、本当に。今日は皆さんのお話を聞いていたら、すらすら出てきてすごいなと正直に思いました。僕はこういう席に立つというのは初めての経験なので、小山さんのような徳島のよさを全国的に教え伝えていくように、僕もこれから学校やアルバイトを通じて勉強していって、高知の魅力を全国に、もっと県外とかにアピールしていけたらいいなと思います。今日はありがとうございました。

    神崎氏

    ありがとうございました。

    ということで、皆さん、どうぞ高知の食文化をお大事になさいまして、その物差しを若い世代に伝えていただきますよう。小山さんが徳島の物差しを東京や奈良へちゃんと根づかせて、日本文化の中で揺るぎない1つの、出世餅じゃなくて、ご出世をなさった。少なくとも政平君が今、宣言したんですからね、小山さんのようになりたいと。こういう夢をどうぞ大事に育てていっていただきたいと思います。時間がまいりました。ご協力ありがとうございました。これでディスカッションを終わります。

    司会

    神崎様、ご進行どうもありがとうございました。そして、パネリストの三谷先生、小山様、それにRKC調理師学校の政平剛志さんも長時間にわたりましてありがとうございました。どうぞ皆様、壇上の皆様にもう一度大きな拍手をお送りください。

    ありがとうございました。それではどうぞ、ご降壇くださいませ。

    以上をもちまして、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』を終了とさせていただきます。本日は、最後までご参加くださいまして、ありがとうございました。

    なお、本日、受付にてお渡しいたしました参加証、並びにアンケート調査票は、ご退出の際に受付付近のスタッフにお渡しいただきますようお願い申し上げます。今後の参考とさせていただきますので、アンケートには皆様ぜひ、ご協力をお願いいたします。皆様にお配りいたしました資料の一番後ろに鉛筆とともにアンケートがございます。ぜひ、お願いいたします。

    お帰りの際には、どうぞ、お忘れ物などございませんよう、お気をつけてお帰りくださいませ。

    そして、三谷先生からもご案内がございましたが、土佐の豊穣祭2013は今週末10月5日、6日の土日にございます。土曜日の9時50分がオープニングでございますので、ぜひ、皆様ご参加くださいますよう、お願い申し上げます。本日はありがとうございました。

    以上

    お問い合わせ先

    大臣官房政策課食ビジョン推進室
    担当者:武元、橋本
    代表:03-3502-8111(内線3104)
    ダイヤルイン:03-6738-6120
    FAX:03-3508-4080

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