ホーム > 組織・政策 > 基本政策 > 食文化 > イベント情報 > 「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【北陸ブロック】


ここから本文です。

「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【北陸ブロック】

「和食;日本人の伝統的な食文化」のユネスコ無形文化遺産への登録申請をきっかけに、私たち国民一人一人が「和食」文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の「和食」文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的として、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【北陸ブロック】を開催しました。

1.冒頭挨拶   

挨拶する曾根北陸農政局次長  シンポジウムの様子

挨拶する曾根北陸農政局次長

シンポジウムの様子 

 

2.基調講演

『加賀・能登の食文化』

長谷川 孝徳 氏 (北陸大学 未来創造学部教授) 

長谷川氏

 

3.事例発表

青木 悦子 氏 (青木クッキングスクール校長、四季のテーブル主宰)

新村 義孝 氏 (新村こうじみそ商店代表)

出倉 弘子 氏 (「食のよろず研究所」代表、料理研究家)

青木氏 新村氏 出倉氏

事例発表される青木 氏

新村 氏

出倉 氏

 

4.パネルディスカッション

「和食」文化の魅力

  • コーディネーター
  • 長谷川 孝徳 氏 (北陸大学 未来創造学部教授)

  • パネリスト
  • 青木 悦子 氏 (青木クッキングスクール校長、四季のテーブル主宰)

    新村 義孝 氏 (新村こうじみそ商店代表)

    出倉 弘子 氏 (「食のよろず研究所」代表、料理研究家)

    又木 実信 氏 (北陸大学 未来創造学部 国際教養学科) 

    シンポジウム 又木氏 
     

    又木 氏

     

    5.議事録

    1.開会

    〇司会

    皆様こんにちは。本日はお忙しい中、和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』へご参加くださいまして、誠にありがとうございます。本シンポジウムは、日本人の伝統的な食文化である和食のユネスコ無形文化遺産登録申請をきっかけに、私たち一人ひとりが和食文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の和食の文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的に、ここ北陸ブロックの石川会場を初め、全国9ブロックにて開催して参ります。日本人にとってかけがえのない財産である日本の食文化、和食について、皆様とともに考えてまいりたいと思います。

    申し遅れましたが、私、本日司会を務めさせていただきます松本彩樺でございます。よろしくお願いいたします。それでは、開会に当たりまして、北陸農政局次長、曽根則人よりご挨拶申し上げます。曽根北陸農政局次長、よろしくお願いいたします。

     

    2.挨拶

    〇曽根北陸農政局次長

    皆さん、こんにちは。農政局次長の曽根でございます。本日は皆様大変ご多忙の中、また雨でお足元の悪い中、このシンポジウムにご参加くださいまして、誠にありがとうございます。

    また、本日の基調講演をお引き受けくださいました北陸大学の長谷川孝徳先生、また事例発表をしていただきます青木悦子先生、新村義孝先生、それから出倉弘子先生におかれましては、ご多忙の中、私どものお願いを快くお引き受けくださいましたことにつきまして、改めて御礼申し上げたいと思います。

    ところで本日のシンポジウムでございますが、先程司会の方からご案内にございました通り、昨年3月にユネスコに対して日本食文化の無形文化遺産登録の提案が行われましたことを契機に、この日本食文化についての魅力を再発見し、次代に継承するためのイベントとして各地域で開催されているものでございます。この無形文化遺産といいますのは、雅楽、あるいは小千谷縮、あるいは秋保の田植踊のように社会の慣習、表現、技術、それらの関連するものを対象にユネスコが各国の事例を審査し、認定しているものでございますけれども、最近、自国の食に対する分野をこのユネスコの無形文化遺産として登録しようという動きが実は相次いでおります。平成22年にはフランスの美食術、それから地中海料理、それからメキシコの伝統料理、それから23年にはトルコの伝統料理が、料理そのものではなく、社会的慣習という捉え方でこの無形文化遺産に登録されており、日本食文化も今年の12月に登録の可否が決定されるやに聞いております。

    実際この日本食文化といいますもの、これは単に食するのにとどまらず、さまざまな顔・役割を有しているわけでございます。料理という点だけに限りましても、懐石料理のようなフォーマルなものから日常的な郷土料理まで、また刺身のような生ものから粕漬け、かぶらずし、こうじ味噌のような発酵食品まで、地域によって、あるいは食される場面によって非常に幅広い世界を有しているわけでございます。また日常生活との関係では、正月・お盆、あるいは能登の「あえのこと」のような年中行事におきまして、それなしには行事が成立しない要素でございますし、また昨年、北陸・信越運輸局が金沢への外国人観光客の増加を図る施策の一環としまして、金沢の伝統的な食文化は有力なツールであるという認識のもとに、英語、それからフランス語、中国語、韓国語の4カ国語で『OMOTE-NASHI』という金沢の食世界についてのガイドブックを作成して、大変評判を呼んだこともございました。そうした地域の魅力を外部にアピールする顔、ツールともなる機能も有しているものというふうに見ることが出来るかと思います。

    また、食育文化都市を宣言している福井県小浜市では、郷土の食材や行事食等々を基礎といたしまして、健康的で文化的な地域づくりを強力に進められているような、地域づくりの枠となり得る側面も有していると言えようかと思います。

    本日、基調講演、あるいは事例紹介してくださる先生方は、いずれもこの北陸の食文化が有しますさまざまな顔を日ごろ守り育て、またあるいは新しい要素を掘り起こして磨いていく上で大変力を尽くしていらっしゃる方々ばかりでございますけれども、本日のシンポジウムが参加者の皆様方にとりまして北陸の食文化についての知見を集結するだけではなくて、北陸の食文化を新たな目で見つめ直し、日常生活の中での位置づけについて新たに捉え直すよい機会になりますことを心から祈念いたしまして、簡単ではございますが冒頭のご挨拶とさせていただきます。本日はよろしくお願いいたします。

    〇司会

    北陸農政局次長・曽根則人よりご挨拶申し上げました。

     

    3.基調講演

    〇司会

    続きまして基調講演のご紹介をさせていただきます。本日は北陸大学未来創造学部教授、長谷川孝徳先生より、「加賀・能登の食文化」と題しましてご講演いただきます。

    長谷川先生は日本文化史を専門とされ、金沢の食文化にまつわる研究をされていらっしゃいます。現職の北陸大学未来創造学部教授の前には石川県立能楽文化会館、石川県立郷土資料館、石川県立歴史博物館の学芸員を務められた経歴をお持ちです。著書には『風土と食文化』『加賀藩士のグルメ生活』など、金沢の食文化にまつわる著書が多数ございます。それでは長谷川先生、よろしくお願いいたします。

    〇長谷川氏

    こんにちは。ただいまご紹介いただきました長谷川でございます。今日のタイトルは「加賀・能登の食文化」ということですけれども、北陸ブロックということでございます。新潟から福井まで、なるべく広い分野でのお話をしたいと思います。

    まず食文化という文化なんですが、皆様方、文化というと何を思い浮かべるかということですね。文化、文化とよく言うのですけれども、文化って一体何なのかということですが、これは人々が生活していく中で生まれたもの、あるいはその習慣だったり、慣習、ならわし、こういったものを通常、文化と言うわけです。その食に関する部分が食文化ということになります。したがって食文化といったときには、食べ物のメニューとか、あるいは食材そういうものだけではなくて、それにまつわる習俗、これらも全部含まれることになります。加賀・能登ということですから現在の石川県全域──加賀地方、それから能登地方ですね、この部分を言うわけですけれども、広く北陸の食文化というふうに捉えても間違いではないというようなものだと思います。

    その中で、まず食文化で日本全体を捉えたときに、これはよその国とは違うぞということが1つございます。それは何かというと、「いただきます」「ごちそうさま」という言葉です。「いただきます」「ごちそうさま」そのものに込められている意味づけというものが、よその国には基本的にはございません。例えば私も韓国の国立博物館に勤めていたときでも、食事をする前に一応挨拶はあります。だけれども、それは「チャルモッケスムニダ」とか「チャルモゴッスムニダ」──食べます、よく食べます、直訳すると「よく食べました」ですね。「いただきます」ではないんですね。「いただく」という語そのものには日本の食事の常若(とこわか)──常に若返るという。命というものをいただいて、そして自分がまた新たな命で生活をするという、そういう食べ物に対する感謝というのがあります。西洋などでは確かに神様に「今日も食事が食べられてありがとうございます」とお祈りはしますが、これは食べること自体の神様への感謝なんであって、食べ物に対する感謝ではないですね。そういったところが日本の食文化の1つ大事な部分があるのかなというふうに思います。

    もう一つは、ちょっとレジュメの中に1つ書きましたが、風土と食材というのがあります。この風土(ふうど)というのは、「風土」と書く。その土地・地方のことでありますが、気候風土ですけれども、その風土、うまいぐあいに英語でも食べ物はfood(フード)なんですね。風土とfoodなんです。この風土とfoodとは何かというと、例えば加賀で作るものと能登で作るものは違う。富山と石川は違う。福井ももちろん違う。日本のように南北、東西に長いところでは、季節も違えば食べ物も全部違うわけです。そして食材も異なってきます。

    いつもこういう食べ物の話になると1回、またやってみたいなということが沸々と湧いてきますのでちょっと聞いてみます。日本海側の方、ちょっと手を挙げていただけますか。日本海側ご出身の方。太平洋側ご出身の方はどのくらいいらっしゃいますか。

    いいですか。皆さん目をつぶってください。これ、季節は関係ないです。季節はこっちの方が美味しいというふうに言われると困りますので、季節関係なしでブリとカツオがあります。どちらかを選んでくださいと言ったときに、ブリを選ぶ人ちょっと手を挙げてみてください。カツオを選ぶ人、手を挙げてください。はい、分かりました。これ、もうきれいに分かれますよね。カツオは太平洋側の人です。ブリは日本海側なんです。大体そうなるんです。それはなぜかというと、海に住んでいる魚です。カツオは日本海にはあまり入ってきません。ブリはよくとれますね。太平洋側ではカツオは昔からたくさんとれて、美味しいということになっている。ところが日本海側でカツオはというと、場合によってはお年寄りなんかは「あんなもん猫の食べもんだ」と、こういうふうに言うぐらいなんですね。そして、これを生臭いと言う人もいます。これは、そこでとれるか、とれないかということがあります。この風土というのはまさにそういうことで、海の幸、野の幸、山の幸というふうに書きましたが、それぞれその地方によって食材が違う。それを料理していただくということになります。

    この食べ物の味というもので1つ出てくるのが、その地域で作った味付けというものになります。その味つけは、調味料ですね、この調味料は非常に大きな要素があると思います。例えば同じ魚であっても調味料1つで変わるわけです。そして、もう一つは器。日本の場合、和食は器です。この器も、例えば伊万里に乗せるのもあるし、九谷もあるでしょう。あるいは志野焼ですとか、焼き物が日本国中にあります。そうした焼き物の上に料理を乗せるのと、これはすごいぞ。銀100%という銀の食器に乗せるのでは違うんですね。例えば、想像してください。お刺身を銀の食器に並べました。どうですか。その段階で「もういいわ」と言う人がいるかもしれません。

    銀の食器に並べたときに、じゃあやっぱりこれはタマネギを乗せてオリーブオイルだろうと、こういうふうになってくる。同じ魚であっても、切り方は違うかもしれませんが刺身風に切ってあるかもしれないけれども、イタリアンに変わるわけですよ。でも、これが志野焼なんかにこういうふうにちょっとお刺身が入っていると、どうでしょう、これはもう完全に刺身なんですね。和食というのはそういう器まで見て食べる楽しみというのがあるかと思います。

    器も器の文化というのがあるのですが、食べ物によって器はどんどん出来ていきます。あるいは漆の塗り物もそうですね。日本の場合、一汁の「汁」の部分と吸い物というのは昔の古文書を見るとはっきり分けています。だから、みそ汁と吸い物は別なんですね。だから汁の方はどちらかというとポタージュスープで、吸い物はコンソメなのかもしれませんが、そういうふうに訳した人もいますけれども、私はそれはまたちょっと違うのです。懐石というか昔のお殿様のを見ると、みそ汁が出てくる順番と吸い物だけポッと出てくる順番がありますので、これは全く別ものと考えていい。みそ汁についてはこれはご飯とセットなんです。吸い物は別です。そういうふうに書かれています。こういう並べ方というのも1つの文化であって、食べ物の器と関連したものにもなろうかと思います。

    そこで風土というものをよく考えると、北陸の風土と直接関係するものは何かというと、その特徴は保存食だと思います。発酵食と言った方がいいのかもしれませんが。例えば、巻きブリとか、ブリをわらでこう巻いたのがありますが、巻きブリですとか、棒ダラというものもありますね。あるいは福井の方でへしこというのもあります。珍味に一部入るのかもしれませんが、例えば珍味なんかでいえば当然、ナマコの内臓なんかのこのわたとか、卵巣の中からとった、くちことかいうのもありますけれども、こういうようなものもそうですが、そういうのを含めてもともとは越冬食なんですね。ですから漬け物だとかそういうものも多かったり、後ほどもお話ししますけれどもカブラずしというようなものも出てくるわけです。これらみんな冬という季節、雪が降って、土の中に一応埋めておいたりして後でまたそこから掘り出して使う、そういう越冬、冬を越すための食材の使い方、これがやはり北陸の特徴だと思います。

    こうしたものとそれからもう一つ、これはよそではあまり食べないというか、よそから来た方から「え」と言われるのが刺身の昆布じめです。お刺身が残ったりすると、昆布を敷いて、そこに挟んでおくとグッとしまって日持ちするわけですけれども、この昆布の消費量の一番多いのは富山県です。それから大阪、石川というふうにこの辺なんですが、北陸は昆布をたくさん使います。これは、やはり歴史的に北前船などで昆布何束というふうに買い仕切り帳とかに出てきます。こちらからお米を運んで、かわりに昆布をドーンと持ってくる、ニシンの身欠きを持ってくるというのがありますので、ニシンの昆布巻きとかそういうものが出来上がってくる。これはやはり歴史的なつながり、交流、交易によって生まれた食文化ということも言えると思います。

    じゃあ、こういうものがいつ頃から出来たものがあるのかというと江戸時代なんですが、今の東京大学の本郷キャンパス、赤門で有名ですが、この東大の本郷キャンパスは加賀藩の上屋敷。古くは下屋敷でしたが、2度の火事があって、天和3年という年から上屋敷になりますが、それから明治になるまでずっと上屋敷の状態でした。昭和57年でありますが、私が学芸員になって間もないまだ若いころです。私も若い頃がありましたので、そんな時、今からもう30年以上も前の話になりますが、そんな時に東京大学の100周年事業というのがありまして、本郷キャンパスに新しい校舎を建てることになりました。それから私は東大とこっちを行ったり来たりの生活になったりもしたのですけれども、その調査のときに、大学というところですから保存状態が非常に良かったのですね。そして出てくるものも、人骨が出れば医学部が見られるし、何か出てくれば理学部が調べるし、建物の組織は工学部の建築が調べるし、器なんかが出てくれば考古学の人間が調べるし、書いたものは編さん所や文学部で調べるなんていうので、とにかくそこら中で総合的にやったわけです。

    ところがどうしても分からないのは、出てきたものをどういうふうに食べたかというようなこととか、こちらから行ったものなのかどうなのかというのが分からないというので、主にその仕事を私がずっとやりました。

    そうしますと、現在の理学部7号館というのがありますが、そこの一画はごみ捨て場になっていました。そのごみ捨て場から出てきた大量の骨を分析したのですが、そうするとフグの骨が出てきました。下顎骨(下の顎の骨)です。そうすると東大の先生からあるとき電話がかかってきまして、「フグの骨が出てきたんだけど、こんなもん食べないよね。何であるんだろう」と言うから「いや、食べますよ」と言って、フグの粕漬けなんかの身欠き、身欠きというのは身を切ったものなんですが、なるべく骨の付いている部分からというと下顎骨が付くわけです。小さいこんな骨が付くのですが、それを漬けたものをお土産に持っていきまして、そしてそれを割いて食べて、最後に残った「これでしょう」と、理学部でそれを分析したところ同じものだった。分析すると同じようなフグだった。だから、これで間違いないでしょうと。

    それで資料で送ったものをこっちで見ると、台所奉行から御膳奉行へ宛てたものの中にフグの筋とか、いろいろ出てくるんですね。サケ、マス、いろいろなものが送られてきます。そうしたものを出していくと、例えばマダラなどがあると、美味しいからねと。スケトウダラがありますね、スケソウ、スケトウ。スケトウダラがたくさん出ているのだけれども「こんなまずいものを加賀藩主は食べていたのか」と、こうなる。そうすると、いやいや、これはここに「つみれ」と書いてあるので、そういうものを作る。あるいは、「はべん」と書いてあるのが読めないわけです。「はべんって何だ」「いや、これはかまぼこですね、簡単に言えば」というような。だから、この材料がスケトウダラなんですよ。あるいは棒ダラなんかにもしているのか分かりますというふうになると、「ああ」となる。

    そして、次はイワシです。「鰯(イワシ)」という字は、魚へんに弱いではないのですが弱いと、こう書きますね。「鰹(カツオ)」は魚へんに堅です。かつおぶしは勝つ・魚・節(ぶし)ですから、勝つ男ですから、侍は勝つんだということでかつおぶしというのはみんな侍は食べるし、イワシは魚が弱いで、弱いからそんなものは下の魚ということで食べないということになっていたんです。けれども、加賀藩のごみ捨て場からはイワシの骨が大量に出てくる。「こんなまずいもん食べていたのか」「いや、まずくないですよ。富山湾の氷見だとかはイワシの名産だと。今度こっちで調査のときに食べてみてくださいというような話になる。新鮮なものは刺身だってあるんだなといって食べたら美味しいなとなるわけです。

    江戸時代と今の感覚で見ますと、江戸湾というのはもっとずっと近くまで来ているけど、1回遠くから持ってくるようなイメージがあるので、皆さんは新鮮さに欠けると思っている人がいる。でも実際は新鮮なものを食べていたんだよという話から、それを食べて「あ、美味しいもんですね」と変わるわけです。これは何かというと、魚が住んでいる海が違うものですから、江戸での感覚と金沢の感覚が違う。逆にいえば、金沢の殿様は江戸で育っているけれども料理人は金沢の人間なので、味つけから何からみんな金沢のものなんです。それを江戸へ持っていくというか、江戸でやっていますので、出来上がったものは北陸の味が本郷の中では繰り広げられるわけです。しかもしょうゆというものが、お殿様のところのは「御本国到来の生醤油」と書いてある。本国から来た生の醤油で、下々の者はそれはたまにしか口に入らない。それであとは何かというと江戸でそろえた醤油なんです。そうすると、まずいと書いてあるんですよ。ヤマサ、キッコーマンの先祖かもしれませんが恐らく野田とか銚子とかああいうところで、そういうのは美味しくないそうなんです。何が美味しくないのか、こっちで作るものと向こうで作るものの違いがどうなのかという話です。これは、味噌も一緒です。「御本国到来の御味噌」と書いたものと、向こうで調達した味噌、違うんですよ。要は、この仕込みが違うわけですから当然、味つけが変わりますよね。和食というのは、これはその地域地域の特性というのがものすごく出たものというふうになります。そうすると、調味料というものが江戸時代のころから非常に大きな部分を占めていたのかなというふうに思います。

    そういうふうに考えたときに、今は促成で作るものもありますけれども、やはり時間をかけて仕込んだ味噌、醤油とか、そういったものが和食の原点、調味料なんかの原点になっていくのか。それを使ったものは和というものになるのかなというふうに思うのです。ですから、これは和食ではないけれども、「和風」という言葉があります。和風パスタってどういうふうに作るかというと、普通、パスタはこっちのものじゃない。でも、味つけにお醤油が入ったり、海苔がかかったりするわけです。そうすると和風になる。それから、ドレッシングというのはそもそも日本のものではない。でも、和風ドレッシング、しょうゆ風味とか、この何々風というのがいいかげんですよね。何とか風というのは危ない。危ないのですが、でも何とか風というだけで、ああ、和食だなと思ってしまうところがありますね。こういうふうにして基本的な味つけというのが1つ大事なんですよ。

    江戸時代の食生活というのは大体そういう中で育ってきますが、加賀藩の場合、一汁一菜が基本です。何かあったときで一汁二菜までなんです。宴会なんかで、婚礼だとかそういう儀式だと一汁三菜まで認められています。ですから大体は一汁一菜、二菜というところ。お金があるところは二菜ぐらいなのかな、普通は一汁一菜みたい方が多い。

    そこで生まれた食文化の中で、加賀藩のじわもん、じわもんって地元の料理のことを言いますが、そういうので大皿で盛って真ん中に出したりしてとったりするという食べ方がありますね。これは実は江戸時代にこういうのがあるのです。侍が一汁一菜、あるいは二菜までというので、自分の家で一菜、二菜だけ作って持っていくのです。量は書いてない。1人分しか作ってはいけないとは書いてないから、「大皿に盛り候」なんて書いてある。それを誰かの家に持っていきます。例えば私の家でホームパーティみたいな幹事をすると、「じゃあ私が皆さんをおもてなししましょう」と言いながら、もてなすのは何かといったらその部屋を貸すだけです。それで一菜か二菜を作っておく。そうすると5~6人来ると、みんなが一菜、二菜持ってきたら何菜になると思いますか。5人が二菜持ってきたら十菜ですよ、それをみんなで小皿に分けて食べている。料亭文化の真ん中に集めたのがあるのですが、そういうような走りなのかなというふうに思います。これも地方のそういう制約から生まれた食文化かもしれないですね。

    それから、今日も料理屋の方もいらっしゃるかもしれません。板前さんもいらっしゃるのかもしれない。この辺は言うと「何言ってるんだ」というふうになるかもしれませんが、昔というか私がこういうのをやり始めたときに教わった古い板前さんとか皆さんがおっしゃられたのは、お刺身というものはそもそも3種乗せるんだと。これは古文書なんかにも書いてあったので聞いてみたら「3種乗せますよ」という話から始まって、3種乗せると。今、おすし屋さんで3種盛りってありますよね。最近ではよく、同じ種類のを違うやり方で3つあったりとか、貝が3種類あったりとかいうのを3種盛りと言いますが、そうではない。

    3種というのはその季節のまず走りです。走りというのは、季節で出たばかりの魚。それから旬、今ちょうど美味しいやつ。そして名残、もうそろそろ終わりだよという、この3つをこういうふうにやって、名残から食べてもいいし走りから食べてもいいのですが、それを食べてその季節感を味わう。こういうような季節感を味わうというのも日本だから出来るので、季節のない国というのはないのですが、四季がはっきりしていないような国ではこの感覚はまず出来ないと思うのです。季節があるからそういう食べ物が出てくるというふうに思います。

    今も伝わる加賀料理には、後でまたお話が出ると思いますが、治部煮とかタイの唐蒸しとか、あるいは、カブラずしとかフグの粕漬け・ぬか漬けというのがあります。ニシンのこうじ漬けとかいろいろあるのですが、加賀料理だけじゃなくて、いろいろなそういう残っているものの中に、例えば私の好きなものにはタイの唐蒸しというのがあります。別にタイの唐蒸しは毎日食べられるものではないですからあれですが、背中を割っておからを詰め込んで、おなかから見ると腹がこんなになっているわけです。裏から見ると何じゃ、これというような食べ物でありますが、あれは身も食べますがおからが主になります。

    じゃあ、なぜ腹を切らずに背中を切るのかという話でありますけれども、これはやはり武家文化なんですね。金沢という武家文化から来ていると思います。切腹を嫌う。切腹を嫌って背中からというふうに言うのですが、1つは新鮮な魚がとれるから背中から切っても大丈夫なんですよ。これが京都とかですと、恐らく腹から切ると思います。江戸は背中から切る。よく腹開きと背開きの話になると、京都の方ではお公家さんだから切腹しないからお腹で開くんですとか、あるいは江戸なんかは侍のところだから腹で開くんですと言うけれども、よくよく考えるとそうではなくて、海が近いか遠いかなんです。海が近いところは背中で開いても大丈夫ですけれども、遠いところは先に海のところで腹を開いて内臓を出してしまって塩を詰めたりいろいろしますので、嫌でも腹を切る。じゃあ海岸の城下町はどうするんだという話になると、海岸の城下町ってどこか山奥に持っていくときだってちゃんと腹を切っていますからね、じゃあ海岸の城下町のお殿様はみんな腹を切っちゃうのかという話になってしまいますが、そうじゃない。やはり、その場所というのがあります。

    タイの唐蒸しも背中を切って、そしてそこに詰め込む。その中に、後でこじつけたのかもしれませんが、金沢は城下町でお殿様のいるところだから腹を切るのが嫌で背中を切るなんていうふうにも言いますけれども、実際は海が非常に近くて新鮮なものがとれるということと、もう一つはそれに合わせておなかを膨らまして、子孫繁栄だとかおめでたいときのものというふうになります。

    そうすると和食というのが海外の料理と大きく違ってくるのは、そういうお話が付く、ストーリーが付くということです。全国を見ていると、ストーリーのある食べ物というのが結構あります。本当にその人が作ったかどうか分からないけれども、松江の方へ行きますと松平不昧公がスズキの何々が好きでこんなにしたとか、食べ物にいろんな物語がついてくるんですよ。この食べ物に物語が付くというのは、およそ和食はたくさんあります。これも文化の1つだと思うのです。

    こういうものがあって、かぶらずしもいろいろな言い方があります。私は今、富山県の小矢部なんですね。そうすると、かぶらずしを最初に発明したのは今の南砺市の福光の方の人間なんだと。何でかというと、嫁いびりが大変だったので実家の母親が心配して、カブの中にブリをそっと挟んで栄養をつけさせたというお話があるかと思うと、金沢に来ると大根ずしがそうなんだけれども、だけど冨山から嫁に来た者はブリを入れて持ってくるとかいろんな話があって、話が全部違うのです。違うのですけれども共通項が1つありまして、大体お嫁さんがお姑さんにいじめられているんですね。そういうお話がついた漬け物と言っていいんでしょうか、かぶらずしというのがあります。

    こういうストーリーが付くなんていう食べ物も、よそではそうそうないでしょうね。例えばイギリスは、スコーンってあるじゃないですか。スコーンに物語って多分ないと思うのです。それからベルギーで、ものすごく美味しかったのですが、トマトの中に北海灰色エビというのを煮たのを中に入れて食べるのですが、それも多分、トマトを作っているところがどうのこうのなんていう物語は無かったと思うのです。そういう物語ってあまり聞いたことがない。ですが日本ではそれぞれのお話がついてくるというのも、これも1つかと思います。

    時間がもうあれなんですが、伝承文化と行事食というのがあります。我々が和食といったときに何をもって和食とするのかというと、やはり最終的には、もちろん日本の食材を使えば一番いいのでしょうけれども、必ずしも日本の食材だけというわけにいかないですからいろいろ入るのでしょうけれども、やはり味付けの部分で日本古来のものを使ったりというのもあります。

    それともう一つは、家庭内和食。変な言い方ですが、家庭で作っている和食、家のお袋さんの味で、こういうものも大事だと思います。そういう中で例えば今日はこの地域のお祭りだからと言って、お祭りには必ずこういうものを作るとか。例えば押しずしを作るとかいう文化がありますね、その地方に。これも1つの行事食であったり、あるいは伝統食だと思います。お正月のときのものもそうですね。

    実はお正月の料理で1つだけ皆さん方にちょっとご紹介したいなと思うのは、今、皆さん方は重箱にいっぱい入れますよね。ただ最近、私は正月料理が私が子供のときほどうきうきはしなくなった。子供のときは何でうきうきしたかというと、重箱から何からいろいろと豊富にあったのです。それはなぜか、三が日はお店が休んでいたから三が日分を作るからですよ。今は元旦から店を開きますからね。うちなんか、「これだけしかないのか」「なくなったら買いに行けばいいじゃん」みたいな感じになりますから、全然ありがた味というのがない。それで、量もあるんですが。実はかつて、武士の正月の料理の話をしたことがありました。見にくいのですけれども、ここに加賀藩の5万石の本多家の祝い膳というのがあります。今でもこれをされるそうですが、何を召し上がっているか。ご飯と、それから雑煮。雑煮は昆布だしで、角餅で、削り節、それだけです。それから塩漬けナスビを2切れ、かいぼし2匹、黒豆5粒、そして澄まし汁として、ふかし、生シイタケ、ミツバ、これだけなんです。質素でしょう。皆さん方なんかすごいんじゃないのという感じだと思うのですが、今でもお正月にはこれをずっと続けていらっしゃる。

    要は何かというと、家から始まって地域、地方、日本とこういうふうに大きくなるのですが、そこの伝統、それから行事というものをずっと伝えていくということの中の1つが和食になるし、逆にその和食というものがそれらの行事・伝統を守っているということにもつながっていくのかなと思います。したがって、日本の食文化を保護・継承するということは、日本文化をそのまま残していくということにつながっていくわけですね。私なんか日本文化史ということをずっとやってきている人間としては、行事とかそういうものを残すということは非常に基本的なところなんです。歩き方、立ち居振る舞いもそうです。それから、なぜお膳はこういうふうになっているのかというのも、畳がこうなっているからこういうふうに置くというのもありますし、持ち方が決まっていますので、なぜここにこんなふうになっているか、そういうものが全部あるのです。だから、これが和食がなくなると、例えば箸とかそういうものもスプーンとかフォークにかわるのかもしれませんが、今度、箸の文化もなくなってしまうということになります。

    雑駁な話にもなりましたけれども、これからまた実例のお話と、あとパネルディスカッションもありますけれども、和食というものは我々日本人にとっては食生活という意味での根底にあるものであると同時に、地域・地方をそのまま守っていくものでもある。あるいは、我々一人ひとりの出身地のアイデンティティというものがそこではっきりと出てくるものでもあろうかと思います。よその国にもそれを守る食べ物があります。それぞれの国、それぞれの地方、それぞれの地域、あるいはそれぞれの家庭ですね、お袋の味というように家庭の味というもの、あるいはお父さんの味というものもあるじゃないですか。うちはこういうものは常にお父さんが作っていますというようなものもあります。うちなんかでも、すき焼きはお父さんみたいなのが子供のころからありました。そういうような味というのがありますが、そこまで守ることが結局は日本の文化そのものを全部守るということにつながるのじゃないのかなというふうに思っております。時間になりましたので、以上で終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

    〇司会

    長谷川先生、ありがとうございました。長谷川先生にはこの後のパネルディスカッションでもコーディネーターとして、和食の魅力についてご発言をいただきたいと思います。ありがとうございました。

     

    4.事例発表

    〇司会

    続きまして事例発表をご紹介いたします。本日は3名の方にお願いしております。初めに青木クッキングスクール校長、四季のテーブル主宰の青木悦子様より、「金沢・加賀・能登四季の郷土料理を伝える」と題しましての事例発表を行っていただきます。

    青木先生は、54年前に長町料理塾としてクッキングスクールを開校されました。伝統に培われた郷土料理の再現に努め、第3回金沢市文化活動賞を受賞されました。テレビ・ラジオ番組にも出演され、新聞、雑誌などに料理や随筆を掲載されていらっしゃいます。最近では12月14日公開の上戸彩さん、高良健吾さん主演の、加賀藩に実在した包丁侍をテーマにした松竹映画「武士の献立」の料理監修を務められました。

    それでは青木先生、よろしくお願いいたします。

    〇青木氏

    どうも、皆さん、こんにちは。ただいま、過分なご紹介をいただきましてありがとうございます。私、長町の武家屋敷のほとりで用水を前にいたしまして、そこで57年目を迎えておりますが、青木クッキングスクールの青木でございます。どうぞよろしくお願いいたします。一段高いところに乗らなくてはいけないそうでございまして、相済みません、失礼いたします。

    何とはなしに自分では若いつもりでおりますのですけれども、やはりいろいろなところが障害が出て参りまして、時には腰掛けさせていただくかと思います。それから今、長谷川先生からいろいろな古文書に従いまして金沢の、また石川県の、そして和の文化というような、そんなお話を頂戴致しますと、もうほとんど言い尽くしていらっしゃるような感じで、限られた10分でございますので私は、さて、お料理の細かいことについてというよりも石川県の流れみたいな、そんな当たり前のことでございますが、他県からいらっしゃっている方もいらっしゃいますので、石川というところに焦点を絞りながら和といかに結んでいくかということだと思います。

    早速ですが石川県というのは大変特色のある地域性でございまして、能登半島というのはちょうど恐竜のように日本海に突き出して、この左手の親指を曲げますとちょうど能登半島の形になります。そこと、それから屏風をずっと通したような白山麓の水源にとにかく恵まれたところでございます。そんなところで石川というのは地形が非常に変わったところでございまして、お料理に対しましても、加賀の方と白山麓の方と、そして能登の方と金沢と食文化というのが幾つにも分かれておりますので、1つにまとめてお話しするのが10分ではちょっと難しいような気がいたします。そんなところでお許しいただきながら。

    石川、特に金沢というところは歴史都市金沢ということで、400年有余の100万石の歴史を持ったところで、先ほども長谷川先生のお話がございましたが、和の世界というのは歴史を食べると言ってもいいくらいでございます。どちらかと申しますと、料理と器というお話がございました。これは400年の歴史と武家文化という1つ大きな柱がございます。そこで、食材には大変恵まれております。水が美味しい、それから食材が豊かであるということ。これも白山麓の蓄えられた積雪の水源がまず基本になりまして自然の中の森林を育て、そして支流となって日本海に流れていく。その間、もちろん農作物も豊かに育ってまいります。そういったところで、海のものもそれから野のものも山のものも大変に豊富な、美味しいものに恵まれたところでございますので、武家文化の中でそれらをいかに生かしているかということでございます。

    金沢というところは先ほども申しましたように歴史の町でございますので、食と器、そして茶道と華道、そして美術工芸品がしっかりと根強く育てられております。ですから礼儀作法とか、もてなす心、そして美意識というのが他県には見られないくらい非常に美意識を持って、底辺層がいない。関東ではよく、下町と上屋敷とか山の手というふうに分かれるようですけれども、金沢というところは下町がないところで、みんな中流以上だそうでございます。ですからお料理も、どちらかと申しますと上下の差がないぐらい走りものを食べたがるところで、非常に贅をきわめていると言ってもいいくらいです。ですから器も、他県に参りましても「えっ」というような、料亭で使われているような器を自分の家で使っているとか。

    金沢には料亭文化と、そして、じわもんというような家庭の食文化というものがございます。今はあまり使わないそうでございますけれども、「じわもんやど」とか「縁起もんやど」というふうに食材を分けて料理するというような、そんなところでございます。白山の方の山菜とかはもちろんのことなんでございますけれども、大変うれしいことに能登半島では各港から魚介類とか海草が豊富に入ってまいります。一方では、この間から世界の農業遺産と言われますように里山の農作物、そしてキノコ類とか山菜類が季節ごとにいち早く届くのです。大変うれしいことでございます。

    そして行事ごとの中で、能登の祭りというのは夏祭り、春祭りといろいろでございますけれども、祭りを通してのなれずしだとか、それからいしりですね、魚醤。そして、発酵というお話もございましたけれども、なれずしなんていうのは本当に食の原点、祭りの原点にあるような食でございます。小魚をこうじと米とで漬けたのが「なれずし」です。何か富山が本家みたいなことでございましたけれども、金沢の方が要するに考案したものでございます。ブリと、その季節に採れるかぶらとを合わせまして米こうじでもって甘酒。そのおうちによって漬け方が違います。ダイコンとサバを使ったサバずしと。そういう、なれずしだとか、これはもう正月には欠かせないものでございます。

    それと並んでおりますのが、至極の一品と言われております治部煮でございます。この治部煮も、これから北國新聞社並びに松竹の映画でもって紹介されます。一椀の治部というのは世界にも誇るお料理だと思います。鴨と、すだれ麸の取り合わせ。ですから、一椀の中にも主君の命を守るという料理侍(要するに包丁侍と言われております)、その物語の中にいろいろなお味というものを見せていただくことが出来ます。今、お料理の細かいことにつきましてお話を申し上げたいのですが、限られた時間でございますので概略のお話でございますが、これが代表的な治部でございまして、お召し上がり頂ければ、なるほど、一椀の中にも至極の一品であると自負するものの1つでございます。

    それと、先ほど長谷川先生の方でタイの唐蒸しと。これは、もちろんタイの背中を割いて腹合わせにいたしまして、その中に五目、または7種の卯の花(おから)を入れます。健康食と言われる卯の花でございますが、当時は大豆をいただくのが常でございますから、それのおからということになるのでしょうか。しかしながら、タイのうまさをこれに移しております。それと身ごもるようにというような、婚礼の席でもって紹介されるような。富山県はこれを「鶴亀鯛」と言うそうですが、金沢ではこれを「にらみ鯛」と。何か嫌な言葉でございますが、腹合わせでもって、「これからどうぞよろしく」と。宴会の席ではと一同にお見せいたします。そして、それを下げましてからおからをお小皿にとりまして、その上にタイの身を乗せる。なかなかよく考えられた合理的なお料理でございまして、タイのうま味が加わっているということはすばらしい、発見されたお料理じゃないかなと思います。そして器も、これは北前船の流れでございましょうか、九谷を使うことが約束事のようでございます。土佐の方に参りますと同じようなお料理があるのですね。ですから、あれ、どちらが本家なのかという感じでございます。

    お料理は地産地消と申します。そしてインドのアーユル・ヴェーダという、自分たちが生まれ育っているところの動植物と同じように、そのものの中で生きている私どもでございますので、贅沢な話かもしれませんが出来たらここの土地で生まれたもの、それをいただきながら元気を作っていただきたい。「身土不二」という言葉がございますが、ぜひ家庭料理の中にしっかりとそれを根強く入れていきたいと思っております。

    和風というのは何なんだろうというお話でございましたけれども、まず米文化というのが中心になります。たくさん積もるお話がございますが、これだけにさせていただきます。どうも失礼いたしました。

    〇司会

    青木先生、ありがとうございました。青木先生にもこの後のパネルディスカッションにてご出演いただきたいと思います。

    続きまして新村こうじ味噌商店代表の新村義孝様より、「北陸の食を支える、伝統の麹・味噌づくり」と題しまして事例発表を行っていただきます。新村様は、米・水・塩・大豆の美味しい北陸の土地で育まれた麹・味噌づくり、及び麹で作られる甘酒や漬け物などを通じ、毎日の食卓を支える郷土の大切な食文化を守る大切について伝えていらっしゃいます。また、地元での味噌づくり教室の講師も務めていらっしゃいます。それでは新村様、お願いいたします。

    〇新村氏

    皆様、こんにちは。今、ご紹介にあずかりました、富山市で麹屋をやっております新村と申します。明治30年創業ですので約120年たっており、一応地元からは老舗と言われております。実は金沢、富山は親戚筋で、金沢の方が本家です。本家さんの前で話をするときは、若輩者ですのでこういった場を利用させて頂いて皆さんと一緒に勉強したいと思います。よろしくお願いいたします。

    2年前ほどに塩麹のブームがありましたが、皆さんご存じでしょうか。実はそれまで、麹屋といいますと若い人には「こうじ屋さんって何ですか。水道屋さん、電気屋さん」とかいう感じで言われていました。年配の方には大体、味噌づくりをするときの麹屋というイメージがあるのですが、若い人には麹というのはあまりなじみがなくて、2年前の塩麹ブームのおかげでようやく、麹というものが少し表舞台に出てきました。

    これが麹です。米麹とは、米を洗い一晩浸けて水を切り、それを蒸して、麹菌というコウジカビを、混ぜて大体4日間かけて作ると全面に真っ白な花が咲いたようになります。これは微生物です。日本は昔からこういった微生物をうまく利用して、先ほどからお話がありましたがいろいろな発酵食文化を創ってきました。麹はその代表的なものです。歴史は大体1,000年ぐらいあると言われております。今からいえば平安の中期になりますが、その頃に麹が出来ました。皆さんのお手元の資料の「麹を知ろう」という中の下の方にあります、『播磨国風土記』の中に麹を使ってお酒を作ったという話がありますけれども、そういったのが始まりのようです。

    しかし、ごくごく一部の人たちにしか使われなくて、平安中期ですから当然、貴族だけ。『和泉式部日記』の中に、私の想い人に私の大事な味噌を差し上げたいという話も出ています。その当時は「味噌」という字よりも身を固めるというか、そんな字を充てたぐらい貴重な食べ物だったのでしょう。平安貴族は現在、和歌山県の方に金山寺味噌というのがありますが、それとよく似たなめ味噌を本当に大事にしながら食べておられたのではないかなと思っています。

    さて、日本というのは周りを海に囲まれており、結構暖かい気候です。6月、7月の梅雨時などは、家中がカビだらけになるのじゃないかと思うぐらいよくカビが生えます。日本人はそういったカビやいろいろな目に見えない菌などをうまく選別をして、日本独特のやり方でもってうまく利用してきました。お酒から始まって、味噌、醤油、酢、みりん、それからカツオ節もそうです。

    でも、麹は表舞台には出てきません。日本の調味料と言われるものは、ほとんどこの麹を利用して作らないといけないのですが、いつも縁の下の力持ちみたいな存在でありました。

    先ほど長谷川先生もおっしゃいましたけれども、江戸時代になりますと平和な時代が続きます。もちろん外国の文化は入ってきませんので日本独特のものが育ちます。その当時は味噌は日本中に広まっております。味噌づくりは、例えば大豆をやわらかく煮て、そこに一定量の塩と麹を入れて発酵させるという簡単なものです。ここで皆さんちょっと質問ですが、麹と酵素と酵母菌の違いが分かりますか。分からないという方がおられますか。意外と少ないですよね。最近は酵素の宣伝がないくらいに酵素、酵素とよく言われていますが、酵母菌とか、麹菌というのは、これは生き物で微生物です。酵素ですが、例えばご飯と麹を混ぜてやるとご飯のデンプンが分解されてブドウ糖に変わります。これが酵素のパワーです。なので甘酒はそれをうまく利用して、ご飯を甘くする。砂糖なんかは一切使わなくても非常に甘くなります。

    酵素というのはいろいろな生き物が生きるために持っているパワー(触媒)みたいなもの。生き物たちは生きるためにはいろんなものを食べて、消化・吸収、分解、あるいは代謝、いろんな形に変えますが、そのためにはすべからく酵素が働きます。その酵素をたくさん作れるか、補給も必要ですよね。人間には1万種類の酵素が必要だと言われていますが、麹は一応100種類ぐらいの酵素を作り出します。甘酒づくりのデンプンを分解する酵素だとか、たんぱく質を分解する酵素、あるいは脂分を分解する酵素といろいろなものを作ります。麹は酵素の宝庫と言われています。

    甘酒に戻りますが、甘酒も非常に長い歴史があります。資料の中に甘酒の逸話なんかも載せてありますが、江戸時代には夏バテ予防食だったということ。甘酒は冬、寒いときに飲むというイメージがあるのですが、これは5年ぐらい前だったでしょうか、東京農業大学名誉教授の小泉武夫先生が、甘酒は「飲む点滴」だよということをおっしゃってくださって、それから静かな甘酒ブームが続いております。とにかく江戸時代にはいろんな発酵食文化が根づきます。甘酒しかり、それからかぶらずし、しかり。

    特に富山県は米のたくさんとれるところです。北陸全体も米のたくさんとれるところなので、米麹の文化がたくさんあります。

    さて、歴史の話に戻しますけれども、明治以降、西洋の文化がどんどん入ってきます。特に第2次世界大戦では、1つの意味では敗戦、敗戦国となり文化がかなり変わってきました。私どもの一番最悪のころはバブルのころだったんですが、古いものはだめという発想がありました。古いものはもう要らない、どんどん新しく変わってくださいよと。そのときに、スーパーだとかコンビニとかいう業務形態も洋式なものに変わっていきました。逆に地域の商店街がなくなりました。小さなお店が消えてゆきました。それから同業者の酒蔵さんだとか味噌蔵さん、醤油蔵さんがどんどんどんどんなくなっていきました。本当に大変だったんです。今は少し復活はしましたけれども。ただ、あのときに心ある方々から、「こういう食品というのは絶対に大事なんだから、おたくらがやめられたらうちらも困るし、ぜひとも続けてくださいよ」という声で励まされたのです。味噌も醤油も甘酒も漬け物もすべてが、スーパー用に売られているためでしょうけれどもとにかくきれいに殺菌してある。加熱殺菌したり、添加物を入れたり、そういった形ですと、発酵食品の価値は半減してしまいます。これは業界の人がいたら申し訳ないのですけれども、そんなところがありました。私共は、大口の仕事は出来ませんが、先例のような、心ある方、本当の味を知っている方がまだおられる間に手づくり教室を開きました。お味噌とかかぶらずしとか、そういったものの手づくり教室を始めました。

    おかげさまで順調に参加者が増え、2年前に塩麹ブームが起きさらに人気が出ました。ようやく麹が表舞台に出てきました。先ほどから言っているような酵素の話も広く知られるようになりました。発酵食というのは、1,000年以上の歴史があるように、私たち日本人の腸なんかも、農耕民族らしく生まれ育っております。例えば塩麹、洋食であろうが中華であろうが、ひと振りかけていただければ、これは和食になるかもしれませんね。そういった発想がこれから出来ますので、特に若い方々には古いものも大事にしながら、かつ新しい発想で、もっともっと和食の魅力というか、そういうものを国内のみならず海外にも発信してほしいなと思います。塩麹の産みの親の浅利さんもお友達ですけれども、彼女はもう既に外国の方に麹を出しておられます。イタリア料理とかフランス料理にも少しずつ塩麹が出てくるかもしれません。そういうふうになるのを楽しみにしています。

    そういうことで、先ほどから発酵食の話もしていただきましたが、ぜひとも日本の発酵食の原点が麹にあるんだよということをいま一度認識いただければありがたいと思います。これで、話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

    〇司会

    新村様、ありがとうございました。新村さまにも、この後のパネルディスカッションにご出席していただきたいと思います。

    続きまして食のよろず研究所代表、料理研究家の出倉弘子様より、「福井県の食文化と伝統料理、伝統野菜」と題しまして事例発表を行っていただきます。出倉様は、福井の郷土料理の掘り起こしや、郷土食材を使ったメニューの開発など、福井食育・地産地消応援団としての活動などを行っていらっしゃいます。それでは出倉様、お願いいたします。

    〇出倉氏

    出倉と申します。よろしくお願いします。きのう1日、講義でたくさん喉を使いましてちょっと声が出ないのですけれども、お許しください。

    私は伝統料理、伝統野菜を広める、そういう活動をしております。伝統料理の方では、ここに出ています里芋のころ煮、これは福井の伝統野菜を使った料理なんです。皆様のところにお配りしています「伝統野菜」という冊子がございますが、ここの18ページに出ております。開いていただきまして、一番最後の裏表紙をめくったところです。この里芋のころ煮、材料のところをちょっと見ていただけますか。3番目の「材料」に水0.5カップと書いてありますけれども、地元の方は水をひとつも入れないで煮ます。これが伝統的な煮方なんですけれども、野菜から出る水だけで作る料理なんですね。そこが一番の特徴なんですけれども、この料理をずっと次の代、次の代と繋げていこうと思いますと、この野菜を作っていただけないとだめなんですね、作ることが出来ないわけです。この里芋を代々作っていただくために伝統野菜そのものをずっと作っていただけるように、私たちは活動しています。この里芋がなくなったら、もう作ることが出来ません。この里芋の特徴としては、粘りが強いことと、新しいものには水分が多い。粘りが強いというのと水分が多いのは相反するところなんですけれども、それが不思議なことに水分が多いんですね。それで、その水分だけを使って煮ることが出来る。

    それからもう一つ、角麸の酢味噌和えです。この角麸というのは、四角いお麸です。グルテンから作る麸なんですけれども、この麸を水に戻しまして酢味噌で和えただけのものなんです。最近は彩りにキュウリとか、あと冬ですとネギを入れたりして酢味噌和えにしますけれども、このときに必ず使う調味料としまして、地がらしとも言いますけれども和がらし。これは先ほど青木先生のお話の中にカラシナが出ていたのですけれども、そのカラシナの花が咲いて、その種をとったものをゴマのように炒って、それをすったものを辛味として使うのですけれども、このからしも福井では嶺北の方では必ず買うことが出来ます。これは私たちが角麸の酢味噌和えをずっと作り続けているからこそ、業者の方がそのからしを作っていただけて、私たちはそれを使うことが出来るんですね。外食産業の方もこのごろは作っていただいているのですけど、そんなふうに家庭の中でもずっと作り続けなければその調味料がなくなっていく。つまりはこの1番のところでお伝えしたかったことは、ずっと作り続けなければ、どんどん無くなっていくということなんです。それが家庭の中であったり、外食産業・お商売のところであったりいろいろありますけれども、とにかく作っていかなければ調味料もなくなる、それから材料もなくなってしまうということなんですね。

    次、2番のところのお話に変わりますけれども、「心ときめく伝統料理」。これは私としては本当に感動的な出来事だったんですけれども、6年前に伝統料理を出すレストランを作ろうという話が出ました。その中で、じゃあどんなメニューを作りましょうかといったときに、豆の煮たのとか、それからたくあんの煮たの。たくあんというのをご存じですかね。たくあんの古漬けを水に浸けて塩出しして、それをおしょうゆとか砂糖とか味をつけ直してもう一度煮て出すものなんです。京料理では贅沢煮とかいう名前で出ていることもありますけれども、そういうたくあんの煮たのとか昆布巻きであったりとか、そういう昔から福井で作られてきたものをお出しするレストランをしようということだったんですけれども、すごく反対がありました。こんな毎日食べているものを出して儲かるのかなとか、商売として成り立つのかなというのですごい反対があったのですけれども、でも、これを今作らないと、今、皆さんに食べてもらわないと福井の伝統料理は途切れるよということで、農家の人とかいろいろな人が、「じゃあ、うちは豆を持っていくわ」とか、「うちはネギを持っていくわ」とか言いながら、そういう形でそのレストランが成り立ったのです。

    今度はそういう料理を食べたお客様のお話なんですが、普通にテーブルに座って食べて、食べた後に若い20代の方が、肘をこうついて、頭を下げて、食べた後のお皿をじっと眺める。それが長いんです。ずーっとこうしているので、どうしたのかなと思って「どうしたの」と聞くと、涙をぽろぽろと出して「これ昔、おばあちゃんに作ってもらった」と、昔のことを思い出す。それとプラス食べて美味しかった、その気持ちで感動して一時期動きがとれないというのですか、そういう方を何人も見たのです。そのときに、ああ、この仕事やってよかったなと思ったのですけれども、その食べた瞬間に昔の思い出ももちろんありますけれども、心が満たされるというのですか、そういうものをその人たちから感じました。私は今、60歳なんですけれども、本当はそのお店は私たちの年代をターゲットに出したレストランなんです。けれども、本当に感動して、本当に楽しみに来てくださるのは若い方なんです。もちろん若いときに、その方が子供のときに食べているというのがちょっとした味噌なんですね。昔食べた経験がある、それからおばあちゃんの思い出がある、そこのところに感動というのが生まれてくるんやなというのを私も感動しました。

    それから、子供さんはそれを食べることで、普通ならネギという野菜をあまり食べない。しかし、ここでは食べるんですよ。お母さんが「お腹大丈夫」というくらい、「そんなにいっぱい食べて大丈夫」と言うくらいたくさん食べるのです。それは、やはり心を満たす料理だったからかなと。そんなことを言ったらそのお母さんに失礼かもしれないのですけれども、ちゃちゃっと作って出すとか、最近よく言いますよね。ちゃちゃっと料理とか、何とか料理とかいろいろ言いますけれども、やはり心を込めて基本的なところをきちんと押えた料理というのは人の心を打つというか、そういうのを感じました。今もそのレストランはずっと続いているのですけれども、毎日並んでいます、毎日すごい行列でした。

    3番目に「食育の祖、石塚左玄に学ぶ」というところなんですけれども、最近は石塚左玄というのが食育の祖ということで皆様に広まっているというお話です。身土不二──地元でとれたものを私たちが食べるということは、土と私たちの体は同じもので出来ているというところから発想しているのです。土と私たちの体は同じ組織、同じ元素です。そういうものを食べることで健康になる、健康を手に入れることが出来る、命を長らえることが出来るということから石塚左玄は、地元のものを食べましょう、身土不二ということを説いたのですね。

    こんなことから私たちは、地元のものに学びつつ、命をもらって生きていきたい。そのレストランしかり、調味料、それから伝統野菜、全てにおいて私たちが恩恵を受けているということを心に置いて生きていきたいと思っております。ありがとうございました。

    〇司会

    出倉様、ありがとうございました。この後のパネルディスカッションにご出演いただきたいと思います。ありがとうございました。

    さて、ここで10分間の休憩に入ります。シンポジウム開会は10分後からとなりますので、それまでにご着席いただきますようによろしくお願い申し上げます。また、ここでお帰りになられる場合は、アンケート調査票を資料に挟んでございますので、ご協力くださいますようよろしくお願いいたします。なお、お手洗いにつきましては、ホールを出られましてロビー左手にございます。それでは、10分後のシンポジウム開会まで休憩をお願いいたします。

     

    (休憩)

    5.パネルディスカッション

    〇司会

    それでは、お待たせいたしました。シンポジウムを再開させていただきます。これよりはパネルディスカッションとして、「和食文化の魅力」をテーマにディスカッションを行っていただきます。

    それでは、コーディネーター及びパネリストの皆様をご紹介させていただきます。皆様から向かいまして左側から、コーディネーターの長谷川孝徳様、パネリストの青木悦子様、そして新村義孝様、出倉弘子様です。そして若い世代として、長谷川先生の教え子でいらっしゃいます北陸大学未来創造学部国際教養学科の又木実信さんにもご参加いただきます。

    それではパネルディスカッションに先立ちまして、全体の概要を私より説明させていただきます。本日のパネルディスカッション、テーマは「和食文化の魅力」です。和食文化を特徴づけるキーワードとして、多様で新鮮な食材と、その持ち味を引き出す工夫、一汁三菜を基本としたバランスよく健康的な食生活があります。さらには美しく盛りつける表現方法や、食器の使用などにより自然の美しさや季節の移ろいを表現し、年中行事にも密接な関わりがございます。本日は、そんな和食文化の魅力についてディスカッションを行って参ります。また、先程もご紹介いたしましたが、本日のディスカッションには地元の大学生の方にも参加していただいております。ディスカッションの中では、和食文化を次世代へ継承してもらうために、若い世代から見た意見もお伺いしてまいります。

    それでは、ここからの進行はコーディネーターの長谷川先生にお願いいたします。

    〇長谷川氏

    皆さん、よろしくお願いいたします。それではまず初めに、今回ディスカッションに参加してもらっております北陸大学の又木実信さんに簡単に自己紹介をお願いいたします。

    〇又木氏

    はじめまして、ただいまご紹介にあずかりました北陸大学未来創造学部国際教養学科4年生の又木実信と申します。僕は出身が能登なんですけれども、能登の少子高齢化や過疎化が進んでいるという現状に対して、今現在、その活性化に向けて活動をさせていただいています。具体的には石川県庁地域振興課が行う「地域づくり塾」で地域づくりを学ぶとともに、能登と学生をつなぐ学生団体「能登ラボ」というところで能登と学生をつなぐ活動をさせていただいています。

    能登の豊かな自然から採れた野菜や魚を使った料理が僕は大好きなんですけれども、特に和食文化に対しても、日本特有の自然を尊重するという精神が僕は大好きで、感性に訴えかけてくるものがあるかなと感じています。今日のパネルディスカッションでは若者代表ということで皆さんとともに議論していきたいなと思いますので、どうぞ、皆様、よろしくお願いいたします。

    〇長谷川氏

    どうもありがとうございました。今の和食文化は自然を大切にするといった日本人の心のある食習慣、こういうものを大切にするということが含まれるというのが挨拶の中にもありました。

    そこで皆さん方に、和食文化の存在とか意義、あるいは和食文化が家庭や地域内で現在どのように親しまれているのか、あるいは実践されているのかということをテーマにして少しお話ししたいと思いますけれども、どうでしょうね、家庭の中で今、和食というのがどのくらい日常食べられているのか。青木先生どうでしょうか。

    〇青木氏

    大変難しいご質問をいただきました。昭和に生きた人間はもう絶対和食党で、ご飯なくしては食事がおさまらない。そして、ご飯をいただいて心を癒し、体を作るというようなことでございましたけれども、平成に入りましてから、別にご飯を食べなくても、「ご飯食べよう」と言いながら、別にご飯じゃない。昔はお食事しようというときに「ご飯食べようか」という言葉で、そして米をかむから「こめかみ」と、そういう言葉を生んでおりますけれども、平成に入った皆さん方の中で、パスタであるとかラーメンであるとか麺が大好きのようでいらっしゃって、そしてカレーだとかいろいろ和食。でもその和食の中に、先ほども先生のおっしゃったように、中国から入ってきたラーメンの中に加賀野菜を入れてみたり、それから味噌を入れて味噌ラーメンであるとか。だから和と洋と中と、東南アジアもあり、全部がミックスされて国籍不明の料理というのが現在の新感覚料理になっているのかなという気もいたします。

    〇長谷川氏

    ありがとうございます。今、国籍不明とありました。大体、日本の文化のもとが大陸からいろいろ入ってきてから作られてきていますので、今日は留学生も前の方に来ていますけれども、ラーメンそのものは日本食だと言う人もいるぐらい、中国のものとはもう違うんだという、そのくらいのものがあるわけですね。又木君は若いですから、やっぱりジャンクフードなんて食べるわけですよね。

    〇又木氏

    はい、ジャンクフードやファーストフードも食べます。

    〇長谷川氏

    朝はパン食ですか、ご飯食ですか。

    〇又木氏

    朝、僕は断然ご飯です。小さいころからご飯で生きてきたので、ご飯です。

    〇長谷川氏

    こういうふうに今聞くと、ご飯と言う。実はゼミの学生などとゼミ旅行に行ったりしますよね。そうすると、最近のホテルというのはビュッフェスタイル、いわゆるバイキングが多いですから、何をとるかちょっと見ていることがあります。そうすると半分以上はご飯なんですよ。ご飯で食べるんですね。女子学生はパンが結構いるのかなという感じ。でも、一般的にご飯とか、あるいはおかゆを食べたりする。それで魚とかとったりする。「え、ご飯なの」と言ったら、「いや、朝はご飯でしょう」と言うんですね。今、又木氏も「朝はご飯でしょう」と。昼、夜は。

    〇又木氏

    ご飯です。

    〇長谷川氏

    あ、そうなの。すごいなあ。そうなると、家庭でそういうふうな感じですよね。それでどうなんですか、新村さん。一般的に新村さんがご存じの中では、皆さん方やっぱりご飯が多いのですか。

    〇新村氏

    よく必須アミノ酸のとり方としてはご飯とみそ汁というのがパン食よりもいいと言われて、私は団塊の世代ですけれども、私の小さいころは学校給食はほとんどパン食でした。あまり美味しくないコッペパンに脱脂粉乳をもらって、パン食では何か腹持ちが違うかなと、今では朝・昼・晩とご飯を食べます。最近、ご飯を食べないダイエット法というのが結構はやっていますよね。あれも本当は間違っているのじゃないかなと思うので、ぜひともご飯を見直してほしいなと思います。

    特に美味しい味噌汁さえあれば。先ほども私は昼飯を食べましたが、お寿司だったですけど結局、お茶なんですね。それも仕方ないなと思いますが、出来ればご飯とおみそ汁を食べたいなと思います。

    〇長谷川氏

    出倉さんなんかはどうですかね。

    〇出倉氏

    私もみそ汁とご飯が一番いいとは思います。しかし、子供たちが時々、「インスタントラーメンが食べたいな。だけど、僕のうちは食べさせてもらえないから悲しい」というのはよく聞きました。

    〇長谷川氏

    それでどうでしょう、どこまでが和食というイメージがあるのでしょう。よく和食というと、私がパッと思い浮かべる和食は、ご飯、味噌汁、それで焼き魚もしくは煮魚か、あるいは野菜のお浸しとかという、こんなのが頭に浮かぶんですね。海苔とか、あるいは卵焼きがあったりとかいうふうな感じがするのですけれども、例えば最近、うどん屋さんとかもありますよね。丸亀製麺みたいなやや簡単なうどん屋さんがありますが、あれもやっぱり和食と考えていいいのですか、そうですね。じゃあ、何故なんでしょうか。どこまでが和食なんでしょう。家庭の場合、パスタも和食でしょうか。

    〇出倉氏

    やはりそれは、先程おっしゃった、ちょっと味噌を入れたらラーメンも和風になって、あ、日本食かなというふうに思われるのと同じで、それからおすしも、お米をフルーツなんかを巻いたとしても、お米があるから日本食かなとかいう外国の方の見方と同じような形で、ちょっと日本の雰囲気が、日本風が入ればやっぱり日本料理になってしまうのじゃないでしょうかね。

    〇長谷川氏

    なるほどね。そうすると和というものの基本的なものというのは、これは当然そうだと思うのですが米文化があって、そして先ほどの麹文化の話もありましたが麹なんかで出来たもの、それから味噌、醤油なんかもそうですけれども、そういう味付けのもとが日本独自のものというのがベースにあったら、やはりこれは和と言えるのかなというふうに思います。これが海外で同じようなのを食べても、結構味が違うんですよね。そういうことはあったと思うんです。

    じゃあ、実際に今、そういうものがどんどんなくなる中で、保護されたり、あるいは継承されたりというのはどういうふうな形でされているのでしょうか。

    〇青木氏

    大変難しいことなんですが、今の特に平成時代の人たちはお漬け物というのが、においがたまらなく恋しいのではなくて臭いという。私どもは、お沢庵のふるさと煮ですね、あれを炊いてほしいという注文があって、私どものお店でもって古漬けの沢庵を塩抜きして茹でこぼしをいたしましたら、長町のあの界隈を通る学生さんたちが「うわあ、これ臭ーい」。それで早速火を消しまして、夜中に炊かないといけない。換気扇をかけないと家の中は大変でございます。

    ですから、私がアメリカへ参りましたときに、ある商社の奥様方が、伊藤忠の方ですけれども糠味噌漬けを漬けていると。「えー、こんなニューヨークのど真ん中で」と。ただ、西洋の方には、「日本人が漬け物を漬けるから臭いが残ってとてもだめなんだ、ん。貸せないんだ」と閉め出しを食っているというお話を聞きました。一体どういうことなんだろうと。でも、ニューヨークのど真ん中へ行きましたら、その糠味噌漬けが出てくるんですよ。私と同行いたしました酒井佐和子先生という漬け物の大家でございましたけれども、その先生が「これぞ日本の味だ」と涙ながらに感動いたしまして、どんな料理があっても最後の締めくくりは漬け物が欲しいと。そしていろいろと追求してまいりますと、パンとビールで漬けた漬け物なんです。ですから、その土地に行きますと、材料でも使い方が違って。

    今では私どももパンの酵素を利用しながら糠味噌を作りますけれども、それでもやはり好き嫌いというのははっきり。子供の時代から食べ、なれ親しんできた味は体が覚えていて、DNAが求める味。今、若い人たちは世界の旅をしていらっしゃると思います。私どももあちこち海外へ出ましたけれども、結局外に出て我がふるさとを思うというのは結局、子供のときに食べなれてきたものを体が求める、心が求める味だと思うのです。

    私どももここの文化センターでお授業をさせていただいておりますが、その際に和食を担当しております。そういたしますと、「いやあ、これ久しぶりで、何十年ぶりでこんなの食べた。うれしい」と感動される。でも、「じゃあ、あなたたちせっかく教えたんだから」と言うと、「いや、これは心が食べたいお料理なんだ」と。「それではおうちで作るのは何」と言ったら、それはもうミックスして、さっきの国籍不明の料理だと。だから、心が食べたいのと現実に食べたい。

    そして男性の方は何か、学生時代にラーメン、ああいうもので空腹を満たしていらっしゃるらしいんです。それで塩分とり過ぎとかいって家庭でシャットアウトなさると、ストレスが溜まるんですってね。というのは今のお若い奥様方は「塩分とり過ぎだからやめて、やめて」と、すごい薄味で出される。そうすると、その方のお話ですけれども、奥さんの反対をするとけんか腰になるから、「しゃあないから車に乗ってから塩昆布を食べる」と。

    そんなことで、和食というのは醤油文化であり味噌文化であり麹文化であり、とにかくご飯、米と一緒に尊重しながら歩んでいくのじゃないかなと思いますので、漬け物というのをどう残していくかということに私は頭を痛めております。糠味噌のすばらしさというのも米あればこそですから。

    〇長谷川氏

    料理教室とかで若い人にも教えていらっしゃると思いますけれども、実際に保護したりとか、次世代に伝えていくということ。先ほどの麹なんかですと、やっぱり若い人なんかにはどういう形で伝えていらっしゃるのでしょうか。

    〇新村氏

    今、ここに海外の若者の方ですが、これからもうしばらくたつと新米の時期になります。この北陸は特にお米のうまいところで、水が美味しいですから米も当然美味しい、新米のおにぎりを塩だけで握って食べてみたことってありますかね。まだありますか。もうしばらく経つと新米がとれますから炊いてもらって、炊飯器なんかもすごく上達しましたので、そういうものを利用して炊いていただくと本当にね。

    私もパンは嫌いじゃないですよ。でも、パンというのはご飯にはならないと昔から思っていたのであまり食べません。でも、例えば都会なんかに住むお母さんたちは勤めておられるから忙しいですよね。なかなかご飯もうまく炊けない、それからご飯を作るときには当然、味噌汁とかも作らなければいけない。時間がないという方は当然パン食にならざるを得ないということで、それは仕方ないとは思うんですよ。

    今、発酵食文化を伝えるために、いろいろな本が出ていますが、最近は塩麹のかわりに甘麹というのがあって、これは甘酒みたいなものです。金沢の方ではかぶらずしを作るときは硬い甘酒を作りますが、実はあれをパンに塗るとすごく美味しいんですよ。それが最近名前が変わって、こうじジャムといいます。富山県ではかぶらずしの素と言いますが、本来は硬甘酒です。麹ジャムを、いろいろな果物や野菜とかとミックスしてミキサーにかけちゃうと本当に美味しくなる。そういうもので。

    〇長谷川氏

    それは若い人なんかも。

    〇新村氏

    若い人に伝えていきたいなと思っています。

    〇長谷川氏

    出倉さんはどうですか。若い人へ、次世代へ伝えるといったときに。

    〇出倉氏

    私は一番初めに出汁のとり方を。さっき聞いたら「知らない」って言われたのですけれども、外国の方、外国の学生さん、留学生の方に料理教室をしますと、自分の国の料理、要するに毎日食べているような家庭料理は作れるんです、その学生さんたちは。けれども日本の学生さんは作れないんですよ。例えば日本だと「肉ジャガと味噌汁ぐらいは」とよく言うんですけれども、味噌汁も何となく鍋の中に放り込んで水を入れれば出来る、味噌を入れれば出来るという感覚ですね。それから、「肉じゃがは出来ません」と初めから言う。うーんと考えるのですけど、「やっぱり出来ません」と。でも、外国の方は包丁さばきもなかなかのもので上手に作る。特に東南アジア系の方はすごいですよ。中国の方も完全にきちんと作れます。日本人はせめて、出汁をとって味噌汁までは出来たらいいのにな、というのが私の頭の片隅ではあるのです。

    〇長谷川氏

    ありがとうございました。まさにそうなんですね。先日もゼミの合宿をやりまして、料理担当は中国の留学生で、水ギョーザとかめっちゃ美味しいんですね。日本人の学生は何をしていたかな、洗ったり、後片づけ。留学生は大体、そういうふうによく作られますね。

    それで後でちょっと聞いてみたいと思うのですけれども、なぜ作れるかということですよ。日本の学生が日本料理が出来なくて、留学生が自分のお国の料理を作れるというのは、言ってみれば継承されているか、されていないかというのは国によって違うわけですが、これ国家的な問題だなというふうに思ってしまうんですよね。留学生はほとんど作りますから、そういうようなことを思うのですけれども、日本人学生を代表して、その辺又木君どうでしょう。

    〇又木氏

    僕は能登で育ってきていて、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしているので、小さいころからよくおばあちゃんが郷土料理を。ジャガイモもしくは里芋とタコを煮詰めた「イモダコ」という郷土料理があって、僕は小さいころからよくそれを食べて大好きだったのですけれども、食べるばっかりで実際に直接教えてもらうということはなかったように思います。あればあったで僕も次世代の子供たちに伝えていけるのかなと思いますけれども、そうした継承というのは確かに日本ではあまり聞かないような気がします。特に男の子では残せないかなと思います。

    〇長谷川氏

    家で教わらないということですね。ちょっと留学生に聞いてみましょうか。ちょっとキンダイ君、何作れますか。

    〇来場者

    中国の料理、食べ物。

    〇長谷川氏

    食べ物、何の料理。

    〇来場者

    炒め物、餃子も作れます。麺類、それから揚げ物とか蒸しもの、いろいろ。

    〇長谷川氏

    いろいろ作れると。マードン君は。

    〇来場者

    私は初めに日本に来たとき、私のお母さんから中華料理を勉強しました。そしたら、簡単なもので中華料理は出来ます。そして日本に来て毎日、簡単な中華料理を作りました。そしたら種類が少し増えて、あとは自分で和風料理と中華料理も一緒に。

    〇長谷川氏

    ミックスして、考えながら作るようになった。

    〇来場者

    はい、そうです。

    〇長谷川氏

    これはやっぱり、今あったように教わっているんでしょうね。それで、トウさんは。

    〇来場者

    私は、考えてから、何でも作る。

    〇長谷川氏

    得意な料理は。

    〇来場者

    炒め物とか煮物ですとか、餃子も作ります。焼売は作ったことないですけど。

    〇長谷川氏

    でも、餃子なんかみんな作るよね。

    〇来場者

    餃子はそうですよ。

    〇長谷川氏

    留学生は餃子を結構作るんですが、しかも水餃子から何からいろいろな種類を作りますよね、中もアレンジして。これお肉そのものに味つけをして、きちんとやるんですけれども、日本人はそれをしない。この根本は、さっき又木君が言ったように継承の根本は家庭教育になってしまうんですね。ちゃんとお母さんなりお父さんなり、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんが家の味をちゃんと伝えるか伝えないか、作り方を教えるか教えないか。食べさせるだけというのがだんだん増えてきたというのが現状なんでしょうね。学校で家庭科とかそういうのがあったって、それは形だけの話で、実際に食を守るということになると、各家庭で守らない限り難しいと思うのですが、先ほど控え室で話していた、お母さんが教えられない、作れないのじゃないかと、青木先生のそういうお話がありましたが。

    〇青木氏

    もう全く申し訳ございませんが、団塊の世代ですかね、女性も食べるだけがスマートだ、すてきだと思っていらっしゃる人が。食べれば何かすごく肉づきがよくなるみたいな、そんなものの考え方をしていらっしゃいまして、食べるということで命をいただいているんだ、自分たちの健康な細胞を作っているんだというような、そういう意識。食は命だというようなものの考え方をしていらっしゃる人は全くいないと思います。

    病気した人はそれを感じているのかなと。でも、習いたいというところまで行かないみたいですね。それでお母さんが作っていらっしゃらないし、家庭の味というのがどこかへすっ飛んでいってしまっているような気がいたします、残念ながら。そこで学校給食がその人の家庭の味みたいになっちゃっているみたいで、学校給食の先生方に「ぜひとも家庭の味を再現してあげてほしい」というようなお願いをするよりしようがない。お母様方はなぜそんなに忙しいのか。特に、こんなことを言うとお叱りを受けるみたいですけれども、カルチャーでお忙しいのかなと。外に出向く人の方が多い様でございます。

    というようなことで、中国では要するに家族ぐるみで、祝い事になると餃子をみんなで、家族中で作る。これが祝いという喜びの表現のようでございますし、日本では特に金沢なんかではそうした祝い事でお赤飯をみんなで作るかとか、お彼岸だからおはぎを作るかと言うと、「そんなの買ってくればいいじゃない」と。外に出ているものの方が便利、お家でやる方がお台所が汚れるし、材料の無駄があるし、あまり手をかけてもらいたくない。それよりも外に出て、いろいろな進出をしてくださる方がすてきな女性であるように何か錯覚をされているのじゃないでしょうか。結局は大事なことをなくしているみたいな気がいたします。

    〇長谷川氏

    今ね、お話の中にものすごく継承のヒントというか、後に、次世代に続けるヒントってあったと思うのです。例えば中国の場合は、お祝い事を家族ぐるみで作ると、こういうふうにおっしゃいました。私の子供のころは、私は新潟にもいたことがあるのです。そのときには家族ぐるみで笹だんごというのを作りました。笹の葉を干したりなんかして、だんごも家で。今は売っているのを買う人が多いのですが、家でみんなそれぞれ作りました。ほかにも、お正月のときに例えばきんとんがあるというと、裏ごしは子供らがするとか手伝ったりして、それこそ準備をするときに家族ぐるみでそういうものをやった。お祭りの食事なんか、まさに家族ぐるみですね。お餅にしても何でもそうですが、そういうものがずっとあったんですね。

    でも、その家族ぐるみでやるということがだんだんなくなってきた。又木君のところは家族ぐるみで何かすることってあるんですか。それはないですか。例えばおじいちゃん、おばあちゃんが一緒にいるとそういうことはあるのかもしれないのですが、核家族になるとだんだんなくなる。あるいは小さな家になって台所が狭くなると、そんなに何人も入ってきてもらっちゃ困るとかいうようなこともあるのかもしれないけれども、その辺はどうですかね。

    〇又木氏

    うちはおじいちゃん、おばあちゃんと、あとお母さん、お父さんと一緒に暮らしているので、能登の祭りがあるのです。それの行事食として今まであったのですけれども、能登は少子高齢化や過疎化で祭りも出来ないという状態が出来ていて、能登におもてなしの文化として「よばれ」というものがあるのですけれども、祭りがないからそうしたものも出来ないということになってきますと、料理も出さないというところで、だんだんとなくなってきている地域が出てきています。というのが現状です。

    〇新村氏

    先ほど言いましたけれども、昭和30年ぐらいまでは味噌というのは自分の家で作るのが当たり前だったので、私も小さいときによく手伝いをしました。お客さんのところへ行くとやっぱり家族ぐるみで作っていることが多くて、そういう家に育った方というのは大きくなっても「僕作りたいな」とか、うちの店に来られて「あ、これは本当の味噌ですね」とか言ってくれるんですよ。味が分かるんですね。

    今、うちも工房等で味噌づくり教室をやっているのですが、今、50~60代の人でも味噌づくりを経験されたことのない方が非常に多くて、でも、一度か二度作っていただいて、ちょっと時間はかかりますけれども毎年来る方が結構おられる。リピーター率がすごく高くて、3割から4割ぐらいあるのですけど、とにかく自分で作ったものを「美味しかったよ」とか家族から言ってもらうと、また作ろうかなという気持ちになるんですね。

    そういうのを繰り返ししていかないとその家の伝承の味というのは作れない、また、食べる側も「美味しかったよ」と一言言ってあげれば、本当に美味しいものになっていく。手前味噌ですね。また、子供さんたちも参加していますが、そういう家というのは見ていてもにぎやかですね。子供たちに味噌づくりをさせるときは、我々はわざわざ手回し機でさせるのです。豆が細長く出てくると、「モンブランだ」「ラーメンが出てきちゃう!」ワイワイガヤガヤ、それもすごくおもしろくて、楽しく作るということも大事なことじゃないかなと思うのです。

    〇長谷川氏

    はい、ありがとうございました。出倉さん、何かありますか。

    〇出倉氏

    私の家では餅つきは必ずみんな集まってするのですけれども、お正月は集まらなくて、お正月の前にみんなで餅ついて、それであんの入ったのとか、豆の入ったのとか、海苔の入ったのとか、いろいろなのを作っています。お正月以降に楽しむものとして作っています。また、一緒に作るのも楽しみにしているようで、日にちを決めて「やるからね」と言うとみんな集まってきます。

    〇長谷川氏

    ありがとうございました。今までお話ししてきましたけれども、実際に家族構成も変わった、あるいは生活スタイルも変わったという中から、次世代に現在の和食を伝えるというのは非常に難しい環境でもあるのかなというふうに思うのです。でも、先ほどの最初からの話の中でいろいろな文化そのものを含めて和食、食文化ということになろうかと思うのですが、ここまでを振り返りまして、実際にじゃあ和食文化を捉えていくためのご意見を会場の皆さんからもちょっと、これはどういうことなんだろうとか、何かご意見がありましたらぜひお話ししていただきたいなと。あるいは質問でもよろしいですね。例えばユネスコの登録云々ということになっているのですけれども、それ何、というようなことも含めてでもいいと思います。そういう話になったら、農林水産省の方がいらっしゃいますので的確なお答えもいただけると思いますので、もしよく分からないなというときにはそういうご質問でも構いませんので、いかがでしょうか。

    〇司会

    それでは挙手にてお願いいたします。いらっしゃいませんか。この機会にぜひ聞いてみたいなということがありましたら、挙手にてお願いいたします。若い方、いかがでしょうか。学生の皆さん、いかがでしょう。いらっしゃいませんか。

    〇長谷川氏

    例えば伝統食とか行事食ってあるでしょう。そういうものを今やっているか、やっていないか。小さいときはやっていたけれども、今はもうやっていない。なぜやっていないかとか、そういうようなこともちょっと教えてもらえればと思いますけれども、どうでしょうか。

    〇来場者

    まず、ユネスコのそれは私は本当によく知らないので、もし説明していただけるとありがたいと思います。それからもう一つは、この間、3日続けての食のそんなのがあって、今、おかずをたくさん、ご飯を少しというのがあれだけれども、そうでなくてご飯を6、おかずを4にするのがいいんだというのが載っていてびっくりしたのですが、それについてももし何かありましたらお願いします。

    〇農林水産省

    農林水産省の武元と申します。今ご質問いただきましたユネスコについてなんですけれども、昨年の3月にユネスコに対して、無形文化遺産という制度があるのですけれども、そちらの方に「和食;日本人の伝統的な食文化」というタイトルで申請をさせていただいたところです。これは政府として申請したものなんですけれども、これ何で登録申請をしたかと申しますと、まずは日本人の伝統的な食というのは誇るべきものだと。特に無形文化遺産登録の中でフランスがまず最初に登録されたのですね。当然、そうなると日本の食の権威の方たちは、何でフランスが登録されていて我々は登録されないんだという話になったというのもあって、誇るべき日本の食というのをぜひ登録していこうという動きになってきたということです。

    それと同時に、そういう登録申請する際に、いわば専門家の方と議論していく中で、我々は誇るべきものがある。ただ一方で、まさに今、長谷川先生がおっしゃっていたような、つないでいく、継承していくという部分、これは非常に危機的な状況にあるのではないかということがございまして、ユネスコの無形文化遺産登録申請というのをきっかけとして、ぜひつないでいく、継承していくという機運、議論を巻き起こす1つのきっかけになればということで申請をさせていただいております。

    ここで和食ということで登録申請させていただいたのですけれども、食そのもの、例えば一汁三菜とか、そういう食事のある形態を申請したわけではなくて、あくまでユネスコに登録申請したのは食を取り巻く社会的な慣習。本日、パンフレットをお配りしているのですけれども、日本の食というのが自然を尊ぶという1つのキーワードを見出しながら4つの特徴ですね、多様で新鮮な食材と素材の味わいを活用することだったりとか、バランスのいい健康的な食生活であったりとか、あとは先ほどの長谷川先生の講演でもございました、器も含めた、自然の美しさの表現であったりとか、あとはお節とかを含めた年中行事とのかかわり、こういう我々の生活に結びつく全体的な社会的なものとしての食の位置づけということでユネスコに登録させていただいたところです。

    それが本年の12月に決定するということになっておりますので、そのころには皆様方のご関心もまた高まっていただければなと思っていますし、さらにその後も、結果はまだ全く分からないのですけれども、さらに今後継承していくというこの流れを今回のような議論の場、またどこかでつなげていっていただければなというふうに思っています。最初の質問に関して、私の方からご説明させていただきました。

    〇長谷川氏

    それから先ほど、ご飯6、おかずが4という黄金の比率のお話が出ましたけれども、これは出倉先生から。

    〇出倉氏

    先ほど出ました石塚左玄の文章の中に出てくるのですけれども、私たちの食べる食べ物は歯の数に比例した方がよいと。動物性のものばかり食べている犬とかそういう動物の歯を見れば分かるように、犬歯、糸切り歯ですね、それは4本なんです。それから野菜を食べる前の薄っぺらい歯、これは牛とか馬とか草食動物の歯ですね、それは上4本、下4本あります。それ以外の歯は全部、穀類を食べる歯なんです。皆さんご自分の歯の本数と、歯の比率と、それから食べるものの比率が合えば、それでばっちり健康になるという、そういう考え方なんです。

    〇新村氏

    追加させていただくと、人間の歯というのは全部で32本ある。日本人から西洋人誰でも同じですけれども、32本のうち20本が押しつぶす歯、穀物を食べる歯です。それから前歯が8本、これは野菜を食べたりするのですが、これは25%ぐらいになります。それから犬歯は4本ですが、これは15%ぐらいになります。

    ですので、一応、穀類が6割、残り4割が野菜や肉とか魚を食べなさいと。この食べ方に一番沿っているのが日本食と言われているので、日本食が人間の食べ物としては理想的な形であるよという説明の仕方だと思います。

    〇長谷川氏

    それが自然の生活の中で、文化の中で生まれてきたのに、6対4、黄金の比率とよく言うのですけれども、若い世代の人は分からないかもしれないけれども、私なんかは給食の後は弁当を持たされた時代ですが、ご飯とおかずの量ですね。例えば1つの弁当箱の時代になると、ご飯があって、大体3分の1ぐらいしかおかずなんて入っていなかったしたわけです。動かせるものもありますし、動かせないのもありましたけれども、成長するに従ってだんだん米の量が多くて、いわゆるドカベンのようなものに入れる。そうするとそれの半分もないぐらい小さなおかずだけを入れて、というふうにして食べていました。実はこれは先ほどのお話のように、昔からそういうのが一番体に合っている、成長期で動くのにも合っているというふうにして弁当箱というのは出来たとよく言われているのです。

    ところが最近は、お米は太ると。食べ過ぎたら糖分が余る分みんな贅肉になるわけですから確かにそうですが、そしたら量を減らせばいい。全体的に同じ比率で量を減らせばいいのですけれども、野菜をたくさんとりましょうとか、ダイエットを成功した方の本がそういうふうになるものですから、いろいろな比率で全然違うことを書くとかえってバランスを崩すというのはよく言われるのですね。

    プロ野球でも何でもそうですけれども、スポーツ選手は大体おにぎりですよ。おにぎりを1個、2個だけ先に食べて、2時間ぐらいしてから動き出すというようなことをして、すぐにカロリーを全部使うというのがあります。それが一番体にはいいんだというのと同じように比率というのがやはりあって、そのお話が多分出ていたのじゃないかなと思うのです。お答えになったかどうか分からないのですけれども、そんなのでよろしいでしょうか。

    〇来場者

    ありがとうございました。

    〇長谷川氏

    それでは続けて、はい。

    〇来場者

    北陸大学未来創造学部4年のツダマイコと申します。私は富山県高岡市出身なんですけれども、北陸、富山、石川、福井では日本海でとれる海鮮がすごく有名で、美味しいと自分でも思っているのですけれども、近年の若者では食わず嫌いだったり、どの時期にどの魚だとか、野菜が旬ということがあまり知られていないと思うのです。私はよく親と一緒にスーパーに出かけるのですけれども、スーパーへ行くと例えば富山県でしたら氷見からの魚が並んでいる、その横に鹿児島産だったり県外産が多くて、見てみると値段も県外の方が安値で売られているので、そっちを買ったりすることもあるのですけれども、そういった面でどういうふうに伝えるかというところで大人の方からの観点を聞きたいです。

    〇長谷川氏

    そうですよね、確かに地物って高いんですよね。市場へ行きますと、地物は旬だから高いんです。例えば富山で旬のものは大体、暖かい方ではもう名残ですから。そういうのもあるし、もう一つは地物は路地ものといって、実際にその季節に応じて作っている。一方でよそから来るのはハウス栽培とかってなるから安いんですね。そういうものもあるのだけれども、じゃあその前に、何が旬で、今美味しいものは何で、魚は何かというのはスーパーじゃだめなんですよ。行っている先が間違っている。これはね、市場。いわゆる近江町みたいなところとか、青物市場とか港なんかにいるといろいろなのがありますけれども、そこへ行くととれたものが全部、地物か、あるいはどこから来たといってもその生産者の名前も分かるようになっている。だから、そういうふうな見方があるのですけれども、その辺はどうでしょうね。

    〇青木氏

    でも、近ごろは観光客用のものが多うございますので、自分たちの目の力、それで見きわめないと正直分からない。ですから、キノコ1つにいたしましても、それからお魚1つにいたしましても、例えばイカですけれども、本当に生き生きとした、キラキラしたイカというのが、何がとれたてなのか。白くなったのがいいのか、茶色くなったのがいいのか、黒いイカがいいのか、くっと吸いつかれるような墨を吹かれるような、そういうものが大変少なくなっているのですね。

    ですから、そこで金沢というのは大変贅沢なところで、今までじわもん、じわもんと皆に呼びかけておりましたのが、そこらのとれたてのお魚とか、お野菜も鮮度が違う。京都と申し上げてはいけませんが、こちらは先取り。旬という言葉を知らない人が非常に多くなりまして、「旬って何を言っているのか」と。旬というのは出始めた走りではなくて、本当にすごく出始めて、しっかりと家庭で食べていただきたい、元気の野菜である、元気の魚であると、それが旬だと思うのです。ですけれども料亭とかそういういろいろなところがもっと先取りをして、季節を先に先にと売り込まれるので、家庭の旬の料理がどこなのかが分からないというような気もいたします。

    〇長谷川氏

    まず市場に行って、それからもう一つは、八百屋さんでも魚屋さんでもそうだけれども、直接そこの人に聞くのがいいんですよね。例えばこれはどこでとれたっていったときでも、「路地ものですか、ハウスものですか」と聞いてもいいんですよ。そういうふうにして見分けることをしていかないとならないということですね。

    皆さん方の中でもそうですけれども、根のもの(根菜類)と葉のものというのがあるのですけれども、野菜は基本的にどれでも大体朝採るわけです。朝採るので、葉ものは朝食べる。根菜類は夜食べればいいわけですよ。今は冷蔵庫があるからいいのですが、葉ものを夜まで置いておくとしなびてしまいます。それを一番きちっと伝承的に、本当にその通りにやっているのは伊勢の神宮です。あそこでは外宮というのが豊受大神宮ですが、ここでは日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)というお祭りがありまして、神様に供える。それは全部、神宮で作っている野菜から、それから神宮の海でとった魚から何から全部、それをお供えします。朝と夕方、神様の食事をお供えするんですね。そのときに、神宮御園(じんぐうみその)といって畑から野菜を朝とるのですが、葉ものですね、いわゆる葉っぱのものについては朝のお祭りに全部お供えします。夕方の供え物は根っこのものを供えるというふうになっています。

    これ、あそこの神宮でやっているお祭りだとか形態、それからお供えするものというのは実は和食の原点なんですね。それから、その生活パターンがそのままなんです。ですから皆さん方が市場へ行ったりなんかというのは、環境は変わっているけれども、「朝採れ」なんていって置いてあるのがあると思いますが、シャキシャキした野菜を食べたいと思ったら「朝採れ」と書いた葉ものは昼のご飯になったらもう食べてしまうんやと。旦那さんは残念ですけれども、外で働いている方々は残念ではございますが、そういうようなこと、それも文化の1つですね。お母さんと一緒に市場へ行ってみてください。他にあれば。

    〇吉田氏

    済みません。石川県水産課の吉田と申します。先ほどのお魚の話など大変耳に痛いところもあるのですが、今、石川県では、以前は夜に競りをしまして、それからスーパーマーケットに仲買人さんを通しまして行きましたので、丸一昼夜かかってお魚が店頭に並んでいました。近ごろは、二番競りということで朝に競りをするようになりました。ですから、うまくいけば朝、定置網でとれた魚がその日の10時、11時ごろにスーパーマーケットに並ぶようになっています。あさとれェもんというかわいらしいキャラクターのシールとかポップがありますので、それを目指して買っていただければ、市場以外でも美味しい新鮮な魚が買えますので、ぜひよろしくお願いします。

    〇長谷川氏

    ありがとうございました。いいですね、今のはね。こういうのね、それも勉強になるでしょう。だから、家に帰ってまたお父さんやお母さんにも教えてあげてください。

    〇青木氏

    済みません。食というのが命であるということをこの『武士の献立』という、お殿様に仕える料理人さん、包丁侍の話が、松竹とそれから北國新聞社の共同でもって12月14日、全国一斉に上映されます。もう既に関係者の方々は試写会をご覧になっていらっしゃるようでございますけれども、伝承という形で江戸時代にこの治部煮が作られていたこと、そして出て参りますお春という内助の功の奥様のアドバイスでもって鴨とすだれ麸をそこに添ましたこと。そして、お醤油文化というのがこの治部煮の中にしっかりうかがえるかと思います。お醤油の治部だれを作って、そこで鴨とすだれ麸とかキノコ、そして青み、これらを一椀の中に盛り込むという大変珍しいお料理でございます。そして、そこに必ずのようにワサビが添えられている。これも要するに薬味という役割。今でこそデトックスと言っておりますけれども、もう既に江戸時代のころにそういう効用でいろいろなお料理にも使われており、そしてお麸という役割も担っているようで。伝統を受け継ぐ金沢、歴史を食べるというお料理の中で、こちらの治部煮は至極の一品だと思っております。どうぞ、皆様方もこのドラマをご覧いただきまして、金沢の食の奥深さとか器、治部を食べるお椀までわざわざ作られているという、その美意識。大変な力の入れようでございますので、皆様方どうぞよろしくご歓談いただいて、お料理の心も勉強していただき、食は命であるというような、そういうことが感動の中に。そして本当に涙するドラマでございます。女性陣が特に学び取らなければいけないことかと思いますので、よろしくお願いいたします。

    〇長谷川氏

    ありがとうございました。そういう食べ物の伝承というのがありますが、例えば食べ物を守るというので、又木君のところは能登でも奥能登に入りますね、白丸なんか。そうすると先ほど言ったよりも、白丸はまだいいのですが、それよりもうちょっと奥に入っていくと限界集落なんかもちらほらあるわけですよね。限界集落というのは集落としてもう成り立たないところです。若い人は街の方に出ていき、おじいちゃん、おばあちゃんだけでいる。あるいは空き家が多くなって、集落としてもう成り立たない。そういうところで伝承というのははっきり言って不可能に近い。私なんかも調査に入ったことがありますが、伝承する相手がいないわけです、伝える人がいない。そういうところに若い人たちが後に入ったりして、それを伝えようとするわけですが、特に行事食、伝統食というのが先程言ったように難しい。それに対して、じゃあどうしたらいいんだろうという、何か考えってありますか。

    〇又木氏

    先ほども言いましたけれども、能登にはおもてなしの文化というものがありまして、その文化を生み出した1つの事例を少し紹介したいなと思います。石川の輪島市に金蔵という限界集落があるのですけれども、そこに金蔵の婦人たちが作った金蔵あかり会というものがあります。それの立ち上げのきっかけというのは、金蔵万燈会(かなくらまんとうえ)という約3万個のロウソクを使ったキャンドルナイトのイベントがあるのですけれども、限界集落ですので学生たちがボランティアとして地区に入るのです。そして、その婦人たちが学生たちに対して、おもてなしとしておにぎりを振る舞ったんです。その万燈会というイベントは毎年8月16日に行われるのですけれども、それ以来、その学生たちに対して食事を作っていただくように依頼されたそうで、それがきっかけで金蔵あかり会というものが出来たのです。そのあかり会は今、地域の特産品の開発や、郷土料理のメニュー化というところで取り組んでいまして、能登のおもてなしの文化を生み出したとも言える外部と交流することで生まれる食の形というのを、私はそのときに感じたのです。その事例に見られるように、食の保護・継承イコール地域づくりなんじゃないかなと僕は思っています。そうした能登のおもてなしが能登の食文化の魅力であって、現代の私たちに向けて地域の食文化の維持や継承が求められていることなんじゃないかなと思います。

    〇長谷川氏

    ありがとうございます。要は継承者がいなくなったところに、能登の輪島の金蔵地区、金沢大学なんかが中心に入っていますね、入ってやっているのですが、又木君もそこに入って一生懸命やっている。そういうふうに外部の力が入ることによって、若い力が入ることによって、今までのそこにあるものをまたその次世代の人に継承していく。学生たちがそれを受けて、またそれを動かすことによって、今度はそれをいわゆる生産して製品化して売るとかいうこともやっていく。例えばみちの駅とか、ああいうところの直販なんかよくありますね。ああいうところでそれをやることによって、同じ継承でも普通の家庭の味から、それを商品に変えていくようなことをすることによって次世代へ継承するという、こういうやり方も1つある。これがそういう例ですよね。実際にそれに携わってね。

    〇又木氏

    はい、そうです。

    〇長谷川氏

    それはずっと続けられそうなんですか。伝えていけるのかな。

    〇又木氏

    それは継続の問題はとても大きな課題になるのですけれども、学生たちが今後とも継続してやっていくのじゃないかなと思います。

    〇長谷川氏

    あとはあれですね、又木君は将来的には能登にずっと住むのでしょう。

    〇又木氏

    はい、そうです。今も能登の活性化でいろいろと活動させていただいているので。

    〇長谷川氏

    だから、あとはそこにお嫁さんが来てね。結局そうなんですね。みんな、過疎化というのは出ていくんですね。だから、お嫁さんが来る、あるいはお婿さんが来る、あるいはセットで入る。定住人口を増やさないと、交流人口をどれだけ増やしてもだめなんで、定住人口を増やすことによって食文化というのも継承されていく。一番最初に言いましたが、文化は人によって作られるもので、そこで生まれたものを継承するのは、人がいないと出来ないんですよ。結論はそこだと思います。

    だから日本でも、いろいろなものを継承しようとしたときには、人がそこに介在しなければならない、若い人がそこにいなければならない。そうじゃないとそこにある文化も次に継承されない。どれだけいいものであっても継承者がいなければやがてつぶれてしまい、なくなってしまう。日本のこういうすばらしい食文化というもの、場合によっては日本人より上手に箸を使う西洋の人たちが今たくさんいるわけで、日本人の方が箸の使い方が下手な人もいっぱいいる。それほど今の日本の食文化というのは世界にも発信されているわけですから、それを守ろうということになればやはりそういった、後へ続く、あるいは守る人、それからそれを食べる人。先程食わず嫌いの話がありましたけれども、何で食わず嫌いになるのかというのもこれからも考えていかなくちゃならないことかなとは思うのです。

    最後に何か、もしあれば、どうでしょうか。これは言っておかなくちゃならないぞという。特になければ会場の皆さんの中で何かありますでしょうか。私もこういうふうに思っているからぜひとか。ないですか、よろしいでしょうか。

    それでは、そろそろ時間ですので。今日は北陸ブロックということですが、今後いろいろな地区で和食のこういうディスカッション等、イベントが行われると思います。これをまた次世代へバトンタッチするのはどういうふうにしたらいいのかということも含めながら、これはなかなか解決出来る問題ではありません。皆さん方それぞれ宿題でお持ち帰りいただいて、すぐに出来ることは先ほどの留学生のヒントじゃないけれども、自分の子供にまず料理を教える、これなら出来るかなと。自分の家庭で、旦那さんも何も関係なしにみんなで何かを作っていくということがあれば、出来るのかなと思います。

    それでは、これでこのディスカッションの幕を閉じたいと思います。どうもありがとうございました。

    〇司会

    長谷川先生、進行をありがとうございました。そしてパネリストの皆様、そして北陸大学の又木さんも、長時間にわたりまして熱心なご議論をいただきましてありがとうございます。壇上の皆様に、いま一度大きな拍手をお願いいたします。

    以上をもちまして、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』を終了させていただきます。最後までご参加くださいましてありがとうございました。なお、本日、受付にてお渡しいたしました参加証、並びにアンケート調査票は、ご退出の際に受付付近のスタッフにお渡しください。今後の参考とさせていただきますので、アンケートにはぜひご協力くださいますようよろしくお願い申し上げます。それでは、お気をつけてお帰りくださいますようお願いいたします。本日は誠にありがとうございました。

     

    お問い合わせ先

    大臣官房政策課食ビジョン推進室
    担当者:武元、橋本
    代表:03-3502-8111(内線3104)
    ダイヤルイン:03-6738-6120
    FAX:03-3508-4080

    Adobe Readerのダウンロードページへ

    PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。

    ページトップへ

    農林水産省案内

    リンク集


    アクセス・地図