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「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【関東ブロック】

「和食;日本人の伝統的な食文化」のユネスコ無形文化遺産への登録申請をきっかけに、私たち国民一人一人が「和食」文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の「和食」文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的として、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【関東ブロック】を開催しました。

議事録(PDF:372KB)

1.冒頭挨拶   

挨拶 会場 会場2

挨拶する西山関東農政局次長

シンポジウムの様子

 

2.基調講演

『和食―日本の伝統的食文化』

神崎 宣武 氏 (民俗学者、旅の文化研究所所長) 

 講演

3.事例発表

江原 絢子 氏 (東京家政学院大学名誉教授)

龍崎 英子 氏 (千葉伝統郷土料理研究会 主宰、郷土料理研究家)

清 絢 氏 (郷土料理、食文化研究家) 

 事例1  事例2  事例3

 事例発表される江原 氏

龍崎 氏

清 氏

4.パネルディスカッション

「和食」文化の魅力

  • コーディネーター
  • 神崎 宣武 氏 (民俗学者、旅の文化研究所所長) 

  • パネリスト
  • 江原 絢子 氏 (東京家政学院大学名誉教授)

    龍崎 英子 氏 (千葉伝統郷土料理研究会 主宰、郷土料理研究家)

    清 絢 氏 (郷土料理、食文化研究家)

    齊藤 由香里 氏 (法政大学 人間環境学部)

     シンポジウム1 シンポジウム2 
     

     齊藤 氏

     

    5.議事録

     1.開会

    司会

    皆様、こんにちは。本日はお忙しい中、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」へご参加くださいまして、誠にありがとうございます。

    本シンポジウムは、日本人の伝統的な食文化である和食のユネスコ無形文化遺産登録申請をきっかけに、私たち一人ひとりが「和食」文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の「和食」文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的に、ここ関東ブロックの千葉会場を初め、全国9ブロックにて開催しております。日本人にとってかけがえのない財産である日本の食文化、和食について、本日は皆様と共に考えて参りたいと思います。

    申し遅れましたが、私、本日の司会進行を務めさせていただきます、平野京美と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

    それでは開会に当たりまして、関東農政局次長、西山明彦よりご挨拶を申し上げます。西山関東農政局次長、お願いいたします。

     

     

    2.挨拶

    西山明彦関東農政局次長

    関東農政局次長の西山です。本日はお忙しい中、また台風が近づくというような中、「和食文化“再考”シンポジウム」にご参加をしていただきまして、誠にありがとうございます。また後程、基調講演をしていただきます神崎様、それから事例発表をしていただきます方々におかれまして、今回講師をお引き受けいただきましたことについて厚く御礼を申し上げます。

    さて、本シンポジウムは昨年の3月にユネスコに「和食;日本人の伝統的な食文化」を無形文化遺産に登録することを目指して申請が行われたことをきっかけに、関東地域、ひいては日本の食文化の魅力を再発見し、次世代に継承していくために開催されるものでございます。

    次世代への継承ということで、今日のパネルディスカッションでは若い次世代の方にも参加をしていただくということになっております。

    最近、富士山が世界文化遺産に登録されまして話題になりましたけれども、今日の和食というのは、無形の文化遺産ということで登録申請がされております。無形の文化遺産というのは芸能だとか伝統的な工芸の技術というふうなもので、形がない文化で、土地の歴史とか生活と密接に関わっているというものです。既に日本でも歌舞伎だとか結城紬だとか、そういったものが登録されております。

    今回、ユネスコに登録申請をいたしました和食というのは、単なる料理ということではなくて、自然を大切にするというような日本人の心に基づく食習慣であるということで、いわば和食の文化とも呼べるようなものです。例えば「いただきます」と言ったり、お正月に鏡餅を供えるというのも和食文化です。

    この和食文化を特徴づけるキーワードとして「自然の尊重」というものが挙げられます。この自然を大切にする心のもとで4つぐらい和食文化の特徴というのがありますけれども、それの1つ目は、新鮮で多彩な食材とその持ち味を引き出すような工夫というものです。

    それから2番目ですけれども、一汁三菜などを基本としたバランスよく健康的な食生活というもの。3番目ですけれども、季節感が感じられるような食器の利用といったような自然の美しさの表現というものがあります。それから4番目ですけれども、地域行事だとか正月などの年中行事との密接なつながりといったもの。こうした4つの特徴が和食文化で育まれてきております。

    ここ関東地方におきましても、長い歴史の中で地域の固有の食文化というのが形成されてきております。例えば日本食で最もポピュラーといえるようなすし、てんぷら、蕎麦といったようなものは、江戸時代の屋台から始まったと言われておりますけれども、千葉でも太巻き祭ずしとか、それから山梨のほうとうだとか、そういった独自の食文化もございます。

    また、関東地域は食材となる野菜や米や畜産物、海産物をはじめ、調味料となるような醤油や味噌の供給の基地としての側面も合わせ持っている、というところでございます。

    このような中で、私たちの足元を見てみますと、日本食離れとか核家族化の進行といったようなことで、食生活に大きな変化が生じて、和食文化の継承が危ぶまれるというような状況にあるのではないかというふうに思います。

    本日のシンポジウムが和食文化の良さだとか価値をもう一度見つめ直し、それから地域の食文化の継承の活動を力づけるきっかけとなって、出来れば本年の12月のユネスコの登録の決定へとつながっていくことを祈念いたしまして、簡単でございますけれども、私のご挨拶とさせていただきます。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

    司会

    関東農政局次長、西山明彦よりご挨拶申し上げました。

     

    3.基調講演

    司会

    では、続きまして基調講演のご紹介をさせていただきます。本日は民俗学者、旅の文化研究所所長、神崎宣武様より、「和食―日本の伝統的食文化」と題しましてご講演をいただきます。神崎様は国内外の民族調査・研究に従事する中、陶磁器の技術伝播の調査と民具の収集に始まり、食文化にまで展開されました。食と旅をテーマとした取り組みに深化しておられ、郷里の吉備高原では神主も務められ、日本の食文化について広く精通していらっしゃいます。

    それでは、神崎宣武様、お願いいたします。

    神崎氏

    私の演題は「和食―日本の伝統的食文化」としてあります。これは先程ご挨拶にありました中で、和食が無形文化遺産に登録申請をしている、そのタイトルがこれです。

    ここで「伝統的」という言葉に改めて注目をしていただきたいと思います。伝統的というのは、代々同じように共有して伝わるということです。ですから、飽食の時代と言われて既に久しいのですが、私たちは日常的な食生活のほとんどの食材をスーパーマーケットに頼っております。もちろん、自分の農地で生産する人もいれば、近くの海で魚を捕る人もいるのですが、ほとんど私たちは食材を買うという生活に慣れています。

    それは百歩譲りましたとして、冷凍食品あるいはファストフードというようなものを伝統的と言うわけにはいかない。これはたかだか私たち一代の中の半分ぐらいの年数、50年の歴史です。その中で便利な生活要素として共有したのです。もちろんその中でも、一部のものはあと100年、200年すれば日本の伝統的な食文化というふうに成長するかも分かりません。けれども今のところ、俗っぽい言い方をしますと買い食いをしているほとんどのものは伝統性としては認め難い。ということでは、50年ぐらい歴史を前に戻して、私たちのおじいさん、おばあさん、ひいじいさん、ひいばあさん、さらにさかのぼれば明治、江戸のおじいさん、おばあさんたちも同じようにしてきたこの食文化のパターンというものを、もう一度整理して確認する必要があります。

    今と昔と何が大きく違うか。さまざまな視点があるんですけれども、今日は日常と、それからハレの日と、その食事の区別がかつては明確であったということを皆さんと一緒に確認したいと思います。

    日常は、私がなじんでおります民俗学でいいますと、「ケ」と言います。それに対して、お祭りとか結婚式とか、あるいは法事とか、そういう人寄せの場所、そこでの行事さまざまを「ハレ」と言います。混乱するとまずいので、こういうふうに分けてみましょう。

    まず主食です。これが明確に分かれておりました。ハレの日の主食はお分かりでございますか。米は食材。口へ入る状態でご飯。しかし、これだけで済ませてはいけませんよ。それでは、皆さん方、3食で1週間の7日、21食のうちの半分以上ご飯を食べた人、手を挙げて。この会場はさすがですね。それでも3分の1は手が挙がらなかった。ということは、パンを食べて、スパゲティを食べて、ラーメンを食べて、カロリーメイトぐらいで済ませている場合もある。したがって、ご飯だけをもって主食とは言えない。遡ってみると、ご飯は行事の日に限る。ただし、地方差があります。それから、江戸や大阪や京のような大都市と、農山漁村とは違います。けれども、今日は日本ということで、標準化すること自体が無理なんですが、あえて標準化しています。

    そうすると、ご飯を食べているのは、かつては3分の1ぐらいの日数。あとの日常は、米がそれだけでは足りません。だから、麦を混ぜたり、アワを混ぜたり、ヒエを混ぜたり、芋を混ぜたり、大根を混ぜた。「おしん」という映画が復活しますが、「おしん」という映画での主食に大根飯が出てきます。これも長根の方を炊き込んでいると思われると、ちょっと時代錯誤になります。主に炊き込むのは葉っぱです。根菜の中で、大根だけが葉っぱがたくさんある。ですから、かつては農家の軒先に大根の葉っぱをつるして干していた。これは牛に食わせるだけではない。いよいよの時は足りないお米に炊き込んで大根飯にした。ですが、麦飯、アワ飯、ヒエ飯、芋飯、大根飯などなどという日本語はない。ご飯に対応してもう一つの言葉があるはずです。大体そうでしょう、ご飯ってわざわざ「御」をつけるんですから。日常ではないハレのごちそう。それに対して、日常のいわゆる混ぜ飯、これを「糅飯(かてめし)」と言います。

    それで、これを人数が足りないからもうちょっと増やそうとしたら、糅飯は簡単に雑炊になる。大ざっぱな解釈に委ねますと、今、かつての糅飯が輸入の小麦製品に変わっている。パン、ラーメン、スパゲティ、それからクッキー、その他のお菓子。かつては自分の家の畑で作っていた、あるいは近くの商店で売っていた麦や米やアワ、つまり畑作物を不足する米に混ぜて増量した。そうしたかつての生活要素はすっかり見えなくなっておりますが、小麦製品をここに入れてみたら、今もご飯の割合は半分ほどだと。日本人全体で見ると半分ほどだということになります。したがって、日本人の歴史的な主食はご飯だと答えたら50点しかもらえない。世界の基準でいうと、主食というのは毎日食べるものです。

    主食がそうであれば、副食の汁にも違いがある。日常はみそ汁が該当しましょう。それで、ハレの日は澄まし汁ですが、もう一つの言葉でお吸い物ということになります。ですから、吸い物に「御」をつけるのはいいんですが、みそ汁に「御」をつけるのはよろしくない。日常とハレの日の区別、「御」をつけるか、つけないかで決まります。

    それで、みそ汁は具だくさんであります。ふだんのおかず類が少ないのを補うために具がたくさん入っている。しかも、みそによっての栄養効果もある。吸い物は、具はほとんどない。お澄ましであって、魚の切り身がちょっとあって、三つ葉でも浮いていればいい。それが証拠に、言葉としては、かつてはみそ汁は食うでした。お澄ましは吸う。吸うということは、ここには酒が出てくる。酒で口が粘ったところを吸い物で直す。ですから、吸い物は早い段階で出てきます。

    それでは、次に副食。もう時間がないからどんどん進めます。日常の副食は一菜であります。言葉として残っているのは「惣菜」ですが、単に「菜」ともいった。私が全国各地を民俗学のフィールドワークと称して歩き出したのは昭和42年ぐらいからでありますが、そのころは各地でお年寄りはこれを菜と言った。今日は菜が粗末でごめんなさいという言い方をしておりました。それに対して、ハレの副食はおかずであります。おかずというのは、数の物があるからおかずなんです。菜は一品なんです。だから、一菜をもっておかずとは言わない。

    もうお分かりでしょう、一汁一菜という言葉です。これは飯と漬物を省いた数え方です。ですから汁と菜。それが数になるからおかずなんです。なかでも、酒に合わせたものを「さかな(肴)」と言う。今は、さかな(肴)はこの字を使いますが、江戸あたりの文献では、「さかな」は「酒菜」が頻繁に出てきます。

    話が横にそれますが、日本というのは妙なところでありまして、酒とさかな(肴)というのはセットであり、組み合わせであります。「酒肴」という言葉がある。今、私たちが居酒屋に行きましても、酒を頼んだら必ず何かがついてくるのです。先付とかお通しといいますね。これには実は値段が入っています。300円とか400円とか500円。それで目くじらを立てて怒る人は誰一人いない。ということは、文化として価値観を共有しているのです。酒とさかなは組み合わさって1つ。それを正式な儀礼いうと、一献(いっこん)と呼ばれます。一献というのは酒が一杯(さかずき)にさかなが一品ということ。だから、三々九度というのは杯が3つ。したがってさかなも3品。結婚式なんかの場合はスルメに昆布に梅干し。この酒肴の組み合わせを考えるのを献立と言ったのです。

    酒とさかなの組み合わせは一通りではありません。「軍用記」など見てみますと、武士の出陣には、まず打ちアワビ。というのは今の言葉で言うと、のしアワビ。それから勝栗、それから昆布。それを語呂合わせで「うちかつよろこび」と称えて祝ったのです。

    次に参ります。先程、漬物は数えないと言いましたが、これには必ず漬物が付きます。そうすると、ふだんの漬物とハレの日の漬物は呼び方も中身も違います。どっちがどっち。お古香とおっしゃったのはどっちですか。ハレかケか。お古香に「御」をつけてはいかんのです。お新香に「御」をつける。お新香というのは、野菜のうま味をある程度残すために手もみをしたり、ちょっと浅漬けをしたもの。色も鮮やかできれいです。古香というのは、古漬け。だから古い香りと書くんですよ。だから、これに「御」は要らない。毎日はそんなに漬物に凝るわけにいかないから、1年間作りだめしたたくあんを桶から出して、洗ってとんとんとんで出すんです。いいですか。だから、たくあんを出してお新香と言ったら、おばあさんを出して娘というぐらいの詐欺になる。

    というふうに、日常とハレの日の使い分けがありました。言葉でも今、断片的にこれが残っている。ところが、混乱を極めております。今、残っているのがみそ汁。それからご飯、おかず。お新香、古香は両方。惣菜も残っている。そうすると、主食の一方にあった糅飯が私たちの食卓からすっかり遠のいたのであります。

    私たちは簡単に現状をもって日本の食文化と言っているけれども、伝統的という限りは振り返って一度失ったものを含んで一回整理しておかなければいけない。かといって、今さら糅飯を作って食べようという運動は出来ない。ならば、ハレの日の会席での一汁三菜を大事に考えてみたらどうか。その伝統性は、食材・料理・食器などから、これももう一度検証されるべきでしょう。

    それから、先ほど話題を出していただいたのが、赤飯。これはハレの食に入れて結構です。事実、私たちはお祝いに赤飯を作っている。この赤飯の意味の解釈に遡っての自信がありません。ありませんけれども1つの解釈の方法として、古く日本へ南方から渡ってきた米のかなりの割合が、遡ると短粒米。今の米よりももっと丸い米、もち米に近いものと想定出来ます。その中に赤米があった。今でも神社のお祭りで赤米を作っているのが、対馬と種子島と岡山県の総社。それから奥三河にもあったはずですが、これがこのごろ見られなくなりました。3カ所が代表的な赤米の伝承地です。

    その赤米も精米を厳重にすれば、ふすまが赤いだけであって、心白は白い。だから炊けば白いご飯とそう変わらないのですが、かつてはそれほど精米を厳重にしていない。精米を厳重にしていないから赤色がぼんやり付くというのが、1つの想定です。

    ところが、この赤米というのは、収穫効率が悪いんです。白い米がありますと、すぐ交配して白になってしまいます。それから、もち米よりもさらに収穫量が少ない。今、うるち米が反当たり8俵ぐらいとすると、もち米になると5俵、4俵、それが赤米だと3俵ぐらいになります。だから、生産効率が悪い、交配しやすいということで、他ではなくなったに違いないでしょう。赤米で染まった色の飯がもし原型にあったとしたら、行事の時に先祖がえりしてそれを伝えることになる。おじいさんがたばこが好きだったからって、おじいさんの法事をする時はたばこを供えるようなもので、先祖が大事にしたものを祭礼にも供えます。これが赤米が無くなった後も小豆で染めてみようかということにもなったのではないかという解釈が出来ます。そうじゃないと異論を唱える人もいますが、一応今日はそういうところで収めておきます。

    それで、こうしたハレの食事ですけれども、かつてはなお、明快によく分かりました。それは、会席の膳。手前の椀がご飯と吸い物。酒が出るので、ご飯は少量。向付で和え物でありますが、酢を使います。酢みそ、あるいはごま酢、あるいはしめサバの切り身というようなものを置きます。野菜と合わせます。それから、奥の平椀には野菜中心の、日常の菜よりは少し体裁を整えた炊き合わせ。それで、皿が大体焼き物になる。ところが、ここが変わってきまして、刺身が登場します。

    刺身の歴史は、あるかないかでいうと、江戸の初ガツオなんかもそうでありますように古くあることはあるのですが、一般的に食されるようになったというと、これはもう氷、冷蔵運搬をの発達を待たなくてはといけないわけです。ですから、伝統的ということでは、魚を焼いたものぐらいでおさめた方がいいと思います。

    この膳組みが料理屋で旅館でもあまり出なくなったというのが今の私たちが確認しにくいところであります。どんどん豪華になりこの組み合わせが変わってもきますが、一汁三菜というのが基本的に本膳の組み合わせであるとお考えください。

    ところによって違います。かつてはここへ二の膳というのが別に出る。あるいは三の膳というのも出る。豪華になれば豪華になるだけ膳の数が増えてくるのです。それが温泉旅館なんかに行きますと、ずらっとべたに並んでくるんです。しかも最初から。ということで、私たちはますます基本の形式が捉えにくくなる。別にファミリーレストランや観光旅館を誹謗するわけではありませんが、1年に1回ぐらい、大人は若い人を連れてしかるべき料理屋へ連れて行きこういうところをちゃんと見せないことには、伝統的な日本の食文化が伝えようにも伝えられない。これを家庭で作れと言ったら大変なことになるでしょう。

    それで、ハレの食のサイドメニューとして出てくるのが、ところによって違いますが、すしです。すしはこの字(?)が古いのです。「魚」を「作る」。魚を作り直すんです。古くはなれずし、ちらしであれ、巻きずしであれ。保存性が大事だった。握りずしがちょっと、刺身と同じように歴史としたらたどりにくい。普及の歴史は新しいのでありますが、江戸の町で起こったとすれば伝統的と言ってもよいでしょう。あとのすしは魚を別に作り変えるということ。特にその場合は米の飯、あるいは米の麹と合わせるというようなことで発酵したものになってきたりしますが、近年はなれずしの系統が後退、すしというと握りずしに代表されるようになっているのです。

    それから、もう一つは、ここで蕎麦というのも出てきます。蕎麦、うどんは日常のものではないかとおっしゃるかも分かりませんが、例えば蕎麦でいいますと、蕎麦がきというのは簡単に食べるから日常でも食べておりました。これを練って、のして、それで刻んで、汁を作ってという手間をかければ、やっぱりこれは日常から離れたハレの食事の部類に入れるべきです。それが証拠に江戸のまちで、すしと蕎麦は屋台から出まして、それがすし屋、蕎麦屋という外食のはしりとなった。日常の家の食事とは別な分野で発達をしてきたのです。

    それから、うどんは、北関東では非常に食べた率が高いのです。今でも埼玉県は香川県に次いでうどんの消費が多い県であります。秩父の方へ行きますと、宴会席の最後はうどんが出たりします。これは山梨に行くと、ほうとうです。山梨では今でも結婚式なんかに呼ばれていきますと、最後の締めにはほうとうが出たりします。これもごちそうだったのが、いつしか日常食に移ってきたのです。

    というようなことで、ハレの一汁三菜のサイドメニューにすしや麺類が挙がってくるのをご確認ください。

    西の方へ行きますと、ここで鯛や鮎などの姿焼きが出て、それからエビも出るところがある。豪華になれば切りがないですが、本膳から離れてどんどん発達していきました。

    それもこれもごっちゃにして、これをついつい私たちは和食、日本の伝統的料理と捉えがちでありますが、さっき言いました日常とハレの日のはっきりした区別の中で、今伝えようとすれば会席の本膳形式の見直しあたりに普遍性があるのではなかろうか、と思えるのです。

    1つひとつ事例を確かめれば、日本中違ってきます。ですから、日本の伝統的食文化ということでくくることは非常に難しい。さっきのハレのご飯の歴史でさえも、うんと極端に申しますと、米を作らず、米を買うのにも町が遠過ぎる山の中の村はどうしたか。そうすると、四国の山の中では、蕎麦というのが米にかわってハレの日の主食に出てきます。それから里芋というのも、我々は今、惣菜と思っていますが、里芋を蒸して、すり潰して、それにあんをまぶしてごちそうとした。細部にいたっては千差万別でもあります。

    そして一方では、江戸のように消費経済が既に300年以上も前から発達しているところもあります。買い食いと言いましたが、買い食いがそれほど珍しくない、外食を伴った都市の食生活です。ここでも一律ではありません。ですから和食、日本の伝統的食文化がユネスコの無形文化遺産に登録されれば、めでたいことでありますけれども、1つにくくることの大きな無理をしながら、幾つもの多様なものをそれぞれに認めながら、これを次の時代にどう繋ぐか、難しい問題が生じてきます。これから事例の発表もありますし、若い方にご登壇もいただきます。次のパネルディスカッションのセッションで、皆さんでお話をしていただきたいと思います。次の時代にどう繋ぐかを論じていただきたいと思います。

    ということで、無形文化遺産を期待することにいたします。私の持ち時間はこれで終わりましたので、ひとまず失礼します。

    司会

    神崎様、どうもありがとうございました。神崎様には、この後のパネルディスカッションでもコーディネーターとして和食の魅力についてご発言をいただきたいと思います。

     

    4.事例発表

    司会

    では、続きまして事例発表をご紹介いたします。本日は3名の方にお願いをしております。まず始めに、東京家政学院大学名誉教授の江原絢子先生より、「日本の食文化史と調理法~おいしい江戸ごはん」と題しましての事例発表を行っていただきます。江原先生は、日本の伝統食の形成と変化を食材、料理、食事の形を中心に研究を行っており、江戸時代、明治、大正、昭和期の料理法や食教育の歴史などに精通をしていらっしゃいます。それでは、江原先生、どうぞよろしくお願いいたします。

    江原氏

    皆さん、こんにちは。江原でございます。私が与えられたタイトルがとても大きなタイトルで、「日本の食文化史と調理法」と、とても10分では話せないので、大ざっぱなところをお話ししたいと思います。

    この写真、本物ではないんです。全部大学で今、展示中のレプリカでございますが、先程、神崎さんからお話がありました本膳料理、二の膳付きの本膳料理を形づくったものでございます。

    まず、自然の環境と日本の食文化というのは非常に密接なつながりがございますので、これを簡単にお話ししたいと思います。まず、温暖であって夏が高温多湿と、単純に言いますとこういう形ですし、周囲が海に囲まれていて、山と川があって、水が非常に豊富であって、良質な水があるということ。これと関連して、こういう自然環境の中で、実は農産物は元々は外国から入ってきたものがほとんどなんですが、それを日本の中で育んで多様な農産物を作ってきた。それから、漁業から魚介、海藻類を捕ってきて、良質な水があったということから、こちらの右側の方ですが、ゆでる、蒸す、煮るという調理法が中心になったわけです。焼くも、もちろんございますが、焼くというのは直火で焼くという調理法が多かった。

    その他、あく抜き、水にかかわるお酒、豆腐、こういったものが発展をしたというふうに言えると思います。赤で書きましたのは、今日は調理法ということでしたので、特に調理ということになりますと、直火で焼く、ゆでる、蒸す、水を使うような調理法と、それに発酵して作る調味料、お酒、お酢、みりん、醤油、みそ、こういったものの調味料と、そしてかつお節や昆布や煮干しで作るだし、これで味を作ってきた。これが1つ日本の特徴的な調理ということにもなろうかなと思います。

    自然がこのような環境の中で作られてくるというもの以外に、人々がいろいろな交流を行っているわけですので、外国からいろいろなものが来て、先程、多様な農産物のところでちょっと言いましたけれども、外国からの影響をこれにプラスをして融合させていったというところにも、1つの日本の大きな特徴があるのではないかと思います。

    これはその自然の環境に加えまして、各時代、時代に入ってまいりますいろいろな文化、食に関するものでいうと、これは本当に代表的なものを挙げただけですが、農産物は各地域からも入ってきますが、箸、食事形式、あるいは行事食、それから油を使って揚げるとかいった調理法、それから南蛮貿易によって甘いお菓子が入ってくる、辛い唐辛子も入ってくる。この辺で天火を使うという文化も入ってきます。

    それから、西洋の文化が入ってきた近代以降、西洋料理とか肉食が入りますが、それと同時に学問的なものとして、こちらも江戸時代もあるんですが、栄養学とか衛生学、学校教育もそれに伴って行われるようになってまいります。こういう中で、日本の中ではいろいろなものをアレンジしながら、日本独自の文化を作り出してきたと言えるのではないかと思います。例えば、箸だけを使う。さじも入ってきたんですが、お箸だけということによって汁を手に持っていただくという作法も生まれるというものでしたり、あるいはお膳でいただく本膳料理とか会席料理、こういったものから先程のお話にありましたような日本の形、主に飯を主体にして、おかず、あるいは菜、汁、漬物、こういう基本的な形を作り上げてきた。その他、豆腐なんかも中国から入ってきたものですけれども、非常に柔らかい豆腐、そしてそれをそのままいただくというか、お醤油をかけていただくような食べ方、こういったものも、これは水などの関係から日本で定着をしていくものと言えるのではないかと思います。

    もう一つのところに、「おいしい江戸ごはん」というのが入っておりましたので、こういったものを先程のお話にもありましたように、江戸時代になりますといろいろそれまでのものよりも広がりを持った調理法というのが出てまいります。そのきっかけになるのが、出版された料理書というのが江戸時代に誕生するということだろうと思うんですが、それまで秘伝とか口伝であった料理書が、出版をされることによりまして、不特定多数の人を対象にしているということになりますので、いろいろな工夫が行われて調理法が広がっていくということが考えられるわけです。これは『豆腐百珍』で、よくご存じかと思いますが、遊び心を加えたような料理書が江戸後半期になりますとたくさん出版されてまいります。こちらはそれを再現してみたものですが、実際にはこれは卵豆腐で、ニンジンとお豆腐なんですが、卵のように作ったという見立ての料理です。こういう半分遊び心はあるんですが、実際にこれらを再現してみますと、非常に現代に生かせるものがたくさんあるんですね。つまり、材料を非常にうまく使いながら、調理法はとても簡単なんですけれども、味を、見た目と面白さを楽しめる料理がたくさんある。この特徴としては、ここにあるような調理法がありますが、江戸時代、あまりお砂糖を使用していなくて、材料そのものの味と、お酒を大量に使うことによって非常に甘味を出していたり、うま味を出していたりという工夫が見られますので、そうしたことも現代、少し生かす部分かもしれません。

    それから、コショウも当時使っているんですが、いろいろな香辛料、香辛野菜を使って、うまく組み合わせて工夫された料理が多い。

    調味料というのは、もう時間があまりありませんので簡単にいきますけれども、変化をしております。江戸時代の中でも変化をしておりまして、これはお手元のプリント、後でご覧いただければと思うんですが、料理書によってどのくらいの違いがあるかということを書いておりますのでご覧いただければと思います。例えばお刺身、お酢とか煎り酒というものが中心になっていたのが、現在に近い醤油とワサビに料理書の中で江戸後期から使われるようになるとか、あるいは煮物はほとんどお砂糖が入っておりませんが、江戸後期になりますとみりんによって甘味をつけるということになり、近代の料理書になるとほとんどお砂糖が入ると。こういうふうに時代によって、その時代の求められるものによっても変わっているということが言えるのではないかと思います。

    ただ、季節感を器だとかお料理に表して、発酵の調味料を中心にしながら、だしを使用して調味をするという、そういう和食の特徴というのは変わっていない。どこかの底辺のところに続いてきているのではないかなというふうに思います。

    では、時間がまいりましたので、ここで終わりにいたします。

    司会

    江原先生、どうもありがとうございました。江原先生にも、この後のパネルディスカッションにご出席いただきたいと思います。

    では、続きまして、千葉伝統郷土料理研究会主宰、郷土料理研究家の龍崎英子様より、「千葉が誇る、食文化の華~技術の伝承活動を」と題しましての事例発表を行っていただきます。

    龍崎様は、1955年より上総地方を中心に、米づくりの農民の手から生まれた太巻きずしの独特な造形について、長年にわたり技術の取材、研究、伝承活動を続け、1982年には千葉伝統郷土料理研究会を設立されました。そして、正当な技術の伝承と普及に努めていらっしゃいます。

    お話をいただく前に、皆様、お手元にこちら龍崎先生の資料があると思いますが、一部訂正がございますので、こちらで申し上げます。白い紙です。題が「和食シンポジウム―千葉が誇る、食文化の華~技術の伝承活動を」とございますこちらの資料、一番最後のページをおめくりください。「その他、千葉県の郷土料理の紹介」という題がございますページ、一番最後のページの(イ)性学餅の部分、「2週間程固くならない餅である」というところがありますが、この「2週間」というのを「10カ月」と訂正いただけますでしょうか。一番最後のページ、(イ)性学餅、こちらの「2週間程」という文字、こちらを「10カ月」にご訂正をお願いいたします。

    それでは、龍崎様、お願いいたします。

    龍崎氏

    皆さん、こんにちは。龍崎でございます。今回は縁がございまして、「千葉が誇る」というふうなタイトルがついていましたので、この仕事をお引き受けしました。そういうわけで、私は千葉県のことだけをしゃべればいいんだなと、そういうふうに考えております。

    千葉県外からおいでになった方はちょっと手を挙げていただけますか。だいぶいらっしゃいますね。千葉県生まれで千葉県育ちという方、手を挙げてください。いるようで少ないですね。分かりました。

    私も実は江戸で生まれて、千葉に来た人間ですから、西側から見た千葉県ということで、非常に千葉県に対しては興味がありました。それで、いろいろなカルチャーショックもあったんですけれども、その中で拾って、今日はお話ししたいと思います。

    ご存じのように、千葉県というのは非常に面白い形をしていまして、それこそ西と北は川です。あとは全部海で囲まれている。日本の地図を見ましても、この県だけはどんな人でもすぐ分かると言われています。

    下の絵は、代表する太巻き祭りずしの代表的なものを写してある写真です。私が千葉へ参りまして一番びっくりしましたのは、お米を作っている農家の人が、自分たちが考えて、そして作り上げた造形です。決して初めは美味しいとは思いませんでした。けれども、何となく作っているうちに、この造形に対する考え方が非常に斬新だということが分かりました。これはどういうところで作っているかというと、千葉県というのはそこに書いてあるような地形で、いろいろな産業が成り立っているところ。ご覧になれば読めると思います。

    この祭りずしに絞ってしまいますが、元々は実際にお米を作った農家、作っている農家の婦人の手から生まれたもの。以前は、男性の「バンコ」と言われている人たちが作っていたようですけれども、私が見ました時には、男性はほとんど作っておりません。作っていても非常に単純な図柄でして面白くない。ところが、女性が作っているのを見て、大変びっくりいたしました。

    ちょっと記憶にとめていただきたいのは、この彼女が作っている手元です。すだれの使い方。ちょっと違いますでしょう。位置が縦になっておりまして、両端から締めるようになっています。これが特徴です。

    いろいろな文様を生み出していったんですが、上の方にあるのが昔の文様というか、昭和30年代の、私が取材した頃の文様です。非常に単純ですが、これといった写真がありませんでしたので、彼女たちが描いた図柄をもとにしてまとめてみました。一番下の方にちょっと出ておりますが、これは巻き方の覚え方。伝承がありませんので、全部頭の中で覚えています。この方は、もう亡くなられた方なんですが、サンガイマツを覚えるのに、かのこかのこと積み上げて枝もしっかり幹太く、これぞ我が家の、その方は五葉松とおっしゃった。かのこの「か」という字はかんぴょうを指しています。かんぴょうは茶色でちょっと色をつけておきましたが、お醤油とお砂糖で煮たもの。「の」はのりなんです。かんぴょう、のり、「こ」はご飯なんです。

    それで、当時は、緑色の松もかんぴょうを染めたものを使った。今は野菜を使っていますけれども、ほとんどかんぴょう文化でして、これを歌で詠んで作り方を頭に入れていた。これは非常に私は画期的な覚え方で、画用紙にクレヨンで書いてありました。原盤はあるところへ貸したら返ってこなかったので、私のところはコピーだけです。

    それから、比較的地方によって巻き方の特徴がありまして、市原郡はカタツムリ、それから君津はチューリップです。それから安房は正ちゃんと、それぞれの模様が誕生した土地。山武は非常に複雑な模様が上手で、ここに書いてある松。それから夷隅になりますと椿の花。これは大原というまちの椿の里かな、それをイメージして考えたと言われています。

    そうして、現在の千葉は、各地方の特徴が交流しまして、全体的に模様が分散しております。得意な人が得意なものを巻くと。私がこう言ってしまうといけないんでしょうけれども、昔の山武郡下は上手です。それから君津も上手だと思います。

    これを支えていたものは何か。これは道具なんです。当時の道具はほとんど自家製です。農家の人はすだれを編むことを知っています。なぜかというと、これはむしろを編んでいたんです。米俵を編んでいた。それから、千葉県は大変竹が多いところでして、自分の屋敷の中に竹があるところが多いんです。ですから、ひごこきで竹を細くしまして、それを自分の都合のいい大きさのすだれに、これは男性が作っていたと思います。うちのお父ちゃんが作ったすだれが一番巻きがいいと言っていたんですね。

    それから、現在はどうしているかというと、銚子のすだれ屋さんが私の希望を入れて、写真にあるようなものを作っておりますので、自家製のすだれはほとんど廃れております。

    それから、卵焼きというのは、鍋にこだわっていまして、皆さん、大きな卵焼きの鍋を持っているんです、24センチ四方ぐらいの。ところが、これを持っているのは金持ちで、一般の人はあまり持ってない。持っていても21センチ角ぐらいなんです。偶然、私が現在使っているような、ちょうどA4判に近い大きさの卵が焼ける鍋。これを使っている人を見つけまして聞いたところが、行商が持ってきたというんです。妙なところから卵焼きはちょっと発展いたしました。

    それから、分量や巻き方ですが、個々に全部違います。そして、秤がございませんから、当時は全部手秤です。ですから、私が聞きますと、このくらいと言うんです。このくらいがくせ者でして、家へ帰ってきてこのくらいを再現すると、わけが分からなくなってしまう。こういう仕事で一番難しいのは、このくらいが正確な数字で幾らということを決めなければならない。ここが一番難しいです。のりのように決まったものは、カットした数で決めていけばいいんですが、ご飯の分量を決めるのはとても至難のわざでした。

    これが確立してから、初め少し甘過ぎたすし飯が、普通の人の好みに合うすし飯に変わりました。この甘いというのは、お砂糖をたくさん入れておくと、次の日にも固くならないで済むんです。これを彼女たちが考えたんです。非常に貴重な考え方なんですが、現代人の嗜好にはちょっと合いませんので、すし飯は当初よりも甘さを抑えてあります。

    それから、ある企業と開発しましたのはすしこでして、その中のピンクのすしこが、今までさくらでんぶを使ってピンクに染めていたのを、色も味もいいものに変わったということです。

    それから、かんぴょうはこの県はとれませんので、干しズイキが主流だったんですが、やはりこれは栃木のかんぴょうに勝るものはないというので、これを自由自在に使い分けております。

    それから、最近の人の感覚も少し入れまして、チーズとかウインナーですね。こういったものも組み合わせまして、子どもたちに受け入れられるような形になってきております。

    これからどうしていくかということでは、地域の食活動ということで、子どもたちに伝えるために、今は一番努力をしている最中でございます。

    どうもありがとうございました。早過ぎた。まだあったそうですけれども、また後程。

    司会

    龍崎様、どうもありがとうございました。龍崎様にもこの後のパネルディスカッションにご出席をいただきたいと思います。

    では、続きまして、郷土料理、食文化研究家の清絢様より、「関東の郷土料理、行事食」と題しましての事例発表を行っていただきます。清様は、日本各地の農山漁村を歩き、その土地の食文化と暮らしのつながりを取材されていらっしゃいます。郷土料理に焦点を当て、全国各地をみずからの足で訪れ、そこで出会った日本のよき伝統、郷土料理、行事食をこれからの時代に継承すべく発信をし続けていらっしゃいます。では、清様、お願いいたします。

    清氏

    はじめまして。清絢と申します。本日は、貴重な発表の機会をいただき、誠にありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。では、時間もありませんので、早速始めさせていただきます。今回は「関東の郷土料理と行事食、行事が育む食文化」というタイトルでお話をさせていただきます。

    郷土料理の調査を続けていると、その多くが年中行事や冠婚葬祭にかかわるものであることに気づかされます。行事を熱心に行っておられる地域では、郷土料理も根強く伝承されていると感じます。これからの未来へ伝統的な食文化の継承を目指す時、レシピに書き表されるような食べ物としての食だけではなく、その背景にある行事や人々の交流、それらとともに受け継いでいくことの重要性を強く感じてきました。そうした行事の代表例として、まず、私が主に研究しております仏教行事と食について簡単にお話しさせていただきたいと思います。

    北陸や東海地方で広く信仰されている浄土真宗では、宗祖である親鸞の命日に当たる日に、報恩講という1年で最も大きな行事を行います。時期としては、多くの地域で農作業がひと段落する秋から冬にかけて行われています。親鸞をしのぶ目的で行われる報恩講ですが、実際の行事はこちらの写真にありますように、お経を上げる勤行と参拝者一同で食事をするお斎(おとき)とで構成されるのが一般的です。このお斎の場には、地域に暮らす人々が集い、貴重な交流の場として機能するとともに、ここに参加する人々の手づくりで作られるお斎の料理に、伝統的な郷土料理や行事食が伝承されています。

    次に、具体的にどのような料理が食されているのかというと、こちらの写真を見てください。これらの写真では立派な漆塗りのお膳に、手の込んだ料理が並んでいます。このようにお膳料理を出すのは石川、福井、岐阜、富山にまたがる中部山村地域に多く見られ、春にとれた山菜も一番良いものを秋まで大事に取っておいて、みんなでこの時にいただくという習慣があります。

    こうしたお膳には、例えば石川県白山市白峰では堅豆腐のみそ汁、岐阜県高山市清見町ではぎせ焼きなど、その土地ならではの郷土料理が必ずといっていいほど並んでいます。

    次に、このような個性的な料理もございます。左の緑色の円柱形のものは、滋賀県守山市で作られているニガナのあえ物です。ニガナとは田んぼのあぜに生えている野草のことで、それを摘んできて2週間程かけてあく抜きなどの下ごしらえをしまして、手間暇を惜しまず調理して、行事のお膳に並べます。右は親鸞の好物だと語り継がれている小豆の汁物です。味つけはとても甘くて、ぜんざいにも似ています。親鸞の遺徳をしのんでいただくということから「いとこ煮」と呼ばれるようになったと語られています。

    このように食される料理を眺めてみるだけでも大変興味深いのですが、こうして行事が食文化を育むきっかけとなり、その土地の郷土料理を形成してきたということが大切なポイントだと思います。

    また、こうした行事の食事の特徴は、多くの人々がこの機会に同じものを食すということにあります。その最も特徴的な例として、岐阜県高山市の寺院で行われている報恩講をご紹介したいと思います。

    こちらの寺院では、地域の家々から大根とみそを写真のように持ち寄りまして、寺の大鍋でみそ汁を作ります。そして、そのみそ汁を昼食のお斎に全員で食します。このように参拝者は本堂に並んでいただくんですが、参拝者では食べ切れないほど大量に作られていて、必ず各自が自宅に持ち帰るのです。行きは大根を入れてきたバケツに、帰りは写真のようにみそ汁を入れて、皆さん家路に着くわけです。そして、今度はそれぞれのご家庭でこのみそ汁をいただくということになります。共同負担によって大鍋で炊かれたみそ汁を、集落の人々全員がこの機会に味わう。こうした行為は共同体の結束を強めるとともに、地域の食文化を形成する母体としても長年機能してきたと考えられます。

    ちなみにこのみそ汁は、20数軒の家から手前みそを集めて作られるので、何とも美味しく、こく深い味わいです。一見何の変哲もないみそ汁に見えますが、決して1人では出すことの出来ない、特別な一杯なんです。

    ここまでのお話をまとめますと、浄土真宗においては報恩講が地域や家族、親戚などの交流の場として機能してきたこと、共同負担による共同飲食が地域の結束を強め、共同体意識の形成と向上を促してきたということ、そしてこうした行事の場が郷土料理を育み、食文化を伝承する場としても機能してきたことを分かっていただけたかと思います。

    今、代表例として浄土真宗の行事をご紹介しましたが、この行事に限らず、日本各地でさまざまな年中行事や冠婚葬祭などの場が、同じように食文化の形成、伝承を支えてきたということが言えると思います。

    次に、関東ブロックの事例としまして、静岡県東伊豆町稲取の郷土ずしをご紹介したいと思います。稲取は伊豆半島の東側に位置する漁業の盛んなまちです。そんな稲取で最も特徴的な行事食が、こちらのげんなりずしです。七五三、成人式、結婚式、上棟式など稲取の人々の人生の節目節目に作られるおすしです。写真からは実際の大きさが分かりにくいんですが、1つが1辺9センチ×7センチほどもある、とても大きな長方形の押しずしで、1つにお茶碗2杯分ほどのすし飯が使われております。5個でお茶椀10杯分ほどにもなります。

    このげんなりずしを作る時には、親戚や隣組など必ず1軒につき、こちらの5個1組で配る習わしがあります。写真のように大きなお皿に載せて、上から半紙をかぶせまして、直接相手のお家まで届けに行きます。

    先程からげんなりずしというちょっと不思議な名前が気になっておられるかと思うんですが、このげんなりという言葉、一般的には飽きてうんざりするというようなちょっとマイナスのイメージもあるかなと思うんですけれども、稲取では決してそういう意味というわけではなくて、満腹になるとかおなかがいっぱいになるというような意味合いが強いそうです。

    現在、この5種類の内訳は、稲取特産のキンメダイの紅白のおぼろとシイタケの甘煮、卵焼き、マグロのお刺身というのが定番です。すし飯もネタも甘めの味つけでして、げんなりというちょっと不名誉な名前は似つかわしくないくらい、味はとても美味しいおすしですのでご安心ください。

    では、次に、実際に現在どのようにげんなりずしが作られているのかをご紹介したいと思います。今年の6月に婚礼を行われた漁師さんのお宅では、親戚や隣組、漁師仲間などなんと130軒ものお宅にげんなりずしを配られました。作ったおすしの数は合計で700個以上にもなりました。これだけの量のおすしを作るのに、もちろん家族だけでは手が足りませんので、13軒の家からお手伝いに出てきてもらったそうです。さらにかかった費用は20万円以上ということでした。これを新郎のお宅1軒で負担しますので、経済的にもすごく大変なことだとは思います。

    しかし、こちらは漁師という仕事柄、地域のつながりを大切にされていまして、地域全体でお互いのハレの日を祝うという習慣が残っているため、現在でもこのように続けておられます。

    最後に、まとめとしまして、今日ご紹介しました伝統的な行事や習慣というのは、都市化や生活スタイルの変化によって急速に失われています。それとともに食文化もどんどん消えていってしまっています。その保全は急務であるということが言えるかと思います。

    近年は郷土料理がまちおこしに活用されるなど、その価値が見直されつつあり、素晴らしいことだと思いますが、ただ、これからの世代へ伝統的な食文化の継承を目指す時に、食べ物としての食というのだけではなくて、食が育まれてきた行事や、そこにある人々の交流、それらを包括的に受け継いでいくことが大変重要であって、私たちがこれから意識していかねばならないことなのかなと思います。以上で発表を終わります。どうもありがとうございました。

    司会

    清様、どうもありがとうございました。清様にもこの後のパネルディスカッションにご出席いただきたいと思います。それでは、ここで10分間の休憩に入ります。シンポジウム再開は10分後となりますので、それまでにご着席をいただきますようにお願い申し上げます。また、ここでお帰りになるお客様は、アンケート調査票を資料に挟んでございます。ぜひこちらにご協力をくださいますようにお願い申し上げます。

    なお、お手洗いにつきましては、ホールを出られまして右手の通路奥にございます。それでは、この後、10分後のシンポジウム再開までご休憩をお願いいたします。

    (休憩)

     

    5.パネルディスカッション

    司会

    それでは皆様、お待たせをいたしました。シンポジウムを再開させていただきます。これよりはパネルディスカッションとして、「和食文化の魅力」をテーマにディスカッションを行わせていただきます。

    それでは、コーディネーター及びパネリストの皆様をご紹介させていただきます。皆様から向かいましてまず左側から、コーディネーターの神崎宣武様。パネリストの江原絢子先生。龍崎英子様。清絢様。そして、若い世代として、法政大学人間環境学部齊藤由香里さんにもご参加をいただいております。

    それでは、パネルディスカッションに先立ちまして、全体の概要を私より説明させていただきます。本日のこのパネルディスカッションのテーマは「和食文化の魅力」です。和食文化を特徴づけるキーワードとして、多彩で新鮮な食材と、その持ち味を引き出す工夫、一汁三菜を基本としたバランスよく健康的な食生活があります。さらには、美しく盛りつける表現方法や食器の使用などにより、自然の美しさや季節の移ろいを表現し、年中行事にも密接な関わりがあります。本日はそんな和食文化の魅力について、ディスカッションを行ってまいります。

    また、先程もご紹介をいたしましたが、本日のディスカッションには地元の大学生の方にもご参加をいただいております。このディスカッションの中では、和食文化を次世代へ継承していただくために、若い世代から見た意見もお伺いしてまいりたいと思います。

    それでは、ここからの進行はコーディネーターの神崎宣武様にお願いしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

    神崎氏

    よろしくお願いします。あと1時間ばかりディスカッションに時間を費やしたいと思います。もう全て、さんづけでよろしいですね。まず、齊藤さんが新しく登壇されました。若い人の代表だそうでありますが、私からご紹介するよりもご自分でご紹介していただいた方がいいと思いますから、どうぞ、自己紹介をお願いいたします。

    齊藤氏

    法政大学人間環境学部3年の齊藤由香里と申します。大学では、人間を取り巻く環境を中心に地球環境や労働問題、健康問題などを幅広く学んでいます。大学以外の活動もしていまして、半年程前から、みそを食べて健康できれいな体を作って、将来すてきなママになるというコンセプトのもとにさまざまな活動を行っているミソガール委員会に所属しています。本日はよろしくお願いします。

    神崎氏

    ありがとうございました。どうぞ、あまりかたくならないでお気軽にお付き合いください。それでは、ご発表いただいたお二人には会場の皆様方からご質問やご意見をいただくべきなのですが、時間の都合もありますので、私から皆さん方を代表する形で、ご質問をしたいと思います。

    まず、江原さん。日本料理の特に調理面についての幾つかの特色を挙げていただきました。ゆでる、蒸す、煮る。焼くというよりは、それが料理の主流であったようなお話でありましたが、それに関連して、だしという例題もいただきましたが。私はだしは、日本の料理を特色づける、強調出来る良さだと思うんですが、だしについてちょっと、もう少し補充していただけませんか。

    江原氏

    だしは、今取っている代表的なものとしては、かつお節とか、昆布、煮干しということだろうと思うんですけれども、これは日本の柔らかいというか、軟水の中で、特に昆布がそうなんですが、よく出るということで、それと海のもので長い時間をかけて作られているものがかつお節ですけれども、それを短い時間にだしとして出すという。だしとして出そうと思うとそういうものなんですが、日常的には、先程、日常とハレのお話がありましたけれども、日常的には、特にだしをとらなくていろいろな野菜類ですとか、いろいろなものを組み合わせることによって、うま味を出してきたという歴史があるのではないかと思います。

    神崎氏

    ということは、だしというのは、今はインスタントのだしがたくさんありますが、しかし、遡ってみるとやはりハレの日の味つけから出てきた。

    江原氏

    そうですね。かつお節だとか昆布で取るというのは、ハレの日だと思います。ハレの食材。

    神崎氏

    そうしますと、かつお節、昆布、いりこ、それから西日本のあごだしというのもありますが、これは全て海の香りですね。

    江原氏

    そうですね。山のものもございますけれども。

    神崎氏

    山のものは。

    江原氏

    例えばシイタケ。

    神崎氏

    お言葉を返しますが、シイタケは精進料理として食べていたんですね。

    江原氏

    精進料理ですね。だから、これも日常というよりもちょっと違う。

    神崎氏

    だから、ちょっとそれは区別していただくのと、道元さんが中国から持ってきたんですね。ですから、日本の古来のものとはちょっと言いにくい。

    江原氏

    まあ、そうですね。古来というのをどこにするかにもよりますけれども。

    神崎氏

    だしの文化がかなり古くからあって、それは海産物を乾燥したもの。それで、もちろん中国の料理にもだしがありますが、私はやはり海の香りということにこだわりたいんですが、それはどういうふうにお説きになりますか。

    江原氏

    海の香り。加工品にすることでいろいろなところで使えるという、その点も1つの大きなことではなかったかなと思うんです。だから、やはりハレ的な意味合いと、それからうま味も非常に強いということもあったと思いますけれども。

    神崎氏

    齊藤さん、あなたはミソガール。ミソガール委員会の委員ということでありまして、おみそを大事に捉えよう、考えようとなさっているんですが、おみそ汁にだしを入れないということは想定出来ていましたか。つまり、江原さんは、特別な時のみそ汁には丁寧にだしを出すけれども、他はいろいろなものを具をまぜることによって、それでうまみが複合して出るというようなことをおっしゃったんですが、あなたは若い代表とすれば、そういうだしを入れないみそ汁というのは、想定なさっていましたか。

    齊藤氏

    いえ、考えてなかったです。だしにも顆粒だしとかもあるじゃないですか。そういうのを入れるのが普通だと思っていたし、野菜とかからだしを取るというふうには若い世代は思ってないと思います。

    神崎氏

    じゃあ、今日はちょっと考えを改めておられますね。

    齊藤氏

    そうですね。

    神崎氏

    歴史的に見るとそういうことだということでしょう。龍崎さん、その千葉県は海に囲まれているとおっしゃいましたが、だしは古くさかのぼってみれば、どういうふうになりますでしょうか。といいますのは、私なんかはついつい京都中心にだしの文化が発達したんだろうと思うんですが、千葉の場合はどうです。

    龍崎氏

    実は、千葉はかつお節の産地なんです。特に外房の方の勝浦から鴨川にかけて。ですから、かつお節を作る時に、「はらも」って先生分かりますよね。内臓をくるんでいるところの肉は脂が多いので、かつお節向きじゃないですね。その部分を塩漬けにして、改めてあれをそぎ切りにして、お酢で今度は塩気を抜きまして、はらもずしというのがあるんです。ということは、かつお節文化とそちらのおすしは共同で残っている。現在、まだ1軒だけ、はらもずしを提供する家があるんですけれども、勝浦の方の人たちは、そういう両方を利用しただしですね、つまり。片方ではかつお節として使う。煮干しがありますので、煮干しがだいぶ普段の生活の中では使われていました。

    神崎氏

    清さんにもちょっとお聞きしたいんですが、その前にちょっとお時間くださいね。龍崎さん、もう一度。だしの中にこれは関東の方は少しなじみがないかもしれませんが、瀬戸内海中心にアミというのがある。これはエビの小さいものではありません。プランクトンのですが、これの塩漬けがあります。このアミをだしによく使っていたんですね。例えば大根を煮るなんていうのは、アミが瀬戸内近辺では不可欠なだしでありました。そういう意味での、先程おっしゃったもの以外に、塩漬けというのがあるんじゃないか。調味料であり、だし。極端に言えば、塩辛も調味料、だしとして使えるというようなことで、もう少しだしを広く捉えてみたらどうでしょうか。

    龍崎氏

    そうですね。例えば、納豆、寺納豆と言われる納豆がございますよね。あれなんかも、同じような調味料プラスだし的な役割も果たしている。発酵性のものという。野菜類も発酵させたものを一緒に中に入れてというので、お塩を使わないような漬物類ですね。そういったものを汁の中に入れるという場合もあるかと思います。

    神崎氏

    特に北関東では、納豆汁という、みそ汁の中に納豆を入れて、鍋で一緒に煮るというのが多いですから。だしの文化というけれども、思い出しながら、皆さん、少し広げた状態で考えていただければと思いますが、そうすると、齊藤さん、今、話の中に出てきたアミとか塩辛というのは、分かりますか。

    齊藤氏

    分かります。

    神崎氏

    今度、みそ仕立てをやる時に、野菜と煮る時にぜひそれを試してみてください。

    齊藤氏

    そうですね。ちょっとやってみたいなと思いました。

    神崎氏

    そうですか。ありがとうございます。そうすると、お酒も飲みたいなと思うようになるかも分からない。

    齊藤氏

    お酒も。

    神崎氏

    それでは、清さん、そのだしをもっと広げて、シイタケというのは、道元さんが持ち帰って、精進料理の中で定着する、そこから広がるというのですが、あなたが先程ご発表いただきました浄土真宗の報恩講、これも精進料理ですね。

    清氏

    そうですね。精進料理というと結構洗練された料理を思い浮かべる方が多いかと思うんですけれども、先程ご紹介したようなああいうみそ汁にも、魚介類のおだしは入れませんし、まさしくみそと素材の、大根とかだけのだしで出来ているもので、それも精進料理であるということは言えると思います。すごく庶民的なものですけれども。

    神崎氏

    生臭物を使わない、お肉の類を使わないということでいえば、報恩講の料理、まさに精進料理ですね。

    清氏

    そうですね。そう思います。

    神崎氏

    それで、その場合の味は特別なものがありますか。

    清氏

    報恩講の料理でだしというものは特に使わなくて、やはりみそはすごく調味料の1つとして使われている部分が大きいかなと思います。

    神崎氏

    皆さんにお聞きしたいのですが、「醤」と書いて「ひしお」。この醤に2通りありまして、豆醤というのがあって、もう一方に魚醤というのがある。それで豆醤というのは、みそ、醤油、短絡的に言ったら語弊がありますが、このごろはみそと醤油はそれぞれ作り方が違いますから。しかし、大ざっぱにいえば、みそが古くなって液体化した中へざるでも入れたらずぶずぶと真ん中へ液状のものが出てくる。これはたまり醤油だとすれば、みそも醤油も豆醤に違いありません。もちろん、麦も米も入れたりしますが、豆が中心。それよりは古いと思うんですが、魚醤がある。というのは、漁村では、捕った余剰の魚、サバでもイワシでも何でもいいんですが、それを塩で漬け込む。それが発酵した状況で、液状化したものをすくうと魚醤。能登の輪島の朝市なんかで売っております、いしる。それから、秋田のしょっつる。それから、伊豆諸島のくさや汁。それから、瀬戸内のいかなごじょうゆというようなものがあります。

    とすれば龍崎さん、先程のカツオのはらもですね、あれを漬け込んだりするような例はなかったんでしょうか。

    龍崎氏

    私が調べた範囲では見つかりませんでしたね。あるいは、漁師町でそういうのもあるのかもしれませんけれどもね。ただ、かなりの塩で漬けたり。発酵までしてない。

    神崎氏

    あったかもしれませんね。

    龍崎氏

    ただ、先生、千倉の沖でサバがとれるんですよ、美味しいサバが。サバを生のまま、わたを抜いて筒切りにして、だしがわりにほうり込んでいますよ、漁師のみそ汁というのは。それと冬瓜がよく合うというんですけれども。サンマも使いますね。今はあまり見なくなったんですけれども、昭和30年代にはそういうものがありました。「生だし」と言っていたように思うんですけれども。ちょっと思い出しました。

    神崎氏

    そうですか。ということで、私は魚醤の方が豆醤よりも古いと思います。それは、農業の発達と漁業の自然派生を考えた場合に。それから、私たちは魚をとるのに針が要る、漁網が要るという考え方はちょっと短絡的であります。近代的でありまして。魚は種類によりますが、十五夜の時に浜へ寄ってくるものが多いんですよね。それを少し向こうから追い込んでやれば、そう無理をしないで、受ける容器さえあればとれるという例もありますから。魚醤の存在も、海に囲まれた日本ということでは忘れないでおきたいと思います。発酵したこれは、明らかにだし入りの総合調味料です。もしかしたら、豆醤が安定して発酵するようになって変わった時に、海の香りがどうしても豆醤にはついていないということで、だしももしかしたら魚醤への嗜好性が伝統として続いて、わざわざだしを取るということが入ったという考え方が出来るかも分かりません。

    どうでしょう。言い過ぎでしょうか。

    江原氏

    いや、それは何とも、私も分かりませんが、魚の方が古いと思います。醤としては。

    神崎氏

    ということで、日本的な調味料の基本がこういうことであるということもご確認いただきたいと思います。

    それで、齊藤さん、今までのところで単語、その他でお分かりにくいことはありましたでしょうか。

    齊藤氏

    私はミソガールを始めて、ふだんはよくみそ汁だったり、和食にはみそがよく合うということで、使われる料理が多いと思うんですけれども、先程は清さんから、岐阜県のおみそ汁についてもありましたが、他に行事食としてみそが使われている料理をあまり知らないので、知っていたら教えていただきたいなと思いました。

    神崎氏

    そうでしょうね。みそ汁が一番、それは今でもポピュラーですからね。

    齊藤氏

    そうですね。身近です。

    神崎氏

    それでは、行事食の中へみそが再加工されて出たり、あるいはおしゃれに取り合わされて出たりするような形で事例を、それでは清さんからお願いしましょうか。

    清氏

    そうですよね。今、それでちょっと考えてみたんですけれども、行事食でみそですか。あまりにみそ汁が目立っていたもので。あるかなと今考えているんですけれども、どうですか、皆さん。

    神崎氏

    田楽というのは、仏事の時は一般的に使いますか。豆腐田楽とか、コンニャク田楽とか。

    清氏

    私が調べてきた中では、田楽というのは、仏事の際にはあまり登場しなくて、やはり煮物であったりとか、あとは白あえであったりとか、そうしたものが目立つのと、やはりみそはみそ汁のところにすごく使っているので、ちょっと他の部分でみそというのが、今ぱっと思いつかないんですけれども。

    神崎氏

    はい。もし思いつかれたら、またおっしゃってください。シナリオはこうやって書いてもらっているんです。けれども、この通りに行かないものですからね。皆さんを困らせようと思っているわけじゃないんですが、お許しください。江原さん、どうぞ。

    江原氏

    行事食というふうに限定するとちょっと違うと思うんですが、行事食、今日はお話の報恩講だとか、そういう行事食とは違いますけれども、いろいろな行事、それから婚礼も含めて、儀礼的な食事という意味でのハレというところでは、これは江戸時代の献立をずっと見てみますと、必ず、汁、例えば二の膳付きの食事という。行事の場合にも例えばかしわ餅だとか、江戸時代もそうですが、そういうものも作られるんですが、食事は基本的に本膳料理なんですね。本膳料理で二の膳が作というような場合ですと、最初の本膳のところは、汁はみそなんですね。汁はみそで、魚類が入ったり、鳥類が入ったりということが多いんですけれども、二の膳になりますと、澄んだ澄ましの汁というのが二の膳の方に入ることが割と多いんですね。それと、お酒が先程おっしゃったように途中で出てまいりますので、さらに吸い物が出るという形で、吸い物は何回も出てまいりますけれども、そういう時もみそ吸い物というのもございますので、酒のさかなとして、みそと澄ましもございますし、ご飯の相手としてのみそ汁と、それからそうでない澄ましという両方が出てまいります。

    神崎氏

    ありがとうございました。

    龍崎さん、千葉で焼きみそという食べ方はありませんか。

    龍崎氏

    私はあんまり焼きみそとは出会っていません。

    神崎氏

    といいますのが、江戸の蕎麦屋では、ちょっとお酒を飲む最初のあてに、焼きみそというのが出るんですね。現在でも東京の老舗蕎麦屋ではそれがありますので、このあたりまで伝わってきたのではないか、と思ってみたのです。

    龍崎氏

    あんまり。でも、千葉県人が多いから聞いてみましょうか。

    神崎氏

    じゃあ、どなたか焼きみその存在をご存知の方。はい、お願いします。

    来場者

    山武地域なんですけれども、「やんき」というのがございまして、「やんき」というのはおにぎりのことを言うんですよ。「みそやんき」というのがあって、おにぎりの白い飯にみそをまぶして、それをちょっと焼くという習慣はあります。みそそのものというよりも、おにぎりを焼くという。

    神崎氏

    それは日常に食べるんですか、それとも何かの行事の時に食べるんですか。

    来場者

    私もちょっと、古い世代は分かりませんけれども、多分、おやつがわりに食べている時代もあった。

    神崎氏

    「やんき」ですね。

    来場者

    「やんき」と言うんです。「やんき」という方言で。

    神崎氏

    みそやんき。

    来場者

    山武地域ではそういうふうに。多分、焼き飯が語源ではないかというふうに言われています。

    神崎氏

    そうですか。ありがとうございました。

    千葉では、おなじみがないかも分かりませんが、江戸では、それから今の東京でも、焼きみそというメニューがありますから、ぜひお試しください。お酒にはなかなかだと思います。齊藤さん、今まで出てきました田楽から焼きみそまで、それでお分かりにくいことはありますか。

    齊藤氏

    田楽とかは聞いたこともあるし、食べたこともあるんですけれども、今の焼きみそのおにぎりとかは初めて聞いたことなので、ちょっと食べてみたいなと気になりました。

    神崎氏

    今日は初めてのことがたくさん出てきましたね。よく覚えておいてください。

    齊藤氏

    はい。

    神崎氏

    それで、もうちょっと調味料にこだわりたいと思います。平安時代の藤原の大臣の就任大宴会なんかでは、図もあるんですが、幾つもの魚が出てきます。乾き物、蒸し物が多いんですが、その時にここへ箸と一緒に小さい皿が3つありまして、その一皿に醤(ひしお)、さっきの醤ですが、どのレベルの醤か、豆醤なのか、魚醤なのか分かりませんが、醤というものが入っている。それから次の一皿に、酢とか塩が出てきます。それから、3つ目の皿へ酒が出てきます。この酒を私も最初の頃はうっかり見逃しておりまして、これを普通の酒のように思っておりましたが、どうも違うらしい。この酒はただの酒ではなくて、調味料であって、煎り酒ではなかったかと。煎り酒は、この時代でも出来たのではないかと想定しました。江原さんが、煎り酒もさらっとお話しいただいたんですが、もう少し詳しくお話しいただけませんか。

    江原氏

    煎り酒は、お酒と、酒という字がある通りですが、お酒と梅干しとかつお節、これを煮出したものを煎り酒と言っておりますけれども。私がはっきり煎り酒として文献的に見たのは、室町の頃から安土桃山あたりの料理書の中に見られるかなと思いますが、江戸時代には、これは特に刺身の調味料の主流を占めてまいります。江戸時代の料理書の中では、もちろんお刺身、特に白身の魚ですけれども、それの調味料なんですが、その他あえ物などにも使われております。

    神崎氏

    ということで、煎り酒という調味料が中世のあたりからあって、江戸時代には刺身のあてとして、つまり醤油が普及する以前は、かなり煎り酒に頼ったところが大きい。それから、私なんかが聞きますのは、煎り酒はどちらかというと白身の魚に合う。それから、濃い、色のついた醤油はそれ以外の魚に、という使い分けも、その後の料理屋ではしているところがありました。ちなみに、酒どれぐらいに梅をどれぐらいの割合で作れますか。

    江原氏

    これも量が明確には決まっておりませんけれども、江戸時代に最初に出版されました『料理物語』という料理書がございますが、そこに書かれているもので、比率がどのぐらいだったか、私は今ちょっとはっきりは覚えておりませんが、自分が書いた『おいしい江戸ごはん』というのに作り方を書いてございますけれども。分量もありますが、1合ぐらいの、200ぐらいのお酒に対して、梅干しは3~4個なんですが、その梅干しは、今の梅干しと多分違うと思いますので。今は塩分が少ないですね。それだとちょっと足りないかもしれませんけれども、かつお節は適当に入れるという感じで、半分ぐらいに煮詰めるというふうに書かれておりますので、そうすると酸味があってさわやかな感じの調味料になります。

    神崎氏

    江原さんがお話の中に江戸の料理書の中にあって、今、私たちが身近に探しにくいもの、それでも再現出来るものがあるとおっしゃいましたが、煎り酒もその1つとしていいですね。ぜひ、お試しください。それはさらに遡って、中世まで文献の上でも確かめられる。もしかしたら、平安のこういうところまでもあるかというようなことで、日本の食文化の伝統性を考察する1つのキーになろうかと思います。

    それでは、今までのところ、ご質問やご意見はありませんか。会場の方も、これからちょっと話題を変えますので、一区切りとして、ご質問やご意見があったらお手を上げてください。齊藤さん、いいですか。

    齊藤氏

    大丈夫です。

    神崎氏

    それでは、若者代表が大丈夫とおっしゃったから、次へ進むことにいたしましょう。

    それで、清さんがご提示くださいました、共同飲食という問題です。これは同じ釜の飯を食うということで、私たちの絆を確認する。それと同じように同じ杯の酒を飲む。これも、今はぐい飲みのようなものがめいめいに出てきますが、かつては、少なくとも行事の時は神様から下ったお神酒というのは、1つの杯で回す場合が多かった。三々九度だって、お互いに同じ杯を飲む。同じ杯の酒を飲むというのは、世界でも非常に特色がある。日本的なものだと思いますが、いずれにしても共同で食べて飲む。その日本の祭りの特色でもあります。清さん、ご発表になりました共同飲食について、もうちょっと補足してください。

    清氏

    日本人の生活にすごくかかわってくることだと思うんですけれども、米を一つ作るにしても、やはり昔は共同作業というものが非常に重要で、それがないとやはりお米も作れないというのが、生活に密接した事実だったと思うんですけれども、そういう暮らしの中から、地域の結束を強めたり、共に生きていくということを考えざるを得ないですし、そうした中で、あのような共同飲食であったり、行事において地域で飲食をするという文化は、浄土真宗の地域に限らず、各地に見られることなのかなと思います。そこで交流があるわけなので、その食文化も地域に広まっていったり、伝承の場になってきたということが言えるかなと思います。

    神崎氏

    龍崎さん、太巻きずしのお話だけを今日は時間の関係でおっしゃっていただきましたが、お歩きになった範囲で、共同飲食での特色、あるいは特別なごちそうというようなのはございましたでしょうか。

    龍崎氏

    確かに千葉県にはあります。1つは、お正月が終わったら、「おびしゃ」。おびしゃというのは、熊野の方から来た行事のようですけれども、農業占いですね。今年の米はどうかとか、要するにおかゆで占う地方もあるし、いろいろありますが、千葉の場合は農業占いですね。それで、男おびしゃと女おびしゃというのもあるんですね。その時に太巻きのようなものもみんな出しています。特に女おびしゃは、女の人の労働をねぎらうという。お正月は大変ですからね、ねぎらう意味もあって、今でも盛んにやっている。この中におびしゃに詳しい者がいます。うちのハシモトさん、来ていますか。その辺がよく詳しい。トダさんも詳しいんじゃないかと思う。

    神崎氏

    それじゃ、ちょっとマイク回しますか。

    龍崎氏

    聞いてみてください。

    神崎氏

    それでは、おびしゃの、特に共同で食事をする、お酒を飲むというあたりをご説明いただければありがたいんですが。どなたでしょうか。どうぞ、お願いします。

    来場者

    橋本と申します。よろしくお願いいたします。龍崎先生のご指名ですので、逃げるわけにもいきませんので。私、千葉県の東金市というところに住んでおりますけれども、今、おびしゃっていうのが出たんですけれども、私の地区では、昔は男おびしゃ、女おびしゃっていうのがありました。今、普通のおびしゃっていうのでも、日にちも昔から決まっておりまして、1月13日というのは決まっております。けれども、皆さんも専業農家が多かったんですけれども、最近はほとんど専業農家じゃない。ほとんどがサラリーマンになったり、皆さんお勤めなさっているものですから、1月13日のお昼間にするものですから、皆さんに11時に集まっていただいて、お宮に行ったり、いろいろしまして、行事がちょっとあります。それから、お当番が決まっておりまして、公民館でするんですけれども、ごちそうになるわけです。そういうわけで、その日におびしゃのお当番だから、会社をお勤めしたら、今すぐクビになるということで、お祭りにしても何にしてもほとんど日にちが変わってまいりまして、その13日って決まっているんですけれども、それの前の日曜日というふうに決まっておりますので、その年によって日にちが変わってきました。それも集落が40軒近くあるんですけれども、皆さん代表で女の人が、どうしてもご主人が出られない時は女の方ということで、それでみんなでいただくぐらいですね。それで、いろいろな神社関係のこととか、そういうことを決めるということになっております。

    それで、仏のことは集落ですので、いろいろな決まりごとがありまして、今度11月の何日か、夜なんですけれども、それは夜だから6時ぐらいに集まって、やはり皆さんでお当番が決まっておりまして、いろいろなごちそうがその都度、その都度出てまいります。ご飯が出ましたり、おみそ汁が出ましたり、おつゆが出たりとか、煮物が出たり。今はほとんど公民館で、前は大鍋で作っていたんですけれども、皆さんだんだん作られなくなってきました。田舎でもいろいろなお店が出ているものですから、そこへ頼んで、てんぷらとか、冷めてしまったてんぷらは美味しくないですけれども、そういうものとか。それから、いろいろなお刺身を取り寄せたり、そういうふうにしまして、だんだん内容は変わってきておりますけれども、みんなで集まっていただくということは、昔から今も同じようにやっております。

    ですから、私の方では、1月は神事といって、神様に関係するものでおびしゃがありまして、11月13日には「ちぎりこ」という名前で、これは仏のことをいろいろ決める行事があります。それから、女性たちの「こやすこ」というのがあります。これは千葉県以外の県の方はどうか分かりませんけれども、千葉県の地区では「こやすこ」と言いまして、かわいらしい鬼子母神様があるんですけれども、それを子安堂というところに納めておりまして、それを2月7日の日に子安堂から出しまして、私の方はほとんど日蓮宗が多いものですから、すぐ近くのお寺の方から太鼓を持ってまいりまして、お当番が南無妙法蓮華経、日蓮宗なものですから、それを200回唱えて、その後でみんなでお料理をいただくという行事があります。今のところはその3つですね。

    何だか長くなってごめんなさい。

    神崎氏

    ありがとうございました。東金ではおびしゃに太巻きずしも出るんですか。

    来場者

    はい。前は、そのお当番さんが決まっておりまして、自分の自慢の太巻きを出したり、いろいろしましたけれども、割と時間がかかるものですから、皆さん、少しでも今は楽になりたいのでしょうね。

    神崎氏

    分かりました。恐縮ですがちょっと縮めてお話しいただきたいのですが。

    来場者

    ごめんなさい。やるお当番の方とやらないお当番の方がおります。

    神崎氏

    私がご質問したいのは、ご紹介いただきました太巻きずしをさかなに男たちは酒を飲むんでしょうかいうことですが。

    来場者

    そうですね、お酒も出ますけれども、男おびしゃじゃなくて、私のところは合同でしますので女性も男性も。それから女の方は卵酒が出ますので。それで、男の方もおすしを食べます。出されたお料理は男の方も食べています。昔から食べておりますので。以上です。

    神崎氏

    分かりました。ありがとうございました。共同飲食で、とにかく昔はそれぞれの当番に当たった人たち、役に当たった人たちが作った。それをこのごろは仕出し料理にも頼る。それから、太巻きも華やかに出てくるということでよろしいんですね。

    この配役はちょっと困りますね。男は私1人で、酒、酒って言っているとひんしゅくを買いそうなんでありますが、報恩講はお酒はどうですか。

    清氏

    そうですね。出る場合と出ない場合がありまして、お寺によっては、本当に宴会のようなくだけた雰囲気になって、皆さんお酒を召し上がって、民謡を歌ったりとか、そういうような展開になる場合もあります。

    神崎氏

    お酒のことを「般若湯(はんにゃとう)」とも言いますが。

    清氏

    それは聞いたことがないです。

    神崎氏

    日本というのは、何かにつけて融通性がありまして、一応タブーがあっても違反に対する罰則というのが少なくて、例えば飲んではいけない仏門では般若湯という言い方で飲むんであります。それから、江戸の近辺でも朱引の外は肉を食べておりまして、しかし、イノシシ肉を食べたというのは、はばかりがあるから、ヤマクジラを食べたとか、あるいは馬を食べたというのは、はばかりがあるから、サクラを食べたというような符牒を使うのでありまして、その辺の融通性は食文化を多様に楽しいものにしているんじゃないでしょうかね。

    時間もそろそろ押してまいりましたが、齊藤さん、私たちは、私たちというのは、この清さんからこちらの4人ですが、それから会場の方もほとんど賛同してくださったんですが、行事での共同飲食で日本の伝統的な食文化が伝わるのではないか、伝えたいというような期待があるんですが、若い世代はどうです。

    齊藤氏

    今、私たちの世代だと、1年のうちにお正月にお雑煮を食べたり、節分に福豆とか恵方巻きとか、あとは大みそかに年越し蕎麦を食べる程度なんですけれども、最近は、自分を含めて、友達を見ても、年越しとかお正月のイベントも友達同士であったり、恋人と過ごす子がすごく多くて、まず、家族と一緒に過ごさないという子が多いんですよね。そうすると、行事食もなかなか食べなかったりするんですよ。けれども、逆に洋もののクリスマスのイベントであったり、バレンタインだと、必ずケーキを食べたり、チョコレートを食べたりというのはあるので、そこをこれから和食にもみんなが魅力に思ってもらえるような何か工夫とかがあったりしたら、今後、和食を若者が好むきっかけになるのかなと思ったりします。

    神崎氏

    ああ、最後にかなりきついご発言をいただいきました。しかし、お若い方はそれが現状だろうと改めて認識します。全てではないでしょうけれども、かなりのところが行事に参加する機会がない。というか、家族と一緒に食べることさえも昔通りではない。お酒も氷で割ったようなものがたくさん出ているというようなことでこれも再認識しました。さあ、しかし、その中でどういうふうに伝えればいいんでしょうか。お一言ずつ。齊藤さんに今、現状の問題を投げかけてもらったので、先輩たちにちょっと糸口があるかどうか聞いてみましょう。清さんからお一言。

    清氏

    すごくリアルな声が聞けたなと思ったんですけれども。私は、本当に行事に伺って取材をして、ああいう場で食べられているものを本当にどうやってこれから受け継いでいったらいいのかというのはいつも悩んでいまして、やはりああいう場には若い方はほとんどいらっしゃらなくて、行事の担い手の方々もこれをどうやって受け継いでいったらいいんやというような相談をいつもされるんですけれども。まずは、今おっしゃっていたように、何かやはりいいのかも、和食ってちょっといいかもっていうふうに、まずは若い人に思ってもらいたいなというのは一番ありますし、そういう興味を持ってもらって、そこから関心が深まっていけばというのは一番あるんですけれども。

    その前の段階として、自分たちの地域の郷土料理が分からないとか、うちは郷土料理がないんですという声もすごく聞かれるので、まずは、一度おのおの自分たちの暮らしている地域の食文化を正しく掘り起こしてみるということを始めて、そこで見つかってきたもの。これは、私たちの食文化じゃないかというものをこれからに向けて継承していくという活動に入っていければと思っています。

    神崎氏

    龍崎さんは、スライドの中で学校給食、あるいは学校の子供たちへの啓蒙というような言葉を入れておられましたが、それは具体的にはどういうことなんでございましょう。

    龍崎氏

    私どもの狙い目は、やはり次世代への伝承ですから、私は老人からもらった技術を変なアレンジをせずに正しく伝えることをモットーにしています。それを次の世代に伝えるという、その手段として、1つは学校給食の栄養士さんたちに理解をしてもらって、学校行事の中で、あれを提供している。実際にやっているところがあります。それから、子供たちに体験をさせる。この体験は、私も子供に体験させて初めて分かったんですが、例えば、のりの上にご飯を広げるというのは、一斉には出来ないんですよ。ですから、4分割して分量のご飯を広げさせれば、きれいに広げられるんですね。子供には子供の教え方があるわけですから、それを研究といったらおこがましいですけれども、栄養士たちと研究をして実際にやっております。

    それから、そこから発生して、もう一つは、うちの太巻きのデザインのコンテストをしました。今回、7回目が終わったんですが、これはコンテストですから、絵柄だけを紙に書いてもらう。それを見て、我々がこれは様になるなと思うのを拾って、物にするんですけれども、意外な発想が生まれてきますね。まさかこんな模様がというのがたくさん出てきて、それから同時にその時代の子供がどういうものに興味を持っているかというのも分かります。ロケットなんて出てくると困っちゃいますよね。今年は富士山が多かったですよ。

    そういうふうに、でも、これも7年も続けていますと、やはり定着しまして、毎年夏休みの宿題にこのコンテストの宿題用紙が渡されますので、当分続けようと思っています。やはり、継続は力だと思います。よろしくお願いします。

    神崎氏

    ありがとうございました。無駄とは申しませんが、やはり継続は力なんですね。だから時々は絶望的になる場合もあるけれども、やはり根気よくというのは私たちの務めでしょうね。

    それでは、江原さん。江原さんも長く大学生を相手に、しかも女子大学生が多い職場でお働きになっていた。その若い人たちへの教育とは言いませんが、より知ってもらって、より伝えてもらう、何かそういうへの対応がありますでしょうか。齊藤さんの質問にも答えてくださいませんか。

    江原氏

    大学生というくらいの若い人という意味でいきますと、今の学生も私の大学に入ってくる学生とそうでない学生と、違いがそんなにはないと思うんです。最初はたしかに齊藤さんがおっしゃったような感じで、日本料理的なもの、和食のものについてはあまり興味がない子が結構多いんですが、私は調理実習を持っておりましたので、とにかく基本からかつお節を引いて、だしを引くというところから毎回和食をずっとしばらく続けたわけです。その後、西洋料理、中国料理というふうには入っていったんですが、それを終えますと、学生たちは、自分たちが知らなかったんだけれども、あのかつお節の香りであるとか、ご飯が炊けた時の喜びであるとか、そういうものにかなりの人たちが、味がいいものだというふうに感じ取れていたんですね。それは、どこか小さい時にそういう経験をしているのかもしれないんですが、最終的には「和食が最も印象深くて、一番美味しかった」ということを言う学生が非常に多くて、「自分のうちはかつお節に変えました」という学生も中には出てくるというくらいなんです。その中でも精進料理を全く知らない子たちなんですが、精進料理を非常に興味深く、もう一回リクエストで作りたいって言った場合に、何って言ったらそれが一番多かったんですね。

    というふうに、やはり先程お話がありましたように、体験をすることで、自分の知らない世界というのを知るという機会を出来るだけ持つということはすごく大事なんですが、それがなるべく小さいうちからの方が食習慣という意味では非常に重要で、学校給食もそうですけれども、もっと前の離乳の時、幼児の時、こういう時に和食の味に親しむということをしていくと、繰り返しによってそれになじむということがあると思うんですね。そうすると、途中で忘れていても、多分またそこに戻ってくるということがあるんではないかと思います。

    神崎氏

    皆さん、貴重なご意見をいただきましてありがとうございます。齊藤さん、やはりなじむ機会を作らなきゃいけない。それは、あなた世代も積極的に近づいてくださることが大事だし、私たちもいろいろな機会に呼びかけることが大事なんだろうと思いますね。

    齊藤氏

    はい。

    神崎氏

    今日は若者代表だけれども、明日からそのお立場からもそれを広めていただきたい。

    齊藤氏

    はい、広めていかないといけないと思います。

    神崎氏

    ぜひ、和食の伝道師になっていただきたいと思います。

    ということで、和食の魅力はさまざまあります。それで、このユネスコの世界遺産、無形文化遺産に和食、日本の伝統的食文化が登録されるかどうか、ここでは何とも言えません。何とも言えませんが、期待をしておりますし、無形文化遺産の今回の登録申請はこの1件だけです。ですから、文化庁も外務省も強い意志を伝えるべく対応をしていっているはずでありますから、期待をしたいと思います。

    私が最初に申しましたように、和食というのは実に幅が広いんです。日本という国は、歴史を通じて政治的に、あるいは宗教的にほとんど強圧的な統制を受けておりませんから、結果、地方の文化がそれぞれ残っております。戦後にそれが大きく変わった、飽食の時代から買い食いになって全国が画一化したと言いながらも、行事の中では依然として、先程お話しいただきましたように、さまざまな行事に伴った食文化が変化しながらも伝わっている。伝わっているうちに、私たちは次の世代へどう伝えるかを今、お三方それぞれにご発言いただきましたが、皆さん方もそれぞれに皆さんのご家族、ご親族、あるいは地域社会でお考えいただきたいと思います。齊藤さんが、今日これだけの短時間で理解を深め、これから和食、日本の伝統的な食文化にもう少し近づいてみると言ってくれたんですからね。こういう機会をもっともっと作ることが大事ですし、齊藤さん世代にもこの私たちと同じようなDNAが多分通じているんだと思うんですね。そういうDNAを大事にしていきたいと思います。

    和食、日本の伝統的食文化、これは枠組みを作るのが非常に難しい。今、便宜的にユネスコへ申請の報告書の中の抜粋を皆さんにもご紹介しておりますが、それぞれの地方でそれをまた基本にして、その地方に合った伝承の方策を考えてもらわなければいけない。といってめいめいが、「我こそがユネスコの指定の」というわけにもいきませんので、全体としたら、日本として何が大事か、ということをさらに論じてまとめる必要もあろうかと思います。お米も大事、米のお餅も大事。今日はお餅の話をしませんでしたが、ご飯、お餅、お酒、これは行事の時の不可欠なものであります。それから、調味料もかつてはごちそうの時に使ったものが今、日常化しているが、忘れたものを再現してみることも必要かもしれない。というようなところで、幾つもの要素が出ます。画一的にこれを言うわけにはいかないが、歴史を振り返り全国で比較して何を強調すべきかのご理解をいただきまして、それぞれの地方で盛り上げていただきたいと思います。

    僭越なまとめにもならないまとめになりましたが、これは私の役目でありますから、お許しをいただきたいと思います。これでおさめたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

    司会

    神崎様、進行ありがとうございました。本当に興味深いお話であっという間の1時間だったのではないかなというふうに思いますが、パネリストの皆様、そして法政大学の齊藤由香里さんは、長時間にわたりまして熱心なご議論をいただき、どうもありがとうございました。皆様、今一度大きな拍手でお願いいたします。ありがとうございました。

    では、以上をもちまして、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」を終了とさせていただきます。最後までご参加くださいまして、皆様、本当にありがとうございました。

    なお、本日、受付にてお渡しいたしました参加証、並びにアンケート調査票は、ご退出の際に受付付近のスタッフまでお渡しください。今後の参考とさせていただきますので、アンケートにはぜひ、皆様のご協力をお願い申し上げます。また、本日ご講演をいただきました龍崎英子様より、会場へお越しの皆様に千葉の祝い巻きずしのお土産がございます。ぜひ、お忘れもののないように受付付近にてこちらお渡しをしておりますので、最後、お帰りの際はぜひお持ち帰りいただき、ご賞味ください。それでは、本日お気をつけてお帰りくださいますようお願い申し上げます。本日は、誠に皆様、ありがとうございました。

    以上 

    お問い合わせ先

    大臣官房政策課食ビジョン推進室
    担当者:武元、橋本
    代表:03-3502-8111(内線3104)
    ダイヤルイン:03-6738-6120
    FAX:03-3508-4080

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