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「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【沖縄ブロック】

「和食;日本人の伝統的な食文化」のユネスコ無形文化遺産への登録申請をきっかけに、私たち国民一人一人が「和食」文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の「和食」文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的として、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【沖縄ブロック】を開催しました。

議事録(PDF:419KB)

1.冒頭挨拶   

 挨拶  会場

挨拶する大城内閣府沖縄総合事務局農林水産部総務調整官

シンポジウムの様子 

 

2.基調講演

『日本の食文化の特徴~沖縄からの考察』

原田 信男 氏 (国士舘大学21世紀アジア学部教授、食と農の応援団) 

 講演

 

3.事例発表

金城 須美子 氏 (琉球大学名誉教授)

崎原 永辰 氏 (那覇市医師会生活習慣病検診センター所長)

金城 笑子 氏 ( 「笑味の店」 店主、公益社団法人沖縄県栄養士会会員)

 事例1  事例2  事例3

事例発表される金城 氏

崎原 氏

金城 氏

 

4.パネルディスカッション

「和食」文化の魅力

  • コーディネーター
  • 原田 信男 氏 (国士舘大学21世紀アジア学部教授、食と農の応援団)

  • パネリスト
  • 金城 須美子 氏 (琉球大学名誉教授)

    崎原 永辰 氏 (那覇市医師会生活習慣病検診センター所長)

    金城 笑子 氏( 「笑味の店」 店主、公益社団法人沖縄県栄養士会会員)

    嘉手苅 百里惠 氏 (琉球大学 教育学部 生涯教育課程 生涯健康教育コース)

    浦崎 理子 氏 (琉球大学 教育学部 学校教員養成課程 小・中学校教科教育コース)

     シンポジウム1 シンポジウム2 
     

     左より、嘉手苅 氏、浦崎 氏

     

    5.議事録

     1.開会

    司会

    皆様、こんにちは。本日はお忙しい中、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」へご参加くださいまして、誠にありがとうございます。

    このシンポジウムは、日本人の伝統的な食文化である和食のユネスコ無形文化遺産登録申請をきっかけに、私たち一人ひとりが和食文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の和食文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的に、ここ沖縄ブロックを初め、全国9ブロックにて開催してまいります。日本人にとってかけがえのない財産である日本の食文化、和食について、皆様とともに考えてまいりたいと思います。

    申しおくれました、本日司会をさせていただきます、仲地未寿々と申します。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

    それでは、開会に当たりまして、内閣府沖縄総合事務局農林水産部総務調整官、大城満よりご挨拶申し上げます。大城総務調整官、お願いいたします。

     

    2.挨拶

    大城総務調整官

    皆さん、こんにちは。開会に当たりまして、本日のシンポジウム開催の目的も合わせて、ご挨拶させていただきます。本日はお忙しい中、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」に、このようにたくさんの皆さんがご参加いただきまして、誠にありがとうございます。また、後ほど基調講演をいただきます、国士舘大学教授の原田信男先生、それから、事例発表いただきます、金城須美子様、崎原永辰様、金城笑子様におかれましては、今回講師をお受けいただきまして、誠にありがとうございます。

    本シンポジウムはユネスコ無形文化遺産に「和食;日本人の伝統的な食文化」を登録申請したことをきっかけとしまして、沖縄地域、ひいては日本の食文化について皆様と一緒に学び、理解を深め、食文化の魅力を再発見するとともに貴重な和食文化を次世代に継承していくための活動を盛り上げていくことを目的としております。このため、プログラム後半のパネルディスカッションでは、若い世代の方にも参加していただきまして、幅広い世代でともに考える機会となればと考えております。

    さて、この和食のユネスコ無形文化遺産への登録申請という取り組みでございますが、皆さんは、我が国がこのような取り組みをしていることをご存じだったでしょうか。ユネスコの遺産事業は大きく分けて、有形と無形、つまり形のあるものと形のないものがございます。我が国の有形の遺産には、最近登録され、話題となっている富士山など世界文化遺産、また、白神山地など世界自然遺産がございます。

    一方で、本シンポジウムのテーマである和食は、無形文化遺産というものに登録申請をしております。無形文化遺産とは、芸能や伝統工芸技術などの形のない文化であって、その土地の歴史や生活と密接にかかわっているものについて、これを保護し、尊重することを目的とした制度です。既に我が国でも歌舞伎や能楽など無形文化遺産として登録されています。今回ユネスコに登録申請した和食とは、単なる料理ではなく、自然を大切にするという、日本人の心に基づく食習慣であり、いわば和食文化と呼べるものです。

    例えば、食事を始める前に「いただきます」と言ったり、お盆の際に仏前にごちそうをお供えするのも和食文化であります。この和食文化を特色づけるキーワードである、自然を大切にする心のもと、新鮮で多彩な食材とだしや調理技術など、その持ち味を引き出す工夫、一汁三菜を基本としたバランスよい健康的な食生活、季節に合った食器の利用など、自然の美しさの表現、地域行事や正月などの年中行事との密接なつながりといった文化が育まれました。

    このような特徴を持つ和食を保護し、次世代に継承していくきっかけとするため、我が国は、昨年3月にユネスコへの登録申請を行っており、その結果は本年12月に発表されます。

    しかし、私たちの足元を見てみますと、日本食離れや核家族化の進展等によりまして、食生活に大きな変化が生じ、和食文化の継承が危ぶまれる状況となっていると言っていいのではないかと思います。そういった意味で、今回の無形文化遺産への登録申請の取り組みは、和食文化のよさや価値をもう一度見つめ直して、私たち自身が、その価値を再認識する1つのきっかけになるのではないかと考えているところです。

    ここ沖縄県は健康長寿の県として知られております。その背景には、昆布やもずく等の海産物を多く食すること、豚肉や島豆腐、島野菜をふんだんに使った伝統料理があると言われてきております。しかし、その一方で沖縄は、欧米型の生活習慣が本土よりも深く浸透していると言われており、近年は長寿県としての地位が揺らぐ等、全国のほかの地域と同様に、食文化の次世代への継承が重要になってきております。

    本日、基調講演や事例紹介をしていただける先生方は、いずれも沖縄の食文化が有する洋々な面をある時は守り育て、ある時は新しい要素を掘り起こすなど、日ごろから沖縄の食文化の魅力を高めるべく力を尽くしていらっしゃる方々ばかりでございます。本日のシンポジウムが、参加者の皆様方にとりまして、沖縄の食文化に関する知見を蓄積するのみならず、沖縄の食文化を新たな目で見つめ直し、日常生活の中での位置づけを新たに捉え直す、よい機会となりますことを心から祈念して、開会の挨拶とさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。

    司会

    内閣府沖縄総合事務局農林水産部総務調整官、大城満よりご挨拶申し上げました。

     

    3.基調講演

    司会

    続きましては、基調講演のご紹介をさせていただきます。本日は、国士舘大学21世紀アジア学部教授で食と農の応援団の原田信男先生より、「日本の食文化の特徴~沖縄からの考察」と題しまして、ご講演をいただきます。

    原田先生は、生活文化史を専門とし、『コメを選んだ日本の歴史』などの通史的研究を行い、食文化の面から日本の歴史を再構築するアプローチを展開されていらっしゃいます。論文には、「北海道と沖縄の食文化の比較史的研究」などがございます。

    それでは、原田先生、お願いいたします。

    原田氏

    皆さん、こんにちは。只今ご紹介いただきました、原田と申します。今日は、日本における食文化の特徴ということで、それを沖縄からの考察というサブタイトルで話をさせていただきます。私は大和人(やまとんちゅう)でして、沖縄の人間ではございませんけれども、沖縄にはだいぶ前から非常に興味を持っておりましたし、現在、4月1日から9月30日、あとちょっとで終わるのですが、沖縄の県立芸術大学の附属研究所の方に研修に参っておりまして、やっと念願の沖縄に半年間住むことが出来たと、非常に喜んでおり、楽しく勉強させていただいてます。

    私自身、元々前任地が北海道でございまして、北海道に15年暮らしました。日本の文化というのは、北海道と沖縄、この2つの地点から見ると非常にいろいろなものが見てくると考えておりますので、今日、沖縄からの考察というサブタイトルをつけて、お引き受けした次第です。

    私たちは、伝統的な日本食と言いますと、まず、こういったスライドのようなご飯とみそ汁と漬物とちょっとした煮物、それに魚というものが日本の食文化だというふうに思い込んでおります。しかし実際には、食文化というのは地域の問題でして、これは非常に重要であります。先ほどのお話にも出ましたけれども、その土地と自然といかに結びついて、食というものが成り立っているか。このことを抜きにしてしまうと、食文化というものの本質を、なかなか理解出来ないのではないかと思っております。

    いわゆる風土食とか、郷土食とかございますけれども、風土という言葉は、私は誤解されていると思っております。風土というのを辞書で引きますと、地形とか、気候というふうに書かれています。しかし、これは大きな間違いであって、何が落ちているかというと、人の問題が落ちているというふうに思います。そこに暮らす人がいるということです。そこに暮らす人がいるということは、その背景に歴史があるということです。

    逆に言えば、歴史の変遷の中でさまざまな地域の文化、もちろん食文化もその1つでありますけれども、そういうものが形づくられるということを忘れてしまうと、先ほどの話のように、本質が見えてこないということになると思います。したがって、空間という問題が非常に重要な意味を持ってまいります。これは、ざっと見て日本列島の地図ですけれども、日本という国は南北、北海道から沖縄まで約3,000キロございます。3,000キロというのは非常に大きな空間、長い空間でして、3,000キロの広がりを持った国というのは、そうはありません。

    皆さん、日本は小さな国だと思っておられるかもしれませんけれども、物理的にも面積的にも日本は大きい国の中に入ります。世界200カ国近くあるうちの50何番目ぐらいですから、逆に言えば、日本の国というのは、面積的に見ても実は大きい国なんです。そして、その大きいということの一番の特色は、日本の場合、南北に細長いということです。インドネシアみたいに3,000キロを超える横に広がる国もございます。これは時間が問題になってくるわけですが、日本の場合ですと、明石の標準時一本で時間は変わりませんが、しかし北海道と沖縄、北海道は亜寒帯、沖縄は亜熱帯。私は広く見て、日本は温帯の一部だと考えてよろしいかと思うんですが、だいぶ気候が違う。

    しかし、私は歴史から見ていますと、北海道と沖縄というのは非常によく似ていると思っています。何が似ているかというと、日本の国家が、7世紀に古代律令国家が成立するわけですけれども、その政治的な対比で言いますと、ちょうど7~8世紀ぐらいに沖縄も北海道も中央国家に貢納して、挨拶に来ております。そしてしばらく北海道は異域、つまり北海道には国家がございませんから。それに対して、沖縄には琉球王国という国家がありましたから異国。北の異域と南の異国というふうに思っておりますが、それが16世紀になって半分ずつ日本に入ってくる。半分ということの場合、北海道は松前藩として支配しますので、それで点と線で半分です。沖縄はそうではなくて、薩摩を介しているが、もう一方で中国とのつながり、要するに日本と中国、両方と政治的な関係を強く持っていたという意味で半分です。

    そして、それが明治の初年になって、明治2年に北海道に開拓使が置かれて、北海道が日本になる。そして、ご承知のように、明治12年の琉球処分によって沖縄が日本に組み入れられるという、そういう政治的な見取り図としては、非常に似ている部分がございます。そういう意味で、逆に北海道と沖縄というところから日本という問題を見ていくと、よく見えてくる。

    実は、じゃあ、北海道と沖縄は関係ないのかというとそうではなくて、もう既に日本でいう弥生時代に沖縄の貝が北海道まで運ばれております。つまり、弥生時代から北海道と沖縄は深い関係があった。そして、なおかつ沖縄の、これは後で重要な問題で出てまいりますが、昆布です。昆布は暖かい海ではとれません。日本でも三陸以北から、特に北海道、「えびすめ」と言われましたけれども、蝦夷地の海藻だったわけですね。その昆布が沖縄で一番使われているという、そういう北と南の古くからの交流、そういったものがあるということです。

    歴史の話ではないので、これ以上の問題は省略しますが、その沖縄の地域的な食文化の特色とは何かということになってまいります。ただ、その前にごめんなさい、この話を先にしてしまいたいと思います。

    世界の主食というのは、トウモロコシもあるんですが、これを入れるとややこしくなるので、米と小麦というふうに考えますと、ユーラシア大陸の西、北の方に小麦文化、そして、東、南の方に米文化が発達します。米文化というのは、米は温暖湿潤な気候を好みますから、アジアモンスーンの雨が降る東南アジア、東アジアに発達する。それに対して小麦というのは、どちらかといえば乾燥寒冷を好みますから、もともと原産はトルコあたりなんですが、ヨーロッパの方にも広まっていく。

    そして、特に米文化の場合、米を作るのには水が必要です。水が必要であるとそこに何がいるかというと、魚がいる。だから、米と魚というのは、この東アジア、東南アジア、どこに行っても共通する文化です。

    そして、もう一つ、米と魚に実は豚がくっつくわけです。米と魚と豚というのが、逆に言うと、この米世界、東南アジア、東アジアに広まっている米文化の最も特徴的な食文化の共通要素ということになるわけです。

    ですから、この写真は朝鮮の済州島ですが、豚を飼っています。これは農業で簡単に飼えるんですね。これは家のどこかと言いますと、トイレなわけです。これは済州島ですが、この石垣で囲んだ中で豚を飼っていまして、この上に石がありますから、あれがトイレなんですね。あそこで落とす。そうするとあそこに棒がありますね。あの棒は何であるかというと、その最中に豚がなめに来ますから、それを追っ払うために置いてあるんですね。これは、東南アジア、東アジアに広く見られます。沖縄にもフールという豚便所、これがございますし、中城の中村家住宅なんかにはそれが残っているわけです。そういう豚が実は米文化と一緒になっている。ですから、ある人と話をしていたら、「沖縄の食文化は特殊ですよね」というふうにおっしゃいますけれども、逆に沖縄の方が普通であって、日本が特殊なんですね。

    これは、牧志の市場で写真を撮ってまいりましたけれども、肉屋というのは、基本的に内臓から食べますから、店頭には内臓が並んでいて、沖縄なんかの場合だったら、精肉は裏側に隠れている。そして高い。こういう形でショーウインドーの中に入っているのが精肉で、そして、内臓が表に出ているというパターン、これは沖縄に限らず、韓国に行こうと、香港あたりに行こうと、東南アジアの市場に行けばよく見られる風景です。

    ところが、日本の本土の方には、こういう肉食文化が欠落しておりますから、だから肉屋といったら、まずモツの方が隠れている。そういう文化になるわけですね。これはたまたま那覇で今やっている、沖縄の観光展を見ていましたら、沖縄に昭和12年に来た板原兵三郎という人が、沖縄料理の印象を書いておりますが、ともかく豚尽くしであると。ちょっと美味しいんだけれども、豚の脂身ばかりで、それがちょっときついというようなことを書きとめております。白いご飯が恋しいという話になりますが。もちろんこれは、旅行客だから観光用に特別、豚、豚、豚で攻めているわけで、沖縄の食文化は全部が全部豚であったわけではありませんけれども、広く日本という中で見れば、沖縄の文化というのは、一見特殊に見える。しかし、それをもっと広い目で東南アジアという目で見れば、逆にそれは、ごく一般的、むしろ日本が特殊なんだという話になります。

    では、なぜ、そういう特殊な文化が生まれたのか。実は、弥生の日本の食文化の時にも豚はいました。ところが、その豚を排除していく。これは、天武天皇の律令国家が675年に出した法令ですが、要するに、これから後は肉を食べてはいけないということで、肉食禁止令だというふうに捉えられています。これは長くなるのでやめますが、基本的に肉食禁止令ではなくて、殺生禁断令の一部だと捉えるべきであって、これは肉食禁止していないんですね。なぜなら、禁止は4月から9月までです。そして、禁止しているのが、牛と馬と犬と猿と鶏です。ところが、一番日本人が食べてきた肉は何かというと、鹿とイノシシなんですね。肉(にく)という字は、実は音読みなんです。肉の訓読みは「しし」です。イノシシ、鹿のことを「カノシシ」、カモシカのことを「カモシシ」と言います。これを日本人は長く食べてきた。それが入っていない。これは肉食禁止令じゃないんです。

    ですから、古代においては肉を食べていた。それがしかし、この法令が出来ることによって、肉が忌避されていく。そして、なぜ、この法令が出されたかというと、それは実は米のためなんですね。今言った4月から9月までというのは、稲作期間です。この稲作期間にこういった動物を殺すと、稲が成長しないという、そういうふうに考えられていたために、こういう法令が出された。なおかつ、この法令が仏教との関係で殺生禁断という形で、肉を禁止したために、本土では肉食が欠落していくという、世界の食文化史の中で見ても、非常に特殊な筋道をたどっているのが日本です。

    しかし、動物性たんぱくというのは非常に重要なアミノ酸の源ですから、結局欠かすことが出来ない。そのために、異様に今度は逆に魚類、魚に収れんしていく。ですから、一番最初のスライドに見たような米と魚の食事というものが、日本の料理文化だということになってくる。

    しかし、それは単純ではありません。少し日本の食文化の流れをお話ししますと、これは一番古い形式で神饌料理と言いますが、これは奈良の春日大社の神饌ですが、神に捧げる食事ですね。神に捧げるということは、そのころの人間の一番重要な、一番すばらしい食事だということだったわけです。

    ところが、この神饌料理は、そもそも日本の神というのは白木が本来で、色をつけないのが普通です。逆に仏教、これは色をつけるのが普通です。ですから、皆さん、勘違いされていて、平安神宮だとか、春日大社を思い浮かべると神社に色がついていて、それで、法隆寺だとか考えるとお寺に色がついてないと思い込む。これは全く逆でありまして、法隆寺はただ古びて色が落ちただけの話です。春日大社は、むしろ仏教の影響を受けてああなったんです。

    この一番左のところ、「お染御供(そめごく)」と言うんですが、色をつけています。これは、中国からの仏教の影響で、こうなっているわけです。しかも、この盛り物というのは、朝鮮半島に行きますと、先祖の時の料理を全部こういう形で盛り物にしますから、これと全く同じ形になるわけでありまして、これは逆に神饌料理、日本的だといっても、実はかなり大陸、朝鮮半島的な影響を強く受けているということになります。

    さらに、神饌料理の次に大饗料理(だいきょうりょうり)という料理のパターンがあります。これは平安貴族が食べていた儀式料理でありますけれども、この献立がこういう形で並ぶわけですが、真ん中に箸がありますね。箸とスプーンがある。これも中国の影響なわけです。日本ではスプーンは定着しませんでした。そして、この料理というのは、実は周りにいろいろなのが並んでいますけれども、四種器といって、手元に白いお皿がありますけれども、あそこにとって、その横にある塩とか酢とかで自分で味をつけて食べる料理、これが一番古いんですね。料理の一番の原型は、自分で味つけをするということです。今でもギョーザや何かの場合、しょうゆと酢と油をしますし、東南アジアなんかに行ったら、まず、いろいろな調味料が並んでいて、自分の好みに味つけをする。これが実は料理の原型であります。

    そういうものが、この大饗料理であって、なおかつ、この料理は数えていただくと分かるんですが、偶数仕立てです。献立が偶数なんですね。日本の七五三という形の本膳料理になるのは、もっと後の話であって、これは中国的な影響がかなり強い。これが平安時代の料理であったということになります。

    ところが、さすがに自分で料理するよりは、やはり調味してほしいというような段階になる。それが精進料理。これは鎌倉時代の料理法ですけれども、この精進料理も実はお坊さん、特に禅僧たちが南宋、中国へ行って、禅宗の修行をする時に、調理を学んでくる。精進料理というのは肉を食べてはいけません。けれども、肉が食べたい。そのためにどうするかといったら、これは基本的に粉食、小麦の料理です。小麦粉にごま油、それから、みそ、しょうゆ系の穀醤、こういったものをまぜて独自の味つけをする。つまり、調理の段階で、いかに味つけをするかという、その調理技術が非常に発達したのが精進料理なんですが、この精進料理も実は中国から持ち帰って、日本に入った料理であるという。鎌倉時代までは、基本的に日本独自の料理。独自の料理というよりも文化というのは、そもそも独自の文化って私はあり得ないと思っているわけで、いろいろな国とのいろいろな文化の交流の結果、生まれてくるわけです。

    その次に、本膳料理。これは室町時代です。これは将軍が食べたものですが、これになると七五三の膳があって、十七献の膳が出ます。あるいは、二十一献という場合もあるし、ここで初めて偶数から奇数へ、つまり日本的な、そして先ほどの大饗料理、これはテーブルですね。膳ではありません。膳に料理が出てくるのは、この本膳料理以降です。なおかつ、この膳で食べる文化というのは、東南アジアの中で朝鮮半島と日本と沖縄だけですね。これも1つの特色なわけですが、それがこの本膳料理の発達によって展開してきた室町以降なんです。

    実は室町時代というのは、日本のいわゆる伝統文化、能や歌舞伎、お茶、生け花、香、こういったものは全て室町時代に出来上がっております。逆に言えば、日本文化の伝統的なと言うけれども、あれは私に言わせれば、長い目で見れば、室町以降の実に新しい時代のことにしか過ぎないというふうに考えております。

    そして、この本膳料理の時にどういうことが起きるかというと、実は先ほどの昆布です。これが使われる。カツオが使われる。昆布とカツオの和風のだしですね。これは、実はこの本膳料理で初めて成立する。もちろん奈良時代から、カツオはカツオ、昆布は昆布で独自にありましたけれども、昆布はそのまま食べるとか、そういう形の料理が本膳料理によって、現在の日本の和風のだしの素が出来上がる。

    実はこの室町時代というのは、琉球がかなり本格的に本土と接触した時代であります。この時期にかなりの大和の文化が琉球に入ってきている。そして沖縄の料理文化については、後ほど金城先生からいろいろ説明があると思うんですけれども、かなり中国の影響も入っております。しかし、カツオに豚を合わせたにしても、カツオだしを使うというようなのは、この本膳料理の影響みたいなものが、恐らく私はかなり早い段階、この室町以降の段階に入ってきて、それが沖縄料理のベースの一つになっているというふうに考えております。

    そして、この本膳料理から、いいところを抜き出して出来上がるのが懐石料理であります。この懐石料理というのは茶の湯の発達との関係で出てまいりますが、茶の湯という文化は、これは、なぜ料理かという問題がありますが、お茶を飲むわけですけれども、今日、我々は茶道というと大体一般の人はお薄しか知りません。抹茶は「お薄」といって薄いんですね。ところが、本当の茶会で飲むお濃茶というのは、ねっとりとした、どろーっとしたお茶であります。これは空腹で飲んだら、かなり胃がやられます。むしろ、そのお茶を楽しむためには、お腹をある程度食事で満たして、その上で最後にお茶を飲む。お茶というのは、お酒と同じく覚醒作用がありますから、それで実は少しいい気持ちになるというのが、お茶会の意味なわけなんですけれども。

    しかし、この茶会においては、茶道に一期一会という禅の精神があり、これが非常に大切にされます。つまり、茶会というのは、その人と会う。茶会を開くのは1回しかあり得ない。であれば、その1回を大切にしよう。というようなことで、今はやりのおもてなしという形の食事、思想というものが、この懐石料理の中で形づくられてくる。いかに美しく見せるか。いかに盛りつけるか。いかにいい器を使うか。その季節の季節感、それから、その人の好み、さまざまなまさにもてなし。周りにどんなものを配置するか、部屋に何をどんな絵を掛けるか、どんな書を掛けるか。それを考えて、最高のおもてなしをするという、まさに日本料理、日本食文化ですね。その特色がこの懐石料理に体現されている。これは戦国時代のことであります。せいぜい15世紀ぐらいにこうした日本文化の、食文化の伝統というものが、形づくられてきたということになるわけです。

    この時代になると、もとは四条流という先ほどの大饗料理を作っていたような料理流派だけではなく、さまざまな武家流派が生まれて、その武家流派がさまざまな料理書を作って、それを秘伝という形で伝えます。

    ですから、今日の日本料理の特色というのは、室町時代に大体出来上がり、もう既に戦国時代には最高潮に達していたといっても過言ではないわけです。

    そして、もう一つ重要な要素として、日本の場合、米ですね。米の執着というのは、これがまた特殊、異常なくらい米に執着した。例えば、安藤昌益というのは、教科書で習うと非常に進歩的なすぐれた知識人みたいなイメージがあるかもしれませんが、それは私に言わせれば誤解でありまして、安藤昌益というのは、かなり土俗的な人です。有名な『統道真伝』を読んでいますと、安藤昌益は、人間が米を育てているように思うけれども、それはとんでもない間違いであると。人間は米によって米を作らされるために生まれてきたんだと。だから、米の中に人間が宿っている。実は米から人間は生まれたものであるという珍妙な説を展開して、米粒の中に人体が宿っているんだという説明をいたしますが、それくらい、米というものが重要な食べ物だというふうに認識されてきた。

    ですから、江戸時代の石高制というのは、米を1つの社会的な価値基準に置いていた文化なんですね。これは基本的には、先ほど言った古代律令国家が、米を中心とした国家が肉食を廃止してまで米を大切にしようとした、その究極的な形が江戸時代の幕藩体制にあらわれた。そのもとで琉球が組み込まれた。そうした体制の一部に、薩摩を介して組み込まれたということになります。

    そして、その江戸時代の中で、これは会席料理、これは会う席の方の「会席」と書きますが、これが江戸時代の料理文化です。逆に言うと、この会席は、お茶の懐石からお茶を抜いて酒を入れたものというふうに考えて、酒を楽しみながら、食事を楽しむ。そういう料理が江戸時代に展開しますが、ただ、江戸時代がそれまでと違ったのは、中世までは御成りにしても大饗にしても懐石にしても、参加出来る場所と時間が限られていた。何月何日これをやりますから来てください。それで、来てくれる人は誰と誰と誰ですという形で、その人間以外楽しめなかった。ところが、江戸時代になると、江戸時代というのは、かなり発達した近代的な社会ですから、お金さえ出せば、こういう料理が食べられる。あるいは料理の技法も、料理書が今度は出版されるようになりますから、料理の技術も売られるようになる。そういう経済優先型の社会になってくるわけですね。そういう中で、こういうスライドのような形で会席が楽しまれます。これは江戸の名亭ですが、さらに、これは豆腐ですが、『豆腐百珍』というような料理書も生まれる。それまでの料理書はいろいろな料理法が示されていたのですが、これは豆腐料理だけが書かれている。そして、この本の頭とお尻には豆腐に関するうんちくが語られている。もうこれは頭で楽しむ、料理を楽しむ。そして、こういう料理本が作られる。

    さらに、これは大食い大会です。食を遊んでしまう。この写真は「蕎麦組」ですが、何枚そばを食べたとか、ギャル曽根も真っ青になるような大食い大会というのが江戸時代にあって、食文化が大体、文化文政、19世紀ぐらいに江戸の庶民の間に非常に浸透していく。これが、いわゆる日本料理です。

    ところが、明治維新を迎えて大きく変わります。宮中では、それまで正式だった日本料理をフランス料理に改めます。つまり、肉食の時代、これは安愚楽鍋(あぐらなべ)、有名な話で「牛鍋食べねば開化せぬ奴」ということですが、牛肉が入ってくる。肉食が広まっていくということになるわけですね。

    そして、この西洋料理が入ってくることによって、日本料理はかなり見直されますし、逆に西洋料理をどんどん取り込んでいきます。すき焼きというのは、もともとは農具の鋤(すき)で焼いた料理で、これは江戸時代からもあって、それまでは鳥だとか魚をすき焼きにしていたわけです。それを牛が入ったことによって、牛のすき焼きを創り出す。さらには、これはコロッケですが、西洋風のものも和食、大正時代にコロッケの歌がありますが、これもそういう形で和食の中に取り込んでくるわけです。

    さらに、先ほどもちょっと話題に出たのですが、カレーとかラーメン、これも日本料理かということになるのですが、私は日本料理の範疇に含めていいと思っています。カレーも日本風のものに仕立て上げて、これは、やはりご飯とマッチさせたというところがすごいわけです。皆さん、インドがカレーの本場だと思い込んで、本場には違いないんですが、インドも米を食べている地域と、そうではなくて、ナンを食べている地域、これはきれいに分かれます。米を食べているのは南の方ですし、北の方はナンですし、それに魚もかなり使います。ですから、むしろこのカレーは日本しかないものなんですね。このラーメンも、もともとは中国の支那そばが原型ですけれども、これも日本風にアレンジしてきた。逆に言うと、ステーキ定食にせよ、コロッケ定食にせよ、ご飯とみそ汁と漬物、これにくっついてくれば、それが洋風なものであろうと何であろうと、全部日本食になってきてしまうということになるわけです。

    今日は和食という話ではあるんですけれども、逆に言うと、そういうさまざまな食文化というものをみずからの中に、よりよい形で取り入れていく。つまり、食文化というのは、1つの新しい伝統の創造であると。食文化というのは、実はかなり保守性が高いものです。保守性が強いものです。食ががらりと変わったら、えっということになって、やはり、ふだん食べているものが食べたい。これは食文化の持っている非常に本質的な問題です。しかし、その一方で、革新性もある。あれが食べてみたい。これが食べてみたい。では、それをどのように自分たちの中に取り込んでいくかということですね。

    吉兆という有名な料理店がありますけれども、これが昭和の初期になって、和食の復活みたいな、新しい和食を創り出しますが、その時には牛肉も取り入れています。松花堂弁当の中にちゃんと牛肉のステーキあるいは牛肉のたたきが入ってきます。つまり、それを刺身の伝統にプラスしていくという、そういう創意工夫というものですね。これが創られてくる。

    さらに日本の場合でいうと、魚肉ソーセージって、これは日本にしかありません。日本の発明です。これは実はかまぼこ技術の応用なんですが、つまり、肉食を日本人が超えるためには魚肉ソーセージが必要だったわけです。これで肉食に近づいていって、今や逆に日本の魚肉ソーセージが世界の文化になっています。この魚肉ソーセージの弟分がカニカマです。このカニカマはロシアで、サハリンで撮った写真ですが、もう世界的に広まっていっています。

    ですから、伝統と創造、これは実は表裏一体でありまして、そこで沖縄の食文化というものを考えた場合、カツオだしを使うような文化が、かなり早い時代に入ってきて、そこに米文化の正しい伝統である豚肉、豚食の伝統、これをうまく組み合わせて作ったのが沖縄料理であると。

    実は日本という地域・地方はないわけです。日本というのは、沖縄や北海道、東北、九州、さまざまな地域の集合体であります。ですから、日本の文化・伝統というものは、先ほどの国家でいえば、確かに北海道と沖縄は後から日本の国家に組み入れられましたけれども、しかし、もともと縄文文化の広がりからいえば、北海道から沖縄まで全部含んでおります。そういう中で1つの日本という地域、日本列島という1つの南北3,000キロに及ぶ地域の中で、それぞれ地域地域、それぞれの食文化がある。そして、沖縄もきちんと日本の伝統を踏まえていながら、しかし、それ以上に中国文化との接触、あるいは東南アジアとの接触、その中で独自の文化を生み出してきた。

    ですから、私は日本の食文化がこれから発展していくためには、沖縄的な発想、つまり、さまざまな、まさにチャンプルー文化的な形で、なおかつ、これまでの伝統を守りながら、新しい伝統を創造し、発信していく。そういう場所として、私は日本の食文化を考えていく時に、沖縄的な創意工夫、こういったものが必要になるのではなかろうかと。もちろん、伝統的な食文化を守ることは大切であります。しかし、それをどう継承し、広めていくかというのは、やはり伝統のよいところを残しながら、よいところを取り入れて、新しい食文化を創り上げていく。まさにここにかかってきているわけでありまして、日本における食文化の特色というのは、確かに歴史的にありますが、しかし、それも歴史の中で創り上げられたものである。したがって、これから変わっていっても構わない。しかし、急に西洋料理ばかり食えとか、中国料理ばかり食えということには絶対なりません。

    ですから、やはり重要なことは一食一食、我々の食べる食事、毎回毎回これを大切にしながら、その飲食事体系、これを模索しつつ、作っていくということですね。それが大切なんじゃないかということを、まさに沖縄に来て、本当に痛感している次第であります。

    ということで、ちょっと過ぎましたけれども、「日本の食文化の特徴~沖縄からの考察」ということで、話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

    司会

    原田先生、ありがとうございました。食文化、食の歴史、歴史とともに食文化がどんどん変わっていくという、非常におもしろいお話をしていただきました。

    原田先生には、この後のパネルディスカッションでも、コーディネーターとして、「和食の魅力」についてご発言をいただきたいと思っております。ありがとうございました。

     

    4.事例発表

    司会

    さて、続きまして、事例発表をご紹介いたします。本日は、3名の方にお願いしております。初めに、琉球大学名誉教授の金城須美子先生より、「沖縄の食文化の特徴と歴史的変遷」と題しましての事例発表を行っていただきます。

    金城先生は、琉球王朝時代、交易を行った中国、東南アジア、日本など、外来文化の影響を受けた沖縄の食文化が、どのように形成され、独特のものに発展したか、研究を行っていらっしゃいます。地元の食文化を継承することの大切さを伝える取り組みなども行っていらっしゃいます。

    それでは、金城先生、よろしくお願いいたします。

    金城(須)氏

    皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、金城と申します。10分間の時間が与えられております。すぐに本題に入りたいと思いますが、お話しする内容の資料を一通りプリントにして、差し上げてあります。それから、プリントのほかに表を5枚ほどつけておりますので、今日は多分、半分ぐらいしかお話が出来ないかもしれません。ですから、差し上げました資料で補っていただければと思います。

    私は、「沖縄の食文化の特徴と歴史的変遷」ということで、お話をさせていただきます。

    今、原田先生が日本の食文化の特徴をお話しくださいました。その日本の食文化と際立って異なる点は何だろうか、ということで、ここに7つ挙げておきました。その一つは、食材と調理法の違いです。沖縄は亜熱帯地域で本土とは産物が異なり、当然食材が違いますし気候に合った料理法ということで、料理もかなり違います。

    それから、伝統的に肉食文化があるということです。日本の場合は殺生禁断令が出て肉食が出来なくなったというお話がありましたが、沖縄の場合は、仏教は入ってまいりましたけれども、仏教の教義による殺生禁断令は発令されませんでした。したがって、非常に古くから家畜の肉を食べてまいりましたし肉食を忌み嫌う風習もなく特に豚肉嗜好の伝統があります。

    それから、油脂文化。これは家畜の、動物の肉を食料にしていますから、必然的にその脂を使います。ただし、脂といっても豚の脂、ラードだけしか普通使われておりませんでしたが、その当時の脂というのは大変貴重なものでした。昔はお芋(甘藷)を主食にしていましたので、エネルギーを補うためにも役立ったわけで、揚げ物、炒め物だけではなくて、汁物にも煮物にも脂を使いました。それは調味料的な役割も果たしていまして、当時の脂の使い方というのは非常に効率的だったということです。ただ、戦後は脂が潤沢に使えるようになりました。そうすると、豚脂は血中のコレステロール値を高くするということで、すっかり排除されて、そのかわりに植物性の油を使うようになりました。その植物性の油になると、これは大丈夫だということで、非常に多用するようになりました。

    それから、海に囲まれている島嶼県なのに、魚食文化がないということ。魚介類の料理は非常にバリエーションが少ないです。それは何故かといいますと、詳しく申し上げる時間がありませんけれども、要するに王国時代は魚を捕る機会がありませんでした。これは、王府が禁止をしていたこともあって、漁業が発達しなかったということもありますし、調理法は非常に素朴なものしかありません。ただし、地方に行きますと、塩辛だとか、燻製の加工品、これはとてもすぐれたものがあります。

    それから、中国的色彩が非常に濃厚だということ。祭祀の供物だとか、伝統菓子と言われていますお菓子は、やはり中国伝来のものが多ございます。

    それから、薬食同源、不老長生の食思想の浸透。これは未だにそういう伝統が続いておりますけれども、お年寄りはお医者さんにかかる前に、風邪を引いたならば、ターイユシンジという鮒の煎じ物やチムシンジという肝臓の煎じ物等、薬用効果のある食材を使っていろいろな薬膳を作り、それを食べることで健康管理をする。そういうことが日常的に行われてまいりました。

    それから、行事食も非常に違います。本土の正月といえば、お餅をついて雑煮をいただくというのが一般的ですが、沖縄には、お正月に餅をつく習慣はございませんでした。餅なしの正月と言った方がいいかもしれません。また、餅の製法も異なります。

    けれども、逆に今度は儀礼食になりますと、法事の供物、それから清明祭(シーミー)の重箱料理にも必ずお餅がセットになってまいります。こういう特色がありますが、これを細かく説明することが出来ませんので、かいつまんで話をさせていただきます。

    これは、市場の風景です。市場を見ていただきますと、その土地の食文化というのが大凡分かると思うのですけれども、那覇の公設市場を見ていただいても、熱帯産のウリ類や薬用効果のある薬草等が一緒に売られております。ウコン等もありますけれども、とにかく内地の市場とはかなり異なります。

    これは、「ナーベーラー」と沖縄では申しますけれども、一昔前は庭先にこういう棚を掛けて、どこの家でも糸瓜を栽培していたものですが、最近こういう風景が見当たらなくなりましたね。ヘチマは若いうちに採って、これをンブシーにしたり、汁物にしたり、いろいろな料理にいたします。甘みがあって、大変美味しいものです。

    次に、これはパパイヤです。熟したのは果物としていただきますけれども、沖縄では、多くは青いままのパパイヤを蔬菜として使います。パパイン酵素がありますので、お肉と一緒に煮ると肉が柔らかくなるというのも、これもお年寄りの知恵で、昔からそういう調理をしてまいりました。試しにステーキを焼く前に、このパパイヤの青いのをすりおろして、上にちょっと置いてみてください。とても柔らかくなります。

    田芋も沖縄の特産物の1つです。これは、稲作以前の食べ物だと言われていますけれども、このように水田、湿気のあるところ、湿地帯に出来ます。収穫して出荷するまでに大変手間がかかります。この田芋は、生芋ではなく必ず蒸したものが出荷されているはずです。それは、デンプンが糊化しない冠水芋もあり、煮えなくて食べられないものが混じることがあるからです。

    原田先生も昆布のお話をなさいましたが、沖縄では昆布をよくいただきます。かつて昆布の消費量が全国1位でしたが、現在は7番目ぐらいで、それほど多くありませんが、だし昆布として使うのではなくて、葉食として用いています。「棹前(さおまえ)昆布」と言いますけれども、北海道で採れる長昆布も早生(わせ)のものを刈り取って乾燥させたもので、北海道ではあまり価値のないものだったようです。ですから、安く仕入れされていたようです。昆布は柔らかく、しかも豚肉と一緒に料理をすることで、相乗効果を生み独特の昆布料理文化を創り出しています。市場では、乾物だけでなく、水で戻した刻み昆布も売っております。

    この下の方に見えますのは、スンシーです。日本ではメンマと言いますけれども、そのスンシーも琉球王国時代に中国から持ち込まれたもので、今でも沖縄の大事な食材として使われています。ですから、中国から運び込まれたスンシーと北海道から運び込まれた昆布と、それから上の方にはかんぴょうがあります。このように中国から運び込まれたスンシーと北海道から運び込まれた昆布、その他かんぴょうなど外来の食品を非常にうまく取り合わせて料理を作っています。昆布は17世紀の半ばには入っておりました。これは薩摩を通して入ってきたものですが、沖縄で非常に昆布がよく食されるようになったというのは、やはり歴史的に見て王国時代の交易品に使ったことがあるからです。

    それでは、伝統的な調理法として、原田先生もいろいろお話がありましたが、沖縄は、見た目よりもうまみを非常に大事にしています。ですから、琉球料理では、だしを大変大切にいたします。その「だし」も、もっぱら豚のだし汁を使いますけれども、それに必ず「かつお節のだし」を合わせて使っています。原田先生は、昆布とカツオだしがあって、その後から豚だしが入っただろうとおっしゃいましたけれども、沖縄は、昆布やかつお節が入る以前に、もう豚だしを使っておりますから、これは後から昆布だしだとか、かつお節のだしを使うようになっただろうと思います。

    それから香辛料は、王国時代に東南アジアとの交易で多種多様な香辛料が入ってきましたけれども、肉料理が多い割に料理に香辛料はあまり使われておりません。

    これは、那覇の公設市場の肉売り場の風景です。中身が下の方に見えますが、最近は観光スポットの1つにもなっておりまして、市場に行きますと観光客がたくさんいらっしゃいます。沖縄の料理を召し上がって、美味しいと思われたからでしょうか、この中身を購入してその場から小包にして送るということもしていらっしゃいます。それだけ認知度が高くなったようです。

    10分ですから、もうまとめてくださいという話で、何にもお話が出来なくなりましたけれども、肉食文化の特色としては、17世紀に家畜の牛馬を屠殺して、その肉を食べてはいけないという王府の、これは勧農政策の一種だったんですけれども、そうした制約の下でもっぱら豚肉を食べるようになりました。もう一つは、冊封使(さっぽうし)の来琉に合わせて、食料調達が必要になり、養豚を奨励したことも沖縄の食生活に豚肉食習を定着させ豚肉料理を発達させた要因でもあります。

    もう全然お話が出来ませんで申しわけないのですが、あと何分でしょうか。もう終わり。では、スライドでちょっとだけ見ていただきましょう。魚の市場です。魚介類も本土と違う特徴があります。イカ墨汁だとか、イラブー汁だとかというのが、沖縄の特色のある料理です。それから、スクガラスなども400年の歴史のある伝統食品で、かつて冊封使達が大変美味しいということで、中国にもお土産に持ち帰ったと册封使録に書き記しています。県民の食生活は、魚介類の食べ方が少ないようで、家計調査年報の購入量を見ましても、図表に示しました様に、全国平均に比較して魚の消費量は少ないということが分かりますが「かつお節と削り節」だけは全国平均の6.3倍ぐらいあります。沖縄料理には、いかにこのかつお節をだしに使っているかということが分かっていただけたかと思います。

    最初でつまずいてしまいましたけれども、出来ましたら、後で少しつけ加えさせていただけるかもしれませんので、一応ここで終わらせていただきます。大変拙い話になりましたので、申し訳ありません。

    司会

    金城先生、ありがとうございました。ぜひとも、この後のパネルディスカッションの方で、いろいろと思いを皆様にお伝えしていただければというふうに思っております。

    金城先生にも、この後のパネルディスカッションにご出演いただきたいと思っております。本当にいろいろと日本の食文化と沖縄の食文化のいろいろな歴史、また違いなんかもだいぶ比較が出来て、非常に面白い話を聞けているなというふうに思っております。

    さて、続きましては、那覇市医師会生活習慣病検診センター所長の崎原永辰様より、「沖縄の食文化と生活習慣病」と題しましての事例発表を行っていただきます。

    崎原様は、健康・長寿を支えてきた伝統的な沖縄のバランスのよい食文化と現代の食生活を比較し、食の乱れが生活習慣病などの深刻な影響を与えているということを医学的見地から発信されていらっしゃいます。現代の沖縄の食文化と、大人・子供それぞれの食習慣の見直しを提言する取り組みを行っていらっしゃいます。

    それでは、崎原先生、お願いいたします。

    崎原氏

    皆様、こんにちは。私は、那覇市医師会の生活習慣病検診センターというところで、健康診断をやっております。医師でございます。生まれは本当にこの近くで、歩いて15分ぐらいのところで生まれ育ちまして、今、那覇に住んでおりますけれども、この辺に来るたびに自宅を懐かしんでおります。僕自身は昭和34年の生まれなんですけれども、僕のちょっと前の世代、団塊の世代ぐらいからずっと我々の世代ぐらいまで、食の欧米化というか、そういうことで沖縄の食文化をだめにしたというか、そういう世代じゃないかなというふうに思っております。その反面教師として、僕は今日、今の沖縄の健康状態というか、その現状を皆さんにちょっとでも知っていただきたいと思います。

    今、こういう状態になっておりますけれども、今、肥満が沖縄県って非常に深刻になっておりまして、メタボリックシンドロームが日本で一番多いということになっています。これが、早世率といいまして、65歳未満で死亡する方の割合なんですよ。こういう表を見たことないと思いますけれども、今、保健医療関係者で一番深刻に受けとめられているのが、沖縄のこの早世率なんです。もう一回言いますけれども、早世率というのは、65歳未満で死亡する、全体の死亡の65歳未満の割合です。これが沖縄県は断トツで一番なんです。

    先ごろ、厚生労働省から330(サンサンマル)ショックといって、女性が3位になって、男性が30位になったというのがありましたけれども、このままいくと、最下位になるかもしれないという状況が今現在あります。これは男性だけではなくて、女性も同じように、ふたをあけてみたら今、早世率は1番なんです。これは人口動態調査でございます。人口の構成は多少、年寄りと若い人の構成比は全国と違いますけれども、今こういう状態で、大変な状態であると。

    これと非常に似たグラフがありまして、これは肥満比率の割合です。これは、平成16年に沖縄県の肥満比率を私たちが調べたものですけれども、平成に入ってから、平成1年からずっと調べました。ずっとこれと同じです。平成に入ってからずっとこういう状態で、47都道府県を下に並べますと、沖縄県が断トツで一番なんです。今までこれが世に出なかったころは、徳島県がずっと13年連続、糖尿病で死亡する割合が1位だったんですよ。そして、私たちの調査では、この46%程度の男性の肥満比率の数字が出ていたんですけれども、1位が徳島県か沖縄県かなと思っていたんですけれども、ふたをあけてみたら、沖縄が断トツの1位で、徳島県はここなんですけれども、あまり全国と変わらない。そうこうしているうちに、沖縄県が糖尿病で死亡する割合が1位になってしまいました。その13年連続というのを沖縄が塗りかえてしまった。そういうことでもありまして、沖縄県は、この1970年代ぐらいからこの2005年ぐらいの間に、糖尿病で死亡するのが一番低かったのが、1位になってきているわけです。

    ということで、この肥満比率が一番大きな原因と我々は考えております。女性も同じように1番です。26.1%、これはBMIといって身長と体重の比で求める体重の太りぐあいなんですけれども、これは全国の北海道から沖縄まで、身長と体重というのはそんなに誤差がありませんから、非常に確かなデータでございます。

    実際に、いつごろから沖縄の男性が太り始めるのかということを示したのが、これです。これは「学校保健統計」といって文科省から出ている、戦後すぐから出た学校保健の統計があるんですけれども、18歳ぐらいまでは、全国的にそんなに男性の差はありません。ところが、20代になって社会に出て、いろいろ人づき合いをするころになってから、この25歳から35歳ぐらいまでだと思っているんですけれども、この時に沖縄県の男性の肥満比率が爆発的にふえるんです。本土のものは、この点線で書いたところはデータがないんですけれども、大体こういうぐあいに行きます。沖縄は、こういうふうに二次曲線みたいにこうやってくるんですね。そこで46.9%とかという、そういう数字が出てくるわけです。要するに、若い時のこの辺で何とか抑制すれば、今後の肥満を抑制出来るということがあります。

    女性は男性と少し違いまして、こういうピラミッドみたいに少しずつ上がってまいります。これが全国で、これが沖縄県です。大体40代を過ぎたころから、全国との差が顕著になってまいります。

    これは、生活習慣と血液の検査項目を調べたものです。年齢が進むと大体、健診データは少しずつ悪くなってまいりますけれども、血圧が上がってきたり、コレステロールが上がってきたり、血糖値が上がってきたり、多少貧血になってきたりということが、正常の範囲内の中でもそういう動きがあります。この肥満というのが、飲酒とか喫煙に比べて健診データを圧倒的に悪くするんです。この血圧は上がるし、コレステロールも上がる。中性脂肪も上がる。善玉コレステロールという、長寿のコレステロールは逆に下がります。それから、GOT、GPT、γ-GTPって肝機能も全部上がる。そして、血糖値もヘモグロビンA1cも上がる。それから、血液は必要以上に濃くなって、ちょっと粘調度が高くなってまいります。そして、尿酸値も上がってくるということで、健診データを肥満はガタガタにしてくるわけです。

    ですので、沖縄県のこれは労働局が発表した最近のデータでも、やはり同じように、血圧とか肝機能とか脂質とか、血糖値とか、全てにわたってワースト1になってきているわけです。今の沖縄県の現状、1996年に世界長寿宣言をした沖縄県が、今こういう状態になってきているわけです。これは何とかせんといかんという状況があります。

    それで、子供はどうかというと、子供もやはり同じように全国からすると、大人ほどではないんですが、30%ぐらいは、子供から大人の肥満に引き継いで継続していきます。子供が肥満を起こしても、血糖値が上がっていき、中性脂肪が上がっていき、HDLって善玉コレステロールが下がり、悪玉コレステロールが上がり、血糖値が上がり、肝機能が上がり、尿酸値が上がりという、こういう検査のこれは那覇市医師会で、平成13年から小児の生活習慣病健診といって、小児の肥満児だけを集めてきて健康診断やっているんですけれども、大人と全く同じなんですよ。子供の中でも生活習慣病が肥満の増加とともに起こってくる。これは明らかにそうなんです。

    那覇市の栄養士の金城さんという方から借りたスライドをこれから示しますけれども、「健康なは21」といって、我々は何とかしないといけんということで、外食産業をちょっとコントロールして、外食アドバイザーを入れて、栄養士会が介入して、ヘルシーメニューを出そうと。そして、健康づくり認証店をどんどん那覇市で認証していこうということで、今、今年まで55店舗あります。それを100店舗まで目指そうということで、今一生懸命やっております。今のこの現状として、こういう弁当、さてカロリーは、ということですが、これは小で441、中で930、大になると1,600って、ほとんど一日分ぐらいの弁当を食べているという若者の食生活の実態があります。我々も小さいころからコンビーフだとか、ポークだとか、M&Mチョコレートとか、もうたくさん食べていましたから、そういう世代で今、こう来ています。だから、こういう状態を何とかしないといかんというふうに思うわけです。

    ですので、「健康なは21」の食の環境づくり事業ということで、外食産業に対して、外食アドバイザーを派遣し、そして今、那覇市が、名前が変わりましたけれども健康増進課が認証して、那覇市民にPRし、よく利用してもらおうということです。認証が出来たら、こういう認証証を差し上げます。

    そして、これは1つの例ですけれども、パレットにある「ほくと」さんというところなんですけれども、こういう弁当を出しています。エネルギーは558キロカロリー。エネルギーの表示をしようということです。

    いわゆるバランスメニューの内容としては、必ずこれはやってくださいということで、主食、主菜、副菜がそろっている。一食当たり750キロカロリー以下、塩分は3.3グラム以下とか、こういうバランスメニューとして、まず基礎を置いて、そしてたっぷりメニューとして、例えば野菜がたっぷりであるとか、あるいはカルシウムがたっぷりであるとか、鉄分がたっぷりであるとか、こういうもので表示をしようということです。控え目メニューというのは、カロリー控え目メニューということで650、脂控え目メニューということで、全部グラムであらわしていますけれども、塩分控え目メニューで3グラム以下とか、こういうメニューを作って、そのメニューをステッカーを張って、こういう栄養表示をしていますということでやっております。ということで、カロリー控え目、塩分控え目、脂控え目というようなことで、やっております。

    こういうことで、例えば、店の信用度が増したとか、これが売り上げにつながってくるように、一生懸命広報をして今やっているんですが、沖縄のこの古い食文化をもう一回思い出して、今の食の欧米化に変わってしまったこの世の中を何とか変えていって、昔の沖縄のよき食文化をもう一回思い出していけるようになれればいいなと思いながら、こういうこともやっておりますということで、事例発表といたします。

    司会

    崎原先生、どうもありがとうございました。この会場にいらっしゃるほとんどの方々が、いやいや、まだ沖縄は長寿1位だわなんて思っていた方々が多かったかと思いますけれども、長寿から短命に変わっているわけですね。ちょっと恐ろしい現実を改めて突きつけられたと。目をそむけてはいけないというのを知ったかと思われます。

    崎原先生にも、この後、パネルディスカッションにご出演いただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

    さて、続きましては、「笑味の店」店主で、公益社団法人沖縄県栄養士会会員の金城笑子様より、「おばあから伝わる長寿の食と文化の継承」と題しましての事例発表を行っていただきます。

    金城様は、「笑味の店」を拠点に、伝統料理や食文化の発展に取り組んでいらっしゃいます。地域づくり総務大臣表彰・優秀賞など多数受賞されていらっしゃいます。著書には、女子栄養大学出版部より発刊されております、『おばぁの畑で見つけたもの―土と海と人が育てた沖縄スローフード』などがございます。

    それでは、金城様、お願いいたします。

    金城(笑)氏

    皆さん、こんにちは。ただいま紹介いただきました、「笑味の店」のオーナーで金城と申します。もしかしたら、私も時間に追われるのかなと思って、さっきからドキドキしていたんです。早速テーマに沿って、経営を通してお話を進めさせていただきます。

    オープンして25年になります。振り返ってみて、やはり栄養士と料理好きな職人と経営者、その3つのバランスをとってきたことが、こだわりにつながったのかなと思っています。きっかけの一番出発点に日本栄養士会の長寿者食生活の調査がありました。その調査は昭和61年です。当時、学校給食の栄養士でした。そこで、昔いただいた料理を再現いたしました。その再現した中で、料理名が8品挙がっていますけれども、その中で今に繋いでいる、よくいただいている料理もあります。例えば、おからイリチーとか、それからもちきびご飯とか。でも、その当時の料理は育てるところから始まっている。育てて、加工したり、調理をしたりする料理が主で、その当時、自分は結婚を機に大宜味村に移り住んでいました。ちょうど周りの高齢者の畑の中で、私が市場では見ない、買えない、そういう素材が畑の隅々で育っていました。そういう素材に魅せられたところから、笑味の店のオープンにつながりました。思いは、そのような伝統食材を復活させたい、埋もれさせたくないという気持ちで、今につないでいます。

    まずは、おばあの料理がとっても参考になりましたけれども、そのおばあの料理の中で、特に大宜味村はシークワーサーに恵まれていまして、シークワーサーを調味料として使う料理がいっぱい見えました。カンダバーのウサチーです。お酢のかわりにシークワーサーを使うとか、それから、海藻は大概乾燥させて保存をしておく、そして必要な時に使う。その海藻を、シークワーサーを使ってあえものにする。それから、今でも日常的にいただいているインガナズネーという伝統料理があります。今は畑で育てますけれども、もともとは本当に野草で、野山に摘みに出かけて、そして食べていた料理です。そして、豆腐はよくいただきます。チャンプルの調理に使ったり、朝一番から大胆にやっこ風にいただいたりしています。刺身のみそあえです。これは、今でも繰り返し繰り返し、特に高齢者はおしょうゆよりもみそです。みそとシークワーサーがまた合います。

    そういうふうなシークワーサーの使い方が日常的に、今ちょうどシークワーサーは酢が乗っている時期で、もう既にお店でも使わせていただいています。

    その他に宜名真イカ、トビーチャーを使ってシークワーサーと味噌で和えた料理もあります。これは市場になかなか出てこない。特殊で、北部の地域の魚屋さんでやっと時期になると出てくるイカで、5~6匹で1,000円ぐらいと、とても安いです。でも、調理の仕方によって、ものすごく美味しく、それを先ほどのシークワーサーと味噌で和えたり、こういうふうにパパイヤと炊き込んだりします。

    次、山芋です。山芋はだんだん少なくなってきました。でも、野菜と炊き合わせた、おかずとして高齢者に好まれ、食されています。

    イリチーです。イリチーはクーブイリチーもありますけれども、千切りイリチーという切り干し大根の炒め煮は、大根を寒い2月頃に乾燥させて、常備して使っています。カボチャは1個がものすごく大きいので、大胆に使います。パパイヤもそうです。おかずやおやつとしていただくという生活の足跡が見えます。

    あと、ナーベーラーは今季節ですけれども、ナーベーラーとまた野菜を合わせたンブシーですね。ハンダマも血を作るという意味では、引き継がれてきた野菜で、それもちゃんと育てていて、使っています。あと、ソーキ汁。実だくさんというところがとても魅力的で、肉、野菜、豆腐、昆布などとてもバランスがよい料理です。ヌンクーグワーといって、季節の野菜をいろいろ取り合わせて、炒めて煮たものです。

    今まで紹介した料理は特に高齢者が日常的にいただいている料理です。

    食生活の中で特に特徴として、川があり、山があり、海がありというところで、今でも潮干狩りを楽しんでいる高齢者がいらして、子や孫が来た時に食べさせてあげたりしています。

    とにかく、高齢者は自然と共生しています。あるものは無駄なく、上手に工夫して、料理していただくという生活が、特徴です。畑と台所が常につながっている。一日三食ですよ。それこそしっかりその人たちの健康の後押しをしているんじゃないかと思います。旬の野菜が生かされているので、その持ち味を生かすので、薄味でも美味しいとか、野菜中心でヘルシーで繊維もたっぷりです。季節野菜中心なので、安心・安全です。自分の育てた野菜ということで、安心・安全は強く感じられます。とりたてだから栄養素の損失も少なく、体にも効果的になっていると思います。

    食生活をそういうふうに集落の中で、生活を身近にしていて感じとった食生活と料理の部分から、笑味の店で、どのようにそれを伝承しているかという事例をお話しします。まず、笑味の店は3つの商品がありまして、1つに製品開発をしているんですね。ご覧のようにポン酢であったり、たれであったり、ふりかけマースであったり、麺であったりで、それらは全部、医食同源の伝統食材を出来るだけ原材料として取り入れた、高齢者の生涯現役とそれから医食同源の食材の後押しをすることで、それによって素材を残し、そして次の世代に伝えるということを目的としています。

    2つ目に、レストランの料理の商品です。これが主な料理です。これももちろん、食材の復活と生涯現役の後押しで、そして高齢者との生産、原材料の入手の連携をとっています。

    3つ目の商品は、伝えることを目的としています。来て、触れて、味わうで命のつながりを学ぼうをテーマにしています。修学旅行生であったり、一般の方であったり、体験を通して、伝統料理と食材を伝える商品ですね。

    そして、その料理の中でも特にこのメイン料理になるのは、長寿膳と長寿弁当です。膳が最初のスタートで、それを箱に詰めた弁当が後なんです。まず長寿膳のこだわりとして、伝統料理、シークワーサー料理を取り入れる。そして、高齢者の日常食を取り入れるという内容でセットされています。「まかちくみそうれランチ」、これは最近から始めたんです。やはり作り手としては、その都度都度少しずつ行事食を取り入れながら、料理の中身を変えていくという事で楽しみがあり、来る方も楽しみで来てくださるということを育てていて、出来るだけ季節折々の身近でとれる食材を使って変化させています。

    あと、笑味の店の行事食としては、周りが高齢者なので、協力体制がちゃんと出来上がっていましたので、頼まれれば作る。おばあちゃんたちは、仏壇とかかわる気持ちの方が強いですので、お孫さんが生まれるとお祝いをちゃんとしなければって、カタハランブーとかサーターアンダーギーを注文したり、それから、法事や行事の場合の重箱を注文したりして、そういうようなことで協力しています。

    これは、修学旅行です。この時は生徒さんに芭蕉布の葉っぱをちゃんと収穫していただいて、一部料理体験をして、そして伝統料理をバイキングで食べていただき、楽しんでもらい、伝統料理の良さを知ってもらったりしています。

    最後になりますけれども、「百年の食卓」という小冊子を発売致しました。90歳前後でも1人でちゃんと生活をしている方をターゲットに、その人が日常的にいただいている料理を私たちが食べさせていただくというところから、それをその次に残す書物として、取り組みを始めました。この『百年の食卓』第1弾には10名の方が収録されていますけれども、2弾、3弾とや次の世代に残し伝えることをこれから頑張っていきたいなと思っています。

    以上です。終わります。ありがとうございました。

    司会

    ありがとうございました。金城様にもこの後のパネルディスカッションにご出演いただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。やはり、おばあちゃんの世代ですと、発酵食品であるみそ、また、シークワーサーということで、酸性の食品ということで、アミノ酸もいっぱいあるような、そういった食品を昔からずっと使ってきているからこその、昔の人たちの長寿というのがあるのかなと感じましたけれども。ありがとうございました。

    さて、ここで10分間の休憩に入ります。シンポジウムの再開は10分後となりますので、それまでにはご着席くださいますよう、ご案内申し上げます。また、ここでお帰りになる場合は、アンケート調査票を資料に挟んでございますので、ご協力をお願いいたします。もし、この場でお帰りになる際には、アンケート用紙を挟んでございますので、どうぞご記入のご協力をお願い申し上げます。

    なお、お手洗いにつきましては、ホールを出られまして、左手の廊下にございます。シンポジウム再開の際には、3分ほど前にまたこちらの方からアナウンスをさせていただきますので、それまでにはご着席くださいますようご案内申し上げます。

    それでは、これより10分間の休憩に入ります。

    (休憩)

    5.パネルディスカッション

    司会

    皆様、お待たせいたしました。シンポジウムを再開させていただきます。これよりパネルディスカッションとして、『「和食」文化の魅力』をテーマにディスカッションを行っていただきます。

    それでは、コーディネーター及びパネリストの皆様をご紹介させていただきます。皆様から向かいまして左側から、コーディネーターの原田信男先生、パネリストの金城須美子先生、崎原永辰様、金城笑子様でございます。そして、若い世代として、琉球大学教育学部 生涯教育課程 生涯健康教育コースの嘉手苅百里惠さん、琉球大学 教育学部 学校教員養成課程 小・中学校教科教育コースの浦崎理子さんにもご参加いただきます。

    それでは、パネルディスカッションに先立ちまして、全体の概要を私よりご説明させていただきます。

    本日のパネルディスカッションテーマは、『「和食」文化の魅力』です。和食文化を特徴づけるキーワードとして、多様で新鮮な食材と、その持ち味を引き出す工夫、一汁三菜を基本としたバランスよく健康的な食生活があります。さらには美しく盛りつける表現方法や、食器の使用などにより自然の美しさ、また季節の移ろいを表現し、年中行事にも密接なかかわりがあります。本日は、そんな和食文化の魅力についてディスカッションを行ってまいります。また、先ほどもご紹介いたしましたが、本日のディスカッションには地元の大学生の方にもご参加していただいております。ディスカッションの中では、和食文化を次世代へ継承してもらうために、若い世代から見た意見もお伺いしてまいります。

    それでは、ここからの進行をコーディネーターの原田信男先生にお願いしたいと思います。

    原田先生、お願いいたします。

    原田氏

    それでは、早速パネルディスカッションの方に入っていきたいと思いますので、皆様、よろしくお願いいたします。

    では、最初に今回のディスカッションに参加してもらう若手の学生さん、琉球大学の嘉手苅百里惠さんから簡単に自己紹介を含めてご発言をお願いいたします。

    嘉手苅氏

    ご紹介にあずかりました、琉球大学 生涯教育課程 生涯健康教育コースの嘉手苅百里惠と申します。私は今、栄養士養成課程で栄養士の免許取得に向けて勉強していて、現在は小学生の郷土料理の認知度について卒業論文で研究しております。今日はよろしくお願いいたします。

    原田氏

    嘉手苅さん、ありがとうございました。続きまして、同じく今回のディスカッションに参加していただく、琉球大学の浦崎理子さん、よろしくお願いいたします。

    浦崎氏

    琉球大学の教育学部 学校教員養成課程の生活科学教育専修の浦崎理子と申します。私の学科は、家庭科の教員の免許を取得する学科で、調理学のゼミに所属しております。私は、父が和食調理の調理人であったこともあって、今回のパネルディスカッションも楽しみにして来ました。どうぞ、よろしくお願いいたします。

    原田氏

    浦崎さんありがとうございました。今日、私以外にも皆様からいろいろと和食についてのお話があったわけですが、和食というのは、最古、日本人がこれまで育んできた食の技術というか、作法を含めた1つの大きな文化であると思います。確かに沖縄の場合は、先ほど私も話をいたしましたし、金城先生の方からもありましたように、日本のいわゆる魚文化とはちょっと違う形での肉食文化というものがあるわけですけれども、しかし、大きく見た場合でのくくりでいえば、沖縄も日本の一部でありますし、その伝統を共有している部分が非常に多いわけであります。そういう意味で、和食というものを広くこの沖縄も含めて見直した上で、今後どういうものとして私たちが受け継いでいくのか、また、そういう形で先人たちが創り上げてきた食習慣、食文化というものをどう継承していくのかというのは、非常に重要な課題だと思っております。

    そもそも食というものが一種の日本の儒教的な伝統文化の中で、非常に隠されてきたというか、避けられてきたというような状況も事実あったわけですけれども、それは、逆に私たちの三度の食事そのものをきちんと見直すということ、そのことの意味を考えるということ、その背景にある歴史・伝統というもの、先人の知恵というもの、これを考えるということは非常に大切なわけです。逆にその辺のところが欠落してしまうと、先ほど崎原さんの方のお話にもあったような形での一種の食習慣の乱れによる健康上のさまざまな問題も出てきてしまうわけです。

    それと、先ほどから出ていますように、和食というのは、その土地、その土地の地域のあり方、そこでどんなものがとれるか、金城笑子さんの方からありましたように、それぞれの地域での産物、それを大切にしながら、そこに伝わった知恵を生かしていくということが重要なのではないかと思っております。

    それでは、今回特に沖縄の和食というか、微妙なニュアンスはございますけれども、沖縄の食文化というものが現在どのような形で存在し、そこにどういう意義があるのか、そして、そういう和食文化が各家庭や各地域内で現在どのように親しまれているのか。今日、金城先生の方で清明祭(シーミー)とか、お盆の話もちょっと出かかったわけですが、時間もちょっとなかったと思うので、むしろそれも含めて最初にパネリストの金城須美子さんの方から、沖縄の食文化がどのように親しまれているかというお話をいただきたいと思います。

    金城(須)氏

    イントロで終わってしまって、大変じくじたる思いをしておりますけれども、申しわけありませんが、ちょっとスライドをもう一度補足をさせていただきたいと思います。

    今日のメインは、本当はこの歴史的変遷をお話ししたかったわけです。

    琉球は中国とのかかわりが非常に強かったということで、琉球王府・久米村の祭祀のお供物、いろいろありますけれどけれども、次、お願いいたします。

    これは、冊封使が来琉して、先国王のお葬式をする「諭祭」と言いますけれども、その折にお供えした供物の一部です。牛弐疋、羊弐疋、豚弐疋とあり、お葬式の時にこういう動物供儀をしております。中国ではこれを三牲、これに家鴨だとか鶏が加わりますと五牲と言いますけれども、そうした習俗がストレートに沖縄の王府にも、久米村にも採り入れられ祭祀の習俗にそのまま残されております。

    これは、孔子廟の祭り、毎年9月に行われていますけれども、その時に、こういう「御三味(ウサンミ)」と申しますけれども、丸ごとの鶏だとか魚だとか豚肉などを供えています。これは、王家のゆかりの地、伊是名の玉御殿の清明祭の様子です。尚家の奥様もいらして打紙(ウチカビ)をしてご先祖の供養をしています。この時のお供え物。鳥だとか豚の頭だとか、こういうふうに中国の三牲、五牲の習俗をそのまま沖縄でも引き継いで祭祀をしています。伊是名では、ついこの間行われたようです。

    こうした習俗が次第に民間の方にも伝わって参りました。現在も清明祭は各地で非常に盛大に行われております。こういう風にお墓の前で親族が集まって、お供えをした後のお料理をいただく。「直会(なおらい)」と日本では言っていますが、「ウサンデー」と言いますけれども、こういうふうに一族がこのお墓の前でご先祖の仏さんと一緒に共食をすると、こういう習慣が今でも根強く残っております。これは、家族の絆や親族の共同体意識を強める縁にもなっています。

    これは医食同源の実践をしている方たちの、料理の一例です。イラブーを、こういう風に豚足と一緒に煮込んだ料理は滋養強壮の効果があるということで、大変に親しまれてまいりました。南米に移住したような方たちが沖縄に帰っていらっしゃいますと、このイラブーをお土産に持って帰ると聞きます。それほど、滋養強壮だとか、あるいは薬効があるということに沖縄の人たちは関心を持っていて、今でも実践しておられます。

    この豚足料理も、これも昔から膝が痛くなったら豚足を食べなさいと言いますけれども、中国の「肝を以って肝を補う」というような、そういう医食同源の民間療法が今でも伝わっておりまして、最近、コラーゲンを一生懸命とる方が多くなりましたけれども、こういう料理を昔から食べているわけで、実際には私たちは自然に食物として補っていたということが分かります。

    お正月には餅つきをしない、餅なし正月だと申しましたけれども、これは「ナントゥンス」と言いまして、首里・那覇の士族階級では、こうした餅菓子を作っていたようです。これは元々尾類(じゅり)の女性たちが、お正月に本家の方へ「ウヤギー」と言いますけれども、お歳暮代わりに作って持っていったものらしいです。これもやはり中国の正月のお餅に、「ニェンガオ」というのがありますけれども、それと非常によく似ております。このように中国から伝わってきたと推測される中国料理に類似するようなものがたくさんあります。

    首里王府では中国の冊封使を迎えて接客をする際に御冠船料理(うかんしんりょうり)で歓待していました。その献立を見ますと中国の高級な宴席料理に倣ったものですが、それは中国の料理人たちが一緒についてきて料理を作っていましたから、ストレートに首里城の料理座には、そういう調理技術が入ったわけですね。その流れを汲む料理というのは、おおかた肉料理には中国系のものが多くみられます。

    一方、薩摩の侵攻以降、幕藩体制のもとで、薩摩の役人が在番奉行として琉球に逗留するようになりました。その御在番様の接客料理ということで、純日本料理で接待しておりました。式正(しきしょう)料理あるいは本膳料理など、日本の格式のある料理でもてなした事が資料として残っています。王府の料理人は薩摩の島津家の料理人のもとで修行して日本料理の技術を習得しています。したがって両方の料理文化を取り容れ、在来の料理文化に融合あるいは混在させて宮廷料理が出来上がったと思っております。そういう観点から系譜を見ますと、両方の影響を受けた料理が多々あります。それはプリントにしてありますので、どうぞ、ご覧になってください。

    これが沖縄の行事食の典型ですけれども、重箱料理をいたします。お正月におせち料理の重箱料理はありませんけれども、法事だとか、清明祭になりますと、このようにお餅とセットにしてお供えをします。昔は手づくりだったんですが、今は大分購入する方が多くなってきておりまして、この伝承がやや難しくなってきたかなという感じはいたしますけれども、行事食に限っては、やはり沖縄の方々は昔ながらのこういう料理を必ずお供えする。そういう気持ちは残っているようです。

    長くなりましたけれども、失礼いたしました。

    原田氏

    金城先生、ありがとうございました。先ほど、たくさんのスライドを用意していただいて、肝心な、特に沖縄の食の場というか、時というか、そういう料理をいただく時の問題、だいぶ今説明していただいたので、改めてご認識いただいたかと思います。

    続きまして、そういう沖縄の食文化みたいなものがどのように保護・継承されているのかという問題に移っていきたいと思うのですが、これは2つありまして、1つは、実際に食生活そのものがどのようなバランス、食のバンランス、健康との関係です。これがどのようになっているのかというような問題。これについて、崎原さんの方からお願いいたしたいと思います。

    崎原氏

    私の方では、今の沖縄県の食習慣の乱れによる生活習慣病というのを報告させていただいたんですけれども、食というのは、やはり生活習慣の大きな柱です。私たちの体というのは、やはり毎日繰り返すもの、これというのが非常に大事なんです。よくよく吟味しないといけないと思っております。

    例えば、食、それから水、それから空気、こういったものは毎日体の中を通過するものですので、その体のいわゆる機能の恒常性を保つというか、そういう栄養素が体の中に行って、それがよどみなく代謝されるということが非常に重要になってまいります。そのよどみとか、そういう過不足が病気を起こすというふうに考えております。昔から、少なくとも戦前は、沖縄は確かに長寿の島であったわけで、大正時代とか、昭和の初期とかというのは、僕の知っている限りでもよかったと思います。その観点から考えると、昔の琉球料理というのは非常にバランスがとれて、過不足のない感じであろうというふうに思っています。

    それをどのように継承していくかということですよね。そういうことについては、もう一回、今の乱れをまず認識するということ。今の健康状態の悪さをみんなで共有して、そして、これを何とかしないといけないということで、先ほど私が紹介したような外食産業の認識、健康を意識させるような外食産業の育成とか、そういったものも大きな柱にしたいと思いますけれども。今、全国的にもタニタ食堂とか、こういったものが非常に人気を博しているように、沖縄県でも、そういう琉球料理を基調としたタニタ食堂をどんどん作っていければなと思います。多分、昔のそういうものを基調とした、琉球料理を基調とした食文化を再興していけば、またいい方向に向かっていくのではないかなというふうに思っております。

    原田氏

    崎原様、ありがとうございました。

    現代を全て肯定するわけにはもちろんいかないわけであって、それを歴史の中からどう修正というか、創造しながら新しい食文化を過去を継承しつつ、どう生かしていくかという問題で、まさにその問題にお仕事としても取り組まれておられる金城笑子さんの方から、その辺のお話をいただきたいと思います。

    よろしくお願いいたします。

    金城(笑)氏

    私の周りは本当に元気な長寿さんに恵まれている状況で、とかく、伝統料理そのものというのは、仏壇とかかわる長寿者の生活が普通で、心が仏壇とつながっているという意味で、祝い事、法事、あとは季節折々の行事、そういうものをとても大切にしています。まずは仏様にお供えして、そして子供、孫の健康とか安全を祈願して、一日、朝のスタートが始まるという中で、高齢者は、車で動けない。若い人は車がありますので便利な食べ物が手に入れやすい。コンビニも身近で重宝している。でも、高齢者はあるものを上手に工夫していただく。特に畑と台所がつながっている生活をする。その積み重ねは、食材のよさも栄養的な面も含めて、健康の後押しをしてくれているんだと思います。

    行事を通して、その若い世代に上手につないでいくことは出来ないものか。大宜味村では、十六日祭が一番大きくて、名護とかは清明祭が大きいですけれども、その十六日は1月16日で、正月のすぐ後です。正月よりもいっぱい出身の方がおりてきて、そして、お墓で、門中ごとにお参りをする。それで、ふだん顔を見ない、久しぶりだねという状況がお墓の前で展開されるわけです。そういうふうに行事があると、例えば出産でもいいし、ほかの祝い事でもいいし、仏事でもいいし、そういう時にみんなが顔を合わせるって、そういう行事を大切にしながら、その料理を通してつないでいくものがあるんじゃないかなと思います。といいますのは、田舎には老夫婦で、あるいはひとり暮らしの高齢者が生活をしている。その高齢者のところには、仏壇がちゃんと見守っている形があって、そこを通して食がつながっていくというのも大切じゃないかなと思っています。

    あと、沖縄全体的に見た時に、私は自分で自分のしたいことを頑張っているわけなんですけれども、全体的に見た場合、もうここにきて、やはり産業給食を一緒に努力しないと、前には進まないかなというところは、私も自分がそういう仕事をしてきた関係、私もまだまだ足りない部分がありますけれども、それも含めて、その連携をとる必要があるんじゃないかなと今思っています。

    原田氏

    後の議題になろうかと思いますけれども、どう継承していくべきかということもだいぶ触れてはいただきましたけれども、とりあえずは現状と、これまでの伝統を踏まえて、どういったことが行われているかということと、その結果、その結果というと、それとはまた別な形で進行しているちょっと問題点、そういったもののご指摘、それから、そういう伝統みたいなものをどう大切にしていくかという問題も出たわけですけれども、ここまでのディスカッションを振り返って、若い世代の方、どのように感じたか、あるいは、どんな意見を持っておられるかということをお聞かせ願いたいと思うんですが、まず、嘉手苅さん、いかがでしょうか。

    嘉手苅氏

    今、お話をいただいたように、大きくこの枠で見ると沖縄の食文化も和食、日本の食文化の1つとして捉えられているというお話だったんですけれども、そうなると、この和食の継承というのは、沖縄の食文化、例えば、沖縄は沖縄の食文化、京都だったら京都の食文化というふうに、その地域で自分たちの食文化を守っていくこと自体が、大きく見れば和食の継承につながるのかなというふうな印象を受けたんです。この和食というふうに聞いた時に、やはりイメージするのは、ちゃんと本膳料理みたいなそろった料理で、私たちの日常の食生活とはほど遠いというふうな印象を受けるのが一番最初にあって、それを継承していくというふうに聞くと、ちょっと難しいという印象を受けるんですけれども、今回お話を聞いて、和食というのが一汁三菜を基本として、ご飯、米文化、米と汁物とか、そういうもので和食というふうに定義されているということを知らない方が多い。私も今回初めて知りましたので、それをもっと広めていけば、この和食文化の継承というのも、もっと拡大されていくのかなというふうに思いました。

    原田氏

    ありがとうございました。ちょっと今のお話のコメントみたいな形になりますけれども、実は和食という言葉は新しいですね。明治以降の要するに西洋料理や中国料理が本格的に入ってきた段階で、それまでの日本の料理を和食と呼んでいるに過ぎないわけです。そして今、本膳料理とか会席料理の話が出ましたけれども、京都の人たちが毎日、本膳料理、会席料理を食べているわけではないので、やはりそういう意味では、私たちが毎日食べている食事、その中には当然、こういう時代ですから、西洋的な食事が入ってきていれば、中国的なもの、あるいはもっとエスニックなものも当然入ってきているわけです。しかし、そのベースにある日本人がそれぞれの地域に応じて、それぞれの地域の文化を継承するような形での三度三度の食事の基本、ここの部分を和食というふうに捉えて、それをどう受け継ぎ、発展させていくか、それが一番重要なんじゃないのかなと思いまして、そういったところを認識いただいたということ自体、やはり十分今日の意味があったと思うんですけれども。

    続いて、浦崎さん、いかがでしょうか。

    浦崎氏

    本日はお話、ありがとうございました。私も和食と聞いて思い浮かべたのは、そういう私たちの日常の食事というよりは、きちんとした行事食のようなものを思い浮かべていたんですけれども、お話を聞いて、私たちの身近な、例えば食事をする時に挨拶をしたりとか、あとは、ご飯、米の文化とかという身近なものだなというのを感じました。

    和食文化をどうすれば継承出来るかというのは、すごく難しいなと感じるんです。私の学科が家庭科の教員養成の課程なので、その関係で、学校現場に行って家庭科で調理とか食文化というか、食のことを教えたりする時に感じることなんです。

    あとは、今回の崎原先生のデータとかを見ていても、男性の肥満率がすごく高いなというのを感じることと、あと、まだ小学生や中学生の男の子たちも料理は男の子がするものではないとか、食に対してあまり興味がないような印象があって、必ずしも男の子ばかりではないのですけれども。ですので、今後の鍵を男性が握っているのではないかというふうにも少し感じるのですが、どうでしょうか。

    原田氏

    ありがとうございました。今のご発言にもあったように、和食ってかなり概念として広いわけですね。もともと食事というのは、ハレとケというか、非常に本式の日本料理、本膳料理にせよ、その会席料理にせよ、あるいは行事食にせよ、これは一種のハレの料理であるわけです。ところが、ハレの料理ばっかり食べているわけではなくて、日々の食生活、ちょっとした例えばお茶漬けだとか、雑炊だとか、こういったものももう一方で食文化、特に日本の和食文化を形成している非常に重要な要素でありますし、それにどう意識的にかかわっていくのか。その意味で、男性の方がちょっと弱いと言われましたけれども、確かにそういう部分はあります。ただ、今現在の社会現象として我々はケ・ハレという言葉を使うんですが、ケとハレが一緒になりつつある。つまり、日常の中にどんどんそのハレが入ってきて、ある意味でいえば、ちょっと膨張し過ぎている。それが、崎原さんからご指摘いただいたような、食文化の乱れみたいなものにもつながっている。そういうけじめみたいなものも含めて、やはりどう日々の食からスタートして、その頂点にある食みたいなものも含めて、どう今後の日本の食文化を継承発展させていくのか。そこのところが重要なんだと思います。もうその話はだいぶされましたけれども、改めて今の若い世代からのご発言を踏まえて、今後そういうものを継承していくためにはどうしたらいいのか。未来の世代に向けて、どうやったら受け継いでいけるのか。さっきタニタ食堂の話も出ましたけれども、もう一遍その辺のところをそれぞれのお立場からご発言願いたいと思うんですけれども。

    まず、金城先生、いかがでしょうか。

    金城(須)氏

    若い世代は、きちんとその辺を認識しているようで、今、和食の継承ということで、結局は地元の料理というのですか、地元の食文化をしっかり受け継いでいくことが、和食の継承ということになるのではないかというお話がありましたけれども、私もそれに賛成です。画一的にするわけにはいきませんで、この長い日本列島、北海道から沖縄まで、それぞれ産物が違ったり、気候が違ったりします。それぞれの地域に合った、これまで伝統料理というものが生まれてきたはずですから、やはりそれを基盤にして、そしてそれをもっとよりよくしていく。改善していくところは改善していく。残すべきところはきちんとそれを押さえておく。そういう方向で発展させることが大事じゃないかなと思います。

    日本の料理と、例えば若い人たち、私どももそうですけれども、和食という場合には、日本の料理は非常に繊細で、見た目もきれいで、美しいと、そういうことが料理の1つの信条になりますけれども、沖縄の郷土料理といいますか、沖縄の料理というのは、ちょっと色彩に欠けているといいますか、味を真髄としますから、いろいろな材料から出てきた複合的な味をよしとします。そういうことで、見栄えのよさということにはあまり関心を持たないできましたけれども、これからは、若い世代にも郷土の料理を受け継いでいってもらうためには、やはりその辺の改善が必要だろうと思います。

    高校生を対象にした調査を原田先生もかなりしていらっしゃいますけれども、若い世代はやはり郷土料理に対して、大事なものだから継承していきたいと。何とか残していきたいと。そういう意見が多いようですけれども、これが現実的に、それでは自分でそれを作れるかというと、親の世代がその琉球料理を作れなくなっている方が多いわけですね。手軽に出来合いのものを、例えば行事食についても買ってくる。それと、行事の時にも手作りよりも、市販のものを買ってくるとか、そういう傾向がありますので、やはりこの際ですから、郷土の料理をきちんと継承していくためにどうしたらいいのか。栄養学的な面もありますでしょうし、いろいろな方面からそれをきちんと検討して、何を残すべきか、どういうふうに改善していったらいいかというのを、やはり学校の教育の場でもそれを教えていただきたいし、お母さん世代に対しても何やら講習会を持つなり、いろいろな方法で活動をしなくてはいけないのかなというふうに思っております。

    原田氏

    ありがとうございました。続きまして、崎原さんお願いいたします。

    崎原氏

    郷土料理の保護・継承ということなんですけれども、現実を眺めてみた場合、食というのは、やはりかなり手間のかかることです。食ということ自体が、ですね。それで、今のライフスタイルを見てみると、やはり共働きとか、あるいは時間外労働があったりして、子供の朝食もゆっくり作ってあげられる時間がない。あるいは、給食時間も例えば20分ということで、急いで食べて終わり、はい、片づけということに現実なっていると思うんですよ。

    それで、現実を見ながら、新しい、全く新しいという意味ではなくて、昔のよさを継承しながら、新しいライフスタイルの中での食というのを構築していく必要があるんだろうと思っています。僕自身はもうちょっと沖縄のいろいろな、沖縄でとれる地元の野菜とか、植物ですね。植物というのは、本当に炭水化物は作るし、脂質は作るし、たんぱく質は作るしということで、非常にとても偉いと思うんですけれども、その辺をもっと見直して。

    食育ということなんですけれども、食育は大事だ、食育は大事だと言うんですけれども、じゃあ、何が大事かといえば、栄養素が体の中でどういう代謝をしていって、どういう動きをサポートしていて、それの過不足が病気につながっていくということをもっと皆さんが理解してほしいと思います。僕は20歳の若い人たちが健康診断に来た時には、今の体重をキープしろということが、将来の生活習慣病を避ける一番の要因だよということを若い世代のうちに言っているつもりなんですけれども、そういうことで、若い人たちの食に対する意識を変えるということが非常に重要かなと思います。

    原田氏

    ありがとうございました。その辺の意識というか、それのあり方というのは、やはり今後、食の文化を考えて継承していく上で非常に重要だろうということだったと思いますけれども、同じように金城さんの方の立場からはいかがでしょうか。

    金城(笑)

    店的にインターンシップとか、職場体験を毎年受け入れています。たまに、小学校の総合学習が入ったりします。その時に、インターンシップや職場体験の生徒さんにはお弁当を持ってこないように、拘ってお願いしています。そして、その機会に自分のところで出している料理を食べてもらいます。そしたら、食べるんですよ。でも、雰囲気が変われば食べるのか。買ってまでは食べないけれども、笑味の店の料理がタダだったから食べたのか。長寿膳でもモーイドーフとか、パパイヤチャンプルーとかがあったりしても、それに抵抗なく食べてくれました。「美味しかった」と言うと、「美味しかった」って、ちゃんと答えて。義理で答えたのか、そこは分からないんですけれども、ちゃんと答えます。女の生徒さんは、やはり前向きに意見をちゃんと述べてくれます。男の生徒さんはもじもじしながら「美味しかった」って言いますけれども、「ちょっとこれは、モーイドーフ、ちょっと微妙だったけれども、でも食べられたよ」みたいな意見を残してくれたりしています。

    やはり、育てる意味では、家庭が出発点にあるんじゃないかなと思います。私のところは、やんばるの過疎地域ですので、そこでおばあちゃんに育てられた子供たちはそのよさをしっかり受けとめて、おばあちゃんが子供が好きだからってモーイの乾燥されたのをちゃんと買って、作って食べさせてくれています。

    だから、食というは育てられるものなんだ、育つものなんだって考えれば、やりがいがありますよね。うち、おばあちゃんたちとは、私が25年前に店をオープンさせた時に市場に出回らない素材を、売ってないものですから「分けて売ってくれないかね」から始まったんですけれども、そんなお金も出して買ってまで食べないこの野菜を私は何をするんだろうという疑問から、問いかけられたりしました。でも、今、90歳で自分は元気なのに、息子が病気になったっていう現状が、しっかり現実になってきました。自分たちはこんな貧乏をして、こんな雑草みたいな、本当に食べるものがない時代に工夫をして食べてきたものが、もしかしたらよかったのかなということを感じ始めています。そして、私に対しても、「あんた、この店をやってよかったね」みたいなことを言うようになりました。

    ですから、みんなが1つになれば、地域で育てられるものなんだっていうことを思っていますので、これからも動ける限り頑張って、その店を通して食育をしていきたいなと思っています。

    原田氏

    ありがとうございました。実践的にお仕事をして、そういった活動をされているわけですけれども、今、お三方からそれぞれのご意見が出たわけですが、これを受けて、現実にそれを担わなければいけない若い世代として、この辺の問題、どうでしょうか。嘉手苅さんの方からお願いいたします。

    嘉手苅氏

    私は小さい時におじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしていて、郷土料理というか、そういうのを食べるのが当たり前というか、日常としてあって、自分の一番好きなものとして、ウムクジプットゥルーがあるんですけれども、それを友達とかに話をしても分からないとか、食べたことがない。台風の日になると家族みんなで集まってヒラヤーチーを焼いて、停電するからガスを使ってヒラヤーチーを焼いて食べるとか、そういうのがあったり、家で飼っている鳥を潰して食べたりという、多分、今の若い人たちにはあまり体験したことがない体験をさせてもらったんですけれども、それがあったからこそ、こういう郷土料理とか、地元の日常としてあった伝統のものを残したいという気持ちを私はとても強く持っていて、でも、だからといって、それを今の若い子たちに体験させるということは、やはり難しいというふうに思うんです。先ほども崎原先生からお話があったように、食育というふうな言葉が出ていて、栄養士を目指しているんですけれども、栄養士として見ると子供たちに伝える、子供たち全員が体験する場として、学校給食が同じようにみんなが体験出来るということを考えると、学校給食がこういう伝統的なものを伝えていく上でも一番有効ではないかなというふうに考えています。

    原田氏

    ありがとうございました。嘉手苅さんの場合は、特殊といったらあれですが、そういう経験を積まれた上で、また新たにみずから栄養士となって、そういった方面で活躍していきたい。その抱負というような形で伺いましたけれども、浦崎さんの方はいかがでしょうか。

    浦崎氏

    私はそのような体験はしたことはないんですけれども、同じように学校給食というのはすごくキーワードだなと感じます。私は学校給食がすごく好きで、毎日どんなメニューが出ているのかなというのを見るのがすごく好きです。学校給食でしか食べたことのないような沖縄の伝統的な料理というのもすごくたくさんあります。あとは、先日、同じゼミ生の子と一緒に具志頭の小学校に行ったんですけれども、そこでは、そこの地域の野菜を使った郷土料理などが出されていたりして、私はそのぐしちゃんの野菜を知らなかったんですけれども、その地域の子供たちはみんな当たり前のように知っているといった現状も最近体験したので、学校給食という現場で、この文化について教えるというのは、すごく有効だなと思います。

    あと、先程も言ったんですけれども、和食というと堅いイメージという感じがしたり、文化とか伝承という言葉にすごく昔のものというイメージを抱いてしまっているので、私自身もそういう認識を改めて、そうではなくて、毎日日常に食べている学校給食であったり、家庭でも簡単なゴーヤチャンプルーとかだったら食べていると思うし、食事の時のマナーというか、伝統的にやっていることも日本の和食の文化であるということをみんなが認識して、それを風化させないという意識に変えれば。古いものを今から勉強して継承していくというのも大事なんですけれども、今あるものを残していくという意識でやればいいんじゃないかなというふうに感じました。

    原田氏

    今、学校給食という言葉が出まして、先ほど食育という言葉も出していただいたわけですけれども、そういう日常を取り囲むレベルから、やはり大切にしていきたいという、そういうご意見だったかと思うんです。若い方々もそれなりに将来の和食というか、沖縄の食文化というか、それを大切にしているということが分かって、非常に私どもも心強く感じました。

    一応、これでざっとご意見いただいたわけですけれども、実は、この和食の文化の魅力ということに関しましては、冒頭にご説明があったように、1つは食の無形文化遺産の登録という問題も踏まえているわけですが、こういった取り組みをずっと全国的な規模で催されている、農水省の方の担当の久保田さんの方から、特に今回、沖縄のこういったシンポジウムに参加したご感想を含めて、ちょっとご発言いただければと思います。

    よろしくお願いいたします。

    久保田氏

    皆様、お疲れさまです。只今紹介にあずかりました、農林水産省で食文化に関する施策を担当している、室長の久保田と申します。よろしくお願いいたします。

    ちょっと時間をいただいて、この会の趣旨も含めて説明したいと思うのですが、先ほどから話もありました、どうも和食といった時に沖縄の食文化と、ピンとこないなと。それは当然だと思います。和食って何なのって考えた時に、よく分からないというのは当然だと思う。原田先生からもありましたように、食文化とか、和食という言葉は新しく使われている言葉です。さらに言えば、今回、ユネスコへの申請に際して、これも先生方に集まってもらって、かんかんがくがく定義を改めて考え直したような世界ですから、皆さん方がピンとこないのは当然だと思います。なぜ、和食をユネスコに登録申請しようと考えたかと申しますと、例えば今、海外を見ますと、全世界に5万5,000店ぐらい、いわゆる日本食レストランと言われている店が存在するとされています。そのふたをあけると、そのほとんどは実は中国人とか、東南アジアの人が経営していて、見よう見まねでやっている、我々は「なんちゃって日本食レストラン」と言っているんですけれども、そういったことがほとんど。

    さらに言えば、統計で、世界で好きな料理はどこですかと、フランス料理とかイタリア料理とか中国料理とかを並べて聞いてみたら、断トツ、日本食というのが人気なんです。ところが、中身を見ると、すしとてんぷらに続いて、ラーメンとか、カレーライスとか出てくるんですね。どうも、日本食に興味を持ってもらっている、魅力を感じているんだけれども、ちゃんと分かっていないんじゃないかという疑問が湧いてきたわけですね。

    その一方で、日本人が足元を見たら、我々はどうなのと。先ほどからメタボとかいろいろな話が出ていますけれども、我々日本人自身が、それをすっかり忘れているんじゃないのかということで、我々農林水産省は産業政策をしているところなので、海外でもうけているアジアとか中国人の方がいらっしゃるなら、日本人がもうけない手はないというところから始まってはいるんですが、よく考えてみたら、まず我々日本人自身が気づかないといけないなということです。

    ユネスコに食文化を申請するに当たって、どういうカテゴリーで何といって申請しようかなと考えたんです。「これだ」っていう言葉がなかったんですね。我々は別に京料理だけとか、懐石料理とか、それだけが目的じゃない。日本食文化全体を正しく伝えたい。日本食文化という時には、例えばカップラーメンとか、レトルト食品とか、そういうのをユネスコの文化として登録して守るというところとはちょっと違うなと。北は北海道から南は沖縄まで、様々な食文化があるんですね。47都道府県、1,700市町村、さらに地域を見ていけば、それぞれごとのいろいろな歴史、沖縄とか北海道は特に特徴的なのがあるんですが、どこを見ても特徴的なものがあるんですね。それを一くくりとして、我々はこの食文化を世界にちゃんと認識してもらい、日本人もこれを機会に自分たちの郷土料理とかを再認識してもらって、大切さに気づいてもらいたい。その時に、言葉は何がいいのかな、日本食文化ではないなと。

    それで、最後に至ったのが「和食」。これは手元にリーフレットを配ってあると思うんですが、これを開いてもらって、リスペクトって英語で書いてある下のあたりに「和食」とあって、それの意味として「日本人の伝統的な食文化」と書いてあるんですね。だから、我々の思っている、ふだん使っている和食という意味とはまた違うと思います。だから、伝統的な食文化として、しかもこれは、ユネスコに登録する時は英語で登録するんですね。だから、これを訳して、我々は別にフードカルチャーとかジャパニーズフードカルチャーとか、そういう言い方はせずに、そのまま「WASHOKU」とローマ字で。ある意味、「WASHOKU」という言葉を1つの日本の伝統的な食文化を世界に伝えるキーワードとして、ローマ字で「WASHOKU」。ある意味、新しくその定義を作ったのかもしれません。だから、北は北海道から南は沖縄までの我々が守り伝えていきたい和食文化ということで、この言葉を作ったと。

    では、その和食文化、さっき言ったように多様なものですから、それを共通項を見つけ出して、何が大事なのかなというところで定義づけていったのが、特徴(ア)から(エ)と書いてあるところです。沖縄の場合、自然の大きさの表現というのが、青い海、青い空ということなのかもしれませんが、ちょっと本土の方にはある四季とか、そういうはっきりしたものはないんですけれども、こういった4つのカテゴリーを代表にして郷土料理、我々は和食と言っています。

    私は実は沖縄は地元ですので、実家は南城市で、昨日お袋の作ったご飯とソーキ汁とヘチマのチャンプルー料理を食べたんですけれども、それを食べる時に「いただきます」「ごちそうさま」で、家族と旬の野菜の話をしながら食べて、これはまさに和食の文化だと思うんですね。先ほど、シーミーとかウークイの話がありましたけれども、ご先祖の方と一緒に泡盛を飲みながら重箱をつつく。これもまさに食文化だと思います。こういった地域地域である食文化全体をくくって「和食」ということです。

    先ほど話が出てきた地産地消の話とか食育、まさにそれも重要だと思いますし、さらに言えば、原田先生が先ほど、食文化というのは伝統と創造、表裏一体だと言ったと思うんですけれども、若い人は特にその和食の維持・伝統継承というと、おかたく古いものをそのまま右から左に伝えるかのように思うんですけれども、食文化って常に変化しているんですね。その時代時代の新たな創造を加えながら発展させていくものだと思いますので、だから、若い人たちも何も古いものをそのまま右から左じゃなくて、若い人たちの価値観とか文化というのは、その時の価値観が入れられないと称賛されずに、受け継がれずに次に伝わってきませんから、創造していくものだというふうに捉えてもらって、やっていただければと思います。

    これは農林水産省の宣伝になるんですが、手元に「日本食文化ナビ」というのを、これもユネスコへの申請に合わせて作成しておりますが、この中のページを開いていただきますと、2枚目ぐらいを開いてもらうと、視点0から視点5があるんですけれども、この中に地産地消の話とか、食育みたいな話とか、新たな創造を加えるとか、まさにこのユネスコの申請を契機に皆さん方に、和食って何だっけとか、沖縄の料理って何だっけと、まず、それを考えてもらうこと自体が我々の施策の大きな狙いでもありますので、その上で、これらを生かして、地域の発展とか、食生活を豊かにする。そういったところにつなげていただければと思っています。これをそのヒントにしていただければと思っていますので、後で読んでいただければと思います。ちょっと長くなりましたが、ありがとうございます。

    原田氏

    ありがとうございました。

    金城(須)氏

    先生、もう一つ。

    原田氏

    どうぞ。

    金城(須)氏

    実は、琉球料理というのが一時期ブームになっていまして、とても認知度も高くなりましたけれども、明治時代に結局廃藩置県になって、王府の料理座というのも解体されました。そこで働いていていた料理人たちも野に下って、宮廷料理というのは衰退してしまったわけですね、明治、大正時代の。一部の人は、王家ゆかりのお家だとか、あるいは裕福な家庭に料理人として雇われた人もいるでしょうけれども、行事の時にあちこち回って、その行事食を作る。「ホーチャー」と言いますけれども、料理人がそういうふうにして、それが少しずつ民間の方にも伝わっていったようなんです。

    戦後、もうすっかり廃虚に化してしまいまして、何にもないところで、それこそ飢え死にしそうな状況の生活をした時代がありますけれども、アメリカの配給物資で命をつないできたというような時代ですけれども、1956年から1958年にかけてなんですが、琉米文化会で琉球料理研究会が発足しております。まだ、お元気でいらっしゃいますが、新島先生を初め、琉大の翁長先生、その他、有志の方々が集まって、琉球料理の復興をしようではないかということで研究会をして、そして、講師を招いて、これは王家の方にゆかりのあった方のようですけれども、その方を講師に招いて、琉米文化会館でずっと料理講師をしながら、普及活動をしていかれたわけです。新島先生が、1971年に『琉球料理』という本を刊行なさいました。そういう書物、本が出来上がって、だんだんと民間の方にも琉球料理を習う方が出てきましたし、料理学校でも教えたし、講習会でも琉球料理の講師をいたしました。

    そういうことで、琉球料理に対する関心とそれが広がっていったわけです。もう一度私たちは、この長寿を復活させるという意味でも、琉球料理の本質的なものを栄養士の方、あるいはお医者さんの方、いろいろな方たちが一緒になって、やはり再構築をする必要があるのではないかなと思います。それは、ホテルあたりで調理のシェフたちが、沖縄の素材を使って新しい料理をということで、かなり創作的な料理が出来上がってきているようですから、そういうことも1つの機運になるかと思いますが、男性のメタボを減らす健康食、あるいは宮廷料理をもう少し発展させた琉球料理をということで、みんなで研究会を立ち上げてみてはどうかなというふうに考えております。

    原田氏

    明治以降の琉球王府がなくなってから、どういう形で沖縄の料理文化が広がってきたかというお話を非常に興味深く拝聴いたしましたけれども、私自身は大和人でありまして、北海道が先ほど申しましたように15年と長かったんですけれども、非常に沖縄は大好きでして、やはり沖縄料理って美味しいわけです。沖縄料理を味わいに行った、楽しんでいる時に、私自身は日本料理の一部で、かなりそれなりに発展したすばらしい料理だと思ってずっと食べておりました。ただ、今までは正直言って旅行者として来ていたものですから、どうしてもおなじみの居酒屋の沖縄料理みたいなものだったんですが、今回半年こちらで暮らしまして、さまざまな地方やお宅で沖縄の料理をいただくと、やはり今まで口に出来なかったようなものも頂いて、それが非常にまた美味しい。やはりこれは、そういう意味での沖縄料理の深さ、伝統の根強さ、そういったものが間違いなく沖縄に食文化として1つの体系、文化というものを創り上げているということをつくづく感じた次第です。

    また、今、新聞なんかを見ていますと、ウチナーグチを非常に大切にしようということで、そういう運動が起きていますけれども、同じようにやはり行事です。今までの民間行事、年中行事みたいなもの、これも今、非常に維持しようとして地方の皆さんで頑張っていらっしゃる。私は、もともと歴史学の出身なんですが、民族のようなこともちょっとやっておりまして、やんばるの方の幾つか行事を見て歩いたんですが、去年まで出来なかったのに、今年からこれを加えたとか、そういう形で伝統行事の復活、これに非常に力を入れて、当然その行事には食べ物がつきものですから、そういったものも一生懸命、それで伝えるんだと。お盆の料理なんかでも、本土の方から来たお嫁さんに、お盆の時に料理の作り方、これを教えるんだというようなことで、一生懸命やっている姿を見て、そういう部分がやはりこの沖縄の食文化の伝統というものを大切にしてきているんだなと思います。

    ただ、一方で、先ほどメタボとかの話が出ましたけれども、画一的な食文化のパターン、あるいは、変な意味でいいますと、商業至上主義的な形での食の押しつけといったら何ですけれども、そういう部分もやはりあるわけです。ですから、そういう中で、私たちはいかに食事というものを大切に考えていかなければならないか。先ほど食育という話が出てまいりましたけれども、食育というのもちょっと誤解されると、栄養だけ偏らずにとっていれば、そういう食事をすることが食育なんだみたいな考え方がまだ一部にあるようなんですけれども、実際はそうではなくて、食育というのは、先ほど学生さんの方からお話が出ましたように、食文化としてどうやって継承していくか、そこのところがやはり一番大切なわけで、これは崎原さんも言われましたように、やはり食というのは手間暇かかるものなのですね。この手間暇をやはり今、確かに忙しい時代ですから、時間が少しでも欲しいということになっていますけれども、私もそうですけれども、実際はテレビを見ていたり、何かつまらないことで時間を潰している部分もあるので、そういう手間暇というものをもうちょっと見直さなければならない。

    そして、食というのは何よりも生命と直結するものであるという認識ですね。そういう料理や食事の基本ということ、ここを今この段階でもちろん創り出せればいい。現在のものを認識してということなんですけれども、その認識する時に何が大切で、何が先人の知恵であったのか、そういう部分をきちんとえり分けしながら、新しい食文化の伝統というものを創り上げていく。そのためには、料理と食事に関する正しい認識、それと深い関心。これをもって私たちが一食一食、もちろんぱっと済ませてしまうこともありますけれども、そうではなくて、何らかの機会でもいいから、その食の裏側にある文化、その伝統、歴史、知恵、そういったものを受け継いでいくということが必要なのではないかと、今日のお話を聞いていて考えた次第です。

    ちょっと時間をオーバーいたしましたけれども、今日はパネリストの先生方、あと学生さん、どうもいろいろ本当にありがとうございました。貴重なお話で大変勉強になりましたので、こちらからも御礼申し上げます。

    それでは、ちょっと時間をオーバーしてしまいましたけれども、以上で、本日の『再発見!「和食」文化の魅力』沖縄ブロックでのシンポジウムを閉じさせていただきたいと思います。どうも長時間ご清聴ありがとうございました。

    司会

    原田先生、進行どうもありがとうございました。また、パネリストの皆様、そして、琉球大学の嘉手苅百里惠さん、浦崎理子さん、長時間にわたりまして、熱心なご議論ありがとうございました。壇上にいらっしゃいます皆様に、どうぞいま一度大きな、盛大な拍手を送っていただきたいと思います。

    それでは、パネリストの皆様、そして、コーディネーターを務めていただきました原田先生、どうもありがとうございました。どうぞ、ご降壇くださいませ。

    さて、地域や気候、歴史などによりまして食文化はだいぶ違いますけれども、本来はヘルシーでもあり、また地域地域によっては理にかなった琉球食、または和食を改めて今から、そして次世代へとつなげていっていただきたいなというふうに思っております。

    以上をもちまして、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』の全てのプログラムを終了とさせていただきます。最後までご参加くださいまして、誠にありがとうございました。

    さて、本日、受付にてお渡しいたしました参加証、並びにアンケート調査票は、ご退出の際に受付付近のスタッフにお渡しくださいませ。このアンケート用紙のご記入の方のご協力もよろしくお願いいたします。今後の参考とさせていただきますので、ぜひともアンケートにはご協力をお願いいたします。

    どうぞ、お忘れ物がなきよう、気をつけてお帰りくださいませ。本日はご参加くださいまして、誠にありがとうございました。

    以上

    お問い合わせ先

    大臣官房政策課食ビジョン推進室
    担当者:武元、橋本
    代表:03-3502-8111(内線3104)
    ダイヤルイン:03-6738-6120
    FAX:03-3508-4080

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