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「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【東北ブロック】

「和食;日本人の伝統的な食文化」のユネスコ無形文化遺産への登録申請をきっかけに、私たち国民一人一人が「和食」文化について改めて認識を深め、次の世代に日本全国の「和食」文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的として、「和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』」【東北ブロック】を開催しました。

1.冒頭挨拶   

挨拶する鳩山東北農政局次長  シンポジウムの様子

挨拶する鳩山東北農政局次長

シンポジウムの様子 

2.基調講演

「東北の食文化~岩手の郷土食から~」

菅原 悦子 氏 (岩手大学副学長・教育学部家政教育科教授) 

菅原氏

3.事例発表

平出 美穂子 氏 (ふくしまの食文化研究家)

千葉 彩子 氏 (郷土料理研究家、栄養士)

 平出氏  千葉氏

事例発表される平出 氏

千葉 氏

 

4.パネルディスカッション

「和食」文化の魅力

  • コーディネーター
  • 菅原 悦子 氏 (岩手大学副学長・教育学部家政教育科教授)

  • パネリスト
  • 平出 美穂子 氏 (ふくしまの食文化研究家)

    千葉 彩子 氏 (郷土料理研究家、栄養士)   

    パネルディスカッション
     

     

    5.議事録

    1.開会

    〇司会

    それでは、皆様、予定の時刻となりました。本日はお忙しい中、和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』へご参加くださいまして、誠にありがとうございます。

    本シンポジウムは、日本人の伝統的な食文化である和食のユネスコ無形文化遺産への登録申請をきっかけに、私たち一人ひとりが和食文化について、改めて認識を深め、次の世代に日本全国の和食文化を維持・継承していくことの大切さについて考えることを目的に、ここ東北ブロックの青森会場を初め、全国9ブロックにて開催してまいります。日本人にとってかけがえのない財産である日本の食文化、和食について、皆様とともに考えて参りたいと思います。

    申し遅れましたが、私、本日司会を務めさせていただきます、外崎禎子と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。

    それでは、まず初めに開会に当たりまして、東北農政局次長、鳩山正仁よりご挨拶を申し上げます。鳩山東北農政局次長、よろしくお願いいたします。

     

    2.挨拶

    〇鳩山東北農政局次長

    ただいま、ご紹介いただきました、東北農政局の鳩山と申します。本日はお忙しい中、和食文化“再考”シンポジウムに非常にたくさんの皆様にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。

    それから、本日は、このすぐ後に、基調講演をしていただきます、国立大学法人岩手大学の副学長をお務めでいらっしゃいます菅原悦子先生。それから、事例発表をしていただくことを予定しています、管理栄養士で福島の食文化研究家でいらっしゃいます、平出美穂子先生。それから、さらに地元青森で伝統料理を研究していらっしゃって、ご本も出版していらっしゃる千葉彩子先生におかれましては、今回、講師を引き受けいただきまして、厚く御礼申し上げます。

    本シンポジウムでは、「和食;日本人の伝統的な食文化」のユネスコ無形文化遺産への登録申請というのをきっかけにしまして、東北地域、ひいては、日本の食文化につきまして、皆様と一緒に学び、理解を深め、和食文化の魅力を再発見することを通じまして、このような和食文化を次世代に継承していくための活動を盛り上げていきたいと考えております。和食のユネスコ文化、無形文化遺産への登録申請、これも皆様、ご存じの方も多いかと思いますが、改めてちょっと振り返ってみたいと思います。

    ユネスコの遺産事業には、大きく分けまして、有形、すなわち、形があるものと、それから、無形、形のないものの2種類がございます。

    まず、有形の方で申しますと、最近、富士山が登録されたということが話題になっておりましたけれども、あれが、世界文化遺産というものがございます。それから、もう一つは、ご当地青森と隣の秋田県の両県にまたがります白神山地、これが世界自然遺産というものとして、その2つが世界文化遺産、それから世界自然遺産というものが有形のものでございます。

    他方、無形のものとしまして、無形文化遺産というものがございます。既に日本で登録されているものとしましては、歌舞伎とか、能楽などがございます。これは、芸能や伝統工芸技術といった、形のない文化でありまして、土地の歴史や生活と密接に関わっているものということで、これを保護し、尊重することを目的としているということでございますが、今回、和食がユネスコに登録申請したというものは、無形の文化遺産というものでございます。この和食というものは、今回登録申請しておりますけれども、単なる料理のことだけではなくて、自然を大切にするという日本人の心を背景にしました食習慣ということで、要は、和食文化というものと考えております。

    例えば、ご飯をいただくときに「いただきます」と申し上げたり、あるいはお正月に鏡餅をお供えするというのもよくある、1つの和食文化の形かと思います。この和食文化を考える際に幾つかのキーワードがあると思いますが、やはりその中で、自然の尊重というものも入ってくるのかなというふうに考えております。この自然を大切にする心というもののもとで、4点ほど考えてみました。

    1つは、新鮮で多彩な食材というものと、だし汁や調理技術といった形で、その持ち味を引き出す工夫がされている。

    それから、2点目は一汁三菜というものを基本としながらも、バランスよく健康的な食生活を形成していく。

    3つ目は、季節に合った食器の利用など、自然の美しさの表現を重視している。

    4つ目としまして、地域の行事やお正月などの年中行事と密接なつながりを保っているといったような特徴が含まれているのではないかなというふうに考えております。

    こうした和食を保護して、次世代に継承していくきっかけとするために昨年3月、ユネスコへの登録申請を行っておりますが、この結果は、本年12月に発表されるというふうに伺っております。私たちの食生活、足元を見てみますと、日本食離れとか、あるいは核家族化等で食生活が大きく変化してございます。何とか和食文化を確実に継承していくことが、必要な状況であると考えております。

    今回、和食のユネスコ無形文化遺産への登録申請というものは、この和食文化のよさや、価値といったものをもう一度見つめ直して、我々自身が、その価値を再認識するという1つの機会になるのではないかというふうにも考えてございます。この和食文化というものは、自分たち一人ひとりにとって、最も身近な話題でもあり、今日、ご来場の皆様も、いろいろな形で、いろいろなお立場で、いろいろかかわりを持っていらっしゃる。また、いろいろなお考えもお持ちの方だと思います。本日のシンポジウムが、そういう地域の和食文化、私たちのふだんの食生活についてもう一度見つめ直し、理解を深める。さらには、新しい行動に移っていく。そのきっかけになればということを期待いたしまして、このシンポジウムを開催させていただきたいと考えてございます。

    お暑い中でございますけれども、2時間あまり十分お楽しみいただければと思います。どうもありがとうございました。

    〇司会

    まずは、東北農政局次長、鳩山正仁よりご挨拶を申し上げました。それでは、基調講演に入らせていただきます。

     

    3.基調講演

    〇司会

    まず、基調講演のご紹介をさせていただきます。本日は、岩手大学副学長、教育学部家政教育課教授、菅原悦子先生より、東北の食文化、「東北の食文化~岩手の郷土食から~」と題しまして、ご講演をいただきます。

    菅原先生は、東北エリア、特に岩手の食文化の再発見を掲げ、食料生産基地である岩手の伝統的食文化を現代に生かす活動を幅広く行っていらっしゃいます。特に岩手県の食文化と郷土食の特徴。みそ、しょうゆ、納豆など、大豆発酵食品に関する研究を専門テーマにしていらっしゃいます。

    それでは菅原悦子先生、よろしくお願いいたします。

    〇菅原氏

    ご紹介ありがとうございました。岩手大学の菅原と申します。私は、岩手大学の農学研究科では、ご紹介いただきましたように、おみそとかおしょうゆを食品科学的なアプローチで研究をし、教育学部の家政科では家庭科の教員を養成しています。そちらでは岩手の郷土食を中心に調査・研究をしております。それから岩手食文化研究会といいまして、市民活動として、岩手の食文化を伝える活動をしており、約15年継続しております。本日は、そのようなさまざまな活動から、日ごろ考えていることを皆様に紹介し、お話しさせていただきたいと思っております。

    本日は、こういう貴重な機会を与えていただきましたことにお礼を申し上げるとともに、たくさんの方に来ていただきましたことに、お礼を申し上げたいと思います。

    それでは早速お話しさせていただこうと思います。本日は、岩手も青森も宮城も震災を受け、食文化がどのような状態になっているのか、皆さんも大変興味があるのではないかと思いますので、本日は初めに、本学の家庭科の学生が、昨年度ずっと卒論で取り組んだ内容を簡単にご紹介させていただきます。被災地の食文化の1つの例としてお話をさせていただこうと思っています。その上で、日本の伝統的な食文化である和食と、和食の典型がそれぞれの地域に伝わっている郷土食でないかと私は思いますが、それを伝えていくための課題についてお話をさせていただこうと思っています。そして、今後、皆さんと一緒に、どのような活動が必要かについて考えていければと思います。

    初めに、東北の食と震災についてお話します。学生が作ったパワーポイントなので非常にかわいらしい画面が出ておりますが、三陸地方にはいろいろな豊かな食材、特に水産物など、豊富な海産資源がありますが、3.11の被災で、どのような影響を受けたのか、皆さんにも気になるところだと思います。岩手食文化研究会はそのちょうど1年後に、被災した女性を招いて、当時の様子とか避難所、仮説住宅での食事の様子などをお聞きする機会を設けました。この会は、食文化研究所が3カ月に一度の割合で開催している食・農塾という勉強会でした。この会に、この卒論の学生も参加し、この被災した女性の公演を聞きました。その際、その女性が津波に対して「大津波様」と言ったことに対して、この学生が非常に感銘を受け、びっくりしたということでした。被災して大変な思いをしているのにも関わらず、津波に「様」をつけたということについては非常にびっくりして、海の近くに住んでいる人たちは内陸でくらす人とは違う海に対する思いがあるのではないかと考えたことが、この卒論は始まりです。その1つの例として、三陸地方に「えびす講」という行事が、被災後どう変化したのかを調べてみたいという考えで取り組みました。

    えびす講はおそらく、青森でもあるのではないかと思いますが、岩手では盛岡のデパートが11月に、えびす講といって大安売りをしますが、一般的には、五穀豊穣とか大漁祈願をするという行事です。それが地域によってどう異なるのかなどについて調査をしました。特に、えびす講の食の特徴を明らかにすることと、災害がもたらした影響について調べ、最終的に今後どういう支援が必要かについて考えることにしました。初めに、特にえびす講ではどのようなお供えをしているのかについて話していこうと思います。

    最初に文献調査をしましたので、大正から昭和初期のころのえびす講についてお話しします。えびす講は全国的にある行事で、総本山が近畿地方に神社がありますが、当時の京都では尾頭つきのタイ、そして汁・お吸い物の中には、小判型のはんぺんが入り、そして赤飯があるという、非常に典型的なお膳になっていました。

    では岩手県ではどうなのかということですが、岩手県の県南は伊達藩の影響で、餅料理が並んでいます。さらにおもしろいお供えは、「かけ鮒」ということが書いてありました。これはフナを2匹入れて、次の日の朝に「マスになれ」「クジラになれ」と言って川の方に流すとのことでした。これも明らかに大漁祈願ではないか、海ではないのですが、川でも大漁祈願をしていたことが分かりました。このようなことを岩手県の一関市では行っていたということです。

    それから宮古市の沿岸の地域では、このようにたくさんの海産物を使ったお供えを調理し、大漁祈願をしていたということが文献から分かりました。今回は、お供えのところにだけ焦点化してお話ししますが、このように尾頭つきの魚や、いろいろな海産物の料理をお供えして大漁祈願をするのが、三陸地方のえびす講の特徴であることが分かりました。

    この行事が被災を受けてどのようになったのかをインタビューやアンケートで調査しました。調査は、昨年の12月から今年の1月にかけてと実施しました。調査対象は農業改良普及委員の方たちに紹介していただき、その地域に住んでいて食生活改善推進員や岩手県認定の「食の匠」、または、漁業を生業としている方で、この行事をよくご存じで、かなりの確率でこの行事を実施していると思われる人々ですので、私の予想では恐らく15人とも震災前は実施していたであろうという想定で調査に入りました。

    調査結果の一人目ですが、宮古地区の岩泉町小本にお住まいの方は、被災をなさっていないので「実際に現在も実施しています」との回答でした。従前から同じで、特にサケを使ってお供えを作っていますということでした。調査対象の15人に今年の実施状況について聞きましたところ、「例年どおり実施した」が6名、「震災前は実施してきたけれども、今年は実施しなかった」という方が5名いらっしゃいました。ほんの15人のアンケートなので、統計に意味があるかということではありませんが、震災前に実際に実施していた方の3分の1が実施出来なくなっているのが事実です。どのような理由で出来なかったかというと、「余裕が無かった」とか「漁が出来なかった」とか「忘れていた」とか、「もう周りではそういうことをやっていないから出来なかった」とかいう回答でした。

    では、この人たちは、もう実施しなくてもいいと思っているのかということを、さらに追いかけてインタビューをしました。こちらの学生が一生懸命聞いたことも影響したのでないかと思いますが、この人たちは「今年は是非実施したいと思う」と回答しました。そのような思いで暮らしている方が三陸の地域にはいるということを本日おいでの皆様には、覚えていただいて、ぜひいろいろなサポートをしていただきたいと思い、最初にこのようなお話をさせていただきました。いろいろな行事が震災前から衰退傾向にあったのですが、震災後、ますます継承が難しくなっていますが、そのピンチをチャンスに変えていかなければいけないと思います。これは、東北にくらす私たちの使命だと思っております。

    次は東北の食文化の、特に郷土食の特徴について少しお話をさせていただこうと思っております。私は岩手県のこと以外はよく分かっておりませんので、後で青森のこと、宮城のことはそれぞれの先生方からお話しいただけると思いますのであまり詳しくは触れません。岩手県はこのように北は青森県、西は秋田県、それから南は宮城県、そして東は太平洋という位置にありまして、四国4県に相当するぐらいの広さを持った県です。それで北は青森県の影響を受けています。奥羽山系は山が連なっておりますので、この山を越えては残念ながら盛岡の方に来られない、この西側の地域の方たちは秋田の横手の方が近いので、秋田の食文化の影響を受けております。南は明らかに伊達藩で、宮城県の影響を受けています。さらに三陸沿岸には、海があるので、非常に多彩な食の文化を持っている地域ということになります。

    岩手県は大きく2つの食の文化に分かれています。ここにAラインというラインを引いてありますが、これはいわゆる等高線というか、このラインから北は山が多くて自然環境がかなり厳しく、畑が中心で、田んぼが少なくて、お米がとれない地域です。したがって県北は、雑穀型と書いてありますが、雑穀を中心にした食の文化が発達しています。恐らく青森県の南部藩と共通する食の文化がたくさんあると思います。

    それから、ここにもう一つ、Bラインがありまして、ここは南部藩と伊達藩を分けるところです。北上市の相去(あいさり)という地域があって、お互いに会って、そこから去っていくという地域だそうで、関所があったところです。ここを境にして、実は確実に食の文化に差がありました。今はもう流通が盛んですので大きな差はなくなっています。

    江戸時代の藩政の影響を受けて、例えば盛岡では食べられているけれども、一関では食べていなかったとか、そのような食べ物もありました。そのように食の文化は、生産される農産物が自然環境に影響されますので、自然環境に大きく影響されますが、さらに、社会的なとか歴史的な背景のもとに文化が分かれることもあると思います。

    青森県の方もご存じだと思いますが、特に岩手は夏、太平洋から山背(やませ)という涼しいというか、冷たい風が入ってきます。宮沢賢治の詩を思い出していただきたいのですが、「寒さの夏はおろおろ歩き」の、この地域がまさにそのようなかなり厳しい環境にありました。そのような状況でも、地域の皆さんは食を美味しく、楽しくしていこうという知恵で乗り切ってきた地域だと思っています。この地域には知恵や思いで、厳しい環境を乗り越えようと思って暮らしている方たちが多く、その人々はむしろ豊かな食を編み出してきていると私は思っています。このように、同じ岩手県でもかなり違いがありますので、少し食の例として2つの写真をお見せしたいと思います。

    岩手県は伝統食を伝える、郷土食を伝えることを役割とし、県知事が認定する「食の匠」という方がいらっしゃいます。毎年20人ぐらい認定されています。今年も9月に審査会があります。この写真の料理はその「食の匠」に作っていただいたものです。一つ目は、岩手の二戸の米田さんという食の匠の方に作っていただいたお正月の料理です。

    現在の料理で昔のものではありません。ここにそばかっけがありました。それから、ここにはアワを使った水飴だそうです。それから、ここにご飯がありますが、イナキビ(黄色い雑穀のキビ)いりです。同じ雑穀でもイナキビは、色もきれいだし、雑穀の中でも美味しい雑穀なので、お正月のためにとっておいてご飯の中に入れましたという話でした。このように、そば、アワ、キビと雑穀を使って、より豊かで美味しく食べようという工夫がこの料理には込められていると思います。

    岩手県の県南、一関のお正月料理です。一関になりますと、ここはもう伊達藩の影響を受けて餅文化です。このように、すべて餅ですね。お雑煮から始まって、あんこ餅などが並んでいます。その中でも、典型的なお正月の餅は、ここにあるエビ餅です。花泉の地域は沼があって、そこに沼エビが自生していたということです。今は養殖というか栽培していると聞きましたが、この餅はお正月用に紅白で縁起がいいので、このときのために沼エビを使って料理し食べていますという話でした。

    このように同じ岩手県の中でもこれだけの差がありますから、東北の6県といったらもう本当に多様な食の文化があり、そこが東北の魅力ではないかと思います。そして、それをきちっと伝えようとしている人たちもたくさんいるのが、東北のさらなる魅力だと私は思っています。

    岩手は、県北は南部藩、県央は盛岡を中心とする城下町、県南は伊達藩の文化というように大きく分かれています。それぞれの地域の代表的な郷土食を挙げてみます。もしかしたら豆しとぎは青森のこちらの方でも食べられているのではないかと思います。県南の方のずんだ餅は宮城県でも食べられているものだろうと思います。ひっつみだけは日常食ですが、その他の多くの郷土食はこのように何かの行事のときに作って食べていたことがよく調べてみると分かります。なぜ郷土食は行事食が多いのだろうかというようなことを、もう一度皆さんで考えてみていただきたいと思い、このまとめをしております。

    食文化の伝承の意味を考えていきたいと思います。豆しとぎ、岩手のもう一つの代表的な県央の郷土色である「きりせんしょ」にフォーカスしてお話ししてみたいと思います。豆しとぎは青森ではいかがでしょうか、岩手では今は秋じまいとかおやつとかいう感じで作られ、食べられています。しとぎというものは、そもそも白いお米を水でやわらかくして搗(つ)いて団子にまとめたものを言っていますが、そのしとぎに豆を入れたというところが特徴で、これはこの地域にしかない食べ物です。米が非常に貴重だった時代に、しとぎを神様に供えたかったが、米が不足していた。そうしたときに米を大豆にかえて作って食べてみたら、もっと美味しかったし、健康的だった。工夫した結果がもっとよかったということだろうと推測しています。

    豆しとぎは美味しい、簡単に作れることに、さらにプラスしてこの山の神信仰があったと思います。とても大切な食べ物として山の神様に供えた。豆しとぎは行事のときには必ず作らなければいけないので、そのときに家族から家族へ伝えられた。毎年1回は繰り返すわけですから確実に伝えることが出来たということです。この行事がなければ、もしかしたら途絶えてしまったかもしれないと思います。この行事があったからこそ、やらなければいけない。山の神様にお供えしなければ、山の神様のたたりがあるかもしれないので、怖い、と思われていたわけです。そのように思い、毎年確実に行われていたということではないかと思います。これは私の恩師である大森輝先生のいろいろな調査から、分かっていることです。

    次に、この「きりせんしょ」についてお話します。ご存知ではない方も多いと思いますが、これは一般的に柚餅子(ゆべし)だと思う方が多いと思いますが、花巻の地域では、これを「きりせんしょ」と言いまして、しかも花巻のおひな祭りのときに、こんなふうに花巻の土人形のおひなさまの前にお供えする、代表的なお菓子ということになっています。これはなかなかおもしろいと思って調べたのですが、切山椒(きりざんしょ)という食べ物は全国のいろいろなところに存在しています。これらは、岩手の「きりせんしょ」や「ゆべし」とは全く違ったものになっています。なぜ岩手ではこれを「きりせんしょ」と言うのかなどをいろいろ調べていただきましたが、申しわけありません、残念ながらよく分かりませんでした。恐らくはもともと食べられていた「ゆべし」のような食べ物に、この切山椒という名前だけが移ったのではないかと思われます。ちょうどおひな様のときに一緒にこのお菓子を作っていたのだろうと思われます。昭和初期にこの地域ではすでに作っているのですが、山椒(サンショ)は使っていませんという記述があります。

    このきりせんしょですが、昭和初期に作られたきりせんしょと今、私たちが食べているきりせんしょは全く同じものかを調べてみました。そしたら、かなり違いました。今はお砂糖が安く手に入る時代ですが、そうではない時代がありました。また、お料理した方には分かると思うのですが、お砂糖の入りぐあいによって水の量が変わってきます。今、食べているきりせんしょは、昭和初期に食べているものとはかなり違って、より甘くてやわらかいものになっていることが分かりました。

    私たちが今、郷土食を伝えるということを一生懸命言っているわけですが、何を伝えればいいのか。同じ食べ物で、名前も形も似ているけれども、作り方は少しずつ変化しているので、一体何を伝えることが本当に郷土食や食文化を伝えることになるのだろうかという疑問を持っていろいろ考えました。きりせんしょは、おひな祭りのときに家族が一緒になって作る郷土食のことで、家族の絆を深めていくための料理ではないかと思います。さらに、おひな祭りでは、各家庭を訪問してお餅を交換するということを行っていたと思います。私も花巻の出身なのですが、子供のころ、「隣に行ってちゃんと挨拶してきりせんしょを交換してきなさい」と言われました。どうして、隣に行って、わざわざ同じきりせんしょを取りかえてこなければならないのかと思っていました。今、この年になって、この行事は、ご近所の方々としっかりコミュニケーションがとれるように、地域ぐるみでの教育の場であったことが分かりました。まさに家庭教育だけではなくて、地域が一緒になって食育や郷土食を伝える活動をしようとしていたということで、このような考えは、実は、昔から存在していたと改めて思っているところです。このようなことが、今の時代には特にとても大切な活動ではないかと思っています。

    私は、家庭科の先生たちを対象にしていますので、家庭科の先生たちに郷土食を伝えるってどんな意義があると思っていますかというアンケートをとりました。このようにいろいろな思いで郷土食を教えていますというような答えが返ってきています。第一に、「郷土食は地域を理解するのにとても大切です」、さらに、「食というのは命をつないでいくとか、それから働かなければ食べられないとか、そういう昔から、食にかけてきたいろいろな思いをくみ取ることが出来る、とても良い教材だ」と言っています。もちろん地産地消とか、自給率の向上とか本日主催の農林水産省さんが望んでいるような内容も入っているのですが、決してそれだけではなくて、もっと食の本質にかかわるような大事なことが郷土食を伝えることにつながると家庭科の先生たちが答えています。しっかり、考えて教育しているということを実感し、改めてうれしく思っていたところです。

    最後に、「東北の食文化を復興に生かそう」と少し大げさなタイトルを掲げました。私は、とにかく郷土食の大切さを、多くの皆さんに伝えていこうと考えています。そのときにどんなことに注意して、どんな思いを込めて実行していけばいいかについて、幾つか私が考えていることを書かせてもらっています。まずは、地域の食材を活用する地産地消はもちろん大切なことです。さらに、郷土食は、今お話ししたようにいろいろな先人の方の知恵とか生活の工夫とか、そのようなものが入っていますので、そういう知恵や工夫を伝えなければいけない。さらに、それだけではなくて、郷土食には人々の思いとか願いとかメッセージが入っています。ですから、そのメッセージを伝えなければ本当に伝えたことにはならないという思いがあります。また、現代まで伝わってくるには、長い年月になんらかのフィルターがかかっています。そのフィルターを経ても伝わってきているものには意味があり、価値の高いものだと私たちは思う必要があると考えます。特に、この郷土食にはメッセージがあり、特に、生きることとか働くこととか、人に感謝することとかが、郷土食に込められているメッセージではないかと思っています。

    岩手では先ほどお話しした食の匠制度があって、郷土食を伝えるという人材が認定という形で約220名います。このように伝える人材と仕組みというのも大切だと思います。伝えたいと思っても、まず伝える人をどうやって育てるのかが非常に大きなハードルになります。岩手県ではそういう人材と仕組みがあることは高く評価出来ると思っています。

    震災前の2008年に、食の匠は次の世代にどんな料理を伝えたいかというインタビュー調査をしました。それについてお話します。久慈に住んでいる食の匠は、「ツボ」という料理を推薦しました。これは私も初めて食べたのですけれども、正月のためにわざわざハモを乾かして保存しておくのだそうです。それをこのように刻んで煮込んだ料理で、福島の「こづゆ」という料理に類似するようなものではないかと思いながら食べてきました。さらに、そのハモを煮込んだ煮しめも伝えたい料理でした。この方は「お正月にこれを食べるから意味があるんです」という話をしておりました。山田町に住んでいる食の匠は、けんちんとくるみばっとを伝えたいと話しました。けんちんも青森にもあると思うのですが、どうしてですかと聞きましたところ、やはりお正月のときに、このけんちんはみんなで食べる、くるみばっとはお盆のときに家族がそろって食べる。だから伝えたい、伝えていきたいと答えてくれています。このように、それぞれの場面で食べる人たちがいて、この料理がある。私はこの匠の方たちの思いがよく分かる気がしました。

    次に、長い年月を経てきたことから学ぶということですが、郷土食は確実にそういうものですが、次世代を教育しないと残らないと思います。それには、味わう体験が、一番大切です。食べるチャンスを与えること、これがなかなか難しい時代になっています。さらに、食べるだけではなくて自分で料理することもとても大切だと思います。そして本日のように、文化について学習することが大切です。皆さんが今日、勉強のためにこうやってたくさん集まっていただきましたが、まずは学校の教育の中でやらなければいけないことだと思います。家庭科の先生たちや栄養教諭の先生たちに与えられている使命は大きいと思うのですが、一方でなかなか十分な時間がとれていないのが現状です。そこで、学校だけに実施してもらうのではなく、私たち一人ひとりが地域活動として取り組んでいかなければ次の世代には伝わらないと思っています。

    日本以外でもすぐれた食文化を持っているところは、しっかりそのような取組がもう既に行われています。フランスの味覚教育とかイタリアのスローフード運動とか、そういう活動は、次の世代に伝えていくための活動と位置づけられています。日本も負けないで頑張らなくてはいけないなと思っています。私は、次の世代として、伝えていくための大切な世代は高校生で、しかも地域に残る職業高校の高校生にしっかり教育し、地域で頑張ってもらいたいという思いがあります。そこで、高校生1,200人にアンケート調査をしたことがあります。そうしますと、残念ながらやっぱり郷土食を食べていないんですね。だから、ほとんど知らない。知っている料理は何ですかというと、岩手県の場合、ひっつみとかんづきというのが出てくるのですけれども、どうしてこれを知っているのかというと「家庭科で習いました」という回答です。家庭科で習ったものだけは知っている。あとは「知りません」ということで、いかに家庭とか地域でのそういう活動が少ないのかと思います。

    一方で岩手の県北の二戸地域では今、食で地域おこしをしようとしています。そこの地域では今、高校生を対象に、食の匠の人たちが一生懸命にいろいろなことを教えています。県南と県北とではアプローチの仕方が違うようです。それでちょっと差をとってみると明らかに、地域ぐるみや学校ぐるみで、郷土料理を伝えるという意識を持って一生懸命に頑張っているところでは、高校生の認識は高いです。やはり、学習すること、みんなで取り組んでいくことは、とても大切だと改めて思います。

    では、高校生が「郷土食はまずいよ」と言っているのかというと、「知らないから分からない」という回答です。どっちかというと評価出来ない、分からない。別にまずいとか、口に合わないとか、見た目が良くないとか、そんなところまでも全然行っていないので、かなり真っさらな状態ではないかと思います。ですから逆に今、チャンスかもしれない、新鮮かもしれないと思います。従って、学習する機会さえあれば伸びていくと思います。

    さらに興味深かったことは、食に対してしっかりとした考え方を持っている高校生は間違いなく郷土食に対しても興味を持っています。食育はいろいろな取り組み方を実施するのですが、典型的な日本型の食生活を規則正しく実行しましょうという運動を一方で行っていますが、それはそれでこの郷土食を伝えることにも確実につながっていくと私は思います。

    あと5分ぐらいになってきましたが、市民活動として食文化研究会では、このような考えを伝えるためには資料がないと伝わらないと考え、「岩手に残したい食材30選」という本を編集して出版しました。本を作ったり、食農塾をやったり、現地研修会をやったりしておりますので、ぜひホームページを見ていただければと思います。私たちが作った本では、生産から消費まで一連の流れの中で食材を見て、料理まで関連付けていくことが重要と考えました。料理だけ見ても実際にはその食材がどのようなもので、どこで作られているのか分からないのではだめではないかということで、こういう構成になっています。産地や生産の歴史、そして伝統的な食べ方、それからお薦め料理で、メッセージもこの中に盛り込んでいます。こういう本ですので、もし興味があったら見ていただきたいと思います。「たかきび」の内容ですが、1枚の見開きで作ったところです。

    本日、新幹線に乗ったらトランベールでまさにこれが出ていましたが、被災直後の2011年の8月、私たち食文化研究会では現地研修会として、洋野町に南部もぐりと海鞘料理を訪ねていき、現地で交流し励ましてきました。

    郷土食を伝えるために私が重要と思っていることは、やっぱり食育で、まずは食べる機会を増やすこと。次に育てること、農業も含めて食材を生産する人たち、それから料理を伝える人たち、こういう人たちを育成することです。そのためには仕組みや制度が必要だと改めて思います。特に若い人たちに興味を持ってもらうための仕組みでは、岩手県では「ジュニア食の匠」みたいな制度はどうかと提案していますが、なかなか実現出来ていません。また、先程お話ししたように資料がないと伝えられないということです。

    最後に、皆さんへの期待です。今日集まっていらっしゃっている方は、こんなことは実現出来ていると思いますが、何を食べるかという点では、やっぱり日本型、岩手に住んでいたら岩手の食文化と食材を中心とした岩手型の食事を大切にと私は皆さんにお話ししています。これは岩手型の春の食事みたいな感じで、私がこんな献立はどうでしょうという提案をしたものです。それぞれの地域の食文化と食材が盛り込まれた食事を毎日実行していきましょう。

    それからどのように食べるかという点では、普段の日と、行事の日のメリハリをつけること、行事食ではメッセージをぜひ伝えていただきたいと思っています。これがとても大切なことだと思います。

    また、復興を食文化に生かすために、改めて郷土食を食べる機会を増やすこと、伝統的な行事を見直すこと、さらに皆さん自身に行事食を伝える担い手になっていただきたいと思います。そして育てるということも是非視野に入れて活動していただければと思います。

    こういう活動をすると何かいいことがあるのかということですが、食のこのような取り組みは間違いなく地域を元気にしていくと思います。私たち個人も元気になりますけれども、地域全体のきずなが食で強まって、本当に素晴らしい地域づくりにつながっていくと思いますので、ぜひ一緒にこの活動に参加していっていただきたいなと思っているところです。

    以上です。ちょっと話させていただきました。ご清聴ありがとうございました。

    〇司会

    菅原先生、ありがとうございました。菅原先生にはこの後のパネルディスカッションでもコーディネーターとして、和食の魅力についてご発言を頂いていきたいと思います。どうもありがとうございました。

     

    4.事例発表

    〇司会

    それでは続きまして、事例発表をご紹介いたします。本日は2名の方にお願いしております。初めに、ふくしまの食文化研究家の平出美穂子様より、「山・里・海知恵と工夫で育まれた福島の伝統料理」と題しましての事例を発表していただきます。平出様は、福島県内の郷土料理、特に会津の郷土料理について、会津ならではの歴史に着目され、生活や食文化を通じた食の研究を続けていらっしゃいます。また、伝統野菜、伝統料理の分野でも深い造詣をお持ちです。

    それでは平出美穂子様、よろしくお願いいたします。

    〇平出氏

    福島県から参りました平出でございます。よろしくお願いいたします。菅原先生のお話、すごく心に響きました。ありがとうございました。今、皆様たちも「八重の桜」ご覧になっていらっしゃると思いますけれども、その会津から今日はやって来たわけですけれども、4時間足らずでここに来まして、何と近いのでしょうと思ったところです。それでは早速お話をさせていただきたいと思います。

    まず、福島県。ご覧のように福島県は、会津地方、中通り地方、そして浜通り地方、この3つに分かれておりまして、青森まで4時間足らずですけれども、この浜通りから会津の奥まで行くのには6時間かかります。ということで、いかに広いかお分かりになっていただけたと思います。

    その中で、私の住んでおります会津地方から始めさせていただきます。会津は新潟県の方に近いところですので、まずは江戸時代から北前船に運ばれてたくさんの海産物が入ってきました。特に貝柱、棒タラ、ニシン、昆布、するめ。するめは長崎県の五島列島から入ってきました。それからえご、そしてクジラはここ青森ですね。このような日本海の海産物によるものが会津地方の郷土食の大きな特徴と言えます。

    2番目には、会津は夏が暑く冬が豪雪地帯ということで、ここと同じくらいに2メートル以上も積るところもございます。そうした中で、平坦地はお米がとても美味しいところですので、先ほどの岩手の餅文化と同じように会津にも、祝い事であればいつでもお餅文化が入ってきまして、お餅のごちそうですね。それから山間部に入りますと、そこでは蕎麦。蕎麦のごちそうと、あとは里のもの、それから川の魚というところで郷土料理が形成されてきています。

    3番目は歴代の藩主によるものということで、江戸時代になりますと落ち着くのですけれどもその前は全国各地から歴代の殿様がかわりまして、そのたびにいろいろな食文化を持ってきまして、それが現在の会津の食文化を形成しているところでございます。

    これが会津地方を代表するこづゆ。今、「あまちゃん」で出ているのと同じようなものですけれども、これは「こづゆ」といいまして冠婚葬祭にいただくものでございます。それから下の方はえご草ですね、これは日本海の恵みでございます。

    そして右の方から、ニシン料理。これは、ニシンの山椒漬けですね。身欠きニシンに合わせた大きさに作られている山椒鉢、これも独特なもので、江戸時代から作られております。

    それから、クジラ汁。そしてニシンと会津磐梯山の麓でとれる磐梯筍のみそ煮。それからお餅の文化でして、きりたんぽのようなところにエゴマみそを塗ったのが、「しんごろう」といいまして、だんごです。それから、おそばのお餅ではっとう。さらに、つめっこ。これらが会津の郷土食を代表するものといえます。

    次に中通り地方。これは奥羽山脈から奥州街道はずっと宮城県まで続くものですから、関東の食文化を大いに引き継いでおりまして、先ほど先生のお話にも出てきました、けんちん汁、これが白河から宮城県に近くなるまでけんちん汁文化が続いております。それから、こんにゃく料理ですね。そして、そこの南北に走る阿武隈山地。先ほどの山背と同じように、ここではほまち風といいまして突き刺さるような寒さ。そこに育まれてきました阿武隈山地の3大凍(し)み文化、凍み大根、凍み餅、凍み豆腐が発達してきたところです。

    そしてまた、明治になりますと郡山市というところに、全国からたくさんの武士の人たちが集まってきまして、猪苗代湖からの水を引き入れて池を作りまして、そこで鯉の養殖を始めました。その鯉養殖は、現在では日本一を誇っているところでございます。

    凍みの文化の中の凍み豆腐の玉子とじですね。それから、凍み大根のけんちん煮。そして、この阿武隈山地は小麦粉の産地でもありましたので、まぐわっこ、うどんよりちょっと太い煮込みうどんのようなものが作られてきております。

    これが中通りのお節料理です。イカにんじん、これはもうちょっと行った北海道の松前漬けとどっちが早いということで、これは福島が早いというところなんですけれども、1805年から1808年あたりまでに松前藩が福島に来まして、その後、帰ったときに持ち帰ったのがイカとニンジンで、そこに昆布を入れたのが松前漬けで、元祖はこの福島にありと古文書には書いてありますけれども、果たしてどちらが先か定かではございません。それから、ねりっぽ、これも小麦粉で作られたかまぼこのようなものです。

    いろいろとございますけれども福島も果物の産地でございまして、この美味しいあんぽ柿(甘干し柿)、蜂屋柿を干してお正月料理には欠かせない干し柿の酢のものですけれども、放射能の影響もありまして残念ながら今は食べられておりません。

    次に浜通り地方。これは岩手、宮城、そしてここ青森まで続く太平洋側のところですね。会津とはまるで違うような太平洋側の新鮮な海産物によるもの、それから阿武隈山地の反対側がありますが、ここは牛の家畜業がとても盛んなところでして、皆様たちもいろいろとテレビでご覧になっているかと思いますけれども、残念ながらここの牛肉も食べられなくなってきております。

    それから、相馬市の相馬中村藩は独特の食文化がありまして、白餅は城を焼くと言って食べないということで、おめでたいときには、赤々餅が食べられます。それから気候的な変化も関係いたしまして柑橘類の北限地と言われていますので、ここではユズの料理が盛んに行われております。

    これが浜通りの、一番向こうのはらこ、つまりイクラと、それから鮭ですね。11月3日ははらこ祭りというのが請戸川を中心にあったのですけれども、残念ながらここの人々も流されてしまいまして、これもなくなってしまいました。

    それから磐城地方のサンマのポッポ焼き。それから相馬のホッキ貝。それから磐城のウニですね。これらも現在は放射能の関係で食べられておりません。福島県の中でも特に浜通りは今まではこうした赤いお魚でお正月をやっておりました。しかし、現在はこれも食べられておりません。どんこもそうですね。

    こうした海産物のほかに福島県内には特に伝統野菜。50年以上その地で作られるもの、そして地種であることなどいろいろな条件がありまして、15種類。

    伊達藩の伊達政宗公が居城としたところの二本松もこのような伝統野菜がたくさんございます。

    こうした伝統野菜にはポリフェノールとかカロチノイド、アントシアニン、それからイソフラボン、こうした21世紀の第7の栄養素と言われる栄養素がたくさん入っており、こうした食材も福島県にはたくさんございます。現在、私も活動の中で、このように放射能対策としていい食材もあるからなどということでも進めてはいるのですけれども、こうしたお野菜も福島県内ではたくさん採れることもございます。

    左の方は磐城地方の3代にわたって、お嫁さんとお母さんとおばあさんで凍み餅づくりをしているところです。こちらは会津地方の川でとれるハヤですね、ハヤでの飯鮓(いずし)づくり、これも3代で行われておりますけれども、いずれにいたしましても川魚は会津地方におきましても放射能の関係で、この文化も今、途絶えているところでございます。

    このような中で今、これからどのように郷土食、伝統食を継承していくか模索しているところでございます。ご清聴ありがとうございました。

    〇司会

    平出様、ありがとうございました。平出様にも、この後のパネルディスカッションにご出席をいただきたいと思います。ありがとうございました。

    それでは続きまして、郷土料理研究家、栄養士の千葉彩子様より、「青森の春夏秋冬に合わせた郷土料理の文化を伝える」と題しましての事例発表を行っていただきます。千葉様は、料理全般、特に地産地消を考えた郷土料理を得意とされ、NHK青森のテレビ料理番組にレギュラー出演や、郷土料理の普及推進、地場産品の販売推進事業の料理開発など、多方面にてご活躍されていらっしゃいます。

    それでは、ご用意が出来たようです。千葉彩子様、よろしくお願いいたします。

    〇千葉氏

    千葉彩子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

    最近よく「青森には美味しいものがいっぱいありますね」というふうな話が聞かれるようになりましたけれども、私の気持ちとしては、やっと青森の情報が広まってきたなという思いでございます。青森というところは海岸線が非常に長くて、これは全国有数ではないかと思います。長崎県に次いで長いんじゃないかと思います。そういうわけで、お魚がたくさんとれます。太平洋があり、日本海があり、陸奥湾があって、前を流れる津軽海峡と。そして陸地の方といいますと、米どころの津軽平野があって、それから南部地方は畑作が大変得意です。このように食材が豊富なところなんですけれども、とはいいましても北国の青森でございまして、さまざまな食べるための暮らしの知恵で食いつないだというか食べつないでいったのではないかと思います。青森にたくさんの郷土料理があると思われるのも、そのせいかもしれません。

    青森にはたくさんの郷土料理があるのですけれども、その中で特徴的なものを3つにまとめてみました。とてもあるので、ちょっとこれは本当は無理だったのですけれども、大きなものをまとめてみました。まず、タラ1匹を食べ尽くすタラ正月。それから発酵食品のきわみ、魚の飯寿司(いいずし)ですね。それから歴史と物語が詰まった多彩な汁もの。汁ものがとても多いのです。

    タラ1匹を丸ごと使い尽くした正月料理。このようにたくさんのお料理を作ってお正月のお膳を作るわけです。非常に豪華なんですね。

    青森では俗に「タラ正月」という言葉で言われておりますけれども、まず、タラの昆布じめですね。身の方はタラの昆布じめにして、三が日のメーンディッシュにいたします。それからみそ漬けもいたしまして、それから、タラの押し寿司。3日くらいお酢できちっとしめて、このような特製というか、それ用の枠がある桶があるのですけど、それに漬けて酒の肴とかにいたします。

    それから肝臓が入っておりますので、それも活きがいいので、「とも和え」といいましてお味噌とネギとかを入れて和えるのですけれども、これもコクがあって非常に美味しいです。あと塩焼きもいたします。それで、もちろんお吸い物はタラでいたします。

    タラの子(卵巣)が入っていれば、卵が入っていれば子和えにいたします。子和えと申しましても和え物じゃなくて、ニンジン、ダイコンなんかと甘く煮たもので、子供らも大好きですね。

    その隣のタラの子の塩辛。新鮮な卵なので、生でもよく食べます。その生のに塩辛昆布とか唐辛子とかを入れて、それでまぜて1日ぐらい置きますと絶好の酒の肴になります。もちろんご飯の上に乗せても食べます。

    それからタラの白子ですね。さっと湯引きして、お刺身にします。たくさんあればお鍋にしますけれども、ここに菊が入っていますけれども青森では菊の花を食べる文化もあるのです。大変きれいだし、美味しいものでございます。

    タラのじゃっぱ汁。最後に残った頭、頭といいましてもタラは頭が大きいので1キロでききまきせんけれども、それ以上もある大きい頭とそれから、あら。いろいろな臓物も一緒に含めて、それをじゃっぱ汁というものにいたします。じゃっぱというのは「雑端」と書いたらいいか、つまりあら汁のことなんですけれども、これを大きい鍋にたっぷり煮ることによって非常に美味しい味になるわけです。じゃっぱ汁は小さい鍋でちょこっと煮たりしたのでは全然その味になりませんが、抱えるような大鍋に煮てこそ美味しいのであります。

    そして、さらに残ったものは、タラの胃袋、えらの切り込みとありますが、えらとかを包丁で水をかけながらこうやりますと赤いえらが真っ白ぐらいになるのです。それから胃袋もひっくり返して包丁でよーくこそげ取って、そして細かく刻んで、たっぷりの塩と米麹を入れて、それで田植えのごちそうにいたします。

    下の方に、タラの内臓の干物。これはえらと、それからこの内臓をつないだまま干すのです。これは脇野沢でよく見られる風景なんですけれども、1カ月以上も干していますと焦げ茶色になったのが見えるのです。外で電柱と同じくらいの高さのところにいっぱいぶら下がっているというちょっと変わった風景なんですけれども、脇野沢に行くと見ることが出来ます。これは煮しめなんかの出汁にいたします。

    これは7月の半ばに駅前の市場で私が撮影したものですけれども、このお店1軒だけで約8種類の飯寿司が並んでおりました。ここに「ホッケの寿司600円」と書いていますけれども、価格も手ごろで、お惣菜として日ごろ私たちによく利用されている、食べられているというのがお分かりになると思います。

    では、青森はなぜ魚の飯寿司づくりが盛んなのでしょうか。もちろん新鮮な魚が多種類でたくさんとれるということもあります。それから生活上、保存食づくりが非常に必要であるということがありますが、肝心なのは適度な寒さがあったことじゃないかと思うのです。つまり、発酵にちょうどぐあいがいい風土だったということですね。青森は北緯40度でございます。ちょっとずれたりしていますけれども、北緯40度の青森の風土に合ったのがこの食べ物ではないかと。小さな食べ物を全部飯寿司にして今の言葉で言うとグレードアップして、お料理にしたわけですね。中にはサメとかカレイとかありますけれども、春夏秋冬、ありとあらゆる魚をこういうふうにごちそうに仕立てたわけです。よく聞く話ですけれども、飯寿司づくりがちゃんと出来なければ一人前の主婦ではないというような話も聞くほど、家庭でよく作られたものでございます。

    その主なものですが、サケの飯寿司、これは青森も正月に欠かせません。大きな専用の桶がございまして、1匹だとちょっと足りないのでて2匹ぐらいで漬けたりします。

    ニシンの飯寿司です。春先はニシンを箱で買って、いっぱい漬けます。しょっぱくしたり、また中くらいにしたりして、ずっともたせるようにして漬けます。

    イワシと菊の飯寿司。イワシだけでもいいのですけれども、菊の花を入れてこういうふうにごちそう風に仕込んだというか。これは六戸で撮影しました。

    それから身欠きニシンの飯寿司、これは田植えのころに食べるものなんですけれども、干したことによってよりコクが増すというわけです。

    それからコアジの飯寿司です。昔から青森には寿司40日ということわざというか言い伝えがございます。40日をかけてゆっくり発酵させることで骨まで食べられるというわけなので、コアジの中骨もすっかりそのまま食べることが出来ます。

    イカの飯寿司。イカの寿司はちょうど今ごろ、夏から9月ぐらいまでのイカがやわらかくて、とてもこの寿司にはぴったりなんですけれども、子供らも大好きなイカの飯寿司です。

    多彩な汁もの、歴史と物語が詰まっています。

    タラのじゃっぱ汁ですね。じゃっぱ汁というのは青森を代表する郷土料理と言われまして、みんなにとても親しまれております。よく言うのですが、「タラ汁と雪道、後ほどよい」と。つまり、ゆっくり味がしみたタラ汁はとてもいいよ、雪道も人に踏み固められた後は歩きやすいよ、いいよ。ゆっくり味わおうか、楽しもうかという気持ちが入っていると思いますけれども、たっぷり作って何杯もおかわりして食べる。これはもう、おつゆではありません。おかずも兼ねておりますので、汁が入っていることによって体がとても暖まる。一般的に青森は汁ものが多いというのも、その暖まるということが入っているかもしれませんね。

    けの汁です。これは津軽の小正月には欠かせないけの汁でございまして、根菜類、ダイコン、ニンジンとか、それから春にとってためておいた山菜なんかを5ミリ角ぐらい、細かいほどいいと言われていますので5ミリ角ほどに細かく刻んだ実だくさんのみそ汁なんです。遠く青森を離れた方なんかは懐かしの味と言って、よく、このけの汁を思い出すという方が多いのですけれども、これも小正月に直径30センチもあるような大鍋にたっぷりと煮て、3日ぐらいは食べるわけです。なぜそんなに3日も食べるかというと、小正月というのは「女正月」とも言われていますけれども、そういう意味で女たちの骨休めのための食事でもある、お鍋でもあるわけですね。

    鶏卵汁です。鶏卵汁というのは歴史的にも大変貴重なものではないかと思います。江戸時代、3代将軍家光公がいらっしゃいますけれども、あのころの料理本にたくさん出てまいります。江戸地代は長いので、特に3代家光のころというと国が安定していますので食事に対するいろいろなことが出てきたし、本も300冊は出ているという話もあるぐらいなんですが、私もいろいろ調べてみましたけれども、そのころの料理本にたくさん出ておりました。どういうものかというと、鳥の卵の形をしたお餅で出来ていまして中にあんこが入っています。それをお澄しに浮かべたというか、そういうものです。1個というところもあれば2個というところもあるのですけれども、「鶏卵(けいらん)」といいます。

    その時代は主に宴会のデザートの部門のところに出てまいります。「後段」というところに出てまいりますようです。今現在では青森と尾去沢の周辺に見かけることがございます。昔、江戸時代ですけれども、御用銅というか、幕府が尾去沢から銅を採っておりまして、それを野辺地の港から船で積み出していたのですけれども、その道筋になぜか鶏卵がちゃんと残っているというミステリーというか、そういうことがございます。尾去沢のそばの人たちは禅宗から尾去沢の方にもたらされたと言うのですけれども、私も今、いろいろ調べているのですけれども禅宗とこの鶏卵という動物性のものとのかかわりはあまりないようでございますし、ミステリーだと思って興味深く感じております。

    その下、クジラ汁ですね。クジラ汁は先ほど福島の方にもクジラ汁があってびっくりしたのですけれども、本当に全国どこでも食べられているんだなと。しかも陸地の方でクジラ汁というのがびっくりいたしましたけれども、クジラ汁は江戸時代にもたくさん食べられていたようで、12月13日、つまりすす払いの日にはよく食べた、その夜の定番料理だったというのがいろいろな本に出てまいります。ですから古い川柳とかにもたくさん出ていまして、私が読んだところでは「おのおのの食い過ぎ顔やクジラ汁」、食べ過ぎたんじゃないのというぐらい満腹した顔が見えるようでございます。

    けんちんです。けんちんも全国でよく食べられております。これは中国伝来のものと言われていますが、青森では下北地方でお正月に食べます。

    いちご煮ですね。これは生ウニとアワビのうしお汁です。大変なごちそうですが、昔は漁師の浜料理として素朴なものだったらしいですね。

    せんべい汁、今やもうB級グルメで有名になったせんべい汁ですけれども、これも県南地方の郷土料理でして、汁もの専用のせんべいがあるくらい、またせんべいだけで市が立つぐらい、せんべい文化というか粉文化が県南地方は盛んでございます。

    ひっつみです。これはおうどんみたいにこねて延ばしておつゆに入れたというものですけれども、馬産地は馬肉を出汁にし、川のそばはまた川魚を干して出汁にするなど、皆さんその地方地方で発達して楽しんでいるようでございます。これで終わりなんですけれども、青森の人からは「いや、まだまだあるんじゃないか。こんなものじゃないでしょう」と言われるかもしれませんが、時間の関係でこうなりました。

    自然とともに生きながら個性的な食文化を作り上げてきたと。青森は厳しい自然の中にありますけれども、この食に対する情熱とセンスはどこから来たのかと思うぐらい、私は自分の生まれ育ったところだから特にそう思うのかもしれないけれども、本当に大事にしていきたいなという思いでいっぱいでございます。ありがとうございました。

    〇司会

    千葉様、ありがとうございました。千葉様にもこの後のパネルディスカッションにご出演をいただきたいと思います。以上、事例発表でございました。

    それでは、ここで10分間の休憩に入ります。シンポジウムの再開は2時30分からとなりますので、それまでに皆様ご着席いただきますようお願い申し上げます。また、ここでお帰りになる場合は、アンケート調査票を資料に挟んでございますので、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。なお、お手洗いにつきましては先ほどもご案内いたしましたが、会場を出まして右側にございますのでご利用くださいませ。それでは2時30分からのシンポジウム再開まで、ご休憩をお願いいたします。

    (休憩)

    5.パネルディスカッション

    〇司会

    それでは、皆様おそろいでしょうか。お待たせいたしました。シンポジウムを再開させていただきます。皆様、会場の中は暑くないでしょうか。お飲み物も添えられておりますので、どうぞ喉を潤しながらご参加頂きたいと思います。

    ここからはパネルディスカッションとして、「和食文化の魅力」をテーマにディスカッションを行っていただきます。

    それでは、コーディネーター及びパネリストの皆様をご紹介させていただきます。皆様から向かいまして左側、コーディネーターの菅原悦子先生、よろしくお願いいたします。そして、パネリストの平出美穂子様、よろしくお願いいたします。そして、千葉彩子様でございます。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

    それでは、パネルディスカッションに先立ちまして全体の概要を私より簡単にご説明させていただきます。本日のパネルディスカッション、テーマは「和食文化の魅力」です。和食文化を特徴づけるキーワードとして、多様で新鮮な食材とその持ち味を引き出す工夫、一汁三菜を基本とした、バランスよく健康的な食生活があります。そして、さらには美しく盛りつける表現方法や食器の使用などによって自然の美しさや季節の移ろいを表現し、年中行事にも密接なかかわりがあります。本日は、そんな和食文化の魅力についてディスカッションを行ってまいります。そしてこのディスカッションの中では、和食文化を次世代へ継承していくためのご意見も伺っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。それでは、ここからの進行はコーディネーターの菅原悦子先生にお願いいたします。

    〇菅原氏

    それでは、これから私が司会をバトンタッチしまして、「和食の文化の魅力」ということでパネルディスカッションに入りたいと思います。

    最初は、お二人の事例発表の先生方、10分という短い時間でそれぞれの食の文化を魅力的にまとめていただいて大変ご苦労だったと思いますが、さらにその和食の文化の価値や意義について、それぞれのところで今、実践なさっていることも含めながら、先ほどのお話の足りない部分も含めてご紹介いただければと思いますけれども、平出先生からよろしいでしょうか。

    〇平出氏

    ちょっと風邪を引いていまして多分、聞き苦しいかと思いますけれども、よろしくお願いいたします。先ほど3地方に分かれて福島県の食文化は成り立っていると申し上げましたけれども、現時点におきましては浜通り地方の方々はあちこちに暮らしておりまして、なかなかふるさとの文化を伝えることは出来ない状態になっております。そうした中でどうしたらいいかということで福島県の農林水産部の方で立ち上がりまして、それではこれを守ってくれるのは母ちゃんだというところで、浜通り地方のお母さんたちのグループ20人ずつ60人ぐらいいらっしゃるのですけれども、その人たちの伝統食、その伝統食の食材は現在、手に入れることが出来ませんけれども、その持っている技術は伝承出来るということで、現在、立ち上がりました。それでそれぞれのところの空き家を利用いたしまして、そこを拠点としてあちこちに分散しているお母さんたちが1カ月に1回集まっていただいて、そこで先ほど発表させていただきました年中行事食にしろ、伝統食にしろ、失われたそれをまず集めましょうと。集めて、それを書きとめて、それを形として残しましょうというところで今やっております。例えばそこで失われて、今出来なくても将来には出来るかもしれないという可能性を秘めながら、伝承出来るその技術、それを生かしていきましょうと今、立ち上がっているところでございますので、私もその中で皆さんと一緒に応援していきたいと思っているところでございます。

    〇菅原氏

    ありがとうございました。それでは、青森ではいかがでしょうか。

    〇千葉氏

    先ほどいろいろお料理を並べました。皆さんもきっと青森ってすごくお料理多いんだなというふうに実感されたと思うのですけれども、実は30年ほど前に私はこういう危機感を覚えたことがあるのです。というのは、お料理がたくさんあるというのはみんな分かっているのだけれども、黙っているとこのまま忘れ去られてしまうのではないか、そういう危機感ですね。

    時代は、例えば私は郷土料理の取材をしているわけですけれども、お宅の晩御飯ではどんなものを食べるか。そういうときにはほとんどの人が、「恥ずかしい。うちの晩御飯なんか言えない」というのがみんなの反応でございました。なかなか話してくれないんですね。30年前という時代は、家庭で洋風化が非常に盛んになって、バラエティ化というか、いろいろなものが一気に進んだ時代でありまして、全国の郷土料理の概念というか、そういうものもそんな程度だったのですけれども、そんなわけで取材に行くとみんなに断られた。それで私は、これは何かちょっと記録しておかなきゃだめなんじゃないかと考えるようになりまして、それならきちんとやろうという気持ちになって、取材をしてプロのカメラマンにお願いして1枚ずつ撮影していったわけですけれども、取材するほどにどんどんいろんなお料理が出てきて100種類できかない。いや、すごいなということで私は郷土料理にどんどんのめり込んでいったわけです。そのうちに、残すためには写真をパラパラさせておいてもしようがないということで本にしたらという気持ちになって、4~5年がかりで自費出版にこぎつけたというわけです。それがこの本なんですけれども、本を作ったはいいが今度は誰がこんな本を買うのと。そのように卑下しているような人たちは買わないだろう、そばに来ないだろうと思うので、とても悩んでいた時期がございます。

    ところが、本を作って出版して世に出しましたら、びっくりでございました。普通の主婦たちが風呂敷を持ってまとめ買いをするんですね。「えっ、だんなさんに怒られるんじゃないの」と私なんか言ったりしたものですけれども、実はみんなの心の中にも、このままだと郷土料理がなくなるかも、忘れられてしまうかもというふうに強く思っていたみたいなんですね。それで兄弟、姉妹、嫁に行っている従兄弟たちにも、ということだったのです。「だから10冊なの」と、みんなの熱い思いが私にどんどん伝わってきまして本当に感激したものでございます。

    あの時代からしばらくたって全国的にもふるさと再発見ということになって見直しの兆しが出て、テレビやラジオとかでどんどん取り上げるようになって盛んになりましたけれども、私の気持ちとしては、先ほど菅原先生もおっしゃいましたけれども、本という形にしたことで「郷土料理はよいものだ。卑下するものではない。そういう誇りが持てました」ということをどなたかが言っていましたけれども、そういう気持ちにさせたということが私としては嬉しかったことを今、思い出しました。

    〇菅原氏

    ありがとうございました。青森とそれから福島のそれぞれの郷土食を伺って、私がまず感じたのは、本当に東北は食文化の宝庫だなと改めて思って、しかもそれを次の世代に伝えていこうという、そういう思いで活動なさっている方が、本当に目の前に実践家もいらしているなということを改めて感じました。そして、青森の食文化は岩手と結構共通していて、鶏卵とかも岩手にもありますし、いちご汁、いちご煮とか、せんべい汁、ひっつみのたぐいは岩手県、青森県ではなくてやっぱり南部藩なのかなと思ったところです。

    それから福島の凍(し)みの文化というのも、岩手でも奥羽山系ではダイコンの一本じめというのでしたっけ、そういうのもありますので、そういう凍みの文化も確実にあるということで、この私の拙い文章の中でも書かせていただいたのですけれども、東北地域はすごく厳しい環境の中だからこそ培われた伝統的な知恵とか技とかが本当にたくさんあって、それが危ういのだけれどもまだ残っているのが東北かなというふうに思っています。

    しかしながら、先ほどちょっと福島で出ていましたように、今回の震災というのは非常に大きな影響があって、でも福島の先生が、その技を資料として書き残すための努力を今なさっているというのを聞いてすごく励まされましたし、岩手県でも何かそういう取り組みが出来ないのかなと思っていたところです。

    ということで今、それぞれの地域でさらに進めるためにどんなふうに取り組まれているのか、実践されているのかというようなことについてお話をお伺いしましたけれども、お伺いして何か質問とかありますか。

    〇司会

    本日、会場の中に若い世代の方もお見受けしております。何か先生方に聞いてみたい、こういったところはどう思っていらっしゃいますかという質問などございましたら、どうぞ発言をお願いしたいのですがいかがでしょうか。さっそくいらっしゃいました。ありがとうございます。真ん中の方です。今、マイクをお持ちしますのでよろしくお願いいたします。

    〇来場者

    仙台から来ました、宮城大学2年のウチヤママサエと申します。本日は貴重なお話ありがとうございました。全体を通してなんですけれども、和食の良さを伝えたいということなんですけれども、ただ単に和食のよさを伝えるだけでは、若い世代には伝わらないのかなと思いまして、そもそもはどうして和食を私たちの若い世代に食べてほしいのかという思いがあまり伝わってこないなと思いました。そこら辺はどう考えていらっしゃるかをちょっとお聞きしたいです。よろしくお願いします。

    〇菅原氏

    どこから答えますか。どうでしょうか。青森の千葉さんは何か答えありますでしょうか。

    〇千葉氏

    いろいろ郷土料理の魅力というのはあるのですけれども、ちょっと話は違うかもしれませんけれども、例えば私はタラ正月ということでタラに非常に興味を持っていた時期がございます。今も持っているのですけれども、世界中でタラが食べられている。世界中といっても特にヨーロッパですけれども、とてもタラが大好きだと。タラをめぐって、タラの取り合いをめぐって何年にもわたってタラ戦争まで、約50年にわたって何度もしているということを私は知りました。また、自分自身もヨーロッパに何回か行って、タラの食べ方というのか、ヨーロッパの人がどれだけ、どういうふうな形でタラを食べているかというのを少し調べるというか、いろいろ興味を持ってあれしたこともあるのですけれども、タラのすべてを多目的に食べるという文化はヨーロッパにはないのではないかと、そういうふうに。

    つまり、ちょっと大げさかもしれないけれども考え方として、切り口として、私たちは世界と共通するタラ文化を持ちながら、さらに固有の食文化を持っている。今、こういうふうにいろいろなものが盛んですけれども、ちょっと違うかも分からないけれども、このことはほかの地域の人たちにも意味があるんじゃないかということも考えます。

    それから、「郷土料理」という言葉ですけれども、若い人に郷土料理と言うと飲み屋の料理とか、何か自分の生活と違う、離れているという頭があるかもしれませんけれども、そんなものじゃないよという気持ちで言いますと、例えばスペインのパエリヤってございますよね。私もバレンシアには行きましたけれども、あれなんかはスペインのバレンシア地方の郷土料理だし、ハンバーグだってもともとはドイツのハンブルグ地方の郷土料理なのをアメリカの労働者が持っていって発展させた。餃子だって中国北部の郷土料理と考えていけば、郷土料理というものは何も日本だけのものでもないし、もはや国を代表するようなものになっているのだと。

    さらに言うと、日本のコックさんたちがよくフランス参りというか、フランスに修業に参ります。そのときも、フランス料理を勉強しに行くと言う人はいないです。彼らが言うには「フランスの地方料理を私たちは勉強しに行くんだ」と。フランスの地方料理、つまり郷土料理を勉強しに行くと言います。ですから、「郷土料理」の考え方というか概念というのは、青森でなくても狭い日本だけのものではなくて、そういう広いのですよというふうな切り口というか考え方というか、そういうものを思ってほしいなというふうには思います。

    〇菅原氏

    熱い思いは伝わってきました。どうぞ。

    〇平出氏

    私も今まで郡山の女子大学の方で管理栄養士コースの担当をしておりまして、いかに学生たちと一緒に郷土料理を広めていくかいろいろ模索しておりましたところ、一番いいのは大学祭がありまして、その大学祭の場を利用いたしまして学生と教職員との共同での献立を立てまして、それを来てくださった市民の方たちに食べていただいたりしてきました。かなり好評で、よかったです。

    それから、地元のセブンイレブンとかファミリーマートと契約いたしまして、地元の特産物を使って、例えば昨年だと福幸丼ということで、会津地方、中通り地方、浜通り地方のそれぞれの地域における特産物を1つの丼に入れて、福島の「福」、幸せの「幸」で福幸丼(ふっこうどん)ということでその丼の中に込めまして、コチュジャンと蜂蜜の甘いタレで食べていただく。とても美味しかったのですが、そんなようにして各生徒がいかに郷土食に触れるかということでマスコミを利用してやってきました。

    それからあと学生とのコミュニケーションの中では、例えば方言とは何かというところで、この辺では何といいますか、菜の花のようなアブラナ科のやつを10月にまきますと冬、雪が積もりまして、雪が溶け始めると同時に茎が立つので「茎立ち(くきたち)」と言うのですけれども、同じ「茎立ち」で、秋田では「くくたち」、会津では「くきたち」、山形では「くぐたち」、「くぎだち」とか、それの方言がみんな違う。じゃあそれぞれの料理を持ち寄って、これを1つの食としてとらえてみないかなんていうところでそれぞれの食材でやってみたりもして、学生たちが興味を持ったりもしました。

    それから子供たちに郷土食というところで、私は会津の方の教育委員会の方たちと一緒に小学校5~6年生の子供たちに、僕と私が立てた献立ということで郷土料理の献立集。小学校5~6年生になりますと、お父さんとお母さんはこっちへ置いといて、家庭科の中でも子供たちが自分で包丁を持つようになりますので、それを利用して献立を立てて、コンクールなんていうことでやってきました。そうした場に若い人たち、子供たち、中学生、高校生は非常に難しいですけれども、大学生も、そうしたコンクールとか料理教室に進んで参加させるということも1つの興味を持たせるものではないかと思われます。

    〇菅原氏

    どうしてその郷土食を伝えることが重要かということを聞きたいという話でしたよね。私が思っているのは、例えば今、大騒ぎの「まめぶ汁」。テレビで出ていますけれども、あのまめぶ汁というのはどういうときに食べるものだと思ってあのテレビを見ていますか。逆に聞きたいですけれども、テレビ見ていますか。

    〇来場者

    見てないです。

    〇菅原氏

    見てないんですか。今、大騒ぎのあの「あまちゃん」見てないんですか。残念ですね。今、大騒ぎの「あまちゃん」で、まめぶ汁というのが岩手と多分、青森にもあると思うんですけれども、沿岸の広野町というあの辺の郷土食で、東京に持っていってそれを食べてもらうというような。スナックのように、おやつなのかお昼御飯なのかというような形で、あの郷土食を東京の方たちにも食べてもらおうということで、それも含めてあのテレビ番組というのはすごくよく考えられていて、被災地の復興につながっていけばという思いで作られていると思うのですけれども。

    そのまめぶ汁というのは実は冠婚葬祭のときに食べられるものです。だから決してスナックとかそういう類のものではなくて、もちろんそういうふうに食べてもいいのですけれども、あれはものすごく手間のかかる食べ物なんですね。小麦粉の生地に黒砂糖を包み、その中にクルミを入れて、こんな小さいお団子を作るんです。これを作るのには技も、それから手間もものすごくかかる。だから、こういうものを作るということは、そういう嬉しいこと、例えば結婚があって、これはとても嬉しいことなんだから、そういう手間をかけてでも皆さんにごちそうしたいという、そういう願いとか思いが込められた食べ物なんですね。それを今は皆さんにもっと普及しようということでスナック的に食べてもらって、それも私は別に悪いことだとは思っていないのですけれども、出来れば、このまめぶ汁というのはそういう思いの込められた食べ物であるということを書いて、そして皆さんに届けていただいたら、食べる人たちはそういう思いで食べてもらえるんじゃないかなと思うのです。

    先ほど私の講演で皆さんに伝えたかった一番大きなメッセージは、私はスペインのパエリヤはどういう思いで作られているとかいうことは知りませんけれども、岩手のまめぶ汁はそういう思いで作られているものだということは知っています。だから、そういうものを若い人たちにもちゃんと伝えて、食べ物というのはそういうメッセージを伝えられるツールであると。ツールという言い方はおかしいですかね。そして人と人のつながりとか、食べることとか、生きることとか、そういうことを考えられる大事な大事なものだということが、私は郷土食の伝えたい一番の本質だと思っています。

    だから若い方にもぜひ、まめぶ汁も食べてもらいたいし、そのまめぶ汁を一生懸命作っている方たちがどういう思いで作っているのかも聞いていただきたいし、そういうコミュニケーションを通して地域の理解とか、それから食に対する思いとか、そういうものを若い人たちがちゃんと分かっていただければ、日本の農業もそれから食ももっともっと豊かでいいものになっていくんじゃないかなというふうに思っているので、そういう熱い思いを持って食文化を伝える活動を私はしています。出来れば若い皆さんにも是非入っていただいて、一緒にこういう活動をしてもらいたいなと思っているので、是非考えてみてほしいなと思います。

    〇来場者

    ありがとうございました。

    〇司会

    先生、ありがとうございます。私も年齢ももう若くはないのですけれども、今度、伝えられた若い方の方としては、今、先生方がおっしゃったような情熱をまた次の世代へ、次の世代へとつなげていかなくてはいけないのですけれども、若い方はどんなイメージで今の郷土料理の現状をとらえているのかもちょっと知りたいなと思いましたね。郷土料理のイメージ、ちょっと教えていただけますか。そして、それに対してまた先生方もお願いいたします。

    〇来場者

    私のイメージとしては、先ほどもおっしゃられたように日常とはかけ離れたもので、何かの行事のときに、お節とかと同じように食べるものだというイメージがあります。

    〇菅原氏

    それでも十分だと思っています。それもちゃんと分かって食べてもらえればいいのかなというふうに思うので。

    先ほど私もちょっとお話ししたのですが、ハレ(晴)とケ(褻)という、ふだんの食事のときとそれから行事というのをメリハリつけてもいいんじゃないのという話を最後の方でさせてもらったのは、行事というときにはやはりそういう皆さんのいろいろな思いを受けとめながらその行事はしていかなければいけないでしょうし、ふだんのときは普通の和食という、そういうのってどうなんだろうと思いながら食べてもらっても、そこに一々全部、郷土食が入ってこなきゃいけないなんていう話をするつもりもなく、それはそれで。いわゆる普通の和食の捉え方が随分幅が広いようなのであれなんですけれども、ご飯とみそ汁があって、そこにハンバーグがあっても何でも私はいいかなというふうには思っているのですけれども、皆さんどうでしょう。平出先生どうでしょう。

    〇平出氏

    テーマが大きいんですけれども、まず和食っていうのは一汁三菜から始まりまして、お箸の持ち方から入りますね。そして昔の古文書、会津には小笠原流礼法といいまして、小笠原長時が会津に3年間おりまして、その教えが江戸時代の日新館の礼儀作法の基本になっておりまして、料理法の方は私たち民間も勉強していいということになっていましたので、それが小笠原流礼法の巻物文化として冠婚葬祭のお膳が今でも巻物で残っております。そうした中で礼儀作法を。

    今、「八重の桜」の八重さん見ていますかね。教養書というのがありまして、その中でちゃんとお箸の持ち方を。今、8つの小学校の栄養士さんたちはお箸の持ち方を教えておりますけれども、あれも小笠原流の教科書の中に山本八重さんたちも一緒に勉強してきたことがちゃんと記録に残っておりまして、八重さんはおうちから出ませんでしたけれども、お嫁に行くときには必ず教養書というのが持たされまして、そこにお辞儀からお箸の持ち方、ご飯の食べ方など隅々まで書かれていた。それはどこから生まれたのというと、あの和食の一汁三菜、一汁一菜のときもありましたけれども、必ずそうした中で伝わってきますね。大学の方では調理もしていましたから、じゃあ西洋文化の方のナイフとフォークも教えなきゃいけませんからやってきましたけれども、和食の心の中には精神の統一というか、そういうのも入ってきまして、美しい姿勢、食べる動作、口の中に入れたときの咀嚼の回数までもちゃんと分かってきます。そうすると、それが日本のその一汁三菜の中に含まれた和食のよさだなというのがつくづく分かるんですね。

    ですから、先生のおっしゃるハレとケの文化も、その中でまた一汁三菜の中のケの中にもまたそうした礼儀作法、食べ物に対する心の意味、それから食べ方、作っている人への感謝とか、そういうのがすべて入っているのが和食の心得かなとも思っておりますので、そうした和食のよさというのは私たちもこれから伝えていかなきゃならないかなともつくづく感じているところでございます。

    〇菅原氏

    よろしくお願いします。

    〇千葉氏

    人は誰でも自分の住んでいるところには深い執着というか愛着というものをみんな覚えて、それがふるさとということになるわけですけれども、そのときに一緒に食べ物も吸い取っているのではないかと。自然に刷り込まれているのが普通なんですけれども、でも自然にといっても今、家庭内で自然に郷土料理の入らないような流れになっている。

    先ほど菅原先生がハレとケの日があるとおっしゃいましたけれども、今、世の中はフランスのレストランのようなグルメの流れと、それから生活型といいましょうか、そういうような流れと2つ、食べ物の流れではあるわけです。でも自然と共生するというか、そういうふうな流れの方が大きいんじゃないかと。それでいくと、自分も自然というか、ふるさとも自然もみんな含めた中の1つであるという、そういうふうな気持ち。そこで自分というものが培われてきたというようなこと。私らの年代だともうそれが何の違和感もなく一緒に、食と自分の住んでいるところはもう一体というか。昔から郷土料理は土産土法、土と一緒だ、やり方も一緒というふうなのがあります。その両方重なってきたのですけど、今はなかなか家庭のお母さんたちもそういうふうなのはやらなくなったと思うのですけれども。

    ちょっと話は飛ぶかもしれませんけれども、私はこの前、県の学校給食の人とちょっと話をしたのですけれども、青森県は郷土料理とか和食に対しては非常に関心が高いところでございますので、学校給食の方でもいち早く取り上げているというところがございますけれども、最近は学校で例えばそういうようなものをやりますと、子供らが郷土料理なら郷土料理を学校で食べて、それを家庭に持ち込んで、それで家庭で広まってきたと、そういう話も聞きます。昔と逆というか、そういう感じがするのですけれども、だから学校給食の人は「なじみが薄くなった分、私たち青森県では力を入れて和食をメニューに取り入れるように努力しているんです」と言っていましたけれども、また子供らも意外と、「郷土料理って美味しいね」って新鮮な気持ちで感じることも多いのだそうです。それで、そのクラス全員が「けの汁って美味しいね。遠くで見たときは茶色で美味しいと思わなかったけれども、食べてみたら意外と美味しいね」と一クラスが盛り上がったこともあると。それで、その話を家に帰って母親にしたら、母親が「あら、あんたたち、けの汁食べるの。それだら私も考え直す」って言われたという。

    だから私に言わせると、やはり小さいときから郷土料理というものを刷り込んでいかなければ、自分のものにならないということもありますので、この先は小さいときからというか、小学校の給食のころから家庭と学校とがお互いに連携し合っていくのがいいんじゃないかなと思います。10歳までに食べたものが自分のふるさとの味になる、自分のベースになるというふうな話も聞いたことがあります。昔はいい悪い、文句なしにそうだったのですけれども。

    〇菅原氏

    ありがとうございました。若い方からはなかなか鋭い、恐らくそうだろうとは思って。ここに並んでいる私たちは、この世界にのめり込んでいますので、この活動とか、こういうことは絶対大切だというか、それのもとに話をしていますけれども、原点に立ち返って本当にそういうことは必要なんですか、やらなければいけないんですかという若い方からのそういう意見というのは今後、進めていくときには非常に重要なことだろうというふうに思っています。

    それでフロアの方たちからもお伺いしたいのですけれども、先ほど一番最初のときに農政局次長さんがお話ししたように、和食の文化を保護して継承していくという取り組みを本当にしていくべきか。私たちは当然いくべきという立場で話をしているわけですけれども、いくべきで、そしてそのためには、どうしたら次の世代に受け継いでいくことが出来るのだろうかということを後半、次のテーマとして考えていきたいと思っています。

    ここのメンバーは多分、もうそういう話はモリモリで話せるのですけれども、ちょっと違った立場からどうでしょう皆さん、そういうことは大切とか、あまりとかいろんな意見があられるかと思いますので、先ほどの学生さんも含めて率直なところをお話ししていただければ。

    〇来場者

    食文化のお話、たくさんありがとうございました。今、千葉先生の方から学校給食の話が出ましたので、すごくうれしくてつい手を挙げてしまったのですけれども、私は学校給食の栄養教員をやっています。千葉先生のおっしゃった通りで、一昔前といいますか、私が子供のころは母親が作ってくれましたので、自然に身についていたのですけれども、今はもう全然、家庭では郷土料理を作るという機会は減ってきたと思います。お母さん方もあまり知らないという状況ですね。それで今、学校給食の使命といいますか、食文化を学ぶという目的もありますので、そういうことで学校給食も今、千葉先生がおっしゃった、けの汁は秋のころから3月ぐらいまで毎月入ってきますし、おなじみの料理になっています。せんべい汁はちょっとまた、同じ郷土料理で皆さんがご存じですが。

    それで郷土料理の本からいろいろな給食に取り入れやすいようなものを選びながら、ひっつみですとか、数をふやしていこうじゃないのと栄養教員の仲間で話し合っているところなんですが、子供たちは初めて給食でけの汁に触れる。それで先ほど千葉先生がおっしゃった通り、それをおうちの方に持ち帰る。そうするとお母さんが、私の学校などは試食会がすごく盛んで、年間200人ぐらい給食を食べに来るのですけれども、そうするとわざわざ、けの汁を選ぶ。「あっ、こういうものなんですね」というような、青森県民でありながらそれはないと思うのですけれども、そういう状況があったりして、そういうふうにまた広がっていくというのは、学校給食ってこういうことが大事なんだよなと。栄養のバランスがとれることはもちろんですけれども、郷土料理というのはやっぱりとてもヘルシーなんです。今、子供たちの肥満とかいうのもありますので、そういう点からも子供たちに伝えていって、子供たちが大きくなったら自分でけの汁を作るようになる。そういうふうになってくれればいいなと今、千葉先生のお話を聞いて思っていたところでした。

    〇菅原氏

    はい、ありがとうございました。そのほかにいかがでしょうか。フロアの皆さんはいかがですか。やっぱりなかなかあれですよね。はい、それでは何か。

    〇来場者

    黒石から来ましたキタヤマと申します。よろしくお願いいたします。ちょっとテーマが違うかもしれませんけれども、先ほど若い人からなぜ、ということがございましたけれども、私はやはり今、私たちが住んでいる国の文化を知るということは、そのところに住んでいる人たちの大事な仕事と言うと変なんですけれども、それは本当に大事なことなのかなと感じております。

    というのは、私たちはもちろん母がいて、おばあちゃんがいて、そのまたおばあちゃんがということで伝わってきております。その人たちが伝えたものの中には、特に女性の場合は家族のために本当に気持ちを込めて時間をかけて、そして一つひとつの食材をとても大切に、それこそまでい、「までい」というのは津軽弁なんですが、までこにいろいろと料理をして、やっと仕上げたものが和食であり郷土料理でありということだと思うんです。その技術や知識を、そして味覚というか味を、そして作り方を知らないというのはとてももったいないかなと思うのですね。

    というのは、味覚というのはとても難しいもので、食べないと何か気持ち悪いというふうになってしまいます。なぜそういうことを感じたかというと、息子がお盆で帰ってきたときに甘い赤飯を食べさせたら、「やっぱり赤飯は甘いのが一番だね」って。京都に行ったら「なぜこれには砂糖が入っていないんだ」とびっくりして、つい下宿のおばさんに言ってしまったんだそうです。そしたら「えっ。さ、砂糖ですか」と。というのは、彼は味覚の幅がいろいろ広がっているんじゃないか。だから、そういういろいろなものを知る、いろいろな感覚を知るチャンスが和食とか郷土料理にはまだたっぷり含まれています。それを知ることで、変な話なんですけれども、何でも食べる子はいろいろな人と話も出来るし、考え方も幅が広いよと何かの本で読んだことがあります。もちろん今は昔みたいにこれしか食べられないという家はないのですけれども、これしか食べられないじゃなくて、みんな食べられるのだけれども私たちの国で作ったもの、土地で作ったもの、昔からあるものを大切にして、そしてまた次の自分の子供たちや、その孫たちに残していかなければいけないというのは私だけではなくてみんな思っていることだし、それを若い人たちにもぜひ思ってほしい、それが私にはとても大事です。

    〇菅原氏

    ありがとうございました。

    〇司会

    先ほどの学生さんの質問にもありました、そもそもなぜ和食を伝えようかという質問だったのですが、今のご意見に答えがあったかと思います。たどり着くのは郷土愛じゃないかなって今、私も感じましたね。辿っていくと日本に生まれて、そしてもっと辿っていくと、生まれたそこの地域・地方のよさ、それから食事というのは目に見える食材だけではなく、先人たちが築いてきたその思いとか、それから願いとか祈りとか、菅原先生もおっしゃっていましたけれども、目に見えないこと。物ではなく、見えないことまでを伝えようとするのが和食なんじゃないかなと今、感じました。菅原先生、いかがでしょうか。

    〇菅原氏

    ありがとうございます。「までい」という言葉は岩手でもあります。とてもいい言葉だと私も思っていますし、甘い赤飯の話は分かりましたかねということなんですが、私も弘前大学の方に非常勤で行ったときに、岩手は赤飯が南部藩のあの辺で2つに分かれる文化のところにいて、甘い赤飯と普通の赤飯と2種類食べるところです。ですから、小豆で甘くない赤飯というのが家庭科の教科書にも載っていますし、普通の料理書に載っているものなので、それを調理実習でやってもらいました。そしたらまさに同じように家庭科の先生たちが「これが赤飯ですか」と言われて、そうか、こちらの文化圏はそうだったなと思って、それとこれと両方を味わってもらうことをやった覚えがあります。

    ということで、それぞれの地域でそれぞれに。その甘い赤飯も恐らく秋田大の先生が、どうして甘い赤飯がこの地域にあるのかというのを調べた調査があったと思いますので、興味のある方はぜひ読まれたらいいかと思いますけれども、そういう長い歴史の中でその甘い赤飯がこの地域に根づいているのだろうと思いますので、食べた経験というのが非常に大きいかなというふうには思っているところです。

    それで今、話はどうしたら次の世代に受け継いでいくことが出来るか、どういうことが大切かというような話。1つの切り口として本当にちゃんと食べることが大切だというようなお話だったと思いますが、あと15分ぐらいになりましたので、お二人のパネラーの方たちから、未来の世代に受け継ぐにはどんな取り組みとか、どんなことが改めて大切だと思われているのかということを最後に一言ずつお話ししていただければなと思います。いかがでしょうか。

    〇千葉氏

    さっきも言ったかもしれませんけれども、私としてはやはり、ここで、けの汁とかじゃっぱ汁とか、自分と表裏一体ぐらいに感じているもの。例えば「こんなものまずいね」とか言われると何か自分自身をけなされたような、自分自身を否定されたような感じがするぐらい、表裏一体というか、それくらいのレベルまで。ここに集まっている方々は関心の高い方ばかりで、「あ、そうね」という年代の人ばかり。先ほどのご質問の若い方はまたちょっと違うかもしれませんけれども、そういう人が集まっているわけですけれども、私が郷土料理を最初から自分のアイデンティティーとして持つようになったわけではなくて、家庭の中で自然に育まれてきたわけです。

    今、私の仕事と同じ仕事をうちの娘もしています。そういうふうにして受け継がれて、そしてさらに今、その姿勢は孫の方にも移っていっていると思います。というのは、我が家で例えばお正月のお料理を「ことしは何にする」と私はフランクに聞くのですけれども、まだ10代の孫たちから返ってくる返事は「郷土料理に決まっているでしょう、おばあちゃん」って。それは別に私をよいしょしているわけではなくて、「標準化された料理は僕たちもたくさんだよ。もう食べているから。これは珍しいだけじゃなく、これは大事なんでしょう」とか、そういう気持ちまで入っているんですね。だから、この日は食べていこう、また私たちも食べたいしと、そういう思いで言ってくれるんだと思うのです。また、実際に食べていますね。

    ちょっと話は飛ぶのですけれども、その子が小学校のころにも、我が家では郷土料理も大人と同じようにして、特にお子様料理は私らは割と作らないで来たのです。でも子供らは自然になれて。だからってハンバーグを否定するわけではないし、またあれも食べながら、これも食べながら、しかし本流はこういうものでしょうというふうな感じで私らは生活してきたのですけれども、これは我が家はやはり家庭の中で継承されているなと思います。

    和食のベースも結局、一番最初は家庭料理のはずです。そこが発展していって和食という、またはレストラン、それからお料理屋さんブームに大きくなったわけでして、一番の大もとはやはり家庭料理でございますから、家庭料理を預かるお母さんたちもある程度覚悟を持ってと言えば変ですけど、何かのときにはそれを思い出すぐらいの覚悟でやってほしい。お母さんからそういうような姿勢を感じられると、子供らもちゃんとしみ込んでくれるだろうと思います。だから、そういうところが一番の継承の出発点になればいいなと思っています。

    〇菅原氏

    ありがとうございました。そしたら、平出先生お願いします。

    〇平出氏

    私も福島の食文化を研究しました。私の出身地は、その隣の栃木県でして、そこの宇都宮というところから会津に嫁ぎました。嫁いだときは皆さん「ならぬことはならぬ」で出来上がっておりまして、私は子供が小学校1年生に上がるまで、今はやりの「ならぬことはならぬ」が分かりませんでした。娘が小学校1年に上がって学校から帰ってきたときに、「ママ、ならぬことはならぬって知ってる」と言われたときに「ママ、分かんないなあ」と言って主人に聞きましたら、主人は「俺は頭の先から爪先までならぬことはならぬで育ってきた」って。古い商家なものですから今でも山口には行かないと。そうした会津の商家の主人なものですから、そこで、うわ、これは恥ずかしいと。栄養士という仕事もありますので、じゃあ、私に出来ることは会津の食文化を学ばなきゃならないと、そこからお姑さん仕えをしながらいろいろと教えていただいた。

    それで、今まではとにかくやらなきゃ、やらなきゃと、私も会津の中通り、浜通りとそれぞれ郷土料理を執筆してきました。それも車で行って、そこで人に聞いて調べたときには、今から20年ぐらい前に始まったものですから、そのときは皆さん「こんなのは誰でもやっていることなのに、今さら調べて何するんだい」と言われたのですけれども、今、だんだんと失われて、それがまた見直されてきた時代になりました。今まではずっと1人で頑張って、やらなきゃ、書かなきゃと思ってきたのですけれども、今日、皆さんとお会いして、それから菅原先生のお話を聞いて、そうか、これからは1人だけではだめなんだ。じゃあ、これからは菅原先生のお力をお借りしながら、岩手県と同じような福島県からの郷土食の文化の研究会を立ち上げて、それを冊子として残していこうと今、思い至ったところでございます。頑張ってやっていきたいと思っておりますので、またよろしくお願いいたします。

    〇菅原氏

    ありがとうございます。何かすごい決意表明があったりして、今日のパネルディスカッションはかなりおもしろい展開になっているというふうに思います。若い方からの発言もあり、取り組まれている方がさらにまた強い思いで発言なさったりと、非常に充実したパネルディスカッションが出来たかなと思っています。福島や青森、岩手の食文化も聞いていただいて、改めて東北は食文化の宝庫だなと思います。その宝庫の食文化が、やはりこの震災で失われてはならないというのは多分、皆さんの思っているところかなと思いますし、今回、ユネスコ登録に向けて国を挙げて和食を見直すいろいろな事業をなさってくださっていることを追い風にしながら、東北の食の文化の豊かさをさらにもっと魅力的なものにして、全国に発信していかなければいけないだろうというふうに私も思っています。

    そのためには、やっぱり若い方の参加が必要だということだと思います。その若い方が、今日いろいろお話が出ているようにもう少し興味を持っていただいて、興味を持っていただいてと言うのは簡単なんですが、なかなか興味を持っていただけないのかもしれないのですけれども、食べる機会を増やす、それから料理を作る、作って伝える機会を増やす。ここで集まっている方たちはそういうことが必ず出来る方たちがたくさんいると思います。学校給食の先生もいらっしゃいますし、それぞれの地域でご活躍の方もいらっしゃると思いますので、そういうことをぜひそれぞれの立場で取り組んでいただいて、子供たちを小さいときから一緒に巻き込んでいくということが千葉さんのメッセージでもありますし、そういうようなことを取り組みながら、長い時間がかかるとは思うのですけれども、若い方たちにぜひ私たちの輪に入っていただくような仕組みを何とかみんなで考えながらやっていきたいものだなと改めて思っています。

    私がやっている岩手の食文化研究会も、なかなか若い方が入っていただけないのです。私の大学の研究者の人たちには強引に入れ入れと言って入れて、それぐらいの強いメッセージがないといけないのかなというふうにも思っていますが、でも、若い方たちも食べるチャンスとか料理するチャンスがあれば、きっと興味を持っていただける。それだけの深いものを郷土食や和食というのは持っている、魅力を持っているものだと思います。まだまだそのメッセージが若い方に十分伝わっていないだけなのではないかというふうに思います。今日のような学習する機会も非常に重要な機会だと思いますので、今日ご参集いただいた皆さん、それから特に若い皆さんにはぜひ今日の学びを生かしていただいて、次の活動に繋げていただければ、今日、紆余曲折でなかなか立派なストーリーにならなかったパネルディスカッションではありますけれども、有意義な時間だったと思っていただけるのではないかなというふうに思っているところです。

    私からまとめがあまり十分ではないかもしれませんけれども、これからもここに集まった皆さんと一緒に東北の食のすばらしさを全国に発信して、先ほど千葉さんが「アイデンティティー」と言っていましたけれども、東北から日本の和食のよさを発信してまいりたいと思います。それが復興にもつながっていくことだと確信をしているところです。どうも長い間、パネルディスカッションにおつき合いいただきましてありがとうございました。

    〇司会

    菅原先生、進行ありがとうございました。そしてパネリストの皆様、長時間にわたりまして大変ありがとうございました。いま一度、大きな拍手をお送りくださいませ。ありがとうございました。

    是非、今日のお話を参考にして郷土料理の継承に取り組んでいただきたいと思います。

    それでは、以上をもちまして、和食文化“再考”シンポジウム『再発見!「和食」文化の魅力』を終了とさせていただきます。ご参加いただきましてありがとうございました。なお本日、受付にてお渡ししました参加証、並びにアンケート調査票、お手元にあるかと思います。ご退出の際に、受付付近のスタッフへお渡しくださるようお願いいたします。今後の参考とさせていただきますので、アンケートにはぜひご協力くださいますようお願い申し上げます。それではお帰りの際、お忘れ物なさいませんよう気をつけてお帰りくださいませ。本日はご参加いただきありがとうございました。

     

    お問い合わせ先

    大臣官房政策課食ビジョン推進室
    担当者:武元、橋本
    代表:03-3502-8111(内線3104)
    ダイヤルイン:03-6738-6120
    FAX:03-3508-4080

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