このページの本文へ移動

農林水産省

メニュー

 

疏水百選・北楯大堰(山形県)

タイトル
庄内平野開拓の礎、北楯大堰を巡る
距離
約9km
歩行時間
3時間
コースタイム
(ア)清川駅-(20分)→(イ)芭蕉上陸の地・清川関所跡-(5分)→(ウ)清河八郎記念館・清河神社・御殿林-(5分)→(エ)北楯大堰入口-(15分)→(オ)歓喜寺(精神橋)・御諸皇子神社(御宮橋)・金剛力士立像-(20分)→(カ)殉難十六夫慰霊塔-(5分)→(キ)青鞍の淵-(20分)→(ク)ずい道出口-(40分)→(ケ)熊野神社の森・ナンジャモンジャの木-(20分)→(コ)二俣農村公園-(20分)→(サ)楯山公園・北舘神社・風車村・庄内町歴史民族資料館-(5分)→(シ)楯山公園上り口-(5分)→狩川駅
交通
始点:JR陸羽西線清川駅 終点:JR陸羽西線狩川駅
問い合わせ
山形県庄内総合支庁産業経済部農村計画課企画係(0235-66-5553)
概要
四百年前、当時の最上川沿いは広々とした平地ではあったが、不毛の荒地が多く人々は困窮していた。この地に山形城主最上義光の命を受け赴任した北館大学助利長は、領民を困窮から救うべく不毛の地を農地に変えようと、北楯大堰(疏水)開削工事を決意する。これをきっかけに約五千ヘクタールの新田開発・八十八村が開村され米どころ庄内の礎を築く。疏水の沿線には、歴史・自然史跡が数多く、庄内平野の開拓の歴史を探訪できるとともに、楯山公園からは庄内平野を一望できる。
コースガイド
(ア)清川駅を出発し、20分ほど歩くと(イ)芭蕉上陸の地に到着。当時、松尾芭蕉はこの地で舟を降りたという史実が有り、「五月雨を集めて早し最上川」という句はその舟中で作ったと言われている。5分ほど行くと(ウ)清河八郎記念館に到着。清河八郎は、明治維新回天の魁として活躍したが、明治維新の夜明けを見ずに散った志士。付近には荘内戊辰戦争清川口古戦場となった御殿林がある。この上流には立谷沢川から取水している(エ)北楯大堰頭首工がある。北館大学助利長が開削した北楯大堰の始点である。(オ)歓喜寺は清河八郎の墓があるとされており、御諸皇子神社は安土桃山時代の稲荷神社や義経が立寄ったという神社である。大堰沿いの随神門には 金剛力士像(仁王様)が安置されている。20分ほど歩くと(カ)殉難十六夫慰霊塔に到着。大堰開削工事の土砂崩れにより16人が圧死する惨劇があったとされる。5分ほど歩くと(キ)青鞍の淵に到着。北館大学が自ら乗っていた馬の鞍を渦巻く深い淵に投入れると、渦巻いていた水面は穏やかになり、堰の工事が進んだと言う伝説がある。20分ほど歩くと(ク)ずい道出口に到着。40分ほど歩くと(ケ)熊野神社の森に到着。人間の手が入る以前の自然の姿を残している唯一の森。特に「ナンジャモンジャの木」は推定樹齢500年・板根が異様に発達し奇状を呈すエゾエノキの巨木である。境内には出羽郡司小野良實の墓とされる小野塚がある。(コ)二俣農村公園は水生植物園をそなえた農村公園。北楯大堰への土砂流出を防止する「風の池」がある。(サ)楯山公園の「北舘神社」には北館大学助利長を祀っている。「風車村」にはシンボルである風車があり、風の学習施設「ウィンドーム立川」の展望台からは庄内平野が一望できる。「庄内町歴史民族資料館」(明治和風建築旧狩川村役場)には昔の農機具などを展示。公園敷地にある基は狩川城跡であり、公園整備により野球場・公認グランドゴルフコースが設けられており、桜の名所としても有名。(シ)楯山公園内の桜木立を抜けると風力発電の風車群が見える。石段を降りて北楯大堰を渡り、終点の狩川駅へと到着。
参考マップ

お問合せ先

農村振興局整備部設計課
ダイヤルイン:03-3595-6338
FAX:03-5511-8251