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農林水産省

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有明の農業を拓いた野井倉甚兵衛

520haの開田と100haの開畑に一生を捧げる

鹿児島県志布志市

1874年(明治7年)~1960年(昭和35年)

野井倉甚兵衛
野井倉甚兵衛

通水式
通水式でバッチョ傘をかぶり、
小船に乗って現れた甚兵衛さん

明治の中頃、野井倉台地は火山灰に覆われ、さつまいも、そば、あわなどしか育たない畑地でした。

当時17歳であった野井倉 甚兵衛のいくら じんべえは、この土地に何とかお米を作りたいと考え、立派な田んぼを作ることを決意しました。そして、19歳の時、野井倉に1,000haの水田を開発し、水を引く計画を立て、協力者が少ないながらも、明治33年に3haの新田を開発し、大正5年には7.5haに広げました。しかし、少人数では労力も資金も乏しく、計画の1,000haに届かないまま失敗に終わりました。

あきらめきれない甚兵衛は、国に必死にお願いしました。国はそれを受けて、大正10年に現地を調査しましたが、この工事には莫大な費用が掛かるため工事実施は無理であるとの結論に達してしまいました。

それでも、甚兵衛はあきらめずに、昭和5年に開田を目的とする「耕地整理組合」を設立して、工事が出来るように粘り強く国にお願いしました。そして、昭和16年に工事施工が決定され、翌年に水田520ha、畑100haの開墾計画で着手しました。このとき、甚兵衛は70歳になっていました。途中、戦争により、一時は施工中止など困難な状況に陥りましたが、昭和24年に用水路が完成し通水式が行われました。そして、甚兵衛が81歳となった昭和28年に全ての工事が完成し、野井倉開田工事が終わりました。

事業を成功させた地元農民、特に野井倉甚兵衛は最後まであきらめずに開田に一生を捧げました。この功績は永く記憶されることでしょう。

参考情報

担当

鹿児島県 農政部 農地整備課 事業調整係
TEL:099-286-3238(内線:3238)
FAX:099-286-5601

お問合せ先

農村振興局整備部設計課

代表:03-3502-8111(内線5561)
ダイヤルイン:03-3559-6338
FAX:03-5511-8251