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埼玉県 見沼代用水を築いた井澤弥惣兵衛為永

農業土木技術“紀州流”の達人

埼玉県
生年不詳~1738年(元文3年)  生誕地:溝口村(現  和歌山県海南市)

井澤
井澤弥惣兵衛

見沼代用水
見沼代用水の現在

さいたま市の東の方は、昔、あれ地や沼が広がっており、田に水を引くために、今から380年程前、芝川をせき止めるための土手(八丁)が作られ、広いため井(見沼井)ができていました。

280年ほど前になると、幕府は米を多く作るために、八丁づつみを切り開き、見沼ため井を田に変える計画を立てました。しかし、ため井がなくなると用水にこまる村が多くなるため、幕府の役人、井澤弥惣兵衛は、ため井の代わりの用水を引くことにしました。これが『見沼代用水』の始まりです。

見沼代用水は、今の行田市で利根川から取水し、八丁づつみまで60キロメートルも流れる長い用水です。弥惣兵衛は、この長い見沼代用水を引く工事を、多くの村人の協力で簡単な道具だけを使い、わずか5ヶ月で完成させました。弥惣兵衛は、工事の際に次のような工夫をしました。

第1に、水量が多い利根川から水を引きました。そのため、田に水が必要な時期に安心して取水することができました。第2に、見沼代用水の水を星川に合流させて、その川を水路の一部として使いました。このことにより、工事を早く進めることができました。第3に、他の大きな川と合流するところでは、元荒川の下をくぐる「ふせこし」や綾瀬川の上にといを渡して流す「かけとい」をつくりました。第4に、見沼田んぼに水が入りやすくするため、見沼代用水を東縁と西縁の2つの用水に分けて、台地の縁を流しました。そして、見沼田んぼの中央を流れる芝川を排水路として使い、田んぼの排水を流したのです。

こうして見沼代用水がつくられて、本県有数の水田地帯が生まれました。

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農村振興局整備部設計課 
ダイヤルイン:03-3502-6204
FAX:03-5511-8251

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