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春の小川ものがたり

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1.瑞穂の国日本 2.世界の水事情 3.日本は水が豊かな国か? 4.水を使うための工夫
5.日本水土図鑑 6.堰の話 7.さまざまな水路 8.ため池
9.地図にない湖 10.水がつくった農村景観「春の小川」 11.環境も水がつくる(1) 12.環境も水がつくる(2)
13.人と人とのつながり 14.水の守り手 15.地域の中の水 16.流域という単位
17.新たな時代へ      

 

1.瑞穂の国日本

「瑞穂の国」の名は、水に恵まれたわが国をうまく言い表している。生命の源である水が私たちのまわりにふんだんにあることは安心とやすらぎである。

このような国のかたちは一朝一夕にできあがったものではない。地表に降った水が川に集まり、また、川から人の造った水路によって田を潤し、集落を経めぐって人々の暮らしに恵みをもたらしてきた。人工の水路は体内をくまなく巡る血管のように国土を覆い、「春の小川」となって、私たちを取り巻く風景や環境をつくってきた。

水路網が形づくられ、守り育てられるには、昔も今もそして将来も、苦心と工夫が不可欠だ。水量の不足を充たし、さらにはより便利なようにとの願いを込めて、水にまつわる物語が全国各地で語り継がれてきた。

こうしたわが国の水とのつき合い方について考えてみたい。

 瑞穂の国

 

2.世界の水事情

持続的な発展の鍵である水は、今日地球規模の問題の一つとなっている。1995年、世界の水使用量は年間約3.6兆m3で、このうち農業用水がアジアを中心に約7割を占める。1950年からの45年間で人口が2.2倍になったのに対して水の使用量は約2.6倍、特に生活用水量の伸びが約6.7倍と格段に大きい。

近い将来、水の需要量は急増すると予想される。60年代には米国に次ぐ大豆の輸出国だった中国が現在世界最大の輸入国に転じ、また、大陸を縦断して長江から黄河へ水を引き、いわゆる「南水北調プロジェクト」で北部の頻発する渇水を解決しようとするのは、近年の経済成長に伴う生活の変化によるところが大きい。穀物1tを生産するために1,000m3もの水が必要だとされるが、農産物の輸入は限られた資源である水を輸入するのと同じことだ。人口が増え続ける開発途上国全体で食生活の変化が起きれば、水の危機は火を見るより明らかだ。現に、2025年には使用量が現在の5割増の年間約5兆m3にも達し、供給が追いつかない事態が予想されている。「21世紀は水の世紀」といわれるゆえんだ。

 世界の水事情

 

3.日本は水が豊かな国?

はじめにわが国は水に恵まれていると述べたが、それは本当だろうか。

地球上の総降水量は年間約577兆m3である。このうち陸上に降る雨は約132兆m3/年だが、蒸発と地下水になる分を除くと、総降水量の十分の一にも満たない約43兆m3/年しか残らない。この水は地表全域にまんべんなく降るわけではない。地域によって偏りが大きく、アジア地域は総降水量が最も多いがそれ以上に人口が多いため、一人当たりにするとヨーロッパ、南北アメリカなど他の地域に比べて最少となる。

ではわが国はどうか。年間降水量は世界平均の約2倍、約1,700mm台だが、一人当たりにしてみると、世界平均の約7,000m3/年・人と比べて半分以下の3,300m3/年・人となってしまう。さらに、梅雨前線や台風に左右されて降雨時期はきわめて不安定で、年による変動や地域差も大きい。しかも、国土が急峻であり流路が短いため短時間で海へと流れ出てしまい、水資源としては利用しにくい。だから、雨が多いからといって単純に水が豊かだとはいえない。ときにはあり余る水のせいで洪水や湛水の被害も受けやすい。それで、水とのつき合い方に苦労してきた。

 日本は水が豊かな国?

 

4.水を使うための工夫

高きから低きへ流れる水をうまく使うためにはどうすればよいか。その要は、降雨から外海へ流出するまでの時間をどのように調節するかにある。

川の水が海に流れ出るまでの時間をできるだけ長引かせ、利用できる機会を多くすることが重要だ。傾斜に従ってすぐに流してしまうより、たとえばいったん等高線沿いに流路を迂回させ、そこから分岐して流す。水を池に貯めることもある。今ではポンプに変わったが、水車などで水を低きから高きに揚げる努力もあった。その反対に、流出を早めなければならない場合もある。作物の生育期など必要なときに水が枯れる大変さと同じように、あり余る水は人間の生活に被害をもたらす。

日本の国土づくりの歴史は、わが国の水の特質を利用するために、さまざまな手段を組み合わせる工夫の歴史だといえる。全国各地で、地形に応じたきめ細かな水の使い方が発達し、その結果、たとえば農地のかんがい率でみると世界でも高い水準となっている。

わが国の水の総使用量は約900億m3/年、農業用水が約3分の2を占めている。生活用水は20%弱、工業用水は15%程度である。

水の開発は農業用水の確保を軸に進められてきた。大陸に比べて地形が入り組んでいることが幸いした。日本のほとんどの沖積平野は比較的小規模で、河川は小さく人の手を加えて制御しやすいし、土地の勾配があるので、川をせき止めて水位を高めれば自然に水路に導くことができたし、排水も比較的容易だった。

 水を使うための工夫1

 

水を使うための工夫2

5.日本水土図鑑

最近、農地と農業水路に関するデータをGIS(地理情報システム)に落とした『日本水土図鑑』を作成した。

「水土」は古代中国起源の言葉で、わが国では江戸時代によく使われ、風土や地域、国土などの意味を持っている。国土が水と土を軸に成り立つ事実が、その文字から連想できる。

この図鑑を見ると、平野という平野、扇状地、盆地、そして最近では畑の広がる台地に至るまで、およそ人が暮らす場所を余すことなく水路網が覆っているのがわかる。水路という線が面となって広がっているようだ。農業用の水路は大きなものだけで延長約4万km、農地につながる小さな用水路や排水路を加えるとゆうに地球の10周分、40万kmにも及ぶ。

全国で名だたる農業地帯が、水路密集地として浮かび上がる。水路網に思いを馳せると、多くが江戸時代以前に開削され、明治以降も営々と新たな英知が注ぎ込まれた姿に、先人の汗と苦労がしのばれる。

上流で一度使われた水は再び、しかも何度でも下流で使われる。水路網は農村の集落の中はもちろん、ときに市街地をも巡り、地域の水として役立っている。生活用水も兼ね、むらだけでなく、まちのインフラにもなる。城下町の堀になったり、縦横に走る水路が落ち着いた町の雰囲気を醸し出すのに一役買っているところもある。

 日本水土図鑑

 

日本水土図鑑2

 

6.堰の話

用水は大半が川から導かれる。水を取り入れるには堰で水位を高める必要がある。

世界中から観光客が訪れる京都の嵐山。渡月橋を渡ればその上流に目に入るのが一の井堰だ。川の名は桂川、別名大堰川という。川の名が由来するこの堰は、5世紀後半に朝鮮渡来の秦氏が現在の地付近に設置し、40年ほど前に現在の堰に改修されたもので、今でも200ha以上の田畑を潤し、桂離宮の庭園をも養う。毎年5月には平安王朝の舟遊びを再現し、詩歌、管弦、舞楽などを演じる何隻もの船を浮かべた優雅な祭が行われる。

木曽川のほとり、高台にそびえ立つ国宝の犬山城の真下には犬山頭首工という堰がある(愛知県)。日本最古といわれる桃山風の美しい天守閣が堰の水に映える。ここからは宮田用水、木津用水など江戸初期から濃尾平野を潤してきた代表的な農業用水が取水されている。かつて別々に造られていた取水口が、川底が洪水でえぐられて低くなったり流れが変わったりして取水しにくくなったので、水を安定して取るため、戦後になってこの堰に合口(いくつかの取入口を一緒にすること)されたのだ。

ところで、犬山頭首工からの水を運ぶ宮田用水にはこんな話がある。高度経済成長期、この用水の下流部では中京工業地帯の発展のため大量の地下水が汲み上げられ、地盤沈下が進んだ。その後、この地下水は宮田用水を使っている水田からしみ込んだ水がもとになっていることがわかった。そこで、春の代かきを始める前に水田に水を張って地下水を補給し、地盤沈下が治まった。水路と田んぼが農業ばかりにでなく使われているエピソードだ。

 堰の話1

 

堰の話2

 

7.さまざまな水路

用水路は川から取り入れられた後、平野の比較的高いところに引かれ、大小の水路網に分岐していく。多くの場合、このような水路網が潤す水田は数百から数千ha、あるいはそれ以上にも及ぶ。この水路システムでは、各水路に関係する農家の集団的組織が幹線部から末端へ、最後には一枚一枚の田に至るまで組織され、上流と下流の優先順位が厳しく保たれる。水路網の形は地域の開発の事情を反映し、水路が引かれた場所や水路が交差する場合の上下関係などに地域の歴史が表れている。

水路一本を引くにも大変苦労したという話が各地に残る。水路の勾配をうまく取らないと上流から取り入れた水が流れないので、夜、水路の場所に提灯を持った農民をずらりと並べ、向かいの山からこれを見通し、旗や火で合図しながら高さを決めた。この方法は「提灯測量」の名で今に伝わり、たとえば、佐久の五郎兵衛用水(長野県)や黒部川から水を引く十二貫野用水(富山県)、紀ノ川沿いの小田井用水(和歌山県)、野中兼山ゆかりの山田堰用水路(高知県)など、山あいの地域ではどこでも苦労をしのぶ語り草になっている。

目の前に川があっても、川より高い土地に水を引くには、はるか上流に取水口を設け、そこから何kmも延々と水路を引っ張ってこなければならない。岩場ではトンネルが、谷を越すには橋も必要だ。熊本県の矢部町には、農業用水を通す石造りのアーチ橋がある。丘陵地帯の谷を越えるため、長さ76mの水路橋が20mの高さで谷を渡る。時は幕末、九州に多い石橋技術の粋を凝らして台地に水を引いたのだ。

 さまざまな水路1

 

さまざまな水路2

 

8.ため池

大きな川がないとき、古代から谷をせき止めたり、平野を掘り込んだりしてため池を築いた。現在でも全国に20万箇所以上のため池があり、特に雨の少ない瀬戸内海沿岸に集中する。香川県にある満濃池はその代表的なもので、弘法大師空海が造ったとされる。

上下流で何段にも重なるため池がある。これは親子ため池と呼ばれ、中には孫池を伴うものもある。このような方式は、他の池に補給したり、上流からの水を受け止めたりして水を有効に利用する知恵だ。最近では、これらため池に大規模な農業用水路から水の補給を受け、実際に水を使うときまで一時貯めておいて水の使い方を自由にするような使い方もされている。

ため池は水の広がりが人々に安らぎや潤いを与える。それで古くから観光地や憩いの場となっていることが多い。さきにふれた犬山頭首工の近くには、博物館明治村が大きな池に臨んでいる。この池は入鹿池といい、江戸初期に新田開発のために築かれた1.5平方km以上もある現役の農業用ため池だ。また、都市化が進む地域では、水辺公園や水棲動植物のいる場所として、ため池の貴重な役割が見直されてきている。

 ため池1

 

ため池2

 

9.地図にない湖

大河川の下流部に広がる沖積平野では川の勾配が緩くなり、上流からの水が集まってくるので排水が不可欠だ。

18万haの面積を誇る新潟平野は、信濃川、阿賀野川などの大河川と支川が現在の海岸砂丘帯と元の陸地との間に土砂を堆積してできた。氾濫で生み出された自然堤防が緩い凹地を囲む。この低地は軟弱な泥炭地で、目に見える大小の潟湖が残るほか、すぐ水に浸かり溜まる湿地は「地図にない湖」といわれた。

農家はこの低湿地を沃土に変えていった。生い茂るマコモの枯れワラの上に潟湖の底土を載せて田んぼにするのが伝統的なやり方だ。近世以降には新田開発が本格化した。享保期に行われた北部の紫雲寺潟をはじめ、流入する河川の流れが分離され、砂丘を割る放水路が開削されて潟湖が干拓された。それでもできた新田は、腰や胸までつかって田植えや稲刈りをする「腰切田」や「胸切田」だった。

明治以降、信濃川や阿賀野川の改修工事が行われて初めて平野全体の抜本的な対策がとられることになり、低湿な水田から排水が行われるようになった。蒸気機関のポンプがいち早く導入されたのもこの地である。排水は大きな範囲で行うことが効果的だが同時に利害調整も難しくなるので戦後まで遅れた地域があるが、現在では全域にわたって排水が完全に制御されている。司馬遼太郎は、一つの大きな潟、亀田郷の苦闘の様子を「潟のみち」(『街道をゆく』9)で描く。

排水改良に加え、区画整理と用排水施設の整備、暗渠排水などが徹底的に行われた結果、ぬかるみを田舟でしか移動できなかった湛水田は、コシヒカリなど良質米を産する広い区画の美田に生まれ変わり、さらには人が安心して住める市街地もできた。

 地図にない湖1

 

地図にない湖2

 

10.水がつくった農村景観「春の小川」

かつてはどこにでも見られた「春の小川」、エビやメダカや小ブナが泳ぐと歌われた小川は、実は人手をかけてつくられた水路なのだ。この唱歌の作詞者高野辰之は長野県の生まれ、その頭に浮かんだのは故郷の田んぼだろうか。あるいは、明治・大正の当時彼が上京して住んでいた代々木付近の田園風景だろうか。

今から3千年ほども前、原始的な堰や水路など水利施設をそなえた水田が大陸から導入された。水田農業は水の循環をうまく利用した農業で、畑に水をかけて後は蒸発か浸透に任せる西欧農業とはまったく違う水の使い方をする。下流で繰り返して使うことを考え、小さな単位でこまめに水を循環させる。

川から取水し、水田に水を張った後、再び川に返す、その繰り返し、あるいはまた、取った水を一時貯めて使うなど、多様な使い方が上流から下流へ幾重にも重なる。途中で人々の暮らしに使われることはいうまでもない。このためにあの面に広がる水路網が必要だった。これが唱歌に歌われた小川である。

川以外に森林にも人手がかけられた。肥料源や薪炭林の利用は下草刈りや枝打ちとなるし、水源を確保するとの考えからは植林を行う。雑木林の里山はこのようにつくられたものだ。このように、わが国では生のままの自然はごく限られた地域にしか残らず、人の手の入ったいわゆる里地・里山が農村景観のもとになっている。江戸時代以降、多くの西洋人がわが国を訪れ、こうしてできた景観のすばらしさに触れているが、明治の初め、英国人女性イサベラ・バードがアジアのアルカディア(桃源郷)と絶賛したのは、「明るく輝く松川にかんがいされた」米沢盆地だった。

そして、このような里地・里山地域の方にこそ、原生自然よりもメダカなど絶滅が危惧される生物種が多く棲息していることが、最近の環境省の調査でわかっている。

 春の小川1

 

春の小川2

 

11.環境も水がつくる(1)

環境または資源としての水の大きな特徴は、常に循環していることにある。水循環には蒸発→降雨→地表水・地下水→海洋へ流出という自然の大循環と、水田のように人手が加わった循環があり、いずれも気候を和らげ、物質循環や生態系の維持に大きな役割を果たしている。

水は色々な物質を溶かし、自らも反応を起こして浄化作用を促進する。空気と触れ合う水面(開水面)は、微生物に酸素を供給し、浄化に有利に働く。この浄化作用は「三尺流れて水清し」と言い習わされてきた。最近、湖沼などが富栄養化してよくアオコが発生するので問題となるが、その元凶となる水に含まれた窒素が水田を巡る間に脱窒作用を受けて少なくなる効果も注目されている。

河川や水路のように水の流れている区域(流水域)と湖沼やため池のように溜まっている区域(止水域)が次々と入れ替わり、何重にも重なることは、生態系の多様さを増す。ため池は、水域の水草から水際の湿性植物、岸辺の林へと異なる環境が連続するので、多くの種類の動植物が生育する場となる。水の流れが途中で穏やかになる水田は、トンボやゲンゴロウ、カエルやメダカなどが産卵、繁殖する場所となり、幼体を育む揺りかごとなっている。

 環境も水がつくる(1)1

 

環境も水がつくる(1)2

 

12.環境も水がつくる(2)

水田は、水を引き、湛水し、排水することを繰り返す土の構造物だ。だから、流水・止水・陸地環境の集合であり、それぞれの環境に適したさまざまな生物が混ざり合うし、さらには水田の外側の環境とも関連して特色のある生態系をなす。

里山の雑木林に囲まれた谷地田にはいくつもの食物連鎖が複雑に関わっている。たとえばため池や用水路には、プランクトンから魚、その魚を食べるサギなどの鳥類に至る連鎖がある。また水田では、稲の害虫をクモが食べ、それをカエルが、次にヘビが、最後にタカなど猛禽類が食べる。周囲の樹林では昆虫を小鳥が食べ、それを別の猛禽類が食べる。

生物の生活史は稲作の暦とも結びついている。田に水を入れる時期、田植え時期、水を落として中干しを行う時期のそれぞれに異なった生物が繁殖する。それで被食者が上位の捕食者の捕食を免れ、異なる食物連鎖ができて、生態系が安定することになる。

このように、水田の生態系は、稲作という人間の営みを抜きにできない。人手による撹乱が生物の多様性を維持したり、水田のように乾湿の繰り返しを最適条件とする生物がいたり、そこにしかいない種がいたりと、本来は人工物だったはずの水路やため池、水田を含めて、生物にとっても「自然」となっている。そこで、もし水田が潰されたり、放棄されたりすると、水路と田んぼでしか見られない複雑で豊かな生態系が壊れることになる。

童謡「メダカの学校」は、作詞者茶木滋が荻窪用水(神奈川県)のほとりを親子で歩いていたときの会話が元になったそうである。終戦後すぐのことだった。だが、最近の調査でも、いまや希少種となったメダカを含む、わが国の淡水魚種のうち約4分の1の種が農業水路やため池に生息していることが確認されている。生物の生息の場として大きな役割を果たしている水路やため池の整備に際して、このような事実を直視して「自然」を維持していくこと、さらには創造していくことが私たちの課題だと思っている。

 環境も水がつくる(2) 1

 

環境も水がつくる(2) 2

 

13.人と人とのつながり

水を使う過程で人と人との社会的つながりもできた。水の使い方には約束ごとがある。上流から下流に流れることから、まず上流での使用が優先する。また、使う権利を古くから持つ者も優先される。こうした上流優先、古田優先は自然に生じる規則だ。これを厳しく守っている時代から、新しい水の需要が発生すると、限られた水を巡って利害が対立することになる。これが激化すると「水争い」が起こる。

紛争を円満に解決するためにルールが形成される。小さくは一枚一枚の田の範囲から、大きくは流域の上流・下流それぞれの共同体に至るまで、それぞれの地域に応じたルールがある。雨が降らず渇水が続いたとき、そうした伝統的なルールを人々は死にものぐるいで守ろうとする。どちらが先にどれだけ水を取るかを、線香の燃える時間で決めたり(線香水という)、一個の石を水路の真ん中に置くことによって、微妙な水量調節をしたりする方法が生み出され、摩擦が緩和されてきたことも歴史は教えてくれる。

村と村の間にも同じようなルールが生まれ、村々がときによっては対立したり協調したりし、それが地域社会の決まりとなることもある。こうした社会の成り立ちを「水社会」と呼んだ人もいる。

 人と人とのつながり

 

14.水の守り手

『水土図鑑』にあるような水路網は、農家の手入れがあって初めてうまく機能する。水の配分だけでなく、水路の草刈りや泥上げは水を通すのに不可欠な作業で、共同で行われてきた。もちろん生産や生活に直結しているので自発的であり、また無償だった。

農家は、水を守るために集団的組織をつくった。建設機械のない時代、自然に働きかける力は、人数が増えるほど大きくなる。早くは近世以前から自然発生的に芽生えて育ったこの自治的な共同の組織は、さきに述べたルールを介してまとまる。やがて明治に耕地整理組合や水利組合という形で制度化され、昭和24年には現在の土地改良区となった。

社会の変貌は、水を守る活動に多大な影響を及ぼした。生活排水処理などを行う専用施設が乏しい農村地域で、農地や農業用水路などがその代わりをつとめてきたからだ。たとえば、混住化や都市化が進み、水路への生活排水のたれ流しや廃棄物の不法投棄が増えているが、その始末は水路を管理する土地改良区に労力や経費の増大となってしわ寄せされる。こうした問題は、行政の支援を細々と得ながらも、弱体化しつつある農家の共同活動で何とか解決されているのが実状だ。

こうしたなかで、近年まで、機能的であることが何よりも優先され、景観や生態系は無視されがちだった。多大な労力を要した水路の草刈りや泥上げをしなくてもよくなり、貴重な水の漏れもなくなるパイプラインやコンクリート張りの水路が農家に好まれた。

非農家にとっては、農地や農業用水は一番身近な「自然」として、その恵みを享受する資源となりうる。それで、最近ではこの働きを活用したさまざまな活動が芽を出してきている。農業用水の守り手たちも自ら反省し、田んぼや水路、ため池などを地域の人々にとっての活動の場に提供し始めている。水路やため池を舞台に、せせらぎから生まれるやすらぎの景観や生態系保全の場としての活用、子供たちの環境教育の場づくり、身近な郷土の歴史や文化を見直す素材としての提供、都市との交流活動などが行われている。

 水の守り手1

 

水の守り手2

 

水の守り手3

 

15.地域の中の水

家の前を流れる用水路に下りて行き、顔を洗う。野菜を洗い米をとぎ、鍋や釜を洗う。子供は水遊びだ。そういう情景は全国どこの農村でも見られた。農業用水は、生活用水でもあった。

そのほか、水路をせき止めれば防火用水になり、冬には雪を落とし込み、汚れた水も浄化される。地下水や景観・生態系の保全も含め、農業用水の持つ顔は多彩だ。いわゆる「地域用水」である。上下水道の普及で次第に減少してきている面もあるが、網の目のような水路網は、今日もなお農村の活動の源泉としてさまざまな役割を果たしている。

「水文化」という言葉が最近広く使われるようになった。水の多彩な顔とのつき合いの中から、地域固有の文化が栄えるようになった。明治前半頃まで、日本の水辺をあしらった景観の質がきわめて高かったのは、水文化の水準の高さを示すものだろう。一の井堰から引いた農業用水が維持する江戸初期の名園、桂離宮ほどではなくとも、家の前を走る水路から水を引き入れた庭園は、ミニ山水、それが身近な「自然」だった。豊かな、あるいは変幻に富む水との長年のつき合いで、日本人は繊細さを感じ取る感覚や変化に即応できる知恵を鍛え上げてきた。

水は人間にとって恵みと恐れの両方の顔を持つので神聖なものとあがめられ、水への信仰が生まれた。『古事記』などの神話には水の神が数多く出てくるし、いわゆる民間信仰では、田の神が水神と同一視される。山の神とも同一視されることがあり、山を荒らすことが神をけがす振舞いとされたため、水田の水源である森林を守るという仕組みが形成されていた。流域を見る知恵がはるか古代からあったといえそうだ。また、水神は女神のほか、妖怪の一種河童や蛇・竜の姿でも現れ、各地でいろんな伝承が残っている。

 地域の中の水1

 

地域の中の水2

 

16.流域という単位

山から海まで、水の流れで連なる地域を「流域」という。森林は降雨を受け止め、一定期間貯えながら緩やかに浸み出させるので「緑の貯水池」といわれる。こういう機能が十分発揮されなければ、集中的な降雨はすぐに流出してしまい、一方で洪水、他方で干ばつを招く。また、山が荒れると降雨で急傾斜の斜面から土砂が流れ出しやすくなる。

森林土壌を浸み通った水は、浄化されるとともに、栄養素を川に流し、川魚だけでなく、川が流れ込む沿岸の魚をも養う。山が荒れると海の魚が獲れなくなるという現象は、漁師が問題とし一般にも次第に知られるようになってきた。

山と海を媒介するのは水田だ。水は山から谷へ浸み出て谷地田の用水に使われる。小さな流れを集めた小河川は扇状地を形成した後、大河川となって平野を潤す。三角州はそのような流れが海に注いでできる。全国の多くの平野はこういう作用で生まれた。そこに『水土図鑑』に見るような無数の細かい水路網が分布し、山からの水を平野の隅から隅まで配り、また集めては川を養い、循環を保ってきた。このようなメカニズムを考え、農業用水を安定して得るために、土地改良区自らが水源涵養のための森林を持っているところがある。

湖沼、湿地、沿岸域などの水域が水循環に重要な役割を担うのはもちろん、流域の森林と水田と都市の状況変化も水の流れに大きな変化をもたらす。上流域での森林の伐採が進み、急激な都市化で水田がなくなれば下流域で洪水が頻発する。地中浸透や無数の小水路などでゆっくりと流れるように保たれてきた水循環の経路が短縮され、流出水が集中するからだ。

こうした山岳から平野まで、一連のすり鉢状の単位が流域としてまとまりを持った単位としてくくられることになる。この単位は地方色豊かな文化を持った小宇宙であり、かつての藩もそういうまとまりを基礎としてきた。日本列島はこの単位が連なって構成されているといわれる。

 流域という単位1

 

流域という単位2

 

17.新たな時代へ

水循環を健全に保つことは、循環型社会の鍵としてますます重要になってきている。そのため、線の流れを面に広げる水路網と水田の果たす役割は大きい。

ただ、これらの整備に際して、従来、手がかからないようにしようとするあまり、農村の環境の一部に手をかけているのだ、という自覚が置きざりにされてきたきらいがあるのは事実だ。新しい時代はそこから抜け出て多様さを大事にする時代だ。

現在、全国各地で取り組まれている「21世紀土地改良区創造運動」は、農業用水の多彩な顔を発揮させることを通じて、「地域に支えられ、地域とともに生きる土地改良区」の実現を目ざしている。読者の皆さんの水への想いは出身地や育った環境によってそれぞれ違っているだろうが、この運動で行われているさまざまな身近な活動に触れ、水の世紀に考えを巡らせていただけたらと願う。

水によってつくられたわが国の水土は、先人の汗の積み重ねからできている。それを新しい時代にふさわしいものにして子孫に引き継ぐことは現代に生きる私たちのつとめだろう。生産や生活はもちろんのこと、人や生物とのつながり、人々の活動の源泉、そういった水の持つ多彩な顔を大切にしていきたいと思う。

 新たな時代へ

 

お問い合わせ先

農村振興局整備部設計課
代表:03-3502-8111(内線5561)
ダイヤルイン:03-3595-6338
FAX:03-5511-8251