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八丈島
アクセス概要八丈島は、東京の南方海上約284kmに位置する面積62.52km2、周囲51.3kmのまゆ型をしており、かつては東洋のハワイと呼ばれ、観光客でにぎわいました。 気候は、黒潮暖流の影響を強く受けた温暖多湿な海洋性気候で、一日、一年を通して、気温の変化が小さく、東京と比較すると、暑い日も寒い日も少ないという特徴があります。 島の産業は、農業と水産業が主であり、花卉観葉植物の栽培がさかんです。 地域の歴史的特徴島の中央部の平坦地から南部にかけて農業地帯が形成され、その多くは畑です。中央部の沖積地には西暦1600年代に開拓された伊豆諸島唯一の水田地帯があります。一方、北部は土壌条件や水利条件が劣悪であったことから、南部から土を運び込み畑を造成したり、井戸を掘り、農業用水を確保してきました。さらに、八丈富士の中腹は牧場として活用したり、西側斜面地は、耐寒性があり砂礫土壌に適したアロエが栽培され、食用や化粧品材料などの原料として利用されています。 八丈島の農業は、フェニックス・ロベレニーなどの観葉植物やフリージアなどの花卉が栽培され、これを東京市場や海外などに出荷し、農業生産額は都内区市町村の中で一、二を競っています。 主な展示物
田園空間整備事業により、5路線を拡幅整備し、農業基盤施設としての役割である農業生産活動に大きな成果をあげています。また、農業基盤施設としてだけではなく田園空間博物館の「サテライト施設」を結ぶフットパス、散策路としての役割も担っています。昔は美しい田園風景が広がる水田地帯でしたが、現在は花き観葉植物へと変わり、八丈富士を背景とした風景は島の代表的な景勝地となっています。伝統的農業施設や美しい農村景観をめぐることで、島と農業の歴史を実感することができます。
昭和40年代に、公共土地改良開拓パイロット事業で客土用の土を採取した跡地で、深い穴のまま放置されていましたが、これが却って鴨川の出水時の調整池の役割を果たしていました。そこで、田園空間整備事業により、この地形上の凹部を極力利用する形で整備しました。整備により、鴨川の流量を調整する防災機能のほか、自然環境の維持や水辺空間の創出、博物館のPR及び学習の場の提供等の機能も果たしています。
島南部には、海に向かっての傾斜地形が形成され、この地形上に展開するのが段畑で、かつては棚田で稲が栽培されていました。こうした農業地帯の水源としてため池が、江戸時代から続々と建設され、その一つとして「銚子の口」は大正7年に開発されました。
三原川が人家に近づいて、中之郷の水田用水路と交叉するとことで滝となって落下しており、用水路とそれに沿った道路は滝の内側を通るので、流れ落ちる滝の簾を内側から見ることができることから、裏見ヶ滝と呼ばれるようになりました。滝を見下ろす位置に裏見ヶ滝温泉が平成6年にオープンしています。
「登龍峠・ノボリュウトウゲ」といい、この道を下方から望むとあたかも龍が昇天するように見えるので、この名前がつけられました。ここからの展望は、雄大さにおいては八丈島随一の景観です。
毎年3月後半から4月初頭にかけて、「八丈島フリージアまつり」が開催されます。八丈富士を望む広大なフリージア畑で、美しい花を無料でつみ取ることができます。約35万本の黄色、白、ピンク、紫、赤など色とりどりの愛らしい花に囲まれて春の訪れを胸いっぱいに感じることができます。
昔の住居を修復したもので、地域に多い暴風雨から住居を護るための石垣やタミ、マダミ等の植栽が特徴であり、一般に「オリクネ」と呼ばれていました。屋敷は伝統建築により屋根は茅葺きで、門をくぐるとカンジョ(便所)、マヤ(牛小屋)、高倉を配し、母屋を中心に復元されてかつての島人の生活ぶりが偲ばれます。母屋はエンノマ、外の間(イロリ)、内の間、ハリダシとなっているのが特徴です。
水守は島の厳しい水利用を物語る遺跡で、用水の適正利用を図るために設置されました。水田毎の水利用を監視し水量調整を行っていましたが、昭和47年の大島近海地震と東方沖地震で崩壊しました。水田転作 により水消費量が少なくなったため、再興はされませんでした。
宝暦3(1753)年建立、名主金川彦十郎などが造営したと言われ、島中央部の沖積低地上の農業地帯のかんがい用水を 守る弁天神社です。社殿は沖積低地より一段高い場所に建立されていますが、これは水田を拓くにあたり、石礫などを積み上げた 「塚」であると考えられています。
八丈島の地下水は自噴しないため、地下水面まで直接掘りこんで造られた井戸です。明治13年に掘られ、昭和30年にこの地区に水道が出来るまで使われていました。地表部から井戸枠に至るまで、螺旋状の通路が拓かれていることから、まいまいず井戸と呼ばれます。また、特に八丈島では、メットウ貝(ギンタカハマ貝)の渦に似ていることから 「メットウ井戸」と呼ばれています。
田園空間事業により、伊豆諸島で唯一行われてきた稲作を伝統文化として体験できる集落農園を整備しました。かつての水田は観葉植物の畑に転換されてしまい、わずかにのこるだけとなっています。島民の食を支えてきた稲作の技術を、地域活動を通した体験活動で、島の小中学生に伝承させることが目的です。平成16年度からは、田園空間整備運営委員会の主催で、地元の小学生、地域住民、NPO法人を対象とした、田植え及び稲刈りの体験が行われ、「伝統文化の紹介や稲作技術の習得・伝承」が実行されています。
昭和50年5月に旧東京都八丈支庁舎を歴史民族資料館として開館しました。館内には流人文化を中心にした資料が数多く展示されており、八丈の人々や流人の生活を雄弁に物語る生活用具や農耕具、漁具、機織具などのほか、先史時代の石器や土器、古文書、伊万里、古瀬戸などの陶器類、羅漢像、八丈の伝説を偲ばせてくれる源為朝の鎧など約1,500点が展示されています。
コア施設
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農村振興局整備部農地資源課
担当者:経営体育成事業推進班
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ダイヤルイン:03-3502-6277
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