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![]() Profile なかむら・いくお
1945年、秋田県生まれ。国内外の海や自然、人々、そして環境を含めて精力的に取材。ライフワークの東京湾をはじめ石垣島・白保、北海道南西沖地震・奥尻島でのフォトルポルタージュ、諫早湾のテレビリポートなど、社会性のあるテーマにも果敢に取り組み、報道写真家の顔も持つ。(撮影・平嶋彰彦) |
ぼくの好物といえば、まず第1にシジミ。秋田の出身だが“ふるさとの味”といえばハタハタでもきりたんぽでもなくシジミだ。子どもの頃、よく泳ぎに行っていた八郎潟はシジミの宝庫だった。岸辺の葦をかき分けて、水深1メートルぐらいのところまで進んでいくと、足の裏が、玉砂利を踏んでいるようなジャリジャリとした感覚になる。最初のうちは「ずいぶん砂利がいっぱいあるなぁ」なんて思っていたのだが、ある日、足の指でそれをつかんで手にとってみたら、これがなんと、でっかいシジミだった。「これみんなシジミっこだよぉ」って、まるで財宝でも見つけたように、みんなで大騒ぎしたことを覚えている。翌日からガキどもは手に手に桶を持って八郎潟に集まった。そしてひとしきり遊んだ後は、シジミでいっぱいの桶を頭に乗せて意気揚々と家路についたものだ。 その晩は、とれたてのシジミを母が味噌汁にしてくれるのだが、味噌の色でなく乳白色の汁ができる。シジミのエキスがたっぷり出ているから真っ白なのだ。それに身がアサリぐらい大きい。もっとも当時はこれが普通だと思っていたから、東京へ出てきて最初にシジミと出会ったときには心底驚いた。 寿司屋でシジミの赤だしが出てきたのだが、そのシジミは小指の爪ほどの大きさしかない。「なんでこんなにちっちゃいんだべか」と思いながら箸で身をほじっていたら、板さんに「お兄さん、シジミは食うもんじゃないよ、だしをとるもんだ」と笑われた。これには思わず「八郎潟のシジミはこんなもんじゃねぇ」という言葉が喉まで出かかった。以来、いまだに八郎潟に勝るシジミは食べたことがない。 もう一つの好物は、いなり寿司。ごはんを丸ごと包んだもの、底にごはんが見えているもの、白ゴマをまぶしたものなど、全国津々浦々、あらゆるいなり寿司を食べてきたが、裏切られたことは一度もない。この間、仕事でグアムへ行くときに、早朝のフライトだったにもかかわらず、知人がいなり寿司を20個ぐらい作ってきてくれた。南洋で食べたいなり寿司はしみじみと旨かった。 それにしても「おいなりさん」は偉大だとつくづく思う。ご飯だけだとお茶なり味噌汁なり飲み物が欲しくなるが、いなり寿司はほどよく汁気も含んでいるから、飲み物なしでもおいしく食べられる……最初に作った人が誰かは知らないけれど、うまく考えたものだ。仕事先でも、いなり寿司は海から上がってすぐに食べられる。しかも、ふた口ぐらいで簡単に食べられるのがいい。自分の最期のときには、棺桶の中に「撮った写真やカメラはいらないから、おいなりさんだけは入れてくれ」と女房に頼んである。 お稲荷さんと八郎潟のシジミの味噌汁の組み合わせは、まだ試したことがないが、この黄金コンビを食したら、もうその場で死んでもいいと思うくらい幸せだろうと思う。 |