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わが家ごはん地元ごはん 第10回

川勝 平太さん(静岡文化芸術大学学長、国際日本文化研究センター客員教授)
母の舌がつくってくれた私の味覚


川勝 平太さん
Profile かわかつ・へいた
1948年、京都府生まれ。早稲田大学政治経済学部教授、国際日本文化研究センター教授を歴任後、2007年から静岡文化芸術大学学長、国際日本文化研究センター客員教授。専門は比較経済史。07年7月から「食料の未来を描く戦略会議」委員。
私は京都の街中で育ちましたが、母は大阪の出身です。食道楽の大阪で会社社長の「とおはん」(長女の愛称)として大事に育てられたので舌は肥えています。私の味覚は母の舌がつくりだした最良のものと自負しています。ただ、父と結婚したころの母の里は白砂青松(はくしゃせいしょう)の浜辺のある大阪郊外の羽衣(はごろも)に移っていたので、母の里のイメージは、母が娘時代に父(私の祖父)に連れられておいしいものをふんだんに食べたという大阪の街とは結びつかず、夏休みに明るい羽衣の浜辺で親戚の子らと真っ黒に日焼けしながら夢中で遊んだ楽しい思い出ばかりです。

一方、父の里は、京都府亀岡の旭町(あさひちょう)という農村です。お盆と正月には欠かさず、一家揃って父の里に帰りました。田舎では弟と近くの小川で小魚を採ったり、大きな屋敷内を走りまわって遊びましたが、父の親戚の子はまだ小さかったせいもあり、はっきりいって退屈でした。

ところが、食の思い出となると、母の里ではなく、父の里です。ごちそうとしてかならず出たのが「みずたき」でした。祖父がニワトリ小屋から一羽を選び、それをつぶすのです。今にして思えば残酷な光景ですが、そのころは祖父の手さばきを感心しながらじっと見ていました。親戚の女の子は首を切って逆さにつるした胴体から地面に滴り落ちる鮮血を見て仰天し、以来、ニワトリを食べなくなりました。米も野菜もスイカも柿も栗も食べるものはなんでもありました。私が生まれたころには倒産していましたが造り酒屋だったので敷地は広く、巨大な酒蔵も(そして酒も!ふんだんに)ありました(祖父は幼い孫の私に酒をなめさせて鍛えてくれました。英国オックスフォード大学留学中は学寮のバーでボランティアをしてあらゆる酒を楽しみましたが、日本酒が一番うまいというのが結論です)。ご飯は土間にしつらえた釜で炊くので釜の底におコゲができます。そのおコゲを混ぜて祖母がおにぎりにしてくれました。おコゲの香ばしさと適度の歯ごたえがたまらず、以来、おにぎり党です。

正月には、祖父がついてくれた餅を雑煮やぜんざいとして食べるほか、祖母が「納豆餅」をつくってくれました。餅を焼いて丸く伸ばし、まんなかに少量の塩でかきまぜた納豆を入れて畳み、半月の形にして食べるのです。納豆は敷地内の畑で取れた大豆から作ったもので藁に包んでありました。納豆に卵やネギなどをいれて醤油で食べる人がいますが、私は塩だけでかきまぜしっかり糸をひいた納豆をアツアツのご飯にまぶし、大根の味噌汁と一緒にフーッフーッいいながら食べるのが、無上の喜びです。家内にとっては安上がりで済むので家計に貢献しているようです。

最近は「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」会長として「早寝、早起き、朝・昼・夕ごはん(晩酌付き)」を実行しています。

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