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![]() Profile さとう・ひろし
1961年福岡生まれ。ジャーナリスト。東京農業大学農業拓殖学科卒業。西日本新聞社編集委員。「農、食、暮らし」を専門テーマに九州一円を駆け回っている。近年は講演で各地を飛び回る日々でもある。共著にブックレット『食卓の向こう側1〜10』『竹田読本』『「農」に吹く風』、漫画『食卓の向こう側』がある。 |
「食育は失敗します」。食育をテーマにした講演に呼ばれると、開口一番、私はこう話すことにしている。理由は、こんなにモノが有り余っている時代に、モノのありがたさを教えることぐらい難しいことはないから。もう一つは、あまりにも、やりっぱなしの食育が多いこと。栄養教育は大事なことだが、それは食育のなかの一つであって、目的ではない。必要なのは、「食を教える」のではなく、「食で教える」こと。「を」と「で」。たった1字の違いだが、その差はとてつもなく大きい。 この「食で教える」の取り組みといえるのが、2001年、香川県滝宮小学校の竹下和男校長(当時)が始めた“弁当の日”。やり方はいたって簡単。朝、早起きして、献立、買い出し、調理、弁当箱詰め、片付けのすべてについて、子ども自身が親の手を借りずに行うだけのことであるのだが、その狙いは深く、そして楽しい。 自分でご飯さえ作れれば、どこだって生きていける。それは必然的に「生きる力」につながる。それだけではない。弁当の日は心に働きかける。弁当作りを体験するまで、子どもらにとっての朝食とは、目覚めれば自動的に食卓に並ぶものだった。だが、弁当を作るには、1時間早く起きねばならない。また、起きただけでも駄目で、短時間に弁当をこしらえるには、前夜の段取りと熟練の技が必要だ。そこで気づくのだ。そんな仕事の上に、毎日、朝食が食べられるということに。 ――“弁当の日”を体験したある子どもの作文『1回目に弁当を作って、『もう嫌やぁ』って思いました。それで気がつきました。お母さんの代わりになって毎日ご飯を作ってくれるおばあちゃん。ご飯を食べているとき、いつも、いっつも文句ばかり言っている私。 こんなに、ご飯を作るのは大変なのに、なんか、文句ばかり言ってきて悪かったなぁって、すっごく思いました。とても、弁当を作るのは大変だったけど、それ以上に、おばあちゃんは大変なんだなーって、あらためて思った。本当におばあちゃん、ありがとう』 気付きは子どもだけではない。親もまた同様である。「あなたの仕事は勉強よ」と言って子どもに買い物にも行かせず、包丁すら持たせなかったために、いかに、くらし力のない子にしてしまったか。親が今、子どもになすべきことがわかるのだ。 食と農をつなぐ。それは迂遠な道かもしれない。だが、食べ物を介せば、遠いところにある農や自然、環境といった概念が他人事ではなく、自分事になる。それは、すべての人がかかわる「食」だからこその可能性である。だから食育なんだと、私は思う。 見つめるべきは、食卓の向こう側にある。 四国で始まった弁当の日は九州で花開き、実践校は4月末現在で22都道府県148校に到達。小、中、高から大学にまで広がっている。 |