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日本の篤農家 第5回

川上紀夫

食の安全を第一に考え、新鮮でおいしい高原野菜を供給。

生ゴミ堆肥によるレタス栽培を実践


有機肥料だと微生物が増えて、野菜がじっくり成長する。農業はおもしろい。農業は楽しいよ
川上紀夫さん
川上紀夫さん
かわかみ・のりお
昭和22年、長野県南佐久郡川上村に生まれる。
昭和44年、千葉大学園芸学部を卒業。同年当地で就農。
平成5年、JAの中に「有機部会」を発足させる。
平成10年、有限会社八ケ岳ナチュラファーム設立。
平成14年、生ゴミ堆肥によるレタス栽培を本格的に開始。

奥さん、2人の息子さんとともに高原野菜を生産しています。川上さん(中央)の両脇にいるのが、中国吉林から来た研修生
奥さん、2人の息子さんとともに高原野菜を生産しています。川上さん(中央)の両脇にいるのが、中国吉林から来た研修生

発芽後のレタス
発芽後のレタス。畑に植え付け後、結球していくのだから不思議です
八ケ岳山麓に広がる広大な高原野菜の畑を見ながら、長野県東南端に位置する川上村を目指した。レタス専業農家の川上紀夫さんの畑は、この川上村にある。

群馬、埼玉、山梨の3県に接している川上村は、レタスの生産量日本一を誇る村だ。川上さんによると、川上村でレタス栽培が本格的に行われるようになったのは、戦後のことだという。

「川上村が高原野菜の栽培に適した地だということに目を付けたのは進駐軍だった。なにしろ全村が1100m以上の高所にあるからね。冷涼な気候で虫の被害も少ないうえ、降雨量も少ない。レタスは雨に弱いから、降雨量が少ない場所での栽培が最適なんだ」

戦後、進駐してきた米軍は、新鮮な生野菜の入手に苦慮していた。当時、生野菜を食べる習慣がなかった日本では、アメリカ人が好んで食べていたレタスは栽培されていなかったのだ。栽培好適地として川上村に白羽の矢が立ち、レタスの栽培指定地となる。そして米軍の農業指導のもと、本格的な栽培に乗り出したのだという。朝鮮戦争の際も、川上村のレタスは米軍の保冷車に乗せられて、現地に運ばれて行ったそうだ。

昭和22年生まれの川上さんは、川上村にレタス栽培が定着していく様子をつぶさに見ながら育った。千葉大学の園芸学部を卒業後、故郷で就農。以降、レタス栽培を中心に営農してきたのである。

営農は順調だったが、ある頃からふと、現状に疑問を抱くようになった。肥料としての窒素やカリウムの過剰施肥は畑だけでなく、最終的には地下水や河川も汚すことになる。また除草剤や土壌消毒剤は、分解されずに作物の中に残ることもある。食品は基本的に人々の健康を支えるものであるはずだ。にもかかわらず、流通している食品の多くがその基本から外れていやしないか。

そんな思いを強くした川上さんは、同じ思いを抱く生産者5人とJAの中に「有機部会」を立ち上げた。それでも納得できず、10年前に高原野菜の有機・特別栽培農産物に取り組む生産者連合「八ケ岳ナチュラファーム」を設立した。

レタスの有機栽培を軌道に乗せながらも、川上さんは試行錯誤を続けた。そして、生ゴミ堆肥の導入を考えたのである。しかし、当初は塩分障害や異物の混入などに対する不信感から、生ゴミ堆肥に対する評価は低かった。

有機肥料のメーカーの協力を得て栽培実験に励み、平成14年、環境事業団地球環境基金の助成を受けて本格的に開始。堆肥づくりには肥料メーカーがある静岡県下の給食センターやスーパーから出た調理くず、食べ残しが使われた。堆肥の成分分析、重金属分析、実証実験やほ場の土壌分析、生ゴミ堆肥を投入していないレタスとの育成比較、レタスの秀玉の出現率や味覚調査などをいく度も丹念に行った。現在では生ゴミ堆肥による栽培が当たり前になっている。

「農業は大変だとこぼし、後継者問題で悩んでいる地域もあるけど、親が嘆いてばかりいれば、子が跡を継ぎたくなくなるのは当然だよね。私は農業がおもしろくて仕方ない。2人の息子も一緒に汗を流しているよ」

川上村のレタス農家はどこも後継者が育っているという。川上さんの畑では中国吉林からの2人の研修生が息子さんとともに、サニーレタスの収穫に精を出していた。


調理くずや食べ残しからつくられた堆肥 八ヶ岳ナチュラルファーム 作業風景
調理くずや食べ残しからつくられた堆肥

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