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日本の篤農家 第8回

飯塚恭正

広域な家族経営を実現 発想の転換と明るい努力で地域ならではの農産物をつくる。


ひとりでは持てない大きな石でもふたりなら持てる。家族で地域で力を合わせて「攻め」の農業を。
飯塚恭正
飯塚恭正
弟の茂さん(左)と

いいづか・やすまさ
昭和19年、新潟県六日町で生まれ、満州に渡る。
昭和22年、新潟県南魚沼郡八色原に入植。
昭和36年、六日町高校を1年で中退し出稼ぎへ。
昭和40年、後継ぎとして当地で本格的に就農。
昭和55年、八色マルタ有機農業組合加入。
平成8年、大和町有機栽培研究会会長に就任。
平成14年、新潟県のエコファーマー認定。
現在、魚沼みなみ有機米部会会長。


長男の正也さん
長男の正也さん。正也さんの就農を機に農業の通年化に乗り出した。

ニンジンジュース
3万本も売れた人気のニンジンジュース「うまい」。ラベルにはお孫さんの絵を採用
4家族による大規模経営を成功させている飯塚農場の経営者、飯塚恭正さんを訪ねるために、新潟県南魚沼市に向かった。飯塚農場があるのは、越後三山を水源とする水無川の扇状地に広がる八色原。ここで作られる「八色スイカ」はスイカの高級ブランドとして有名である。

「ここはスイカくらいしかできないような土地だったんだよ」
昭和22年、中国から引き揚げてきた飯塚さんの父・正三さんはこの地に入植し、2haの原野を開墾した。八海山の噴火がもたらした黒土火山灰土の荒れた丘陵地。当初は作物がなかなか育たず、苦労の連続だったという。

水無川に取水堰ができ、土地改良が進むにつれ、正三さんは稲作とスイカ作りを柱に経営規模を拡大。やがて飯塚さんと弟の茂さんも就農し、家族内分業を進めることで経営の安定が図られた。それでも農業は自然が相手。いく度となく失敗も繰り返したという。

現在、飯塚農場では9名が専従している。飯塚さん夫婦、飯塚さんの長男夫婦、次男夫婦、飯塚さんの弟とその息子と娘。長男家族とは同居しており、次男夫婦、弟の家族は同じ敷地内に居を構えている。

農地は八色原に15haと八色原から車で1時間半ほど離れた津南町に15ha。米、スイカ、山菜は八色原の第一農場で、ニンジン、ジャガイモは津南町の第二農場で栽培している。

魚沼地域をまたにかけた広域な家族経営の成功は、飯塚さんが家計と経営の分離など、近代的な経営管理に取り組んできた結果である。それぞれの役割分担や働く条件を明確にし、給与体系もしっかり整備されている。作物の栽培に対して、家族が経営目標を共有しているのだ。家族だからこその阿吽の呼吸で作業を進め、家族の絆が困難も乗り越えさせてくれる。

「農業が厳しいことは分かっているけど、それを面白いものにするのは経営者の責任。栽培や収穫に目標をもって、いかに農業を魅力的なものにするかだよ」

東京への出稼ぎや冬場の除雪作業を止め、農業一本になれたのは50歳くらいからだという。長男の正也さんが就農してからは冬場の対策も考え、生産の通年化に挑戦した。現在、冬場はタラの芽、ウドの栽培やハウスでスイカの苗作りをしている。

経営に体力がつけば地域農業も牽引できる。地域農業の将来を考えて、土地改良事業で取水パイプラインを敷設する運動にも奔走したし、土壌の改善にも尽力した。新潟県で2番目のエコファーマー認定者であり、魚沼みなみ有機米部会の会長を務めている。土作りには自家製完熟堆肥など有機肥料を使用。米もスイカも特別栽培だ。

規格外のニンジンを無駄にしないようにと、ニンジンジュースを作って販売している。野菜や米の旨味を引き出すために、雪国の長所をいかして雪室で氷温貯蔵もしている。貯蔵庫の雪は通年融けることはない。

雪室の貯蔵庫があるのは、魚沼地域では飯塚農場だけである。特別融資を受けて設置することができたのだという。「雪も地域の資源だからな」と飯塚さんは笑った。

逆転の発想で苦難を乗り越え、とにかく明るく前向きで探究心も旺盛だ。飯塚さんの人柄もあり、家族が一丸となり、和気あいあいと作業している姿が印象的だった。

八色スイカ
飯塚さんが作る減農薬特別栽培「八色スイカ」の糖度は平均14度以上

通年奥に雪が積まれている雪室
通年奥に雪が積まれている雪室。庫内の温度を2〜4℃、湿度を70〜90%に保つことで、米や野菜のでんぷんの糖化が促され、旨味が増すという

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