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農林水産省

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日本の篤農家 第17回

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五月女昌巳

生産だけでなく農の文化を伝承

地域や消費者とのつながりを大切にし、食農教育に力を注ぐ。


子どもの泥んこ体験も、はじめは親のほうが恐る恐る。
ところが子どもが喜ぶ顔を見て、親も理解するんだね。
五月女昌巳さん

そうとめ・まさみ
そうとめ・まさみ
昭和20年、栃木県大田原市に生まれる。
昭和38年、栃木県立那須農業高等学校卒業。
昭和57年、栃木県農業士認定。
昭和58年、栃木県稲作経営者会議会長に就任。
平成10年、栃木県農業士会会長に就任。
平成10年、全国稲作経営者会議会長に就任。
平成10年、有限会社那須山麓土の会設立。
平成18年、栃木県RFC会長に就任。
平成19年、株式会社那須の農(みのり)取締役に就任。
平成20年、大日本農会栃木支会長に就任。
平成21年、那須ガーデンアウトレット産直会会長に就任。

五月女さんが廃材を利用して手作りしたキャラクター人形が飾ってある倉庫


五月女さんが廃材を利用して手作りしたキャラクター人形が飾ってある倉庫。この人形たちを使って43曲の童謡が歌えるそうだ

ガレージはまるで農村文化を伝える民俗資料館


ガレージはまるで農村文化を伝える民俗資料館

泥んこ体験用に借りているハウス


泥んこ体験用に借りているハウス。日頃、泥になじみのない子どもたちは大はしゃぎ。田植えも喜んでするようになるそうだ
消費者との交流に力を注ぎ、農村文化の発信に務めている五月女昌巳さんを訪ね、栃木県大田原市に向かった。

庭に入ると、すぐ脇に農機具が並ぶ大きなガレージがあった。農機具の中には、牛馬に引かせた鋤や千歯こき、籾すり機など古い時代のものもある。それぞれに説明書きが張り付けられており、何に使う道具かが、ひと目で分かるようになっていた。

挨拶もそこそこにガレージの話を聞くと、日本人にとって大切な稲作文化を伝えるために、「起こす(田起こし)」「掻く(代掻き)」「塗る(畦塗り)」「植える」「草を取る」「刈る」「運ぶ」といった、それぞれの時期の水田作業に使う新旧の道具を展示し、消費者交流会や体験会に訪れた人たちに見てもらっているという。「これも食農教育の一環です」

五月女さんは稲作と葉タバコ栽培を柱に営農していた農家に生まれ、後を継いだのだが、就農した時期を聞いて驚いた。小学4年生のときに、英語やそろばんの塾の学資を自分で稼ぐために鶏10羽を買ってもらい、養鶏を始めたというのだ。その卵を町で売り歩いて得たお金が、五月女さんが初めて農業で手にした収益だったという。

中学3年生のときには、その採卵養鶏で貯めたお金で和牛を買い、肥育を始めた。徐々に頭数を増やし、高校を卒業するまでに貯めたお金で、当時はまだ珍しかった外国製30馬力のトラクターを買ったのである。

五月女さんは農業に関わることには何ごとにも研究熱心で、精力的に行動してきた。

21歳で渡米して養豚を学び、帰国後は大型経営の基盤をつくるべく山林を購入。標高差を利用した米や野菜の栽培に着目して、順調に規模を拡大していった。

そのうち地域への貢献を考えるようになり、仲間とともに機械の共同利用による地域営農の基盤を作り始める。米、大豆、ウド、麦を2年3作、あるいは3年4作で作付けし、減農薬・減化学肥料の米づくりを実現。

「大豆の根につく根粒菌によって米づくりに適したいい土ができ、ウドのあとには土が適度に掘り起こされて、これまた米づくりに好影響を与えるんだよ」

そのように生産した減農薬・減化学肥料の農産物を、消費者にきちんと理解してもらいながら販売したい。五月女さんは消費者と顔の見える関係を結べる産直組織の設立にも奔走する。

平成20年、西武グループの那須ガーデンアウトレットがオープンすると、その中に地域の有志とともに「ロコマーケット」という直売所を開設した。並行して、消費者交流会も積極的に行うようになったのだ。

「農業者も作りっぱなしはダメ。農政に意見するにしても、消費者の理解や信頼が得られなければ、農業者の要求は通らない。農地や水、環境の保全だけでなく、食や農業そのものについてもっと消費者と話し合い、次代に続く農業を支え合っていかなくてはいけない」

農業も大規模経営だけが生き残る時代ではないと五月女さんはいう。農村文化を伝え、農業への理解や支持を広げる経営のあり方を模索し、実現してきた五月女さん。

ガレージとは別の倉庫には、五月女さんが手作りしたキャラクター人形が並べられている。これがまた食農教育に一役買っているという。8月末には観光ジャガイモ掘りに参加した人が3000人を超えたそうだ。次はどんな発想で、何をするのか、楽しみにさえなる元気な方だった。

Photo:Atsushi Soumi