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農林水産省

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日本の篤農家 第19回

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宮田光雄

中山間地域の活性化を目指す

リンゴとブルーベリーの栽培を通して積極的に村づくりに参画


観光果樹園として、訪れた人たちに喜ばれ、
川場ならではの果物の美味しさを知ってもらうことが務め。
宮田光雄さん

みやた・みつお
みやた・みつお
昭和12年、群馬県川場村に生まれる。
昭和29年、リンゴ栽培に着手。
昭和50年、ブルーベリー栽培に着手。
昭和58年、川場村村議会議員に就任(~同62年)。
昭和60年、3ヘクタールの土地に1万本を植え、ブルーベリーの丘を作る。
平成9年、利根沼田リンゴ研究会会長に就任(~同11年)。
平成10年、「川場田園プラザ」の裏山に5000本を植え、「ブルーベリー公園」を作る。
平成10年、日本ブルーベリー協会理事に就任し、現職。
平成11年、川場村農業委員会会長に就任(~同14年)。

みやた・みつお

ブルーベリーの苗木は販売もしている

ブルーベリーの苗木は販売もしている

無料休憩所として使っている古い生家

無料休憩所として使っている古い生家

桑の葉

桑の葉

料理を引き立てる紅葉したブルーベリーの葉

料理を引き立てる紅葉したブルーベリーの葉
今回訪ねたのは群馬県川場村で、リンゴとブルーベリーを柱に営農している宮田果樹園。農園主、宮田光雄さんは地域でいち早くリンゴ栽培を始めた人である。

宮田さんの家は養蚕農家として120~130年の歴史をもつ旧家だった。もともと群馬県は養蚕が盛んな地域。繭の生産量は全国でもトップクラスである。

ところが宮田さんが11歳のときに父親が結核で亡くなり、後を追うように母親も他界。宮田さんと4人の幼い妹は祖父母の世話になる。大黒柱だった祖父が病に倒れたのは宮田さんが中学2年のとき。「中風だった」と宮田さん。

高校に入学するも出席できる日は少なく、病気の祖父と年老いた祖母、4人の妹を養うために田畑で働き続けた。そのころ生糸の国内需要はまだあったものの、中国や韓国から安い生糸が輸入されるようになっていた。宮田さんはより収益性の高い作物を模索する。いろいろ調べた結果、標高があり昼夜の寒暖差がある川場村には、果樹の栽培が適しているのではないかと思い至る。そして昭和29年、リンゴの栽培を始めた。

しかし、周囲の風当たりは思いのほか強かった。蚕のエサとなる桑は無農薬での栽培が基本。ところがリンゴ栽培には病害虫予防に農薬が必要だった。養蚕農家は宮田さんのリンゴ栽培にこぞって反対した。「後で聞いた話では、村の人たちは私のリンゴ栽培をずい分心配していたらしい」

数少ない理解者もいて、宮田さんはリンゴの苗木を植えた。10年間は赤字続き。養鶏や野菜づくりで家計を支えるうちに、養蚕業は斜陽の一途をたどっていった。

いつしか周辺にも果樹農家が増えていた。群馬県ではほかの産地との差別化を図るため、果樹の品種改良に積極的に取り組んできた。宮田果樹園で栽培している「あかぎ」「陽光」「ぐんま名月」も、群馬県で開発された品種である。

宮田さんはリンゴだけでなく、ブルーベリーの特産化にも努めた。県で開発し、品種登録された「おおつぶ星」「あまつぶ星」「はやばや星」の栽培に力を入れている。「カタカナ名のブルーベリーとひらがな名の国産品種が並んでいたら、どっちを買う?」と宮田さん。

「ブルーベリーならリンゴと収穫期が重ならない。夏季はブルーベリー摘みで地域が活気づくはず」

道の駅「川場田園プラザ」の裏山は、無料でブルーベリー摘みができる「ブルーベリー公園」になっている。そこに植えられた5千本の苗木は、宮田さんが無償で提供したものだ。「ブルーベリーは無農薬で栽培している。子ども連れでも安心して楽しめる場所だよ」

自分を支えてくれた地域への恩返し。そして、祖父母の世話をした若い日に、働けない高齢者の辛さを身にしみて感じた宮田さんは、地域に持続可能な農村ビジネスを起こし、高齢者も生きがいをもって働ける場を提供したいと考えるようになった。

真っ赤に紅葉したブルーベリーの葉は、料理の飾りにもってこいだと気付く。四国の過疎の村が葉っぱビジネスで活性化したように、地域の高齢者のためにブルーベリーの葉っぱビジネスを始めた。

「ブルーベリーは低木だから、車椅子のお年寄りでも葉っぱを摘むことができる。自分と孫にあげるくらいの小遣い稼ぎにはなる」

今、桑の葉を使ったビジネスも進めている。ブルーベリーの葉っぱビジネスと同じ理由だ。宮田さんは言った。「子どもには自然を、年寄りには仕事を。これ、大切なことだよね」

Photo:Atsushi Soumi