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農林水産省

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affインタビュー 第46回

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青木定治さん

買ってくださった方に喜んでもらえ、見た目にも元気が出るようなパリ菓子を作り続けたい。

21歳でフランスに渡って20余年。世界を股にかけ、今、パリではだれもが認める菓子職人として活躍している青木定治さんに、お菓子作りへの思いを語ってもらいました。
あおき・さだはる
あおき・さだはる
昭和43年、東京都に生まれる。21歳でパリに渡る。有名店で修業を積んだのち、平成10年にパリにアトリエを開設し、平成13年、パリに初の店をオープンさせる。現在では東京に3店舗、パリに4店舗、台北に1店舗をかまえるまでとなった。平成22年の実績を高く評価され、フランスのガストロノミーのガイドブックとして有名な“pudlo(ピュドロ)”より「2011年度最優秀パティシエ賞」を受賞。パリ在住で2児の父親でもある。

ひと目を引くビビットな色彩は実に青木さんらしい

チョコレートのミシュランとも言われる「Le Guide du Club des Croqueursde Chocolat」で、4つ星(4タブレット)を受賞した青木さんの「Bonbon chocolat(ボンボンショコラ)」

マカロン

マカロン(一番下)をはじめ、チョコレートのミシュランとも言われる「Le Guide du Club des Croqueursde Chocolat」で、4つ星(4タブレット)を受賞した青木さんの「Bonbon chocolat(ボンボンショコラ)」(上から3番目)など、ひと目を引くビビットな色彩は実に青木さんらしい

日本の食材を伝統のパリ菓子に活かす
パリを拠点に活躍している青木定治さんが一時帰国するというので、東京・丸の内にある彼の店にうかがった。人懐っこい人柄とテンポのいい会話に、どんどん引き込まれてしまった。

「叔母が料理学校をやっていましたし、料理やお菓子作りは子どものときから好きでしたね。父方の親戚にはフランスに造詣の深い人間が多く、『ああいう文化のある国で、何かを身につけるのはすごくいい。勉強すればするほど、違う資質が出てくるような分野に進むと面白いのではないか』などと言われて、その気になったのかなあ」

高校卒業後、調理師学校で学び、東京・表参道にある洋菓子店で修業を積んだのち、21歳で単身フランスへ渡った。

アルバイトをしながらお菓子作りを学ぶうちに、やがてあちこちから声がかかるようになる。「今度ここでパーティーがあるから、デザートを作らないか」と誘われれば、フランス国内はもとより、イギリスでもイタリアでも、どこにでも行って腕を披露した。

「これ、と思ったら、それだけに集中するタイプなので、お金がないことも苦にならなかった。組織に所属しているわけじゃないので、すべて自分で開拓していくしかないでしょ。外国人としての壁を感じたこともありません。お金がない分、体と頭を使いましたね」

青木さんがフランスに渡った当時、エクレアやマカロンといった歴史の古いパリ菓子はすたれ気味で、ムースを主体としたお菓子が主流だったという。

「僕がパリで看板を上げる以上、もともとあった伝統的な形から入って、さらにそれを進化させようと思っていました」

青木さんは、ユズ、ゴマ、抹茶、ワサビなど、日本の食材を使ったお菓子を数多く作っている。素材を知っているからこそ、斬新な使い方ができるのだろう。

パリで5本の指に入るパティシエに
洋菓子界には「パティシエ」とは別に、チョコレートを専門に扱う「ショコラティエ」と呼ばれる職人がいる。チョコレートはとてもデリケートな素材で、温度調整ができる工房が必要だ。

青木さんは4年前、多額の設備投資をして、チョコレートの工房を作った。コンピュータを導入し、人が扱う以上の細かい制御を可能にした。そして、それまでの作業をすべてデータ化し、原料の組成割合を決めているという。

そうした努力が実を結び、平成21年、フランスのショコラ業界でもっとも権威があるといわれる有名クラブの「ショコラティエ・ベスト100」で、日本人として初めて、2番目に評価が高い4つ星に選ばれたのである。定番となった青木さんの「ボンボンショコラ」にも、ワサビやユズなど日本の食材が使われている。

現在、青木さんは新たなお菓子の試作を重ねるかたわら、フランス、台湾、日本に500人近くの従業員を抱える経営者として、多忙な毎日を送っている。しかし、本人は至って楽しそうだ。

「自分が何か感じたものがあれば、貪欲に取り入れていく。自分なりに、こんなふうに人を喜ばせたいという思いが強いので、僕の手法はどんどん変化していきます。これからも、買ってくださった方に喜んでもらえ、元気が出るお菓子を作って行きたいですね。何でもいいから心に残るような、話題になるような店で在り続けたい」

青木さんは屈託のない笑顔で、そう語ってくれた。