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affインタビュー CLOSE UP 仕事人 Vol.03

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和菓子職人
佐々木 勝 さん

和菓子を作り続けて50年。
多くの弟子を育て、和菓子業界の振興と和菓子の普及に努める「菓匠京山(かしょうきょうざん)」店主、佐々木勝さんにお話を伺いました。
佐々木 勝 さん

ささき・まさる
ささき・まさる
昭和20年、樺太生まれ。北海道小樽市の「高山菓子舗」で修業を積み、東京都世田谷区にある「たちばな」を経て、赤坂「塩野」に入社。その後、神奈川県横浜市の「新月」、千葉県市川市の「松月堂」の工場長を歴任し、昭和51年、市川市行徳に「菓匠京山」を、平成4年、同市富浜に2号店である妙典店をオープンする。千葉県技能大会で県知事賞、また日本食生活文化財団食生活文化賞で銀賞を受賞したほか、平成17年には千葉県卓越技能「千葉県の名工」に選ばれる。現在、東京製菓学校、日本菓子専門学校、東京調理師専門学校で講師を務めるほか、千葉県菓子高等職業訓練校では校長を務めている。

完成した「撫子」

完成した「撫子」

佐々木さんならではの工夫を凝らし、手作りの伝統を重んじた煉切

佐々木さんならではの工夫を凝らし、手作りの伝統を重んじた煉切。四季を愛でる日本人の心が映し出される。(下)通常の3分の1程度の大きさの煉切も店頭に並ぶ

生菓子の場合は一度に50個くらい作るそうだ。あまりに動きが早いのでいったん手を止めてもらって撮影した

生菓子の場合は一度に50個くらい作るそうだ。あまりに動きが早いのでいったん手を止めてもらって撮影した

素材は徹底的に吟味し、厳選している

素材は徹底的に吟味し、厳選している。主要な材料である豆には特にこだわっている。小豆は兵庫県春日町で限定生産されている「丹波大納言小豆黒莢(しょうずくろさや)」を使用。煮詰めても形が崩れず、光沢があって美しい小豆だ。砂糖は氷砂糖、鬼ざら(粒が粗いざらめ)、ざらめ、和三盆など、作る菓子によって使い分けている

東京メトロ東西線の「妙典(みょうでん)」駅が最寄りの妙典店

東京メトロ東西線の「妙典(みょうでん)」駅が最寄りの妙典店。行徳土産として創作した銘菓「武蔵鐔(むさしつば)」や「鴨場(かもば)の月」も並んでいる

「菓匠京山」
妙典店
千葉県市川市富浜2-5-3
TEL 047-359-8888
行徳店
TEL 047-397-8718

Photo:Eri Iwata

花鳥風月すべてに目をこらし、よく観察することが大事です。
その心眼が素材の思いをくんだ上質な和菓子を作り上げるのです。

15歳で和菓子の道へ
佐々木勝さんは、20代のころから卓越した技術で頭角を現し、平成9年には明治神宮例祭における和菓子の奉献式(ほうけんしき)(※)で「煉切(ねりきり)の儀」を披露した和菓子業界の重鎮(じゅうちん)である。

にもかかわらずご本人は、近付き難い雰囲気を微塵も感じさせない、いたって気さくな方だった。

佐々木さんは、昭和20年8月に4人兄弟の末っ子として、樺太(からふと)で生れた。終戦後、家族で命からがら北海道松前町にたどり着く。生後まもなく、樺太で網元をしていた父が、病気で亡くなるという哀しい出来事があった。

当時、中学校卒業後、すぐに就職することは珍しいことではなかった。佐々木さんは知人の計らいで、小樽市の「高山菓子舗」に就職する。

「船酔いするので漁師はダメ。陸の仕事なら何でもよかったんです」と佐々木さんは笑ったが、幼少期から手先が器用で、粘土細工はお手のものだったというから、和菓子職人への道は決められていた道だったのかもしれない。

今でも佐々木さんが師匠と仰ぐ高山良介氏の下で、朝はだれよりも早く工房に入り、店に並んでいる菓子をスケッチしては図案の勉強を重ね、15歳から5年間、修業を積んだ。

修業期間が明けて東京に上京した後は、東京・赤坂に店舗を構える「塩野」で働くという念願もかなえた。「塩野」は政財界、花柳界からひいきにされている高級和菓子店。佐々木さんは20代で「塩野」の職長にまで上り詰めた。

そして、30歳にして「菓匠京山」をオープンさせたのである。

和菓子は心で作るもの
和菓子は「生菓子」「半生菓子」「干菓子」に分けられるが、生菓子でも、作ったその日に食べる「朝生菓子(あさなまがし)」、手技の技術を生かした「煉切」に代表される「上生菓子(じょうなまがし)」などがあり、細かく分類するのは難しい。

季節の煉切を作るところを見学させていただいた。

手の動きがあまりに早くて、目で追うことが出来ない。桃色の餡玉(あんだま)を右手に持ったかと思うと、左手から運ばれた白い餡が桃色に混ざり、薄い桜色のぼかしが入った「撫子(なでしこ)」の餡玉が出来上がる。

花の形を刻むヘラは、既製のヘラから削り出して作った世界に1個しかない道具だ。これで世界に1個しかない煉切を作る。

「季節物の煉切は毎月6種類なら6種類、バランスを考えて同時に考案します。色合いがかぶらないように、花ばかりでもつまらないから、季節の題材を自分の感覚で取り入れて作り上げます」

そう言っている間に10個の「撫子」が出来上がっていた。この技を学びたくて「菓匠京山」の門を叩いた弟子は40人。

「いつも若い子にはこう言っています。100個同じものを作る技術は、最初に身に付けなくてはいけない。でも1個見て99個見なくても分かるようなお菓子は、私は嫌いだ。1個見て、あとの99個見たくなるようなお菓子を作りなさいと。そのほうが作り手も楽しいし、緊張感が生まれます」

「弟子の仕事を見れば師匠が分かる。今までいろんな名人の先生に出会ったけれど、人格的にうちの師匠以上の人はいません。師匠の名に恥じない仕事をしたい。有名になったり、金持ちになると暮らしぶりや言動が変わる人がいますが、そういう人は一流じゃないと私は思います。仕事は心でするもの。『実るほど頭を垂れる稲穂かな』ではありませんが、和菓子の世界で名人になった人は皆、腰が低いですよ」

そういう佐々木さんこそ「名人」と呼ばれるにふさわしい方だった。


※)全国の菓子業者からなる明治神宮菓道敬神会(かどうけいしんかい)が、毎年、明治天皇の誕生日である例祭に菓子を奉納する催し。「煉切の儀」は明治神宮菓道敬神会の中から選ばれた和菓子職人が、明治神宮の本殿前で和菓子(煉切)を作り、それを神職が神前に供える儀式。