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明日をつくる 東日本の復旧・復興に向けて vol.10

近隣の支援に応えて再建 繁殖成績がトップレベルに

青森県おいらせ町  有限会社岩徹(いわてつ)養豚




東日本大震災の津波被害により施設が壊滅、豚をすべて失った有限会社岩徹養豚。
周辺住民などの温かい支援を受け、家族が結束して経営再建を果たし、震災前をしのぐ出荷頭数を達成しています。
青森県おいらせ町


飼育しているのは繁殖能力の高いニューシャム(ハイブリッド豚)。愛情をこめて育てている
飼育しているのは繁殖能力の高いニューシャム(ハイブリッド豚)。愛情をこめて育てている


海岸近くにある養豚場でエサの準備に取りかかったそのとき、津波の到来を知らせる叫び声が聞こえました。青森県おいらせ町の有限会社岩徹養豚、代表取締役の岩崎徹男さん・幸子さんご夫婦は急いで軽トラックに飛び乗り、背後10メートルに迫った津波から間一髪で逃れました。

廃業を思いとどまらせた近隣の人々の支援
1977年に起業し、当初50頭だった母豚を200頭にまで増やした岩徹養豚でしたが、6棟の豚舎のうち5棟が全壊して、1500頭が津波にのまれてしまいました。

あまりの被害の大きさに「呆然として廃業を覚悟した」という徹男さんを踏みとどまらせたのは近隣の人たちでした。

震災後、自発的に集まった人たちが、逃げ出していた豚を懸命に集めてくれたのです。

その後も、近隣の人たちや駆けつけた多くのボランティアががれきの撤去などの作業を手伝ってくれたほか、三沢基地(飛行場)の米兵たちも休日ごとに家族連れで手伝いにやって来ます。

農家から敷きワラをもらうお返しとして、それまで提供していた液肥は開発に6年かけたもの。農家の人たちからは「また液肥を作ってほしい」と励まされました。

650頭の豚が生き延びましたが、その後、水やエサが確保できずに譲渡や早期出荷を余儀なくされ、全頭を失うことに。それでも多くの人に助けられながら復旧作業に取り組むうち、「再開しよう」という気持ちが強まりました。

しかし事業再開の費用は多額で借入金も大きくなります。後継者である2人の息子さんにはためらいもあったようですが、家族でよく話し合い、震災1カ月後に経営再建を決めました。

費用総額は3億9000万円で、国の東日本大震災農業生産対策交付金を受けたほか、おいらせ町からの助成金もありました。金融機関の融資を受けられたのは「震災前に土地を確保していたことが大きかった」と言います。

将来の事業規模拡大のために購入していた内陸の土地で2011年9月から建設を始め、震災から1年半後、2012年9月に新たな施設が完成したのです。

新しい畜産技術に対応し短期間で黒字化に成功
「公的な助成を受けた以上、失敗はできない」という強い思いから、分娩施設を被災前の200頭から220頭に対応できる設備に拡充したうえで効率的な飼養管理システムを導入。種豚交配から人工授精方式への切り替えを進めました。

「息子たちが最新の繁殖技術を学んだことで、国内トップクラスの繁殖成績を出せるようになりました」

1母豚当たりの平均的な出荷頭数は20頭ですが、岩徹養豚では28頭まで上がり、年間出荷頭数は被災前の約4000頭から約6200頭に増加しています。当初計画をはるかに上回り、経営は短期間で黒字化しました。

「早期に施設を倍の規模にしたい」と言う徹男さんは「震災後に支えてくれた人たちへの恩返しのためにも、被災したことを逆にチャンスに変えるという前向きな気持ちで、これからもチャレンジしていきます」と語っています。

左から、次男の徹さん、妻の幸子さん、岩崎徹男さん、長男の大輔さん
左から、次男の徹さん、妻の幸子さん、岩崎徹男さん、長男の大輔さん

以前から確保していた海岸から2キロメートルほどの山間の土地に建設した養豚施設
以前から確保していた海岸から2キロメートルほどの山間の土地に建設した養豚施設

防疫体制を追求。豚舎、堆肥舎、自動給餌装置などを整備した
防疫体制を追求。豚舎、堆肥舎、自動給餌装置などを整備した

青森県おいらせ町二川目(ふたかわめ)地区沿岸部も甚大な津波被害を受けた
青森県おいらせ町二川目(ふたかわめ)地区沿岸部も甚大な津波被害を受けた


文/下境敏弘


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