ホーム > 基本政策 > 各種懇談会概要 > 地域リーダー・有識者との意見交換会 > 平成22年度第8回地域リーダー・有識者との意見交換会の概要
更新日:23年4月11日
担当:総務部総務課
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関東農政局では、施策の推進に当たって、現地での取組や経験を十分に学びつつ進めることが重要との考えから、各地域で先進的、独創的な取組を進めている地域リーダーや有識者を招聘し、講演を聞き、関東農政局職員及び一般参加者等との意見交換を行う会を定期的に開催することとしています。 |
平成23年2月21日(月曜日)16時00分~17時30分
さいたま新都心合同庁舎2号館5階共用研修室5A
「田園理想郷の実現に向けて
~農業を核とした地場産業の発展と雇用創出の軌跡~」
群馬県利根郡川場村むらづくり振興課長 宮内 実 氏
関東農政局長、局次長ほか局職員、県、市町等
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川場村の概要
群馬県利根郡川場村の宮内と申します。
本日は、講演時間を1時間程度いただきましたので、今までの川場村の取り組み、それと農業プラス観光のむらづくりを行ってきましたので、そのことについてお話をさせていただきます。
川場村は、北関東の外れにある小さな村です。明治22年の4月1日、町村制の施行に伴い、
今の川場村ができましたが、それから、明治の合併、昭和の合併、平成の合併もせずに、ずっと単独の村でやってきました。今、全国で村と名乗っているのが180村ぐらいだそうですから、だんだん絶滅危惧種的になってきているんでしょうか。しかし、私どもはこの村を誇りに思っておりますし、何とかこの村を残していきたいと思っております。
村の面積は、8,500ヘクタールです。人口は、平成7年が4,273人、平成12年が4,139人、平成17年が4,179人と推移してきております。
川場村は昭和46年からずっと過疎で、平成12年に過疎から脱却しました。名誉なわけですが、財政的に言いますと大変なことでございました。過疎ですと、過疎債が適用されたり、学校等を造る場合には補助金が嵩上げされたりします。過疎代行の下水道、道路があり、過疎自体はありがたかったわけですが、平成12年から、いよいよもって過疎から脱却し、独立しなければならなくなりました。このことは、村でも予測していましたので、平成元年頃から平成12年の間に、村のインフラ関係を無理して実施しました。村の学校を建てかえてしまう、各地区の集会場を造り直す、消防自動車は新車にする等主な建設物等は過疎のうちにやってしまいました。
農地は、548ヘクタールです。農業プラス観光のむらづくりで、農業村と言っているわけですけど、農地はもう600ヘクタールしかないわけです。農家戸数が約600戸くらいですから、平均すると1戸当たり約1ヘクタールですので、小規模な農業をやっております。
農業はどんなことをやっているかと言いますと、コンニャク、酪農、米、リンゴ、ブルーベリー、ブドウ、トマト、キュウリ、ナスと多品目です。川場村でできないものは、柑橘類とお茶ぐらいでして、それ以外は殆どできるだろうと言われているような、何の作物でも作れる村なんですが、これといった特産物がなく、少量多品目の農業をやっています。
産業構造は、現在は第1次産業が28%、第2次産業が24%、第3次産業が47%ですが、昭和50年代ですと第1次産業(農業)が60%でした。それから30年たち、第1次産業から第3次産業へ、どちらかというと観光産業のほうに産業構造が推移していったというのが現状です。
村の予算額は、21億円~22億円ですが、過疎から脱却する前の予算規模は平成10年で、予算額が大体45億円でしたので、今現在はもうその当時の半分以下になっています。
村の職員は、現在58名、組織は、総務課、住民課、健康福祉課、むらづくり振興課、田園整備課で、私は、むらづくり振興課ですが、様々な企画立案をし、そのほかに、世田谷区との交流も担当しています。
「農業プラス観光」のむらづくり
川場村は昭和50年、1975年に農業プラス観光のむらづくりをしていこうと、時の村長が宣言しました。それ以来4人の村長が替わりましたが、ずっと農業プラス観光のむらづくりをやってきたわけですから、一貫して仕事が出来ているというのが、今までの流れで大きかったんじゃないかなと思っています。
行政マンとして楽だったことは、到着地点というのがわかっておりますので、村長は何を求めているのか、議会は何を求めているか、村民は何を求めているかというのが、それほどいろいろ詮索せずに、何とかむらづくりとして、首尾一貫してできたというのが一番大きかったと思います。
それで、最初に農業プラス観光のむらづくりをするにあたって、川場はあくまでも農業が基本の村で、観光はそれを補填されるものであるから、農業で何とか食っていかなければならない。そのために、最初に実施したのが圃場整備です。1977年、昭和52年頃から始めたわけですが、県営圃場整備を十何年ずっとやっていました。
私どもの地域は、中山間地域で、村の一番奥に上州武尊、武尊山という2,158メートルの山から南に扇状に開けた土地で、そこに農地が広がっている村です。農地は、村全体の面積のわずか7%ですが、そこに村民の大部分が住んでおり、農地もほとんどここに集約化されております。
圃場整備によりある程度農業基盤ができ、次に農家が、米、野菜、酪農、果樹と集約化して実施することにより、農業でそれなりに食べていけるようになったわけです。
それから、次に観光を手掛けるわけなんです。
外からお客さんを迎えるために、ホテルを造ることになったわけですが、民間の方にお願いしても、なかなか川場村みたいなところでホテル経営しても儲からないと、誰もやってくれない。しょうがない、じゃ村でホテル経営しようということになり、村がホテル事業を始めたわけです。
当時、北海道の室蘭線を走っていましたD51と北陸線を走っていましたB寝台6両を旧国鉄さんから安く譲ってもらい、それを村の役場の前の桑畑の中に据えつけ、SLホテルにしました。その前方に管理棟、食堂、風呂、体育館を造って、青少年を迎えることとしました。
それが昭和52年でした。初めのうちは本当に県でも、こんな小さな村だし、大丈夫かと心配していただきました。その後、北関東の外れの小さな村に、変わったものがあるということで、東京方面から、だんだんとお客さんに来ていただくようになり、ようやく農業プラス観光の成果が現れてきました。
農業プラス観光で、外からお客さんがだんだん入ってくるようになった当時は、川場の年間の入り込み客数はどのぐらいかというと、大体2万人/年ぐらいでした。国道120号線が川場村から約5、6キロのところを通っていますが、たまに間違って人が入って来るくらいで、そうじゃないとほとんど人は来ない村です。そこに観光客を迎えたいと。村の主要道は県道しかなく、役場の前に信号機が1つしかない時代もありました。
世田谷区との縁組協定
それで、お客さんが来るようになってきてから、今度は昭和56年に世田谷区と縁組協定を結んだわけです。5年間は、世田谷区の住民の方に川場村を知っていただけるように予備活動を行いました。そして、昭和61年に世田谷区で「ふじやまビレジ」、「なかのビレジ」という宿泊施設を造っていただきました。世田谷区は、現在人口が87万人で、川場村は4,000人ですから、その倍率は200倍以上です。世田谷区の面積はどうかというと、52キロ平米です。川場村は85キロ平米です。だから、川場村は世田谷区より、面積は大きいんですが、人口は1/200です。
「なかのビレジ」は、川場の景観に対して配慮をいただき、わざわざ等高線上に一回土を掘りまして、そこに鉄筋コンクリートの建物を造りまして、その上にまた土をかぶせて、今の屋上庭園みたいな感じに今から25年前に造っていただきました。
もう一つのふじやまビレジは川場の養蚕農家をもとに建てていただきました。その当時は川場村より、世田谷区が川場村の景観について良く知っていました。と申しますのは、世田谷区は2年間にわたり、東京農業大学の造園学科の方々に、川場村の地形、環境、景観の調査を依頼し、それを基に施設を造っていだきました。
次にレンタルアップルについて説明します。レンタルアップルとは、都市住民の方に1年間、1万5,000円程度を支払っていただき、リンゴの木のオーナーになってもらう制度です。オーナーになって貰うことにより、春に花摘みと摘果、夏休みにはリンゴの実が青くなりその下で家族でお弁当を食べて帰る、秋になると自分の木のリンゴが収穫できるわけです。農業がやりたくなって何回も来てくれる。リピーターになってくれるわけです。そして、何とはなしに世田谷区の方と親戚づき合いができるようになりました。
世田谷区と縁組協定を結んだ当初は、村民から非常に拒否反応が出ました。「世田谷区から若い女の子がハイヒール履いて来て、村内をウロウロ歩ったんじゃ、農家の若い衆は気が散って仕事にならない。」という意見が出ました。しかし、世田谷区の方が、「そんなことはありません。川場に来る人は皆ズック靴をはいて、リュックを背負ってGパン履いて来ますから、ハイヒールでミニスカートを履いて来るような人は来ませんから大丈夫です。」と言われ、ようやく村民にも納得して貰い、何とかこういう縁組協定ができました。
次に、「なかのビレジ」周辺の80ヘクタールの民有地の里山を「友好の森」と命名し、川場村と世田谷区で共同でこの山を守っていこうと取り決め、ボランティアを募って、やまづくりを始めるわけです。そのきっかけは、バブル全盛期の頃、なかのビレジ周辺に150ヘクタールのゴルフ場の建設が計画され、地権者の人の大体8割が、開発に賛同してしまったんです。私どもと世田谷区は、川場村の環境なり自然を守っていきますよ、ですから世田谷区さんおいでいただけませんかという協定を結んだわけですけど、周りが全部ゴルフ場になってしまって、「本当にそれでいいのかい。」という話になりました。
それで、村民の方、地権者の方と何度か話し合いまして、ゴルフ場を造るんじゃなくて、何とかこの山を残そうじゃないかという結論に到達し、地権者の方にも納得していただきました。
世田谷区からは、毎年約7万人ぐらい、のべ150万人の方が川場村に訪れていただいています。世田谷区の人口が85万人ですから、大体人口の倍ぐらいの方においでいただいたことになります。一番、来ていただいたのは各小学校の5年生の方で、5月の連休明けから10月いっぱいまで2泊3日で来ていただいています。公立の小学校が64校ありますので、その小学生だけで今6,000人くらいいます。その子どもたちは必ず川場村に来ます。
それで、その5年生が卒業作文で書くのが、9割方川場村のことだそうです。私ども、今、世田谷区内で、年間で50日から60日くらいイベント、物産展を開いています。世田谷区と交流を持ち始めた当初は、川場村といってリンゴを持っていくわけですが、売れないんですね。
全然、川場村の知名度がありませんでしたから。今はどうかというと、小学校の5年生がお母さんの手を引っ張ってくるんです。川場のヨーグルトおいしかった、川場のリンゴおいしかったと、買って帰ってということで、お子さんがお母さんを連れて来てくれる。うちの孫がお世話になったからということで、おじいさんが来てくれます。
世田谷のぽろ市では、コンニャク婦人部がけんちん汁を作り、2日間で4,000杯ぐらい売上げ、その売上げで海外研修に行っています。このように世田谷区との交流は村民にも大きなインパクトを与えています。
それに、世田谷区は職員だけで4,000人以上いるので、何か事案がありますと、私どもは世田谷区役所へ問合せし、「今度はこういう問題があるんだけど、お知恵を拝借できませんか。」と言うと、「どこそこにこういう先生がいらっしゃる。」とか、「どこそこにこういうところがあるから行ってみては。」とか、川場村は、要は大きなシンクタンクを1つ世田谷に持っているようでございまして、それをうまく使わせて貰っています。
田園プラザ整備事業
世田谷区とだんだん交流がうまく行くようになり、今まで2万人だった観光客が、SLホテルができて10何万人、健康村ができて30万人、川場スキー場ができて70万人と観光客が増えてきますと、村内からも観光客からも村に対する批判が出てくるわけです。
村民からは、スキー場ができ、首都圏からの観光客の車が午前3時~4時頃に、どんどん村内に入って来て、トイレが途中にないため、村民を起こして、トイレを貸して貰う。
観光客からも、トイレ、降雪時にチェーンを巻く場所、情報を得る場所、休憩をとる場所、飲食する場所、川場村のお土産も買う場所もないと。そうすると、何もないわけです。SLホテルがあるだけで、あとは小さな商店があるだけですから、お叱りを受けるわけです。
村民も、今度は自分の農産物を直接売る場所が欲しい、若い人たちが働ける場所が欲しい、自分のところで農産物を加工して、それを売ってみたい、自分たちだって、夜一杯ぐらい飲みたいから食事がとれる場所が欲しいと。そういうものを造って欲しいということになり、次に、田園プラザの建設に着手することになりました。
最初にミルク工房を手がけたきっかけは、その当時、外国から安価な生乳が入って加工乳になると、北海道の生乳が余ってしまい、それを首都圏に販売してくる。そうすると、酪農県の群馬県は、首都圏に販売していることから、その売る場所がなくなってしまうため、自分たちの酪農ができなくなってしまうんじゃないか、という危機感のもと、最初にミルク工房の創設に取り組みました。
それで関係者にお集まりいただいて、プロジェクトを立ち上げました。ミルク工房だけじゃなくて、あれも造れ、これも造れ、との意見が出て、小さな村の中の拠点となる田園プラザを造ろうじゃないかということになりました。全部で31億円かかっていますけど、そのうちの10億円程度は国・県の補助金で、残り20億円が過疎債、地域総合整備事業債で借金です。20億円は借金としても、平均すると大体65%ぐらいは交付税で返って来るので、実際には31億円かかっていますけど、国・県から10億円、交付税で15億円措置され、実質村費から支出するのは、大体4億円から5億円ぐらいで建設でき、12年間で償還しても、年間4,000万円ぐらいで済むという財源計算を、まず最初にしました。
次に用地取得なんですが、その5ヘクタールの用地で、一番ネックとなりましたのが、農地が含まれていることから、農地転用の手続きでした。また、地権者が全部で30人くらいいて、その地権者の土地をまとめるため、2年間くらいは用地交渉の日々でした。次は各個別の工房等の開設ですが。ミルク工房、ミート工房、ファーマーズマーケットと、今度は生産物を作る人が必要になってきます。
ミルク工房を例にすると、ヨーグルト、アイスクリーム、生乳を作ると言っても、じゃ、村内の誰が作るのかというと人がいないんです。そのため、田園プラザという株式会社を創り、そこに採用した職員を企業に研修に行かせ、3カ月間、無償でいいから住み込みで働かせてくれませんかと。3カ月間働いて、基礎的な技術を身につけてくる。半年くらい職員を養成して、ようやく製品が作れるようになりました。
ミルク工房では、最初にヨーグルトだけじゃなくて、生乳とアイスクリームも作っていましたが、牛乳は非常に検査が厳しいので、今はヨーグルトに特化しております。ヨーグルトは、田園プラザのメイン商品で、ヤフーのインターネットの携帯ショップでは、常に1位か2位になっています。
次に、ハム・ソーセージ工房です。当初から田園プラザ構想の中に入っていましたが、やはり、ハム・ソーセージを作る人をどうしようかというのが一番のネックでした。たまたま世田谷区在住の方が、今、工房長をされていますが、当時、東京農業大学を卒業されて、4年間ドイツにハム・ソーセージの勉強に行っていて、マイスターの免許を取ってきました。その方のお母さんが、老人給食の「ふきのとう」というボランティア団体で世田谷区内で活動されており、川場村にもボランティアで来ていただいていたので、渡りに船と、工房長に就任していただきました。
川場村のソーセージは、ドイツ仕込みですから、4年に1回、ドイツで開催されるハム・ソーセージのオリンピックで金賞、銀賞を取っていますので、世界の中でも一番おいしいものと評価されていると思います。
次に、パン工房です。パンも田園プラザの中で焼いているわけです。川場村も田舎ですので、焼きたてのパンを食べられる場所がないため、工房を造りたいという思いがありました。パンを作るに当たっても、職人不足だったので、技術的には神戸屋ベーカリーさんと技術提携を結び、ノウハウを提供していただき、機械設備、最初のうちは職人も派遣していただきました。そして、今は職員が、米粉を使ったパンを作っています。
また、ビール工房の創設にあたっては、村内に日本酒の酒蔵が2軒あり、バッティングしてしまい、その当時、焼酎はそれほどブームでなく、ワインは川場村ではまだブドウを作っていませんでしたので、最後に残ったビールを作ることにしました。
ビールも自分達では何もできない。皆無の状態ですから、どうしようかと悩み、やはり企業と技術提携を結すぼうとお願いしたのが、サッポロビールさんです。
しかし、サッポロビールさんは、その当時、全国で小さなブリュワリーを造っていましたので、とっても人手が足りないので、川場村までは行けないということでした。しかし、粘り強く何度も交渉し、技術提携をお願いできました。
ビール工房は、日本だと割高になるので、ビールブリュワリーの製造設備はドイツから輸入しました。田園プラザのビール工房の年間売上げは、3,000万円ほどです。しかし、政府の地ビールの規制緩和が60キロですけれど、今まで60キロクリアできませんでしたが、今年は60キロに到達すると思います。やっぱり、国税局さんはしっかりしていて、60キロ以上生産して売らないとペイできないような仕組みになっているんです。そのため、今まで地ビール工房は300軒くらい日本でできましたが、もう200軒くらいつぶれています。結局、そういう商業ベースに乗れないとやっていけないことから、何とか潰れないように頑張っていきたいと思っております。
また、田園プラザのビール工房で作った地ビールは、販路を拡大するためアメリカへ向けて輸出することとなりました。
次にファーマーズマーケットです。このファーマーズマーケットというのは、川場村でも大事にしている施設です。今、川場村の農家の約半数370軒ぐらいがファーマーズマーケットに登録し、商品を販売しています。主に、高齢者とご婦人なんですが、家庭菜園でとれたような作物をファーマーズマーケットへ出してくるわけです。年商は、大体3億5,000万円から4億円です。出荷農家が370軒ですから、平均すると100万円から120万円くらいの収入があります。高齢者が自分でお小遣いを稼いでいるのですが、「病院に行って、皆さんとお薬がどうのこうのと言うよりも、ファーマーズマーケットへ来て毎日、日銭稼いだほうが楽しい。」と言っています。
今後の課題
今後の課題は、大きなものが幾つかあります。
まず、1つは少子高齢化です。お年寄りの方が多くなって、生まれてくる子どもが少ない。川場村の場合は、子どもの年間の出生数は大体30人程度なんです。1つの幼稚園、1つの小学校、1つの中学校が存続できないと、村としては存続できないと思っています。そのため、少子化対策として、中学生までは全部医療費は無料にする。出生した場合には、幾らかの手当を出す。と、いろいろな対策を講じています。利根郡の中では、川場村は、一番子育てに、いい村だと言われています。
次に、農業後継者の問題です。御多分に漏れず、川場村も専業農家というのは全部で68戸しかありません。その中で後継者がいる農家は、40戸くらいです。そのような中で農業をどうしていこうかということです。
川場村では、農業を残すために農作物のブランド化を図ろうとしています。今、お米で「雪ほたか」というブランドで販売し、全国のお米の大会で4年連続金賞をいただきました。今まで川場のお米はどういうふうに売られたかといいますと、ほとんど縁故米なんです。川場村のお米が新潟に行きまして、魚沼産に化けて売られたとか、そういうお話を聞いていました。だけど、これからはやっぱり独自ブランドで販売しなければならない。将来的にはもう少し、果物とか野菜まで独自ブランドで販売できないかと思っています。
最後の課題は、地域資源をどのように活用していくかということです。地域資源の中でも、これから石油資源がだんだん枯渇していくと、エネルギーを自給しなくてはいけない。村にあるのは、1つは森林資源、それと、太陽光、小水力とかを、いかに活用していくか、いろいろ計画づくりを進めているところです。
食料については、カロリーベースで自給できている状況ですから、あとはエネルギーを自給することによって、石油が枯渇しても、川場村は生きていける。自主自立する村を創っていけると。将来にわたって生きていくんだということを、これからも訴え続けながら、この村づくりをしていきたいなと思っているわけです。
本当にとりめのないお話をさせていただきまして、皆さん方のご参考になったかどうかというのは、甚だわからないところなんですが、本日はご清聴ありがとうございました。
Q:ミルク工房、ハム工房等の工房における原材料のうち、川場村で生産されているのは、どのくらいの量なのでしょうか。
A:それを言われると、ちょっと痛いところがありますが、牛乳、ヨーグルトは、ほぼ100%が村における原材料です。ハム・ソーセージは、川場村では豚を飼っていないので、県内の赤城の名産豚を原料として使用しています。ビールは、カナダ産のホップ、麦で水のみが川場産です。パンは、川場村のお米の米粉及び食堂で提供しているそばは、川場産のそばを収穫したものをなるべく提供するようにしています。
Q:農業プラス観光のむらづくりをするにあたって、村民のコンセンサスを得るためのご苦労、意識形成を図るためのご努力について教えていただけないでしょうか。
A:村民のコンセンサスを得るために、すぐに成果は出ませんが、村が豊かになり、村民皆さんの生活も良くなると。だから、一緒にむらづくりをしましょうよ、と粘り強く説明し、コンセンサスを得ました。
それに事業に理解を示していただき積極的に取り組んでいただいた農家の方が何人かいらっしゃいましたので、その方に続いていく農家の方の意識の醸成等を一つずつ積み上げて参りました。
Q:製品を販売するにあたって、ご苦労されたことをお聞かせ願えないでしょうか。
A:販売の最後には消費者がおりますから、一番最後には人との関わりが重要と考えます。
幸いに、川場村の場合は、大消費地である世田谷区と連携がとれました。それと、お客さんに嘘をつかず、味が良く、良質で安全な製品を作り続け、信用を得て、余り背伸びをしないで、着実に製品の購入者の裾野を広げていくことが重要と思います。
Q:講演の中で、ミート工房、ミルク工房等の創設にあたって、役場の職員の方々を民間企業に派遣されたとお伺いしましたが、役場の職員の身分をどのようにした上で、民間企業に出向させたのでしょう。
A:最初にSLホテルを造った時は、村の特別会計だったわけですから、全部、役場の職員がホテルを経営していました。
しかし、役場の職員による経営は職員の本来業務もあり、続かなくなり、財団法人を創りました。そこに、役場から1名だけ経理担当の職員を出向させていましたが、徐々に法人の職員に任せて、その後法人は解散し、今の株式会社田園プラザ川場を創設いたしました。そのため、現在は役場の職員は、誰も出向しておりません。株式会社田園プラザ川場にも役場職員は派遣されていません。全て株式会社の職員で組織されています。
以上。
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企画調整室
担当者:基本計画推進
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