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関東農政局

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1.地域の自然

位置

  中信平とは、松本市、波田町、山形村、朝日村、塩尻市と安曇野市(うち、旧梓川村、旧三郷村、旧穂高町、旧堀金村)に広がる平地で、いわゆる松本平(まつもとだいら:松本盆地)の一部を示しています。盆地のほぼ真ん中に、上高地(かみこうち)を水源地とする梓川(あずさがわ:奈良井川と合流して犀川→千曲川→信濃川)が流れており、その右岸側が松本平、左岸側は安曇野(あずみの)と呼ばれています。

  信州では、盆地のことを「平(たいら)」と呼び、県歌「信濃(しなの)の国」に歌われる「四つの平」とは、善光寺平(ぜんこうじだいら)、佐久平(さくだいら)、伊那平(いなだいら)、松本平(中信平)であり、この四つの「平」の中では、中信平が最大の広さであり、梓川両岸には約1万haの農地が広がっています。


図1

 

地形

  この盆地の中央には、いわゆるフォッサマグナの西端である糸魚川(いといがわ)―静岡構造線が南北に走っており、盆地が造られるまでには極めて複雑な成り立ちを持っています。地元には、太古、この盆地は大きな湖であり、泉小太郎(いずみこたろう)という人物が山清路(さんせいじ:生坂村)という岩山を切り開いて、湖の水を流したという伝説が残っているほどです。

  この盆地は図2でも示したように、いくつもの複合扇状地からなっていますが、特に安曇野では奇妙な現象が見られます。黒沢川(くろさわがわ)や鳴沢川など山から流れてきた水は平野へ出た途端、消えてしまうのです。そして、途中で再び姿を現し、花見(けみ)と呼ばれる湧水となって野川を形成します。これは、この盆地が礫質(小石)の多い地層からなっているためです。烏川(からすがわ)も元は、水の枯れやすい川という意味の「枯洲川(からすがわ)」だったのでしょう。梓川も小石だらけの河原で、通常は小川のような細流となっています。

  このため、特に安曇野地区は恒常的な貧水地帯であり、昔から水を得るのに大変な苦労を強いられてきました。

  また、波田町、旧梓川村には見事な河岸段丘が見られます。


図2

 

気象

  典型的な内陸盆地の気候であり、特に夜が冷え込むなど寒暖の差が大きくなります。平均気温は11度前後。年間降水量は約1,000mmで日本の平均(約1,700mm)と比べても少なくなっています。

 

河川

梓川(あずさがわ)

  北アルプスの槍ヶ岳(やりがたけ)を水源とし、上高地から流れ出てくる急流河川。松本市島内で中央アルプスから流れてきた奈良井川(ならいがわ)と合流し、犀川(さいがわ)となります。中信平の農地の大半はこの梓川を水源としています。平野に流れ出て犀川となるまでの距離は10数kmに過ぎませんが、かつてはこの川の両岸に14カ所のが設置されていました。急な勾配と礫質(小石)の多い川床のため、大雨では濁流となり、少しの日照りでも流れは小川のように痩せてしまいます。また上流で水を取ると、下流の堰にはほとんど流れてこないため、多くの水争いが発生しました。

 

奈良井川(ならいがわ)

  中央アルプスの木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ)の北にある北壁茶臼山(ちゃうすやま)に源を発し、奈良井宿(ならいじゅく)を経て北流し、松本盆地へ流れ込む川。かつては奈良井川の水は、地形上堰としての利用が難しい川でした。しかし、江戸時代に造られた勘左衛門堰(かんざえもんせぎ)、拾ヶ堰(じっかせぎ)などの横堰(よこぜき)は、梓川を横断しているこの奈良井川の水を引いています。

 

犀川(さいがわ)

  梓川と奈良井川が合流した時点で犀川と呼ばれます。犀川は千曲川(ちくまがわ)と合流し、新潟県に入り信濃川(しなのがわ)となります。合流後は松本盆地の低いところを流れるため用水としての利用は無理でした。しかし、この川から、わずかな標高差を利用して矢原村(現安曇野市)まで水路を引いた人物がいます。横堰の祖ともいえる矢原堰(やばらせぎ)を造った(うすいやさぶろう)です。

 *  詳しくは「農」と歴史 3.横堰による開発をご覧ください。

 

鎖川(くさりがわ)

  鉢盛山(はちもりやま:東筑摩郡朝日村)を水源として朝日村を流れ、奈良井川に達する延長約15kmの小河川。朝日村の水田が利用していますが川が細く、朝日村全体を潤すほどの水量はありません。現在、朝日村には梓川の水が右岸上段幹線によって運ばれています。

 

黒沢川(くろさわがわ)

  平野に出た途端、川の水が細り、ついには途中で消えてしまうという不思議な川。小石の多い扇状地にはたまに見られる現象で、「尻無川(しりなしがわ)」とも呼ばれています。この川の扇状地の集落では落ち水などを利用した原始的水路がありましたが、絶対的な水量が不足しているため、ほとんど慢性的な貧水地帯でした。

 

烏川(からすがわ)

  烏川も上流では水量が豊かですが、平野へ出ると水が潜って、痩せ細ってしまいます。おそらく「枯洲川・空洲川(からすがわ)」が転訛したものでしょう。黒沢川同様、水量が足りず、用水としての利用が難しい川です。

 

さらに詳しく

 


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