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関東農政局

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釜無川地区の歴史

徳島堰(用水路) 

 水出川(御勅使川)大氾濫によって堆積された砂礫士の荒廃地に小さな集落ができましたが、この地域は水利に恵まれず、最大の悩みは水出川の度重なる氾濫でした。

 戦国武将、武田信玄による治水事業以降、人が増え農地が開拓されましたが、水源がなく保水力がない砂礫の土地では、思うように農産物が生産できませんでした。

 1664年、江戸深川の商人徳島兵左衛門俊正は、甲府藩主徳川綱重に堰(用水路)の開削許可を得て翌年に着工し、1667年の春には曲輪田新田まで、約17kmの通水に成功しました。

 しかし、同年の夏と秋に台風の被害を受け、堰が2回にわたって大破しました。矢崎又右衛門秀長が大破した新堰の改修を行い、全線をほぼ戦前の姿にまで仕上げたとされています。徳島堰(用水路)の開削により、飯野村まではかんがい用水で潤されましたが、上八田、西野、在家塚、桃園、上今井、吉田、小笠原の7箇村には用水が届きませんでした。

【徳島用水路の歴史】

 昭和28年(1953年)、農林省直轄事業で扇状地の農業用水を確保するため、徳島堰(用水路)を基幹とする用水改良、中流部の畑地かんがい、下流部の排水改良を含めて総合土地改良調査が開始されました。

 昭和40年(1965年)10月に山梨県下初の国営事業として、釜無川農業水利事業が採択され、昭和50年3月に事業が完成したことにより、300年来、用水の供給を願う八田、西野、在家塚、桃園、上今井、吉田、小笠原の7箇村の住民の願いも実現しました。


前歴国営事業着手前の用水路

 

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