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関東農政局

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さらに詳しく  牧之原台地の開拓と茶

  明治に入ると、新政府は維新によって職を失った士族層の救済策として、各藩に未開拓地の開墾を奨励しました。いわゆるこの士族授産事業は、明治23年に打ち切られるまで、全国各地で積極的に展開されますが、その先陣を切ったのが大井川平野と小笠地域を分ける牧之原台地の開拓でした。

  明治2年、牧之原台地では、まず1,470町歩あまりの土地に、士族約250人が移住し、開墾を始めます。さらに明治3年、新政府が大井川の川越制度を廃止し、渡船を認めたことで、金谷(かなや)、島田の川越人足(かわごしにんそく※)、約1,300人あまりが職を失い、そのうち約100人が200町歩あまりの土地へと入植しました。

  しかし、川も無く、それまで人の手も入ったことのない荒野の開拓です。慣れない農作業は想像を絶するほどに厳しく、身体を壊す者、開墾地を放棄する者が続出しました。

  現在でこそ牧之原台地は、茶の栽培で全国的にも有名ですが、それはこの時の開拓者たちが、天水のみの荒れ地で労苦にまみれながら根付かせたものです。

  その後、牧之原台地には、開拓者たちの茶栽培に取り組む様子を目にした地元農民たちが、残された土地へと進出していきます。彼らは、開拓者たちが放棄した土地をも開墾し、茶の栽培を広げ、大正初期には台地のほとんどを拓き終えました。以後、この地はお茶の産地として脚光を浴びるようになります。


   ※肩または蓮台などに旅客をかつぎ、川を渡すことに従事していた人々


士族たちによる牧之原開拓位置図


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