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1. 総の国の誕生 【「農」と歴史】貝塚が密集する千葉県
日本は世界的にみても貝塚の密集地帯として知られていますが、とりわけ関東地方が多く全国の半分程度が関東地方から見つかっています。中でも、利根川下流域から霧ヶ浦にかけての地域と東京湾周辺に最も集中しています。縄文時代には日本で最も人口密度の高い地域だったとも言われています。
総の国 数千年を経て土地が隆起し海は後退していきます。弥生時代から古墳時代にかけてだいたい今の海岸線あたりまで陸地化されました。陸地とはいっても、ほとんどが湖沼やラグーン(潟湖)が広がる湿地帯であり、アシやマコモの茂る荒野でした。南から稲作文化が伝わると、人々はその湿地帯に稲を植えて半農半漁のような暮しをしていたのでしょう。 東国制覇の拠点 やがて大和政権の勢力が広がると、上総・下総は東海道として位置づけられます。当初の東海道は相模国の三浦半島から海路で房総半島に渡るルートとなっており、終着地は常陸の国でした。房総には、大和政権の地方支配者である11の国造(くにのみやっこ)が置かれました。 荘園の時代へ平安時代には朝廷や京都・奈良の寺社領となった土地が多く、房総における最古の荘園として、9世紀末に奈良の興福寺に寄付された藻原荘、田代荘、天羽荘などの名前が古書にあらわれます。現在の茂原市の地名は,この藻原荘に由来します。奈良時代、上総介に任じられた藤原黒麻呂が牧野として整備し、興福寺に寄進したとのこと。平安時代の中期から後半にかけて、全国に荘園が広がっていきます。特に東国は、西国と違って平野も多く、膨大な未開発の地が残されていました。在地領主による開発が盛んになり、都から遠く離れていたことが、彼らの勢力の拡大を許したのでしょう。 939年、平将門の乱が起きます。将門は常陸の国府を焼き討ちにし、下野、上野の国府も攻略して下総に王城を営み、新皇を名乗りました。つまり、関東の独立を宣言したことになります。将門軍は征夷大将軍の藤原忠文に征伐されますが、この乱は、関東の荘園領主たちの勢力が都に抵抗できるほど成長していたことを示しています。将門の後も、関東各地の荘園領主たちは次第に武士団を形成して結束を固めていき、鎌倉幕府樹立の土台を築いていくことになります。
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