さらに詳しく 小舟による田植え
九十九里(くじゅうくり)平野の水田は約70%が河川の水を引けない天水田(てんすいでん)でした。この地では四国などのため池と違って、土手で囲まれていないため池、すなわち自然の沼、水溜まりを利用していました。もうひとつ特徴的なのは「ハリダメ」「ツハミ」と呼ばれる貯水田。これは一団の水田地に道路を土手がわりにして貯水し、苗代、田植えの用水として使用し、そのあと水田に戻すという貯水池兼水田のことです。
また、この平野の天水田は「高田」「根田」「谷」に分けられていました。「高田」は高位 置にあって排水もよく、古くからの村の所有地で牛馬耕も可能な良田です。
「根田」は、「高田」より低いところに位置し、「高田」から田を越して流れてくる水を使えますが、排水が悪いので牛馬耕はできないという水田です。
さらに「谷」はいわゆる底なし田、低湿地にある深泥田で、新しい村の農民の多くがこの水田でした。手では田植えができず、田舟に乗って、足の指で苗をはさんで植えるという光景も見られたそうです。
収穫高は「高田」が反当たり2石1斗、「根田」が1石8斗、「谷」は1石2斗。しかし、日照りの年は「谷」の方が「高田」より収穫量が多くなったりしたそうです。
農民はどこも「高田」「根田」「谷」を持っており、いわば天候の変化に備えて保険の作用を持たせていました。「高田」の面積の割合は天水田全体の40%、「根田」が20%、「谷」が40%であったとのこと。「谷」の多さには驚かざるをえません。
こうした状況は江戸時代だけでなく明治に入っても続き、人口が多くなり、開発されればされるほど、事態は深刻になっていきました。
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