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さらに詳しく 新田荘の開発

   1108年、関東全域を揺るがした大災害「浅間山大噴火」は、この地に未曾有の被害をもたらしました。それまでに開墾された田畑は30cmもの火山灰で埋まり、作物は壊滅的な被害に見舞われ、税を納めることができないほどに、国力は低下してしまいました。この惨状をまのあたりにした上野(こうずけ)国司は、「国内の田畑は全滅しました」と都に伝えたほどだったといいます。

 ところが、大災害はこの地に大きな変化をもたらしました。災害復興のなかで、在地の豪族や武士、有力農民らがこぞって土地の再開発を行ったのです。再開発された土地は、貴族や寺社などに寄進され、後に大規模な荘園へと発展していきました。

 特に、この荒れ果てた土地に目をつけ、飛躍的な発展を遂げることとなったのが新田荘です。新田荘の祖、新田義重(にったよししげ)は、後に太政大臣となる藤原忠雅(ふじわらのただまさ)に寄進するなどしてその勢力を強めていきます。

 その後、寄進先である藤原忠雅の子兼雅(かねまさ)が、当時強大な権力をにぎっていた平清盛の娘と結婚したことや、上野国司を務めた藤原範季(ふじわらののりすえ)が清盛の弟教盛(のりもり)の娘を妻にしたことなどが、新田荘発展に有利に働き、いよいよもって上毛一の荘園へと勢力を拡大していくことになり、新田荘は、その名を歴史に永く残すことになりました。

 

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