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さらに詳しく 渡良瀬四堰

 渡良瀬四堰は、1570年ごろに創立されたといわれています。そのうち、詳細な記録が残っている待堰、矢場堰、三栗谷(みくりや)堰の3つのを下記に紹介します。  

三栗谷堰

三栗谷堰

   三栗谷堰(三栗谷用水)は、栃木県旧梁田郡(旧山辺町、御厨町、梁田村、筑波村:現足利市)の約637haの水田を潤しています。

 三栗谷の名は受益地の御厨町(みくりやまち)からきているとされています。御厨とは伊勢神宮あるいは賀茂社の荘園という意味ですが、1190年代に伊勢神宮へ神饌米(しんせんまい)を献上していたという伝承があることからも、このあたり一帯は、古くから良質な水田地帯であったことが想像できます。

矢場堰・休泊堀

  上杉憲政の家臣だった大谷休泊(おおやきゅうはく)によって、現在の太田市と足利市の境に、矢場堰と休泊堀が造られました。その規模は当時としてはかなり大きく、水路延長は約40km。かんがい面積は1,000haにも及んだといわれています。

 特筆すべき点はその築造位置にありました。仮に今の時代に堰や用水を造る計画をしたとしても、地形的な理由からその場所は矢場堰・休泊堀と全く同じ位置になるといい、当時の計画の綿密さや技術の高さをうかがい知ることができます。

待堰・新田堀

  矢場堰・休泊堀と同時期に造られたと伝えられています。矢場堰と待堰はあわせて待矢場両堰と呼ばれ、江戸時代に一帯が天領となった後は、幕府直営の用水として管理されました。以後、昭和の国営事業によって堰が統合されるまで、東毛(とうもう)地域を潤し続けてきました。

 

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お問い合わせ先

渡良瀬川中央農地防災事業所
〒373-0055 群馬県太田市大島町582-1
電話番号:0276(25)3435 FAX番号:0276(25)3439

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