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さらに詳しく 足尾銅山をめぐる年表 

西暦

主な出来事

1610

足尾銅山が発見されたと伝えられている。

これ以後、間もなく江戸幕府直轄の銅山となる。

1700

産銅は1,500tに達したが、その後急減し、年生産150tとなり、減少の一途をたどる。

1817

銅山休止し廃山同様となる。

1877

明治4年に民営となり、この年、古河市兵衛の経営するところとなる。(年産52t)

1880

魚が浮死、栃木県令から魚類捕獲禁止令。

1889

電気製練法採用。亜硫酸ガス増大する。

田中正造、足尾銅山鉱毒被害について帝国議会で質問。

1890

大洪水発生、沿岸に鉱毒氾濫する。

各町村で鉱毒反対の動きが表面化する。

1891

群馬県議会、鉱毒防止の建議書可決。

1896

大旱魃のあと大洪水あり、浸水家屋13,802戸。

鉱業停止運動が活発になる。

1897

被害農民800 人国会陳情, 被害農民集団行動をおこし憲兵出動。

政府は銅山に鉱毒予防命令を出す。

1898

被害農民1万人館林雲竜寺に集合。上京しようとして警官と衝突。

1900

被害農民3,000人、請願上京途中、館林市川俣において警官隊に阻止、鎮圧される。(川俣事件)

1901

田中正造、鉱毒の窮状を直訴。(この頃、産銅量6,380t)

1902

被害民上京。洪水予防のため、遊水池計画の閣議決定。

1907

谷中村、強制破壊により廃村となる。

大正年代

足尾銅山、コットレル電気集塵機採用、脱硫塩SO2増大

昭和10年代

足尾銅山浮遊選鉱法により、鉱さいは48メッシュ以下となり、鉱毒被害ひどくなる。

1947

カスリン台風。

沿岸市町村は鉱毒対策委員会を結成。県は実態調査を実施。

1958

鉱泥堆積場の土堤決壊、多量の鉱毒が毛里田地区の苗代田に流入。

毛里田村鉱毒根絶期成同盟会設立。

三市三郡による渡良瀬川鉱害根絶期成同盟会結成。

1959

水質調査指定水域について関係省庁に陳情、700人。

水質保全法による調査水域に指定。

1968

水質基準、銅0.06ppmと経企庁決定。

1971

毛里田地区玄米から、カドミ米検出される。

1972

古河鉱業へ、毛里田地区の銅の被害80年間の補償要求。

土染法に銅が追加指定、125ppm以上。

1974

土壌汚染対策地域360ha(銅)指定。総理府公害等調整委員会による毛里田地区の損害賠償、15億5千万で成立

1976

古河鉱業との公害防止協定基本協定書締結。

韮川地区の鉱毒根絶期成同盟会、古河鉱業との補償解決書に調印。

1978

公害防止協定、協定細目書締結。

1980

農用地の公害防止事業に係る費用負担計画の決定。

 

 

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