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笠原しょうが(守山市笠原)

少なくなる産地

    最近は、昔に比べてずいぶんごはんを食べなくなりました。ごはんを食べる量が減るにつれて、ごはんとともに食べていた漬物やしょうがもあまり食べなくなりました。滋賀県内にも昔からのしょうがの産地がいくつかあり、その中でも守山市の笠原地区と秦荘町の我孫子や東出などが有名で、昔ほどの生産量はありませんが、今でも両地区ではしょうがを栽培しています。

    守山市は琵琶湖の東岸、野洲川の沖積平野に位置し、中山道と守山宿を中心に発達した町です。しょうがを栽培している笠原地区は、野洲川が琵琶湖に注ぐすぐ上流の西岸にあります。

守山市笠原

作業は正月明けから

    多く栽培されている品種は、今では「白土改良」と呼ばれる小しょうがの品種で、種しょうがは愛知県新庄市などから送られてくるそうです。昔は、自家採取がほとんどで、今年栽培したしょうがを秋までほ場に残しておき、霜が降りる前に、掘り起こし箱に詰め、山の斜面に掘った穴に保存しておいたそうです。来年の種として使うしょうがを保存するのは難しく、しょうがは、13度から14度以下になると腐り始め、芽が出なくなり種として利用できなくなるため細心の注意を払い保存しました。

    しょうがの栽培は、正月前から作業に入ります。笠原のしょうがは主に水田で作られており、正月前から2月頃にかけて今年植えるほ場に、基肥を入れて畝を作ります。植え付けは4月下旬頃、種しょうがを2列に10cm間隔で植え付けます。しょうがの芽が出るのは遅く、6月頃にやっと地上に芽を出します。しょうがは、茎の元の部分がうっすら赤くなっていることが重要で、そのため、茎のもとの部分に光を当てないように、土寄せを2回ほど行います。土寄せは、溝の底を堀り土を寄せます。左右からだけではなく、畝の真ん中の部分にも丁寧に土をかけます。

 

笠原の生姜

しょうがの収穫は日光を当てないように

    しょうがの肥料は、昔から油粕が中心で、化成肥料も使いますが、今でも油粕を中心に肥料を入れます。しょうがの生育には、十分な水分が必要です。夏の暑い間、乾燥するときには、畝間に水を入れるなどして水を切らさないようにします。

    収穫は、8月10日頃から9月上旬まで、畝の端から順次行います。そのころになると、種として植えたしょうがは、腐ってしまい、そこから分かれた芽が7、8本以上になっています。

    しょうがの収穫は、根や茎に直射日光を当てることにより色が変わり品質が低下するため、日差しが強くない早朝か夕方、雨模様の日であれば昼間でも行います。

    収穫後流水や水圧を利用した洗浄機で泥をていねいに洗い落とすと、ピンク色のきれいなしょうがの肌が現れます。

収穫まぎわのしょうが

美しい荷姿に

    出荷の荷造りは独特で、緑色の葉をくきごと残し、わらで扇形に束ねて、交互に箱に詰めます。店には、40cmほどのあざやかな緑色の葉がついたそのままの形で並びます。もちろん葉や茎のところは食べることはできませんが、葉つきで出荷した方が、しょうがが立派にみえ、お客さんも買ってくれることから、昔から、葉つきで出荷していたそうです。葉つきのしょうがは、生き生きした緑色の葉っぱときれいなピンク色のしょうがが美しく、暑い夏の中ですがすがしさを感じます。

    食べ方は、紅しょうがにするのがほとんどだそうです。簡単に食べられる甘酢漬にする人もありますが、やはり笠原のしょうがは紅しょうがにするのが一番おいしい食べ方です。

おこしたてのしょうが

昔は行商で

    しょうがは、十分な水が必要なことから畑よりも田で作るのがよく、保水性がありながらも排水がいいところがよいそうです。土中にできるものであることから、作業の効率からも土は軽い土ほどよく、笠原でしょうがが栽培されている田んぼに入ってみると、野洲川の近くのため、田んぼにもかかわらず、河原のように土質は砂質で水分を含んでいても粘りけがなく、水はけのよい土でした。

    出荷先は、市場に出す以外には、昔ながらに農家から直接大津市などの町の人に届けるものも多くあります。

    笠原では、40年ほど前までは、今のように市場に出荷するのではなく全て、行商でしょうがを売り歩いていました。リヤカーや自転車で、遠くは、大津、水口、安土、能登川、また、渡し船で琵琶湖を渡り、遠くは朽木、高島、今津まで売り歩いたそうです。その名残で、今でも、多くの農家が得意先を持ち直接しょうがを売っています。昔は、どの家でも、毎年紅しょうがを漬けていました。夏になり、収穫が始まると各農家がそれぞれ決まった得意先に届けて回ったそうです。

きずをつけないよう一株ずつていねいにおこす
わらでくくり扇形に荷造りする

昔の2割にも満たない

    現在でも、笠原では40戸ほどがしょうがの栽培をしているそうですが、生産量では昔の2割にも満たないほど少なくなってしまいました。家庭で漬ける家は、少なくなりましたが、今でもしょうがをどうしても食べたいという人も多く、一定の需要はあるそうです。

    笠原のしょうがの特徴は、他の県で作っている大きなしょうがとは違い、繊維が少なく香りがあり、紅しょうがにするには最も適しています。また、小さいものは、茎ごと甘酢に漬け筆しょうがにして食べてもおいしいそうです。

高月丸なす

見直したいしょうが

    梅干しは、今も人気があるのに比べて、紅しょうがをあまり食べなくなったような気がします。昔ながらに、家でしょうがを漬ける人は本当に少なくなり、それにつれて笠原のしょうがの生産も少なくなりました。笠原のしょうがで作った紅しょうがを食べてみると、一口かじり、口の中にしょうがの辛みと、梅酢の酸っぱさが広がり、その味を口の中に残したまま、ごはんをほおばるとごはんがあまく感じられ、ごはんがおいしく感じられます。農家の方が言われたとおり少しの紅しょうがでたくさんのごはんを食べることができます。紅しょうがは、梅干しとともに、昔のごはんが中心であった弁当には欠かせなかったことがよく分かります。漬けるには、梅干しほどは手間ではないことから、ごはんをもっと食べてもらうためにも、各家庭で昔のようにしょうがを漬けて欲しいものです。

高月丸なす
(平成13年8月取材)

補足

    平成17年に笠原に行ってみると、しょうがの栽培は以前に比べて極端に減っているように感じました。平成13年当時は40戸と教えてもらいましたが、今ではとてもそれほどの戸数はないように見えました。しかし、雑誌で名店として紹介されている東京の寿司店では、しょうがは近江産を使用していると書かれていました。滋賀のしょうがの良さは、東京の寿司店でも認められているようでした。これからも近江しょうが守られていくことを望みます。

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