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姉川の戦い古戦場跡(あねがわのたたかい こせんじょうあと)
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所在地 :滋賀県東浅井郡浅井町野村
姉川の戦い古戦場跡
姉川の戦い慰霊碑
写真提供:滋賀県広報課
戦国時代の1570年、当時、湖北を支配していた浅井長政は、越前(福井県)の朝倉軍と共に、姉川を挟み、織田・徳川の連合軍と対峙しました。浅井氏滅亡へとつながる有名な「姉川の戦い」です。
 越前の朝倉氏と同盟関係にあった浅井長政は、一方で、信長の妹、お市を妻に迎えていました。しかし、1570年、信長が琵琶湖西岸から越前へと攻め入ると、親の代からの同盟関係を重視した長政は、朝倉氏に味方し、信長を急襲します。朝倉、浅井に挟まれる形となった信長は、決死の退却で窮地を切り抜けると、すぐさま湖北へ兵を向けることになりました。
 姉川の戦いでは、織田・徳川連合軍約2万8千、浅井・朝倉軍約1万8千が壮絶な戦いを繰り広げました。両軍あわせて約2500人(織田・徳川軍800人、浅井・朝倉軍1700人)もの死者を出し、姉川が血で真っ赤に染まったと伝えられています。
 この戦いで敗れた浅井氏は、3年後、信長により居城の小谷城を落とされ滅亡しますが、逃げ延びた長政の妻、お市は、後に信長の重臣、柴田勝家の妻に、子の茶々は、後に豊臣秀吉の側室となっています。
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みどころ
 姉川の戦いが行なわれたのは、現国道362号線が姉川を渡る野村橋付近といわれています。多くの死者を出した合戦場跡付近の川岸には慰霊碑が立ち、「血原」という地名も残っています。
関連リンク
リンク 滋賀県観光情報(社団法人びわこビジターズビューロ)
http://www.biwako-visitors.jp/search/spot_around_1656.html
リンク 近江の城郭
http://siro.parfait.ne.jp/oda_yukari/anegawa.html
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