04課題
contens 1.近代農業の発展と課題の現れ 2.高度成長期 3.農地整備と再編の必要性 4.整備への課題
1.近代農業の発展と課題の現れ
 明治の後半から大正にかけ、国の積極的な農業政策が実り、後に明治農法と呼ばれるほど、農業の技術が進歩しました。品種、肥料の改良や害虫対策、湿田(しつでん)の乾田(かんでん)化と牛や馬を使った耕作の普及が進み、二毛作も急速に普及しています()。

 亀岡でも米の生産量が増え、二毛作により麦の生産量も増えています。大正時代、亀岡で二毛作を行なっている田畑は全体の約8割、これは京都府の平均である約5割を大きく上回っています。牛馬耕を行なっている田畑も9割以上となりました。亀岡の農は、近代にはいっても京都の台所として順調な発展をみせていたといえます。

 しかしながら、一方では、現在まで続く農業の課題が少しずつ現れてきました。大正から昭和の始めにかけて、亀岡の農家人口は少しずつ減少しています。社会の工業化、商業化が進んだことで、都市へと働きに出る農家も増えつつありました。

※ 一年中水を貯めている水田を湿田、水の量を自由に調節できる水田を乾田といいます。乾田は生産性が高く、稲の収穫が終わり乾いた水田では、麦や大豆などをつくることもできます(二毛作)。乾いた水田は土が固いため、人の力だけで耕作するのは難しく、牛馬耕が増えていきました。
2.高度成長期
亀岡市の農家数・兼業農家率の推移
亀岡市の農家数・兼業農家率の推移
(農業センサス)
 高度成長期を迎えたころ、亀岡では、農村から都市へと働きに出る人が急激に増え、農家の兼業化が進むことになります。昭和25年に約5割だった兼業農家は、高度成長期半ばの昭和40年には、9割以上を占めています。

 これには、大都市に隣接していたことと農業の機械化が影響しています。農業機械は、農作業にかかる人手と時間を大幅に減少させました。
 昭和30年に新国道9号線が完成し、隣接する京都市とさらに近くなったことも兼業化を加速させました。
 兼業化の進展は、農家の家計を安定させ、若者の市外流出を防ぐといった効果があります。しかし一方では、農家の経営規模の拡大が進まず、安定した農業生産を難しくするといった問題がありました。

 また、この時期から亀岡では、積極的な宅地開発と工場誘致が進められます。人口は増えましたが、多くの農地が住宅や工場へと変わりました。若者は次第に農業から離れていきました。亀岡では将来の担い手を失う農家が増え、農村の高齢化が進むことになります。
ページ上部イメージ写真(右側):
「牛耕(亀岡市千代川町川関)」(新修亀岡市史資料編第5巻より)
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