. 亀岡のみちくさトリビア
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倭彦王の伝説
やまとひこおうのでんせつ

千歳車塚古墳
千歳車塚古墳(写真:新修亀岡市史 資料編第1巻より)
 『日本書紀』には、6世紀の初め、皇位継承者の途絶えた朝廷が、天皇の血筋にあった倭彦王を迎えようとしたと記されています。丹波の桑田郡、つまり現在の亀岡にいた倭彦王は、迎えの兵に驚いて逃亡したため、その後、朝廷は、越前から継体天皇を迎えたとされています。

 継体天皇と違い、実在性が薄いといわれる倭彦王ですが、当時の亀岡に、皇位をねらえるような有力者が存在したことが、今に残る古墳から想像できます。

 6世紀前半に造られた千歳車塚古墳の被葬者は、時期的には、継体天皇の時代に丹波国を治めた大首長と考えられます。伝統的な前方後円墳の特徴を受け継いでいることから、大和政権との関わりがうかがえますが、同時期につくられた継体天皇や継体天皇に従った地方首長の古墳とは形をやや異にしています。

 継体天皇が即位する前後、皇位を巡る争いがあったのは確かなようで、一説では、千歳車塚古墳の被葬者は、継体天皇に対抗した伝統的な大和政権の有力者とも考えられています。倭彦王の伝説は、こうした当時の政争を背景につくられたものかも知れません。
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