04課題
contens 1.伝統産業の衰退 2.機械化農業の進展 3.恒常的水不足と洪水 4.湖北農業水利事業
1.伝統産業の衰退
桑畑
桑畑(写真提供:財団法人日本地図センター)
 水田以外では養蚕や織物業が大きな収入源であった湖北にとって、大きな打撃となったのは繊維産業の衰退でした。昭和の高度成長期まで、湖北の工業は繊維産業が実に40%を占めるなど、この地の工業と農業は密接に結びついていました。昭和25年における湖北の桑園面積は約560ha(県全体の約68%)でしたが、昭和50年には220haと半分以下にまで減少しています。

 蚊帳の生産も小資本で農家の土間を利用してできるなど、明治末期には織元60戸、農家の貸織は約800戸を数えるというほど盛んでしたが、環境衛生の向上に伴って、ほとんど消滅しました。ビロードの生産も他の繊維産業と同様の道をたどっています。
 大音、西山の楽器糸生産も、昭和の初期にピークを迎えましたが、次第にナイロン糸に押され、今では両集落で4軒のみが昔ながらの製法で糸作りをしています。
 また、昭和25年には37%程度であった二毛作率も、昭和50年には0.1%となり、極端な水田単作地帯となりました。この背景には機械化農業と企業の進出が大きく影響しています。
2.機械化農業の進展
ヤンマーによる動力もみ機械の実演
ヤンマーによる動力もみ機械の実演(高月町)
(写真提供:滋賀県 商工観光労働部 商業観光振興課)
 耕耘機(こううんき)などで有名なヤンマーディーゼルの創始者・山岡孫吉は、湖北(高月町)の出身です。彼は農村の労働を軽減することに情熱を注ぎ、明治末期に大阪でエンジンの会社を創設しました。ドイツのディーゼル博士に学んで、昭和8年、世界で初めて超小型のディーゼルエンジンを開発。やがて長浜工場が建設され、山本、木之本など湖北には4つの工場、2つの農村家庭工場が建設されました。

 家庭工場とは、農家に隣接している3坪ほどの作業場に工作機械を設置したもので、農作業の合間に周辺の農家によって作業が行なわれ、精度の高い部品を作るというものです。特に、石道集落(高時川左岸)は平均耕作農地が0.28haという寒村であり、山岡孫吉に窮状を訴えて家庭工場の誘致を実現しました。

 古くから交通の要衝であった琵琶湖周辺は、名神高速道路や新幹線が開通すると急速に工業化の時代を迎えます。
 湖北には、昭和39年、テレビのブラウン管を生産する「日電ガラス工業」が進出し、約1800人の従業員に加えて37社に及ぶ下請企業など、大きな雇用創出をもたらしました。
 さらに、かつて全国に名をはせた鉄砲村であった長浜市国友には、昭和60年、「長浜キャノン(株)」が誘致されます。湖北地域は重工業地帯としての側面も持つようになり、農業の兼業化を一層進めることになりました。

 こうした兼業化の進展は、農家収益の安定化、若者の地域外への流出を防ぐといった大きな効果をもたらす一方で、農地所有の零細分散化を招き、いわゆる農地の流動化、集団化といった効率的農業への道を遅らせる結果にもなりました。
ページ上部イメージ写真(右側):「ヤンマー石油発動機」
(写真提供:滋賀県 商工観光労働部 商業観光振興課)
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