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1.位置と地形
位置と地形
 奈良県というと、県外の人はおそらく大和平野を思い浮かべるでしょう。しかし、奈良県そのものは右図のようにかなり広く、山深い紀伊半島の森林地帯が大半を占めています。古代の大和国も同じエリアでした。
 その大和と伊勢の国境近くの山から流れ出す吉野川は、和歌山県に入ると紀の川()と名前を変えて、海へと流れ出ます。したがって、海を持たない大和の国にとっては紀伊の紀の川が玄関口であり、人は今の五條あたりまで歩いて、そこから紀の川を舟で下り、太平洋へ出ました。特に、飛鳥から下市までは約11km、五條までは約20kmと、歩いても3〜5時間で吉野川の舟場までたどり着けます。この淡路を経て四国へ行くルートは、「南海道」と呼ばれ、古代7道(みちくさトリビア参照)のひとつでした。
 この川の大半は、日本を2分する巨大活断層とも言うべき中央構造線(みちくさトリビア参照)に沿って流れています。このあたりは広い範囲にわたって活断層が分布し、阪神淡路大震災を起こした淡路島・六甲山地、金剛・生駒山地、そしてこの中央構造線が作る三角形は、「近畿トライアングル」といわれる地震帯となっています。この川の両岸に見られる幾筋もの河岸段丘は、こうした地殻変動とも無関係ではありません。
 図で明らかなように、大和平野と紀伊平野は低い峠を通してかろうじてつながっており、上空から見ると、まるでスプーンを首のところで曲げたような形となっています。言うまでもなく紀伊平野はスプーンの柄の部分であり、極端に細長く狭い。先にわずかながら三角州のような平野が開けていますが、長い柄の部分はほとんど紀の川が浸食してできた段丘と言っても差し支えないでしょう。
 誰がどういう意図で、大和と紀伊国のエリアをこのように定めたのかは分かりませんが、このことが後に、地形的矛盾として両国の確執をうみだすことになります。
※「紀の川」の表記について・・・この川は、国土地理院の地図では「紀ノ川」、河川法では「紀の川」という表記になっています。また、平成17年には「紀の川市」も誕生しました。このサイトでは、「第二十津川紀の川農業水利事業」の事業名との混乱を避けるため、川の表記はすべて「紀の川」で統一しています。ただし、参考文献などのタイトルが「紀ノ川」となっているものについては、そのままの表記となっています。
ページ上部イメージ写真(背景):「龍神スカイライン沿いの紅葉」(写真提供:和歌山県フォトライブラリー)
ページ上部イメージ写真(左側):「じゃばら」(写真提供:和歌山県フォトライブラリー)
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