. 巨椋池のみちくさトリビア
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「巨椋池」の語源
「おぐらいけ」のごげん

幕末から明治初期に大昔の巨椋池を想像して描かれたもの
幕末から明治初期に大昔の巨椋池を想像して描かれたもの
 「巨椋池」の名称が、最初に見られるのは『万葉集』の中の「巨椋(おおくら)の入江(いりえ)響(とよ)むなり 射目人(いめびと)の伏見が田井(たい)に雁(かり)渡るらし」という歌です。この歌は、巨椋池がざわめき、伏見の田へと雁が移動していく情景を詠んだものといわれ、「巨椋」という地名が、当時から存在していたことがわかります。
  「くら」という言葉は、古代には谷や低い土地、馬の鞍のように窪んだ所のことを指したという説があり、その説に従うと、「巨椋池」は「大きく窪んだ水たまり」を意味していたと考えられます。この地形の特徴をよく表しています。
 江戸時代には、単に「大池」と呼ばれており、これは、淀川(宇治川)を大川と呼んだことと対応するものと考えられます。
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