. 巨椋池のみちくさトリビア
ウィンドウを閉じる
他のトリビアはこちらから
.

田上山の伐採
たなかみやまのばっさい

田上山
田上山
 古くから都の置かれた、奈良、京都。当然のことながら、都の造営には、膨大な量の資材が必要とされました。なかでも木材の確保は最重要課題であり、大和に近接する山々からは、大量の木々が伐採されました。宇治川の上流、滋賀県大津市の田上(たなかみ)山は、あまりにも多くの木々が伐採されたため、現在に至るまで裸山となってしまったことで有名です。
 『万葉集』の「藤原京の役民(えのたみ)の作る歌」によれば、藤原京造営の木材は、田上山で伐採された後、筏に組んで瀬田川を流送し、宇治川から巨椋池を通じ、木津川をさかのぼらせて運ばれたといいます。その量は、柱だけでも数万本。古代における檜材の一大産地であった田上山の木材は、他にも東大寺や石山寺など諸寺院の造営に盛んに利用されました。
 古代における木々は、宮殿や神社仏閣などの造営の資材としてだけではなく、炭や薪などの燃料、土木工事の用材、様々な生活用具に利用されていました。しかし、このような乱伐は山林を荒廃させ、土砂の流出を招きます。それが洪水の増加へとつながり、河川の治水をさらに困難なものへとすることがありました。
line
トップページへ 閉じる
.