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佐賀平野の水と大地の歴史 全国に誇る佐賀中部地区の農業 現代に生きる水利施設、土木技術 佐賀平野の環境 国営総合農地防災事業について 地域とのふれあい

 

 
佐賀平野の水と大地の歴史
 
佐賀平野の宿命(洪水と干ばつの歴史)
 
昭和28年の水害の様子
昭和28年の水害の様子
(提供:水土里ネットさが土地)
 干潟の干拓によって創られていった佐賀平野は地質学的でいうと"海成沖積平野(かいせいちゅうせきへいや)"と呼ばれ、とても肥沃(ひよく)な土地です。
 しかし、農地や集落がある土地の高さは、今でも有明海の満潮時に比べると低く(図)、堤防を作る技術もまだ未熟な時代は、台風や大雨が降るとすぐに堤防が決壊し、洪水という大災害に何度も見舞われました。
  また、脊振山地は山が低く、それほど広いわけでもないので、川らしい川といっても嘉瀬川程度です。このため、江戸時代から水田に入れる水の配分をめぐって、村同士の水争いが起こるなど、常に水不足に悩まされてきました。洪水と干ばつが頻繁(ひんぱん)に起きるという、とても厳しい条件の中で、佐賀平野に生きた先人は、知恵と技術を結集し、立ち向かっていきました。
 こうした中、生み出されたのが、二つの仕組みです。一つはクリークと淡水(アオ)取水を組み合わせた独特な水利用方法です。もう一つは成富兵庫茂安(なりどみ ひょうごしげやす )が礎を築いた、少ない水を分け合うため、そして水から人々を守るための全国屈指の土木技術です。

佐賀平野の断面図

佐賀平野の断面図
佐賀平野の大部分は計画高潮位より低くなっています。
 
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