蛤水道の野越し
蛤水道の野越し

蛤水道
(はまぐりすいどう)


 旧東脊振村や三田川町(現在は合併して吉野ヶ里町)の人々は、夏になると田手川の水が少なくなり、水争いが起こるなどとても困っていました。そこで田手川の上流の水源である蛤岳に目をつけた茂安は、水の溜まりやすいところに井手という小さなダムをつくり、そこへ溜まった水を、山の斜面に沿って作った1260mもの水路に沿って流れるようにし、田手川へ水を運びました。 余分な水は野越し(のこし)により別の水路へ流れていくよう工夫もしていました。

蛤水道の野越し

堤防より少し低い位置に作り、洪水があれば野越しから水を流すようにし、堤防そのものを守りました。野越しそのものも、激しい水流で土砂が流失し、決壊してしまうということがないよう、頑丈な石積でできています。野越しを通って流れた水や土砂は、付近の耕地を荒らしたりしないよう、徐々に水の勢いを減らすよう工夫がされています。

蛤水道(はまぐりすいどう)