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九州農政局

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山田堰(福岡県)

築造の経緯

寛文のはじめ(1662年)の大干ばつ襲来を契機に、安定した稲作を営むため、また、黒田藩の新田開発の推進と相まって山田井堰、堀川用水が誕生しました。
堀川用水は2里(約8km)9ケ村を通り150haをかんがいするものでした。
しかし、その後も筑後川の氾濫、洪水、干ぱつによる稲凶作が続いたため、約60年後の享保7年(1722年)八幡宮前にあった取水門を12間上方の山田(現在地)へ変更するエ事が始まりました。そんな時、古賀百エは庄屋の子供として生まれ、村の衆にこのエ事の指揮をする庄屋である父の姿を見ながら育ちました。
古賀百エは水不足解消のための切貫水門拡張、新堀川工事に努力し、1760年の完了時にはかんがい面積370haとなりました。
この律、三瀦郡大莞村で発明された踏車がこの地に伝わり、現在の「3連水車」が誕生しています。
天明2年(1782年)から始まった「天明の大飢饉」による難民救済のため、藩命により、古賀百エ(当時73歳)は山田井堰の大改修工事に取りかかり、自ら設計、施工を行いました。この石堰完成後85年目の明治7年(1874年)にして始めて被災を受けるが、この間14回の洪ぺ水にもビクともしなかったのは奇跡であると言われています。




1.位置 福岡県朝倉郡朝倉町山田
2.名称 山田堰
3.管理主体 朝倉郡山田堰土地改良区
4.土地改良区の概要 〔設立〕昭和30年8月23日
(当時A=681ha)
〔管理関係〕用排水施設の管理
〔組合員〕1、281名
〔面積〕664ha
〔前身〕大福村外3ケ村堀川
土木組合(大正2年設立)
5.建築年月日 寛文3年(1663年)
着工、寛文4年春竣工
築造後333年
6.築造時構造 〔堰体〕空石張
〔堰長〕350m
7.現時点構造 〔堰体〕斜石張コンクリート造
〔堰長〕176.6m
〔堰幅〕47m
〔施設〕土砂吐1、船通1、魚道1
8.取水方式 ローラゲート(B)2.5m*(H)2.0*1門
9.取水期間 5月20日~10月15日
10.改修事業経過 明治7年(1874年)被災董石畳2,500坪(全体の約3分の1)
経過翌年復旧
明治18年(1885年)被災量石畳2.680坪大破翌年復旧
昭和28年(1953年)大災害堀川全線決壊A=700ha
当年応急工事,翌年災害復旧工事(26,200千円)
昭和55年(1980年)山田堰崩壊12月県営災害復旧工事
着手(586百万円)
11.古賀百工翁 享保3年(1718年)~寛政10年(1798年)81歳
上座郡大庭村(現朝倉町)庄屋
堀川、山田堰など一生を水利に捧げる。










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