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九州農政局

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干拓の歴史

1. 干拓のあゆみ

干拓の歴史 地域の概況 地域の営農
海岸保全施設の現状 海岸保全事業の概要 工事進捗状況
事業所の案内 リンク集

 

   本地区の位置する豊後高田市の海岸は遠浅となっており、昔から干拓適地として知られていました。


   本地区の干拓事業の始まりは、全国的に飢饉が生じ、その対策として新田開発が推奨された江戸時代まで遡ります。

   国営西国東干拓事業は、戦後の食料不足の改善や失業救済等を目的として創設された緊急開拓事業の一環として、昭和21年に運輸省(現国土交通省)の委託事業として着手されました。

   その後、昭和27年に農林省(現農林水産省)が事業を引き継ぎ、昭和44年に事業が完了しました。




2.干拓地の今昔

干拓の広がり

     江戸時代中期、広瀬久兵衛は日田の代官塩谷大四郎(しおのやだいしろう)に仕え、当時の九州各地で新田開発(干拓)等の事業を行いました。
    
豊後高田市の呉崎新田(広さ360ha、堤防の長さ5.4km)は、文政9年(1826年)、塩谷代官の命により久兵衛が工事を
引き受け、3年半かかり完成しました。

久兵衛

広瀬久兵衛については、以下のリンク先をクリック。
   リンク先:農業水利偉人伝  広瀬久兵衛(大分県HPより)







3. 海岸線の今昔

海岸線の今昔
1947年アメリカ軍航空写真(海岸線:江戸時代干拓堤防)                   現在の呉崎周辺(海岸線:国営西国東干拓堤防)
                                                                                                注:図中の赤線は、江戸時代干拓堤防の位置を示す。


お問合せ先

九州農政局西国東海岸保全事業所

ダイヤルイン:0978-25-6540
FAX番号:0978-25-6595