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地域の歴史

「土地の記憶」

古代からつづく文化

二戸郡では旧石器から縄文時代初めまでの遺跡は発見されていませんが、縄文式文化を示す土器はいくつか発見されています。二戸市福岡に限っては、九戸城跡から縄文中期の土器が発見されていることから、古くから人々が暮らしていたことが推測されます。また、九戸城から北に数キロ離れた「堀野遺跡」では、典型的な竪穴式住居、配石遺構が発見され、かなり大きな集落が存在していたことが想像されます。 写真1

中央政権とのつながり

馬淵川流域の開拓が行われたのは桓武天皇(781年~806年)から嵯峨天皇(809年~823年)の時代とされます。この時期から、二戸周辺は中央集権とつながりを持つようになりました。続く平安時代中期は摂関藤原氏の貴族政治の最盛期です。しかし陸奥地方では、豪族阿部氏が国司の勢力を遥かに越える実権を握っていました。この時代、糖部郡(ぬかのぶぐん)に属していた二戸ではすでに馬政の基盤がある程度整備されていたものと思われます。

水田開発が遅れ、戸制が発達した糖部郡

中世に入ると二戸地方では、すでに馬産地として牧場経営が行われていました。奥州に赴任した御家人の多くは、牧場経営に経験のある人々とされています。二戸が歴史に登場するのは、1191年(建久2年)、南部光行が糖部に封ぜられてからとされます。
光行の任務は凶徒の追放及び馬政の確立でした。水田に適していない岩手北部では、軍馬の育成が盛んに行われます。糖部郡を九つの部に分け、一つの部に一牧場を設置。その手当として牧士田を一町歩配しました。一戸、二戸、三戸、四戸、五戸、六戸、七戸、八戸、九戸と九つに分けたのはこの頃のことです。牧士田は世襲で、奥州独特の牧場制に由来する独特の制度です。また牧士田は陸奥国全体で行われましたが、津軽郡では水田経営が発達、水田の開発が遅れた糖部郡では部(戸)制が主体となり、戸制が発達することになりました。

国家統一の最終地となった九戸城

南北朝(14世紀頃)から室町(14世紀~16世紀頃)にかけて、二戸には八戸南部氏が、ついで三戸南部氏が代官として入部。次第に勢力を伸ばしていきます。その領分は広く糖部一帯に及んだものと思われます。下克上の時代であった戦国時代(15世紀後半~16世紀後半)も、織田・豊臣の国家統一によって安定しますが、この統一の最終地となったのが九戸城です。城は九戸政実の4代前の光政が築いたもので、城跡には東北最古とみられる石垣遺構が今も残っています。 

江戸時代、船の流通で発展 

馬淵川が物資の輸送路として利用されるようになったのは、江戸時代からです。舟による上流・下流間の物資輸送だけでなく、上流の山地から切り出された木材を、筏を組んで流す輸送も行われていました。そのため、流域の要所となる川岸には船着場がつくられ、賑やかな町が生まれる原因となりました。 

写真2

農地造成

写真3

西岳麓の放牧地(昭和初期)

厳しい風土を潤すことを目的に

東北農政局「馬淵川沿岸農業水利事業」は、岩手県第2の大河である馬淵川が貫流する二戸市、一戸町の田、畑、樹園地の計2,191ヘクタールを受益面積に、1,330戸を受益戸数としています。このエリアの内陸性特有の気候は降水量も乏しく、かんがい設備も他の地区と比較して整備が遅れていたため、しばしば干害に見舞われました。このような悪条件のなか、先人達は苦労と努力、そして情熱を重ねに重ね、農業を育んできました。
二戸市舌崎地区では岩手県でもっとも古い120年余のリンゴ栽培の歴史を有しています。また、奥中山では冷害などの厳しい自然環境と保水力に乏しい火山灰土など数々の苦難を乗り越えて、国内トップクラスの酪農製品と高原野菜を産出するまでになりました。

写真4

さらに豊かで安定した農業を目指し、この事業では新規水源として馬淵川支流の平糠川に「大志田ダム」(平成15年完成)を建設し用水の安定供給を行い、あわせて関連事業として末端用水施設の整備等の畑地帯総合整備を行うことにより、農業経営の近代化と合理化を推進するものです。現在は平成23年(2011年)度の事業完了を目指し、幹線用水路・支線用水路などの整備が進められています。

奥中山開拓デジタル・アーカイブ 

緊急開拓前

      人糞と水とヒエを混ぜ、手作業で蒔く、「じまき」。
人糞と水とヒエを混ぜ、手作業で蒔く、「じまき」。

馬鈴薯の収穫風景。
馬鈴薯の収穫風景。
明治18年、軍の機関である軍馬補充部が設立。奥中山地域最大の雇用の場となる。
馬車での耕作風景
馬車での耕作風景
作業にあたる地元の主婦たち
作業にあたる地元の主婦たち

緊急開拓

(S20年代)

昭和20年9月、敗戦直後の食糧危機の解消と、復員軍人等の救済、また戦後の社会不安解消のため、緊急開拓事業が始まる。

苦難の開墾作業。
苦難の開墾作業 
        開拓当初のヒエ刈り風景(入植者は、僅かの畑が出来れば作物を一粒でも確保する努力)。
開拓当初のヒエ刈り風景(入植者は、僅かの畑が出来れば作物を一粒でも確保する努力)。 
デントコーンの刈り取り。    家族総出での作業が行われる
デントコーンの刈り取り。家族総出の作業が行われる。

緊急開拓

(S30年代) 

昭和33年、近隣市町村を含めた未開発の丘陵地で、国営北岩手開拓建設事業が実施され、約1,000haの畑地が造成されるとともに、昭和46年からは、国営北岩手草地開発事業による約500haの草地造成により、畑作及び酪農振興の基盤が形成された。また、これを契機に、従来の雑穀主体の農業から、酪農、ジャガイモやキャベツなどの北海道型農業への転換が図られていった。
大型機械を使用しての農地造成
大型機械を使用しての農地造成
酸性畑改良のための石灰散布
酸性畑改良のための石灰散布
               
奥中山地域の稲作は、気候的・地理的に恵まれないため、入植当時から検討されなかったが、自家飯米確保という入植者の夢から、昭和30年代に開田ブームが起きた。
現在の奥中山 奥中山のレタスは、栽培に適した冷涼で豊かな自然環境、40余年の経験からくる確かな技術と生産者の誠実な姿勢、これらが一体となって、「奥中山ブランドの高冷野菜として急成長を遂げる。
一面に広がるレタス畑
一面に広がるレタス畑
レタスの収穫風景
レタスの収穫風景
国営馬淵川沿岸農業水利事業 完成した大志田ダム(H15年完成)
完成した大志田ダム(H15完成)
完成した大志田揚水機場(H15年完成)
完成した大志田揚水機場(H15完成)
パイプライン工事
パイプライン工事
ファームポンド
ファームポンド
現在の営農  事業の進捗に伴い、徐々に畑地かんがい成果を発揮
スプリンクラーかんがい    スプリンクラーかんがい
スプリンクラーかんがい
共同給水栓
共同給水栓 
定植用水
定植用水 

 

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お問い合わせ先

馬淵川沿岸農業水利事業所
〒028-5312 岩手県二戸郡一戸町一戸字大越田98-6
電話:0195-32-2121
FAX:0195-32-2114

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