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地域の歴史 |
地域の歴史地域の歴史東和町は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ=平安時代の武官)が創建したと伝えられる成島毘沙門堂や丹内山神社などが点在していること、また経塚(きょうづか=お経を納めた遺跡)なども多数あることから、この地域には平安時代にすでに多くの人々が暮らしていたようです。丹内山神社境内にはアラハバキ信仰(「アラハバキ」は「荒覇吐」とも。当時の朝廷から東北に追いやられた民である蝦夷《えみし》の人々が信じていたとされています。)を示す巨石が祀(まつ)られていることから、蝦夷の人々にとっても特別なところだったことがうかがえます。 前九年の役(1051年~)では東北を治めていた安倍氏と朝廷軍が戦いましたが、東和町周辺も戦いの場となり、朝廷側から出陣した源義家が、鏑八幡神社に戦勝の祈願をしたとされます。 近世は南部藩領として、伊達藩と隣り合うところから、旧葛西氏の家臣、江刺隆直(長作)を城主に南方の守りを目的に、1612年(慶長17年)、土沢城を築きました。その後、1670年(寛文10年)に土沢城は廃城となりましたが、代わりに代官屋敷を設けるなどして、その役目を果たしました。さらに明治の頃に至るまで、盛岡から釜石までを結ぶ釜石街道の宿場町として多くの物資や人々が行き来したことで活気のある場所として発展します。 地域ゆかりの著名人菊池 忠太郎(きくち ちゅうたろう)菊池忠太郎は、近在の村に生まれ、東京で学んだ後、花巻に戻り地元発展のために尽くした実業家。 島 善鄰(しま よしちか)1889年~1964年農学者、島善鄰は1889年(明治22年)広島生まれ。8歳のときに父、時中が亡くなり、稗貫郡矢沢村高木(現・花巻市)に移ります。そこで幼少時代を過ごし、元盛岡藩士である祖父忠之の薫陶を受けました。 松原 緑(まつばら みどり)東和町初代町長。1954年(昭和29年)、それまで土沢町、小山田町、中内村、谷内村の1町3村に分かれていた地区が合併。多大な働きをした人が、旧土沢町長だった松原緑です。合併に関しては近隣や地元の反対が多く、なかなか話がまとまりませんでしたが、松原の信念を曲げない粘り強さで、ようやく合併へと漕ぎ着けました。合併後の町名は一般公募により、大多数の意見と賛成により「東和町」と決定。合併を実現させた努力と決断力を示した松原は東和町の初代町長としても引き続き活躍を果たしました。 萬 鉄五郎(よろず てつごろう)1885年~1927年萬鉄五郎は1885年(明治18年)、土沢の記念美術館に近い「八丁(屋号)」で誕生。1907年(明治40年)、東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学、画家になる決心をします。1912年(明治45年)には岸田劉生や高村光太郎らの結成した「フューザン会」に参加。近代的な画風を開花させます。 宮沢 賢治(みやざわ けんじ)1896年~1933年宮沢賢治は1896年(明治29年)、岩手県稗貫郡花巻町で誕生。1920年(大正9年)盛岡高等農林学校研修生を修了すると翌年上京。童話を多作しますが同年に妹のトシが病に倒れたのを機に帰郷。稗貫郡立稗貫農学校(のちの岩手県立花巻農学校)の教師となり、農村子弟の教育にあたるとともに多くの詩や童話の創作を続けました。1924年(大正13年)、28歳の時に詩集『春と修羅』・童話集『注文の多い料理店』を刊行、30歳で農学校の教壇を退き、『羅須地人協会』を設立。農民講座を開設し、青年たちに農業を指導しました。 新渡戸 傳(にとべ つとう)1793年~1871年新渡戸傳は1793年(寛政5年)、花巻に生まれました。27歳の時家計を助けるため商人となり、44歳で退くまでの17年間材木を中心に商いをし、商才を発揮して大きな利益を上げました。任官後は勘定奉行などをつとめ、特に開拓事業に力を発揮し花巻近辺で多くの開田に成功しました。62歳の時に三本木原開拓を藩に願い出て、1855年(安政2年)新田御用掛として着手。人工河川・稲生川を開削し、現在の青森県十和田市の発展の礎を築きました。最晩年は七戸藩設立に奔走、1869年(明治2年)七戸藩家老、後に大参事となりました。 地域の名所1.田瀬ダム町の中心より東に約7km、遠野市宮守町との境にあるのが「田瀬ダム」です。ダム湖である田瀬湖周辺には、人々が自然と触れ合い、くつろぎの理想的な環境創造を目指した「田瀬ダムレイクリゾート事業」によってつくられたレジャー施設が整っています。田瀬ダムは洪水の調整・かんがい・発電などの役割を果たし、平面的に眺めると「龍」の形をしていることから、「龍のタセくん」がマスコットキャラクターになっています。 2.毘沙門堂、三熊神社9月の例祭として古くから行なわれ、三熊野神社の神事とされる「泣き相撲」が全国的に有名。言い伝えでは、延歴年間(782年~806年)に坂上田村麻呂がこの地で部下に相撲を取らせたのが始まりと伝えられています。かつて猿ケ石川を境とした南・北成島の青年による相僕は、勝利した方が豊作になるという占いから流血の争いにまで発展したことから、1706年(宝永3年)には、神社氏子の長男で、数え年二歳の幼児による泣き相撲になりました。現在は健やかな成長と豊作を祈る行事として続けられています。 3.丹内山神社約1200年前の創建とされ、承和年間(834年~847年)に空海の弟子(日弘)が不動尊像を安置。「大聖寺不動丹内大権現」と称し、以来、平安後期は平泉の藤原氏、中世は安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたと伝えられています。さらに、明治初めの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により丹内山神社として現在に至っています。本殿は、現存する棟札から、1810年(文化7年)に再建されたもの。権現づくりの厨子や外壁一面に施された彫刻、脇障子は唐獅子と牡丹の脇障子などからは当時の地方大工の力量を伺える資料としても貴重なもので、1990年(平成2年)に県指定有形文化財(建造物)となっています。 4.旧小原家住宅(国指定重要文化財)旧小原家は岩手を代表する曲り屋で建築年代については明かではありませんが、構造手法などからみて18世紀中頃に建築されたと推定されています。曲り屋は、母屋の棟に対して直角に馬屋が張りだし、平面形が鈎形となるのが特徴とされています。小原家は曲り屋の古い形態で、寄棟造・茅葺きで、建物の突出部が非常に小さくつくられていること、19世紀中頃の増築で、直家(すごや)から曲がり家に改造されたもので、曲がり家の歴史を伺うことができる貴重な建物です。 5.萬鉄五郎記念美術館東和町出身の萬鉄五郎の作品や生い立ちを紹介している美術館。町の北側にある館山はかつての土沢城跡地ですが、その中腹に美術館と共に土沢中学校や幼稚園などが建っています。周辺は桜並木に囲まれ、生家である土蔵の「八丁蔵」も復元されています。 6.花巻新渡戸記念館胡四王山の南麓に建ち、近くには宮沢賢治記念館もあります。新渡戸稲造と一族が果たした花巻への地域貢献などを中心に展示している記念館です。裏手には花巻系新渡戸本家二代目が、夢枕に現れた紫波稲荷大明神の分霊を屋敷の居久根林に勧請し、以来、一族の氏神様としてとして祀った安野稲荷神社もあります。 7.宮沢賢治記念館宮沢賢治の生涯をさまざまな資料、写真パネルなど約400点とビデオやスライドなどで視覚的に楽しむことができます。また、図書資料室に賢治の各種全集類、研究書など2000点余りの書籍を備え、研究者に開放しています。 8.フォルクローロいわて東和エスペラント語で民話を意味する「フォルクローロ」を冠したホテルです。JR東日本ホテルチェーン直営で少人数からファミリーなどの宿泊に最適。隣り合う東和温泉とは渡り廊下でつながっていますので、入浴する楽しみも大きな特徴のひとつです。 9.日高見の霊湯・東和温泉泉質は単純温泉(低張性中性高温泉)で、神経痛や筋肉痛、関節痛、五十肩、うちみ、冷え性、疲労回復などに効能がある日帰り温泉施設です。
水田と土地改良のあゆみ猿ヶ石川地区の水田開発は、水不足との戦いであり、度重なる飢饉に悩まされていましたが、近年の田瀬ダム完成でようやく水の確実な供給が実現し、安定した農業を営めるようになりました。 本地区の歴史を振り返ると、802年(延歴21年)には坂上田村麻呂が率いる屯田兵がこの地域に配置され、続いて、1189年(文治5年)に藤原秀衡の三男、泉三郎忠並行が、奥州征伐に敗れ矢沢村幸田の地に上・中・下3枚17町歩の三郎堤を築造しました。1859年(安政6年)には新渡戸伝が、南部藩の命により高松、十二ヶ、安俵各村の新田造成並びに稚鍋(おさなべ)川及び平山用水路の開削に着手しますが、素掘りだったため漏水などで通水することなく失敗のうちに終わります。その後、2度の大きな台風により花巻・北上地域が水害に遭い、治水と農業用水の確保を目的に、1941年(昭和16年)から1954年(昭和29年)にかけて建設省で田瀬ダムを建設します。これを受け、農林水産省では、花巻地域の慢性的な用水不足の解消と開田のために田瀬ダムを水源とした「国営猿ヶ石川農業水利事業」[1953年(昭和28年)~1963年(昭和38年)]及び「国営猿ヶ石開拓建設事業」[1959年(昭和34年)~1970年(昭和45年)]を実施しました。これにより、河川、渓流、ため池、湧水等の天候に左右される不安定な水源から、ダムからの安定した水源へ変わり、安定した農業経営を待ち望んだ、先人たちからの願いがようやくかなうこととなりました。これらの国営事業では、農業用水路の造成のほか、山林・原野の開田、幹線・支線道路の造成も行われたため、地域の田園風景が一新されたと言います。その後、気象その他の諸条件の影響により、施設の損傷、漏水が生じたことから、これらを緊急で補強する「国営猿ヶ石川国営造成土地改良施設整備事業」[1975年(昭和50年)~1980年(昭和55年)]や「国営猿ヶ石川2期国営造成土地改良施設整備事業」[1988年(昭和63年)~平成1992年(平成4年)]を実施し、現在に至っています。
<主な引用・参考文献>
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