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「中勢用水地区」
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「中勢用水地区」の経緯 

地域の概要

本地域は、三重県中央部の穀倉地帯を西から東に貫流し、伊勢湾に注ぐ安濃川の左右岸に広がるいずれも水田を中心とした沖積低地並びに洪積台地です。 

従来から多数の取水施設と複雑な配水組織により水管理がなされ、また、地区内河川は渇水量が少なく水源は不安定でした。 

安濃川安濃川 

 受益地域を安濃川上流より望む受益地域を安濃川上流から望む

地域の農業用水の歴史  

この地域の河川は流域が狭く、地区中央を貫流する安濃川はこの地域で一番大きな河川ですが流路は30キロメートル足らず、流域面積は110平方キロメートルです。その他の小河川はいずれも三紀層の丘陵地を流域としており、このため渇水流量が非常に少なくなります。
かつて、安濃川を水源とする水田は、僅か約1,400ヘクタール程度でありながら22ヶ所の井堰で反復取水しており、堰そのものも礫、木杭等を材料としたものが大部分であるため、洪水の度に流失し修復すると云う状態で井堰の維持管理に年々多大な経費を費していました。
安濃川掛り以外の水田は、約100ヶ所におよぶ溜池とわずかな小河川が水源で、あとは天水が頼りという状況でした。
一方、畑に至っては、水利施設は皆無であり、この不安定な水利状況が本地域の農業経営不振の原因となっていました。

*雲林院(うじい)井堰の歴史

雲林院(うじい)は、古くは「無涓(むけん)の里(水利に乏しい土地柄の意)」と呼ばれました。

安濃川は、雲林院(うじい)では深い谷を切って低所を流れ、灌漑(かんがい)の用をなさず、ただ打越川等の小渓流に潤される山間の谷田のみが水田化され、広い沃野すべては生産性の低い畑地でした。

「山田のない家へは嫁にやるな」の諺があった程でした。

雲林院(うじい)の沃野の水田化のために安濃川より取水する必要がありました。

延宝3年(1675)津藩奉行の柳田猪之助の努力により、井堰及び溝手が開発されました。これが、 雲林院井堰の起源です。この工事の詳細は不明です。

しかし、この開発により、従来の畑を水田に改めた所が多く、これを畑ヶ田と呼び、従来からの水田先手田方と区別しました。

井堰開発より11年後の貞享3年(1686)の田畑や収穫高の改めの報告では、雲林院(うじい)の総水田面積51町5反2畝1歩の内、先手田方21町9反5畝6歩に対し畑ヶ田は29町5反6畝25歩と、その57%に当り、収穫においても先手田方256石余に対して、畑ヶ田420石余と62%を占め飛躍的に増加していることがわかります。

ところが、この井堰はまだ技術も稚拙で溝手も不完全な部分もあり、大雨のたびに堰が流出したり、溝の漏水があったりしました。この漏水も年月を経るに従い大きくなりました。

こうして井堰開発により開発した畑ヶ田も旱天には旱害を被るまでになりました。

寛政2年(1790)、延宝の井堰創設より115年後に当時の庄屋、紀太治良太夫、増地伊左衛門らの尽力により改修に着手しました。工期は1ヶ年(4月朔日から8月の彼岸までの用水使用期間を除く)、経費133両2分余、動員石工、大工300余人の工事でした。

井堰の改修に当たり、漏水防止のため、密かに禁を破って堰板を用いました。当時、津藩は堰板の使用を厳禁していました。これを、奉行所の茨木理兵衛(寛政8年、津藩最大の農民暴動、寛政一揆を引きおこして失脚した奉行)の独断により用いたものでした。

下流の諸村がこれを怪しみ、井堰を壊して堰板の有無を調べようとしたので、これを知った茨木は部下の士多数を率いて雲林院は溝淵大明神に雨乞いと称して立て籠りました。

下流諸村の百姓は、その威光に恐れて、なすすべもなく退却し、ことなきを得たと語り伝えられてます。寛政3年(1791)8月改修工事は完成しました。これを機に、村人は井堰の安泰を願って、井ノ宮を観請し、美都波能女神、瀬織津姫神の2神を祀り、水利の神として崇敬しました。

また、別殿には井堰の功労者柳田猪之助、茨木理兵衛等を祀り、その恩徳に感謝しました。

雲林院井堰碑 雲林院井堰
現在の雲林院(うじい)井堰
(提供:津市教育委員会) 
史跡雲林院(うじい)井堰の碑
頌徳碑 美濃夜神社
溝淵(うすゆ)
大明神(美濃夜神社) 
雲林院(うじい)井堰頌徳碑

 

国営かんがい排水事業「中勢用水地区」(昭和47年から平成2年)

本地区における不安定な水利条件を解消するため、昭和47年から国営かんがい排水事業「中勢用水地区」が実施されました。

この事業では、安濃川の上流、旧芸濃町河内地内に有効貯水量約9,800,000立方メートルのダムを建設し水源を確保すると共に安濃川掛りの地域は22ヶ所の井堰を4ヶ所の頭首工に整理統合しました。また、新規利水地域には用水路約97キロメートルの新設により計画的、効率的な配水を図るものでした。

事業の中心施設である安濃ダムについては、国営で施工し、頭首工については第一、第二及び三泗頭首工は県営で、第三頭首工を国営で施工しました。また、用水路のうち、上流部約20キロメートルは国営で、残り77キロメートルは県営で施工しました。このほか、ほ場整備関連事業の実施と相まって用水の安定供給、土地・労働生産性の向上を図り、農業経営の安定に寄与しています。 

安濃ダムの工事(昭和55年から平成元年)の写真 

昭和56年夏 昭和58年2月 昭和58年8月 昭和59年10月
本工事着工前のダムサイトを上流より望む
(昭和56年夏)
ダムコンクリート打設初期
(昭和58年2月) 
ダムコンクリート打設最盛期の夜間作業
(昭和58年8月) 
ダムコンクリート打設後期 
(昭和59年10月)

 

事業により造成された主な施設等 


安濃ダム
安濃ダム
(国営)

第三頭首工
第三頭首工
(国営) 

南北分水工
南北分水工
(国営)

 水管理施設
水管理施設
(国営)

北幹線末端調圧水槽
北幹線末端
調圧水槽(国営)

県営第一頭首工
第一頭首工
(県営)

  

事業の効果

事業の実施に伴い、農業用水が安定的に供給されるようになり、計画的な水管理ができることで、単収の増加、品質の向上等、農産物の生産性が向上しました。令和4年には水稲の10アール当たりの収量は、事業着手時と比べて約1.2倍、令和3年には小麦及び大豆の作付面積はそれぞれ約2倍、約3倍となりました。 

水稲10アール当たり収量の伸び

水稲10アール当たり収量の伸び

小麦・大豆の作付面積の推移

 小麦・大豆の作付面積の推移

(出典:三重農林水産統計年報、東海農政局 市町村別統計) (出典:三重農林水産統計年報、東海農政局 市町村別統計)

 

地区の営農状況

☆水稲を基幹として、小麦、大豆を組み合わせた土地利用型の水田農業が定着しています。

☆キャベツ等の野菜、花木、果樹など多様な農産物の生産が行われています。

地区の営農状況

 

国営施設機能保全事業「中勢用水地区」の着工

国営かんがい排水事業で造成した農業水利施設は、事業完了から20年以上が経過し、主要施設の老朽化に伴う不具合の発生により、円滑な維持管理と適切な用水の配水管理に支障を来す恐れがあります。

国営造成水利施設保全対策指導事業(平成17から20年度及び平成22年度)により、基幹水利施設の網羅的な機能診断を実施しており、その結果から各施設の劣化状況に対する機能低下抑制のための予防保全対策が必要であることが判明しています。

安濃ダムをはじめとする中勢用水地区の農業水利施設は、農業生産の基盤となる重要な社会資本となっているとの認識に立ち、今後直面する施設の老朽化に対して、コスト縮減の観点から既存施設の機能を安定的に発揮しつつ長寿命化(有効利用)を図るため、施設機能の喪失に伴う全面的な更新整備を行うのではなく、部分的に機能低下が見られる範囲に対し事前に手当を施す予防保全対策を行うことにより、農家はもとより地域にとっても有利となる施設の保全管理を推進します。このため、適時適切な更新整備と施設管理者による適切な維持管理の推進に努め、施設機能が長期間にわたって安定的に発揮することを目指しています。 

安濃ダムの堆砂状況
安濃ダム上流部の堆砂状況

第三頭首工護岸等の状況
第三頭首工護岸の状況

 

中勢用水の機能保全マスタープラン

中勢用水の機能保全マスタープラン

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(営農の状況と施設の役割) 

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中勢用水の維持と保全に向けて(ロードマップ)

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中勢用水の維持と保全に向けて

 

山林の維持保全との連携

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これからの中勢用水山林の維持保全に向けて

 

 

お問合せ先

木曽川水系土地改良調査管理事務所企画課

電話:052-761-3191

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