コラム―三島泉斉(みしませんさい)「笹木野の干拓」京都の豪商三島泉斉が、大松(おおまつ)、平石(ひらいし)、加賀須野(かがすの)と松茂(まつしげ)の住吉の干拓に取り込んだのは、元和(げんな)年間(1615~1625年)のことであるといわれています。泉斉は堤防を築き、周囲に掘割(ほりわり)を行い、田畑を開拓していきましたが、度重なる洪水で田畑は流され困難を極め、遂には破産に追い込まれ、泉斉の事業は夢と消え失意のまま没することになりました。しかし、その後干拓事業は、朝山瀬兵衛、井上六郎右衛門、藤川四郎右衛門らによって引き継がれていきました。 |
お問合せ先
四国東部農地防災事務所
〒779-0105
徳島県板野郡板野町大寺字王子72-2
TEL:088-672-5252